(以下公式サイトから引用)
2005/07/28
マリー・アントワネット生誕250周年記念『ベルサイユのばら』役替わりの実施について
2006年1月より星組、引き続き雪組において上演を予定しておりますマリー・アントワネット生誕250周年記念 宝塚グランドロマン『ベルサイユのばら』〜池田理代子原作「ベルサイユのばら」より〜におきまして、下記の通り、各組からの特別出演を含めた豪華キャストによる役替わりを行うことが決定いたしましたので、お知らせいたします。
(以上引用)
自分で豪華キャスト言うか!(爆笑)
いや、確かに豪華といえば豪華だけども。
星ベルばら。
大劇:フェルゼン=わたる、アントワネット=となみ
オスカル=コム、かしげ、水、きりやん、ゆうひ
アンドレ=とうこ
東宝:フェルゼン=わたる、アントワネット=となみ
オスカル=とうこ
アンドレ未定
雪ベルばら。
大劇:オスカル=コム、ロザリー=まー
アンドレ=わたる、オサ、アサコ、かしげ、水
東宝:オスカル=コム、ロザリー=まー
アンドレ=とうこ、かしげ、水
何回見に行かなきゃならないんだ!?
つーかチケットは手に入るのか?
何だかんだ言って、踊らされますけどね。
ベルばらって「作品」でなくて「興行」なんだなあと、心底痛感してしまった本日の役替り発表でした。
……正直、ベルばらで退団されるのも覚悟していたんだが、こんなんだったら嫌だ。
興行じゃなくて作品がいいよ……。
ところで、全ツの配役はまだですかー?
(懲りてない)(でもこっちは特出とかの心配がないから安心して予想を楽しめる)
***
一夜明けて追記。
よかった探しをしますと。
とうこさんのアンドレが見られるのはよかったなあと。オスカルだけでなく。だってでないとここ2,3年の女役率高すぎて。
まあ相手役が週替わりと言うのがなんですが。
あと東宝が特出役替りなしなのもうれしい。組子だけで落ち着いて取り組んでもらえるのはうれしいですよ。
ええ、例えそれがベルばらであろうとも。
この星大劇オスカル豪華(業火って変換された。ひええ)ラインナップ。アンドレとの映りに思いを馳せるのが普通だと思いますが。
ほら、私はわたるファンですから。
このビューティホーな皆様が、わたるフェルゼンに惚れてくれるのかと思うとちょっと楽しいです。
そうね、TCAだと思うと楽しみにできるかな。
ってチケットもTCA並みに厳しかったりしてな(わたるアンドレなんて絶対取れなさそう……)。
2005/07/28
マリー・アントワネット生誕250周年記念『ベルサイユのばら』役替わりの実施について
2006年1月より星組、引き続き雪組において上演を予定しておりますマリー・アントワネット生誕250周年記念 宝塚グランドロマン『ベルサイユのばら』〜池田理代子原作「ベルサイユのばら」より〜におきまして、下記の通り、各組からの特別出演を含めた豪華キャストによる役替わりを行うことが決定いたしましたので、お知らせいたします。
(以上引用)
自分で豪華キャスト言うか!(爆笑)
いや、確かに豪華といえば豪華だけども。
星ベルばら。
大劇:フェルゼン=わたる、アントワネット=となみ
オスカル=コム、かしげ、水、きりやん、ゆうひ
アンドレ=とうこ
東宝:フェルゼン=わたる、アントワネット=となみ
オスカル=とうこ
アンドレ未定
雪ベルばら。
大劇:オスカル=コム、ロザリー=まー
アンドレ=わたる、オサ、アサコ、かしげ、水
東宝:オスカル=コム、ロザリー=まー
アンドレ=とうこ、かしげ、水
何回見に行かなきゃならないんだ!?
つーかチケットは手に入るのか?
何だかんだ言って、踊らされますけどね。
ベルばらって「作品」でなくて「興行」なんだなあと、心底痛感してしまった本日の役替り発表でした。
……正直、ベルばらで退団されるのも覚悟していたんだが、こんなんだったら嫌だ。
興行じゃなくて作品がいいよ……。
ところで、全ツの配役はまだですかー?
(懲りてない)(でもこっちは特出とかの心配がないから安心して予想を楽しめる)
***
一夜明けて追記。
よかった探しをしますと。
とうこさんのアンドレが見られるのはよかったなあと。オスカルだけでなく。だってでないとここ2,3年の女役率高すぎて。
まあ相手役が週替わりと言うのがなんですが。
あと東宝が特出役替りなしなのもうれしい。組子だけで落ち着いて取り組んでもらえるのはうれしいですよ。
ええ、例えそれがベルばらであろうとも。
この星大劇オスカル豪華(業火って変換された。ひええ)ラインナップ。アンドレとの映りに思いを馳せるのが普通だと思いますが。
ほら、私はわたるファンですから。
このビューティホーな皆様が、わたるフェルゼンに惚れてくれるのかと思うとちょっと楽しいです。
そうね、TCAだと思うと楽しみにできるかな。
ってチケットもTCA並みに厳しかったりしてな(わたるアンドレなんて絶対取れなさそう……)。
イタリア語でPAPAVERO(『霧のミラノ』)
2005年7月26日 宝塚観劇後に話題になったのが「ひなげし」。
歌詞に出てくるんですけどね、英語でポピー、フランス語でコクリコ、中国語で虞美人草、そしてスペインではアマポーラ。って、じゃイタリア語では何なんだよ!と。
PAPAVERO。発音はパパヴェーロになるのかな。確かになじみが無いから歌詞にはしにくいか。
と言う訳で『霧のミラノ』感想の続き。
ここが悪いから駄目、というのではなく、足りないところがたくさんあってもどかしい作品なので、文句を書き始めると色々あります。
昨日分ではまず、主人公の動機と歴史背景とが描写不足で、更にそのせいもあってロレンツォとカールハインツの友情と確執が唐突、という、一番気になったことを書きました。
脚本への疑問点。
この話、盛り上がるべきところはどこですか?
と言うか、盛り上がるべき事件が全て舞台の外で起こっているような気がする。
その最大のものは、対オーストリア戦争。
激しい戦いでロレンツォが目覚しい働きをした、とナレーションで説明するだけ。ここでのロレンツォの活躍が、カールハインツの最後の行動の理由になるはずなのに(そうかここが描かれていないからラストが余計に唐突なんだな)。
エピソードをきちんと描くのが面倒でも、せめて群舞で盛り上げてくれてもいいのに。レジスタンス部隊対オーストリア軍の迫力あるダンスシーン、なんて定番でできそうなのに。カジノじゃなくてこっちでやってくれよ。
オペラ座初日も。
ミラノ市民にとっては晴れの日であり、オーストリア軍にとってはミラノ市民の愛国心が高まるのを警戒しつつ、皇帝夫妻訪問をつつがなく迎えねばならない緊張の日。実際、カールハインツ退役の日に最大の仕事として振り返るのはこの日のことなのに、物語上では全く描かれていない。
この日に、先走ったレジスタンスの一員が騒ぎを起こしかけ、それを時期尚早と判断したロレンツォが素早く治め、ひそかに網を張っていたカールハインツは見事かわされた格好になり、まだ誰かわからない敵のリーダーの能力に敬意を払う、とか、使えるのに。
派手な部分でなく、人間ドラマ的に盛り上がりそうなところも端折られてるし。
例えば、ロレンツォの母親がオーストリアの将校を選んだと言う話。さらっと流されてるけど、ちょっと待ってそれすごい重要じゃないの? その辺の、絶望して腑抜けていたのが立ち直った理由とかすっ飛ばされてるから取って付けたようになってるけど。
ちゃんと描いてくれればいくらも使えそうなエピソードなのに。フランチェスカとの恋愛によって母離れしたとか、母のことでオーストリア人全てに私怨を抱いていたのが、オーストリア将校カールハインツと個人的に知己となることで客観的に見られるようなるとか。
ジャンバティスタがレジスタンスに加わる辺りも「ロレンツォと話した」の一言で終らせてるしなー。
かつて青春の日に共に戦った同志が、再び理解し合い手を握り合う、盛り上がってしかるべき場面なのに。それが無くて次の場面でいきなり助けに来られても、盛り上がりに欠けるよなー。
更に脚本に文句をつけるなら。
エルコレ・バローネ=壮一帆、新聞記者。
この役要らないよね。つーか無い方がいいよね。
進行役と言うかナレーターなのだけれど、1時間半の芝居にナレーターが必要? その分物語の濃度が薄まっていると思うのだけど。節目節目で茶々を入れられるから、見ていてその度に気分が冷めるし。
一番感じたのはロレンツォとフランチェスカの場面。ひなげし咲く丘で愛を語り合う二人。
なのにその直後に銀橋で双眼鏡片手にデバカメしてたエルコレに鼻歌歌われるとなー。何だか「そんなにマジになりなさんな」と言われたような気がするのだわ。
壮くんが悪いんじゃなくて、あくまでもこの役が悪いんだと思う。
演出もまた、盛り上がらないことに拍車をかけております。
流石に「幻の恋人とのデュエットダンス」という中村暁氏の定番は今回はありませんでした。
が、ダンスシーンがことごとく物語から乖離したショーになってしまっているのはどうなんだろう。
上にも書いたけれどカジノのシーン。ここにオーストリア軍の面々も出てくる理由は? いやそりゃ格好いいけど。モノトーンのディーラーたち市民たちに対し、同じくモノトーンの軍服でかしげ、キムを筆頭にオーストリア側の面々が加わる男役群舞はとても素敵だったけど。でもストーリーがぼけたのは確かだと思うのよ。
カジノの場面と彼らは関係ないんだから、止めておくべきだったと思う(その分後半の戦闘シーンで思う存分対決ダンスをやってくれればいいのに)。
あと萎えたのが春のお祭り。
19世紀ミラノの春祭りなのに、何で草野ショーもどきをやるかな?
サテンの衣装(頭はターバン)で歌い踊る水くんに『レヴュー伝説』の幻を見ました。
もうちょっとそれらしくできなかったのかなあ。
プロローグもそういう意味ではちょっと不満。
いや、最初に見たときはドレスに黒燕尾、軍服でワルツと言う幕開きに「うわぁ」と高揚したけれど(そして初見ではそれが一番盛り上がった場面だったけれど)。
二度目に見たとき、まずオーストリア、そして対抗するようにミラノ市民の群舞になるのに気づいて、今度は曲がずっとウィンナ・ワルツなのに違和感を持った。
だったら曲も変えればいいのに。ミラノ側がセンターに出てきたら、それこそ椿姫とか、ベタに「行け、我が思いよ」とか。
……いや、これはマニアックな見方だというのは自覚してます。重箱の隅つついてすみません。でも歴史ロマンを狙うならそのくらいディティールを積み重ねてもいいと思うのよ(偏見かもしれないが、景子先生ならやってくれそうだ)。
あと、演出への文句。
何であんなにセットが安っぽいんだー!!
特にスカラ座のボックス席。泣けてくる……。
ちゃちなものしかできないならせめて照明を落とすとかして工夫すればいいのに。セットには限界があるのは仕方ないと思うけれど、花のときのマラケシュの町並みとか見てると、もうちょっとできそうな気がするんだよね。
あ、ついでに、ここで逢引していたジャンBとエンマが、劇場係のノーラに「若い人たちはいいわね」と言われて、ふつーに笑っているのが違和感でした。
エンマ(天勢いづる)には「もう若くは無いのよ」とか苦く呟いて欲しかったなあ。実際、恋を謳歌していた昔とは違う、って彼女は思っている訳だし、そういうソロもあるし。
後は、それこそイタリアフェチゆえの「そんなの誰も気にしねーよ」的コメント(今までのも結構そうかもしれませんが)。
・エスプレッソに砂糖を入れないイタリア人なんて!
・なんでバールにあんなに椅子とテーブルがあるんですか? カウンターは?あ、そうか、オーストリア支配下だからか!(勝手にマニアックに納得)
逆に、一部で疑問視されているらしいフランチェスカのピンクのドレスは気になりませんでした(笑)。
ええと、ケチつけまくってますが、実はこの話そんなに嫌いじゃないです。文句は多いけれどどれも絶望するほどの欠点じゃないんで。
結局大劇では2回しか見ないけど、できたら東宝でもう1回見たいと思ってます。
で、東宝では何か変わってくれるといいなあと期待してます。
歌詞に出てくるんですけどね、英語でポピー、フランス語でコクリコ、中国語で虞美人草、そしてスペインではアマポーラ。って、じゃイタリア語では何なんだよ!と。
PAPAVERO。発音はパパヴェーロになるのかな。確かになじみが無いから歌詞にはしにくいか。
と言う訳で『霧のミラノ』感想の続き。
ここが悪いから駄目、というのではなく、足りないところがたくさんあってもどかしい作品なので、文句を書き始めると色々あります。
昨日分ではまず、主人公の動機と歴史背景とが描写不足で、更にそのせいもあってロレンツォとカールハインツの友情と確執が唐突、という、一番気になったことを書きました。
脚本への疑問点。
この話、盛り上がるべきところはどこですか?
と言うか、盛り上がるべき事件が全て舞台の外で起こっているような気がする。
その最大のものは、対オーストリア戦争。
激しい戦いでロレンツォが目覚しい働きをした、とナレーションで説明するだけ。ここでのロレンツォの活躍が、カールハインツの最後の行動の理由になるはずなのに(そうかここが描かれていないからラストが余計に唐突なんだな)。
エピソードをきちんと描くのが面倒でも、せめて群舞で盛り上げてくれてもいいのに。レジスタンス部隊対オーストリア軍の迫力あるダンスシーン、なんて定番でできそうなのに。カジノじゃなくてこっちでやってくれよ。
オペラ座初日も。
ミラノ市民にとっては晴れの日であり、オーストリア軍にとってはミラノ市民の愛国心が高まるのを警戒しつつ、皇帝夫妻訪問をつつがなく迎えねばならない緊張の日。実際、カールハインツ退役の日に最大の仕事として振り返るのはこの日のことなのに、物語上では全く描かれていない。
この日に、先走ったレジスタンスの一員が騒ぎを起こしかけ、それを時期尚早と判断したロレンツォが素早く治め、ひそかに網を張っていたカールハインツは見事かわされた格好になり、まだ誰かわからない敵のリーダーの能力に敬意を払う、とか、使えるのに。
派手な部分でなく、人間ドラマ的に盛り上がりそうなところも端折られてるし。
例えば、ロレンツォの母親がオーストリアの将校を選んだと言う話。さらっと流されてるけど、ちょっと待ってそれすごい重要じゃないの? その辺の、絶望して腑抜けていたのが立ち直った理由とかすっ飛ばされてるから取って付けたようになってるけど。
ちゃんと描いてくれればいくらも使えそうなエピソードなのに。フランチェスカとの恋愛によって母離れしたとか、母のことでオーストリア人全てに私怨を抱いていたのが、オーストリア将校カールハインツと個人的に知己となることで客観的に見られるようなるとか。
ジャンバティスタがレジスタンスに加わる辺りも「ロレンツォと話した」の一言で終らせてるしなー。
かつて青春の日に共に戦った同志が、再び理解し合い手を握り合う、盛り上がってしかるべき場面なのに。それが無くて次の場面でいきなり助けに来られても、盛り上がりに欠けるよなー。
更に脚本に文句をつけるなら。
エルコレ・バローネ=壮一帆、新聞記者。
この役要らないよね。つーか無い方がいいよね。
進行役と言うかナレーターなのだけれど、1時間半の芝居にナレーターが必要? その分物語の濃度が薄まっていると思うのだけど。節目節目で茶々を入れられるから、見ていてその度に気分が冷めるし。
一番感じたのはロレンツォとフランチェスカの場面。ひなげし咲く丘で愛を語り合う二人。
なのにその直後に銀橋で双眼鏡片手にデバカメしてたエルコレに鼻歌歌われるとなー。何だか「そんなにマジになりなさんな」と言われたような気がするのだわ。
壮くんが悪いんじゃなくて、あくまでもこの役が悪いんだと思う。
演出もまた、盛り上がらないことに拍車をかけております。
流石に「幻の恋人とのデュエットダンス」という中村暁氏の定番は今回はありませんでした。
が、ダンスシーンがことごとく物語から乖離したショーになってしまっているのはどうなんだろう。
上にも書いたけれどカジノのシーン。ここにオーストリア軍の面々も出てくる理由は? いやそりゃ格好いいけど。モノトーンのディーラーたち市民たちに対し、同じくモノトーンの軍服でかしげ、キムを筆頭にオーストリア側の面々が加わる男役群舞はとても素敵だったけど。でもストーリーがぼけたのは確かだと思うのよ。
カジノの場面と彼らは関係ないんだから、止めておくべきだったと思う(その分後半の戦闘シーンで思う存分対決ダンスをやってくれればいいのに)。
あと萎えたのが春のお祭り。
19世紀ミラノの春祭りなのに、何で草野ショーもどきをやるかな?
サテンの衣装(頭はターバン)で歌い踊る水くんに『レヴュー伝説』の幻を見ました。
もうちょっとそれらしくできなかったのかなあ。
プロローグもそういう意味ではちょっと不満。
いや、最初に見たときはドレスに黒燕尾、軍服でワルツと言う幕開きに「うわぁ」と高揚したけれど(そして初見ではそれが一番盛り上がった場面だったけれど)。
二度目に見たとき、まずオーストリア、そして対抗するようにミラノ市民の群舞になるのに気づいて、今度は曲がずっとウィンナ・ワルツなのに違和感を持った。
だったら曲も変えればいいのに。ミラノ側がセンターに出てきたら、それこそ椿姫とか、ベタに「行け、我が思いよ」とか。
……いや、これはマニアックな見方だというのは自覚してます。重箱の隅つついてすみません。でも歴史ロマンを狙うならそのくらいディティールを積み重ねてもいいと思うのよ(偏見かもしれないが、景子先生ならやってくれそうだ)。
あと、演出への文句。
何であんなにセットが安っぽいんだー!!
特にスカラ座のボックス席。泣けてくる……。
ちゃちなものしかできないならせめて照明を落とすとかして工夫すればいいのに。セットには限界があるのは仕方ないと思うけれど、花のときのマラケシュの町並みとか見てると、もうちょっとできそうな気がするんだよね。
あ、ついでに、ここで逢引していたジャンBとエンマが、劇場係のノーラに「若い人たちはいいわね」と言われて、ふつーに笑っているのが違和感でした。
エンマ(天勢いづる)には「もう若くは無いのよ」とか苦く呟いて欲しかったなあ。実際、恋を謳歌していた昔とは違う、って彼女は思っている訳だし、そういうソロもあるし。
後は、それこそイタリアフェチゆえの「そんなの誰も気にしねーよ」的コメント(今までのも結構そうかもしれませんが)。
・エスプレッソに砂糖を入れないイタリア人なんて!
・なんでバールにあんなに椅子とテーブルがあるんですか? カウンターは?あ、そうか、オーストリア支配下だからか!(勝手にマニアックに納得)
逆に、一部で疑問視されているらしいフランチェスカのピンクのドレスは気になりませんでした(笑)。
ええと、ケチつけまくってますが、実はこの話そんなに嫌いじゃないです。文句は多いけれどどれも絶望するほどの欠点じゃないんで。
結局大劇では2回しか見ないけど、できたら東宝でもう1回見たいと思ってます。
で、東宝では何か変わってくれるといいなあと期待してます。
誇り高き男たちの友情物語……になったはず?(『霧のミラノ』)
2005年7月25日 宝塚『霧のミラノ』感想続き。
そもそも、疑問に思ってるんですが。
何故主人公たちがレジスタンスをやっているか。オーストリアを追い出したいか。
私は感情移入できないんですけど。
脚本家演出家は、外国に支配されているから追い出したい、ってだけで説明は要らないと思っているのかな。
でも、それで皆納得しているんだろうか。感情移入して見ているんだろうか。
オーストリア支配の悪しき象徴として描かれるのは。
祭りやオペラの禁止。でもこれらは、作中でオーストリアの許可が出て開催できるようになる。
織物問屋の取り潰し。これも疑いが晴れて解決。
増税。これも、バレッテイ公爵(汝鳥伶)がカウニッツ将軍(飛鳥裕)に皮肉言ってるだけで、庶民が困ってるようには見えず。
ロレンツォの財産は没収されたけど、彼は実際に地下運動をしていた訳だしなあ。治安維持のためにはそれほど非道とは言えないんじゃ。ロレンツォ本人もへらへらしているし。
バールでのミラノ市民たちの歌とダンスは、支配者への反発を印象付ける、『エリザ』で言うなら「ミルク」に当たるような場面だろうけど、理由が祭りとオペラじゃ、ちょっと説得力に欠ける。いや祭りもオペラも民族のアイデンティティなのはわかるけど。そして美穂圭子女史の歌は素晴らしいけど。
ミラノがいかに抑圧されているか、ミラノの貴族たち、市民たちがいかにミラノを愛し、現状を憂えているか。そこが描かれていないとお手軽な少年漫画や若年層向けノベルやRPGみたいで、薄っぺらでつくりものっぽいんだわ。
レジスタンスの意味や愛国心がちゃんと描かれていないから、そのリーダーであるロレンツォが魅力的に見えないし、裏と表の顔の使い分けも映えない。
何より、敵同士なのに相手の人間性に惹かれ友情を抱く、ロレンツォとカールハインツとの関係が、ぬるい。
二人の友情のキーワードになりうるもの。二人がお互いに共感できるポイントは「貴族の誇り」だと思うんだ。
ちゃんと描かれていないけれど、深読みする余地はある。
カールハインツは、軍人であることより貴族であることにアイデンティティを置いているよね。フランチェスカ、ロレンツォとの初対面の場面で「子爵です」と名乗っているし。「少佐です」ではなく。
退役するとき「国を守る気持ちはあるのに軍務に向かない自分」と言っているのも、そういうことだろう。
情報将校であるからには、常に正々堂々と行動する訳には行かない。そんな時、貴族として人間としての彼の誇りは、傷ついたんだろう。
そんな彼が、ロレンツォを誇り高き貴族、愛国者と認めて共感を抱いても不思議ではない。
問題は、ロレンツォがそういう人間である、と描かれていないことで。
ミラノの人間としての誇りを持ち、それ故にレジスタンスに身を投じる男、としてのロレンツォを、見せてほしい。
そうしたらストーリーの説得力、ロレンツォの魅力、両方表現できるんじゃないだろうか。
カールハインツに見せる、昼行灯とレジスタンスリーダーとしての二面性も、コメディになってしまっている。
もっとわかりやすく見せてくれてもいいと思うんですよ。
例えば。
オーストリアに反発する人々がいる反面、オーストリア青年将校たちに嬉々として行動を共にするお嬢さんたち、ご夫人たちがいる。これがまた緊張感を削いでいるんだが。
彼女たちは自主的にそうしているんだよね。それは何故だ?(美形揃いだから、ってそりゃそうですが)
まだ「イタリア国民」としての意識が形成されていない、というのが答えになりうると思う。
そこで、ロレンツォがカールハインツの執務室を訪れる場面で真面目な話をさせてみてはどうだろう。
「我々の支配を喜んで受け入れてくれる方々も多い。レジスタンスは一部市民や特権を奪われた者たちの私怨による動きだと私は見ています」
「しかし時代は変わりつつあります。ミラノは、いやイタリア人は民族の誇りに目覚め始めている」
カールハインツの言葉に、つい本音が出てしまってへらへらとごまかすロレンツォ。ロレンツォが見せた気骨ある態度に驚き感心するカールハインツ。
そこで、ロレンツォを認める銀橋歌に入ればいいじゃん。歴史背景を出すことによって、他民族支配によって繁栄を築いたが滅びの近いハプスブルク貴族と、民族統一と独立をこれから成し遂げようとするイタリア貴族の対比にもなれば、歴史ロマンじゃないですか。
そして、自分を怪しんだにも関わらず、個人的な疑念だけでは紳士的な態度を崩さないカールハインツに対して、ロレンツォが感心する描写も入れればいい。それでこそ、後半のデュエット「優位に立ちながら居丈高にならず」が生きてくる。
もひとつ。
美形揃いだがどこか間抜けなオーストリア軍も緊張感を削いでいるのですが。
特に、クリスチャン(音月桂)の「アマンダちゃ〜ん」のくだり。
これはどういう意味があるのかなあ。カールハインツがいい上司であることを見せたいだけなのかなあ。いやキムくん上手いし嫌いな場面じゃないけど。
でも、オーストリアを「敵」として印象づけるにはマイナスだよね。敵もまた人間、ってテーマじゃないしねこの話(つーかそのテーマは先に敵が敵であることを示してからだよな)。
でも使いようによってはこの場面も使えると思うんですよ。
手紙が来るってことは、アマンダちゃんは故郷の彼女では? そこで「そんな姿を見たらこの間の令嬢が泣くぞ」とかつっこんでもらう。それに対し「大事なのはアマンダだけですよ。ミラノ娘なんて退屈しのぎです」と傲然と言い放てば、オーストリア軍は鼻持ちならない奴でミラノを上から見下ろして占領している、というニュアンスが出るんじゃないか? 部下たちが「そのとおり」って顔していればなお良し。
そしてカールハインツだけが不快そうであればなお良し。彼だけが、自国の支配下の土地でも相手を尊重する人間性の持ち主であることがわかる。
思いつくまま挙げてみました。
あと、どう転んでも「おいおい」と思うのはやはりラストシーン。
カールハインツは、人間として認めているロレンツォを惜しみ、彼を逃がした。しかし敗戦に至って、国への忠誠と貴族の誇りにかけてその償いをしなければならないと思うのは、理解できる。
でも、ならば、いきなり物陰から狙撃、はないんじゃないかい? これこそ「卑怯な!」と言われても仕方ないぞ。
白手袋投げて「決闘だ」でもいい場面だと思います。そしてモノローグではなく、ロレンツォの前で自分の意図を語っていただきたい。
そうであれば、ロレンツォも正々堂々と受けて立つだろうし。その方が盛り上がるし、ロレンツォの見せ場にもなるじゃん。
信念に基づいて説得する、でもいいですよ。少なくとも観客(とフランチェスカ)置き去りにはならんだろう。
と、言いつつ。
いきなり自己完結してロレンツォを撃ち殺し、挙句にフランチェスカに銃を渡して自分の命を預けるに至って、その傍迷惑な身勝手さが行き過ぎて逆に可愛くなってしまいました、カールハインツ。うわー私このキャラ好きかも。最低男なのにー(笑)。
……やっぱり馬鹿だからかな、こいつ。
そもそも、疑問に思ってるんですが。
何故主人公たちがレジスタンスをやっているか。オーストリアを追い出したいか。
私は感情移入できないんですけど。
脚本家演出家は、外国に支配されているから追い出したい、ってだけで説明は要らないと思っているのかな。
でも、それで皆納得しているんだろうか。感情移入して見ているんだろうか。
オーストリア支配の悪しき象徴として描かれるのは。
祭りやオペラの禁止。でもこれらは、作中でオーストリアの許可が出て開催できるようになる。
織物問屋の取り潰し。これも疑いが晴れて解決。
増税。これも、バレッテイ公爵(汝鳥伶)がカウニッツ将軍(飛鳥裕)に皮肉言ってるだけで、庶民が困ってるようには見えず。
ロレンツォの財産は没収されたけど、彼は実際に地下運動をしていた訳だしなあ。治安維持のためにはそれほど非道とは言えないんじゃ。ロレンツォ本人もへらへらしているし。
バールでのミラノ市民たちの歌とダンスは、支配者への反発を印象付ける、『エリザ』で言うなら「ミルク」に当たるような場面だろうけど、理由が祭りとオペラじゃ、ちょっと説得力に欠ける。いや祭りもオペラも民族のアイデンティティなのはわかるけど。そして美穂圭子女史の歌は素晴らしいけど。
ミラノがいかに抑圧されているか、ミラノの貴族たち、市民たちがいかにミラノを愛し、現状を憂えているか。そこが描かれていないとお手軽な少年漫画や若年層向けノベルやRPGみたいで、薄っぺらでつくりものっぽいんだわ。
レジスタンスの意味や愛国心がちゃんと描かれていないから、そのリーダーであるロレンツォが魅力的に見えないし、裏と表の顔の使い分けも映えない。
何より、敵同士なのに相手の人間性に惹かれ友情を抱く、ロレンツォとカールハインツとの関係が、ぬるい。
二人の友情のキーワードになりうるもの。二人がお互いに共感できるポイントは「貴族の誇り」だと思うんだ。
ちゃんと描かれていないけれど、深読みする余地はある。
カールハインツは、軍人であることより貴族であることにアイデンティティを置いているよね。フランチェスカ、ロレンツォとの初対面の場面で「子爵です」と名乗っているし。「少佐です」ではなく。
退役するとき「国を守る気持ちはあるのに軍務に向かない自分」と言っているのも、そういうことだろう。
情報将校であるからには、常に正々堂々と行動する訳には行かない。そんな時、貴族として人間としての彼の誇りは、傷ついたんだろう。
そんな彼が、ロレンツォを誇り高き貴族、愛国者と認めて共感を抱いても不思議ではない。
問題は、ロレンツォがそういう人間である、と描かれていないことで。
ミラノの人間としての誇りを持ち、それ故にレジスタンスに身を投じる男、としてのロレンツォを、見せてほしい。
そうしたらストーリーの説得力、ロレンツォの魅力、両方表現できるんじゃないだろうか。
カールハインツに見せる、昼行灯とレジスタンスリーダーとしての二面性も、コメディになってしまっている。
もっとわかりやすく見せてくれてもいいと思うんですよ。
例えば。
オーストリアに反発する人々がいる反面、オーストリア青年将校たちに嬉々として行動を共にするお嬢さんたち、ご夫人たちがいる。これがまた緊張感を削いでいるんだが。
彼女たちは自主的にそうしているんだよね。それは何故だ?(美形揃いだから、ってそりゃそうですが)
まだ「イタリア国民」としての意識が形成されていない、というのが答えになりうると思う。
そこで、ロレンツォがカールハインツの執務室を訪れる場面で真面目な話をさせてみてはどうだろう。
「我々の支配を喜んで受け入れてくれる方々も多い。レジスタンスは一部市民や特権を奪われた者たちの私怨による動きだと私は見ています」
「しかし時代は変わりつつあります。ミラノは、いやイタリア人は民族の誇りに目覚め始めている」
カールハインツの言葉に、つい本音が出てしまってへらへらとごまかすロレンツォ。ロレンツォが見せた気骨ある態度に驚き感心するカールハインツ。
そこで、ロレンツォを認める銀橋歌に入ればいいじゃん。歴史背景を出すことによって、他民族支配によって繁栄を築いたが滅びの近いハプスブルク貴族と、民族統一と独立をこれから成し遂げようとするイタリア貴族の対比にもなれば、歴史ロマンじゃないですか。
そして、自分を怪しんだにも関わらず、個人的な疑念だけでは紳士的な態度を崩さないカールハインツに対して、ロレンツォが感心する描写も入れればいい。それでこそ、後半のデュエット「優位に立ちながら居丈高にならず」が生きてくる。
もひとつ。
美形揃いだがどこか間抜けなオーストリア軍も緊張感を削いでいるのですが。
特に、クリスチャン(音月桂)の「アマンダちゃ〜ん」のくだり。
これはどういう意味があるのかなあ。カールハインツがいい上司であることを見せたいだけなのかなあ。いやキムくん上手いし嫌いな場面じゃないけど。
でも、オーストリアを「敵」として印象づけるにはマイナスだよね。敵もまた人間、ってテーマじゃないしねこの話(つーかそのテーマは先に敵が敵であることを示してからだよな)。
でも使いようによってはこの場面も使えると思うんですよ。
手紙が来るってことは、アマンダちゃんは故郷の彼女では? そこで「そんな姿を見たらこの間の令嬢が泣くぞ」とかつっこんでもらう。それに対し「大事なのはアマンダだけですよ。ミラノ娘なんて退屈しのぎです」と傲然と言い放てば、オーストリア軍は鼻持ちならない奴でミラノを上から見下ろして占領している、というニュアンスが出るんじゃないか? 部下たちが「そのとおり」って顔していればなお良し。
そしてカールハインツだけが不快そうであればなお良し。彼だけが、自国の支配下の土地でも相手を尊重する人間性の持ち主であることがわかる。
思いつくまま挙げてみました。
あと、どう転んでも「おいおい」と思うのはやはりラストシーン。
カールハインツは、人間として認めているロレンツォを惜しみ、彼を逃がした。しかし敗戦に至って、国への忠誠と貴族の誇りにかけてその償いをしなければならないと思うのは、理解できる。
でも、ならば、いきなり物陰から狙撃、はないんじゃないかい? これこそ「卑怯な!」と言われても仕方ないぞ。
白手袋投げて「決闘だ」でもいい場面だと思います。そしてモノローグではなく、ロレンツォの前で自分の意図を語っていただきたい。
そうであれば、ロレンツォも正々堂々と受けて立つだろうし。その方が盛り上がるし、ロレンツォの見せ場にもなるじゃん。
信念に基づいて説得する、でもいいですよ。少なくとも観客(とフランチェスカ)置き去りにはならんだろう。
と、言いつつ。
いきなり自己完結してロレンツォを撃ち殺し、挙句にフランチェスカに銃を渡して自分の命を預けるに至って、その傍迷惑な身勝手さが行き過ぎて逆に可愛くなってしまいました、カールハインツ。うわー私このキャラ好きかも。最低男なのにー(笑)。
……やっぱり馬鹿だからかな、こいつ。
ぬるい。(雪組大劇場公演『霧のミラノ』)
2005年7月24日 宝塚さて、芝居『霧のミラノ』。
どうにももどかしい作品でした。
何と言うか、足りない。
脚本も演出も役者も、全体的に少しずつ足りない。
恋愛も友情もレジスタンスも、全てがぬるい。ぬるすぎる。
時は1850年代、オーストリア支配下のミラノ。主人公・ロレンツォ(朝海ひかる)は貴族の家柄だが財産を没収され市役所で働く、飄々としてとらえどころのない男。しかし実はレジスタンスの幹部という真の顔を持つ。
そんなロレンツォと、彼を愛する名家の娘フランチェスカ(舞風りら)、旧友ジャンバティスタ(水夏希)、そして敵でありながら彼に友情を感じるオーストリア将校カールハインツ(貴城けい)、らの織り成す物語。
激動する時代、愛し合う男女、愛国心と地下活動、敵味方を越えた友情。
そしてドレスとフロックコートと軍服のコスチュームプレイ。
勿体無い。
題材としてはすごく魅力的で、いくらでも面白くなりそうなのに。
だからこそ、つまらないのがもどかしい。
エピソードや描写が足りていないのに、登場人物たちは台詞や歌詞で唐突に盛り上がっていたりするんだな。
カールハインツ、「しなやかにしたたかに」「男の豊かな顔」って、あのやりとりでそこまで過大評価するって、勝手にドリーム抱いてませんかー?
ロレンツォ、「フランチェスカ、どんなに君に渇いていたか!」って、いつの間に君たちそれほどの仲になったんだー!
てな感じで自己完結で盛り上がられて、観客置いてきぼりです。
ストーリー全体的に盛り上がらなくて話に入れなくて、隔靴掻痒、と言う感じでした。
そう言えば『飛鳥夕映え』の時も言ったような気がする、隔靴掻痒って。
脚本はどちらも柴田氏ですか。
そして今回の演出は平板な作風が特徴の中村暁氏。
そーゆーことですか。
それでも『飛鳥』は最後それなりに緊迫して盛り上がったんだけどな。
こっちのラストは……悪いけど口をあんぐりと開けてしまった。大劇場芝居が3作連続で「え?これで終わり?」って観客置き去り呆然として幕が下りるのはどうなんだろう(いや呆然の意味はそれぞれ違うけど)。
いや、期待しすぎたのが悪いのかもしれないと思うよ。
でも『霧のミラノ』というタイトルで、解説には「耽美的ながら混乱したミラノ」とあって、それを美形揃いの雪組でやるとなれば、重厚で美しい歴史ロマンを期待しても仕方ないよね……。
と言うのが、初見の感想。
約2週間たった2回目は、大分見やすくなってました。
もしかしたら作品に慣れただけかもしれないし、前回は2階席だったのに比べて今回は1階9列サブセンで臨場感が違ったからかもしれないけれど。
でもやっぱり、役者の力で底上げされつつあるんだと思う。
脚本と演出は変わらないもんな。
改善されたと思うのは、特にラブストーリーの部分。
まあ、恋愛ものは、主役二人がお互いを愛してるオーラを出してくれれば、あまり書き込まれてなくても納得してしまうものなので。
演技自体も変わってるんだと思います。最初、うわーキャラに合ってないわざとらしいー、と思ったロレンツォの「好きだー!」も、絶叫ではなく力強く「好きだ!」と伝えるように落ち着いてきてました。
が、「敵味方の友情」「レジスタンス」は、やはり役者の努力だけではまだ足りない。
ぬるい。
でも、こむまーはラブラブだし、かしげちゃんは美形でお貴族様で軍服姿だし、水くんは陽気で友情に厚いいい奴で、加えていずるんとのやたらと色っぽいラブシーンはあるし、人とキャラを見ていればそれなりに楽しめるなあ。
と、思った2回目観劇でした。
……少なくとも『長崎』と比べると百万倍くらいうらやましいです(小声)。
字数足りないんで続きは次項に分割。
どうにももどかしい作品でした。
何と言うか、足りない。
脚本も演出も役者も、全体的に少しずつ足りない。
恋愛も友情もレジスタンスも、全てがぬるい。ぬるすぎる。
時は1850年代、オーストリア支配下のミラノ。主人公・ロレンツォ(朝海ひかる)は貴族の家柄だが財産を没収され市役所で働く、飄々としてとらえどころのない男。しかし実はレジスタンスの幹部という真の顔を持つ。
そんなロレンツォと、彼を愛する名家の娘フランチェスカ(舞風りら)、旧友ジャンバティスタ(水夏希)、そして敵でありながら彼に友情を感じるオーストリア将校カールハインツ(貴城けい)、らの織り成す物語。
激動する時代、愛し合う男女、愛国心と地下活動、敵味方を越えた友情。
そしてドレスとフロックコートと軍服のコスチュームプレイ。
勿体無い。
題材としてはすごく魅力的で、いくらでも面白くなりそうなのに。
だからこそ、つまらないのがもどかしい。
エピソードや描写が足りていないのに、登場人物たちは台詞や歌詞で唐突に盛り上がっていたりするんだな。
カールハインツ、「しなやかにしたたかに」「男の豊かな顔」って、あのやりとりでそこまで過大評価するって、勝手にドリーム抱いてませんかー?
ロレンツォ、「フランチェスカ、どんなに君に渇いていたか!」って、いつの間に君たちそれほどの仲になったんだー!
てな感じで自己完結で盛り上がられて、観客置いてきぼりです。
ストーリー全体的に盛り上がらなくて話に入れなくて、隔靴掻痒、と言う感じでした。
そう言えば『飛鳥夕映え』の時も言ったような気がする、隔靴掻痒って。
脚本はどちらも柴田氏ですか。
そして今回の演出は平板な作風が特徴の中村暁氏。
そーゆーことですか。
それでも『飛鳥』は最後それなりに緊迫して盛り上がったんだけどな。
こっちのラストは……悪いけど口をあんぐりと開けてしまった。大劇場芝居が3作連続で「え?これで終わり?」って観客置き去り呆然として幕が下りるのはどうなんだろう(いや呆然の意味はそれぞれ違うけど)。
いや、期待しすぎたのが悪いのかもしれないと思うよ。
でも『霧のミラノ』というタイトルで、解説には「耽美的ながら混乱したミラノ」とあって、それを美形揃いの雪組でやるとなれば、重厚で美しい歴史ロマンを期待しても仕方ないよね……。
と言うのが、初見の感想。
約2週間たった2回目は、大分見やすくなってました。
もしかしたら作品に慣れただけかもしれないし、前回は2階席だったのに比べて今回は1階9列サブセンで臨場感が違ったからかもしれないけれど。
でもやっぱり、役者の力で底上げされつつあるんだと思う。
脚本と演出は変わらないもんな。
改善されたと思うのは、特にラブストーリーの部分。
まあ、恋愛ものは、主役二人がお互いを愛してるオーラを出してくれれば、あまり書き込まれてなくても納得してしまうものなので。
演技自体も変わってるんだと思います。最初、うわーキャラに合ってないわざとらしいー、と思ったロレンツォの「好きだー!」も、絶叫ではなく力強く「好きだ!」と伝えるように落ち着いてきてました。
が、「敵味方の友情」「レジスタンス」は、やはり役者の努力だけではまだ足りない。
ぬるい。
でも、こむまーはラブラブだし、かしげちゃんは美形でお貴族様で軍服姿だし、水くんは陽気で友情に厚いいい奴で、加えていずるんとのやたらと色っぽいラブシーンはあるし、人とキャラを見ていればそれなりに楽しめるなあ。
と、思った2回目観劇でした。
……少なくとも『長崎』と比べると百万倍くらいうらやましいです(小声)。
字数足りないんで続きは次項に分割。
グローリーハレルヤ!(雪組大劇場公演『ワンダーランド』)
2005年7月23日 宝塚雪組大劇、観て参りました。
実は2回目で、初見は7/10だったんですけどね。
芝居の感想はうだうだ長くなりそうなので、まずショーから。
このショーで私が一番笑顔になってしまうのは、「栄光」の場面。
カーテン前で、黒ベスト黒パンツのコムちゃんが出てきて「グローリーハレルヤ!」とソロ。次に、水くんがでてきて同じようにソロ。
さて次は誰? と思ったら。
ハマコさんでした!(びっくり)
すげーノリノリでシャウトしてます。「グロゥリィハァリィルーゥウィヤッ!!」って感じです。
一番地味な衣装(他の二人と違って銀ラメのラインがないのだ)で一番派手に歌って踊ってキザってます。
こりゃ頬も緩むよね。
このワンフレーズだけで3,500円くらいの価値はあるなあ(じゃB席の元取れるじゃん)(いや他がマイナスの場合もあるし)。
……って、私だけでしょうか、こんなに楽しいのは。
二番目にへらへらしてしまうのは、中詰めのクラシックメドレー、やはりハマコ氏のソロです。ソロと言うかトリオなんですが、美穂圭子・愛耀子両女子をはべらせて(はべらせて?←ちょっと日本語の使い方に自信がなくなったらしい)、こちらはクラシカルかつ朗々と。
トランプ柄の衣装は赤。ま、そうだろう(笑)。
そして、三番目くらいににこにこしてしまうのは。
かしげちゃんのカウボーイ@銀橋なんですけど。何だかここ私の周囲には評判が悪いらしい。
えー、何でー? かわいいじゃん。
「もっと若い子にやらせなきゃ」
と言うのは緑野さん。た、確かにそりゃごもっとも。
でも好きなんだよー。かわいいんだもん。
かしげさんと言えば、アラビアの場面も好きですよ。
トレンチコートで登場のハートブレイク青年も似非アポリネールな感じで好きですが、アラビアンな王子様衣装も似合う。
しかしここはどっちかと言うとハーレムの美女を見てしまうかなあ。大湖せしるくん。すげー可愛いのにひと目で男役の女装とわかる獰猛な表情がたまりません。対するかしちゃんが憂いを帯びつつ無表情なのもステキ。
でも、この場面、オチはちょっと……あれやらなきゃいけないんですかねやっぱり。
え?え?って感じのかしちゃんはかわいいけどさ。かわいいシーンは別にあるんだから(カウボーイね)、ここは妖しく美しいまま終わってくれた方が……とほほ。
場面として好きなのは「大砂塵に消えた恋」。
前半の騎兵隊集団も若手勢揃いで楽しいし、後半シリアスモードの騎兵隊員・コム氏、インディアンの娘・まーちゃん、サルーンの女・いずるんの三角関係のストーリーダンスがドラマだ。他の男に目もくれず、コム氏だけにすがりつくいずるん。そんないずるんに何度かきくどかれても見向きもしないコム氏。
そして登場するインディアン娘まーちゃんの可愛いこと! コムまーのデュエットダンスは文句なしだし。
ただ、最後コム氏にはまーちゃんに駆け寄って欲しかったけど。銀橋歌もいいけどさ。それが残念だ。
あと芝居と微妙にテイストが被るのが気になりました。騎兵隊の青い制服とか、銃声が恋人たちを引き裂くところとか。
白鯨の場面は、私的にはちょっと退屈でした。水くんファンにとっては面白いのかしら。ストーリー性のある場面だけど、暗くて地味な気がする。もっと華やいだ見せ場があってもいいような。
と言うか、水くんのすぐ後ろがハマコ・まちかというのはちょっと地味すぎるのでは。これだけハマコ見て喜んでる私が言うのもなんですが。
もうちょっときらきらした若手を配してもいいような気はする。いや後ろの方にはきれいな子もいるけど、若手のスターさんをこの直後の騎兵隊から一人二人回しても良かったんじゃないかなあ。
ところで。
私は贔屓組(つまり星)以外ではそれほど前方席に座りたいとは思わない人です。
が、今回は「0列センターに座りたい!」と思う瞬間がありました。
これだけハマコだのかしげだの言っておきながら、その二人のためではありません。
キムくんのせいです。
初見は2階席だったんですが、2階から見ても鮮やかな目線。にやりと毒をはらんだ笑顔。強烈なウィンク。
……最前列で銀橋から見下ろされたい。あのアピールの直撃くらって殺されてみたい。いや本気で最前列ゲットしようとは思いませんが。
キムくんのことは好きですが大好きと言うほどではないんですが、吸引力のある人だなあと。
と、まあこうやって書き連ねると楽しいショーだったみたいなんですが。いや実際楽しくはあったんですが。
何だか退屈だったなあ。
何でだろう。これと言って悪いシーンはなかったのに。こんなに面子は豪華なのに。
一場面一場面が長すぎてだれるからなのか。いちいちいらんオチがあるせいで盛り下がるからなのか。
ショーって難しいなあ。面白いショーを作るのって難しいんだろうなあ。
でも2回目は大体様子がつかめていたので初見ほどはだれませんでした。楽しみなポイントがそろそろ来るぞ、と言うのがわかるからね。
初見のときはもういいかなあと思ったけど、やっぱりもう1回くらい見たいかも。
いや、東京で少し変わったりするかなあ、そしたら東京で見ようかなあ(そんな暇あるんですか)。
実は2回目で、初見は7/10だったんですけどね。
芝居の感想はうだうだ長くなりそうなので、まずショーから。
このショーで私が一番笑顔になってしまうのは、「栄光」の場面。
カーテン前で、黒ベスト黒パンツのコムちゃんが出てきて「グローリーハレルヤ!」とソロ。次に、水くんがでてきて同じようにソロ。
さて次は誰? と思ったら。
ハマコさんでした!(びっくり)
すげーノリノリでシャウトしてます。「グロゥリィハァリィルーゥウィヤッ!!」って感じです。
一番地味な衣装(他の二人と違って銀ラメのラインがないのだ)で一番派手に歌って踊ってキザってます。
こりゃ頬も緩むよね。
このワンフレーズだけで3,500円くらいの価値はあるなあ(じゃB席の元取れるじゃん)(いや他がマイナスの場合もあるし)。
……って、私だけでしょうか、こんなに楽しいのは。
二番目にへらへらしてしまうのは、中詰めのクラシックメドレー、やはりハマコ氏のソロです。ソロと言うかトリオなんですが、美穂圭子・愛耀子両女子をはべらせて(はべらせて?←ちょっと日本語の使い方に自信がなくなったらしい)、こちらはクラシカルかつ朗々と。
トランプ柄の衣装は赤。ま、そうだろう(笑)。
そして、三番目くらいににこにこしてしまうのは。
かしげちゃんのカウボーイ@銀橋なんですけど。何だかここ私の周囲には評判が悪いらしい。
えー、何でー? かわいいじゃん。
「もっと若い子にやらせなきゃ」
と言うのは緑野さん。た、確かにそりゃごもっとも。
でも好きなんだよー。かわいいんだもん。
かしげさんと言えば、アラビアの場面も好きですよ。
トレンチコートで登場のハートブレイク青年も似非アポリネールな感じで好きですが、アラビアンな王子様衣装も似合う。
しかしここはどっちかと言うとハーレムの美女を見てしまうかなあ。大湖せしるくん。すげー可愛いのにひと目で男役の女装とわかる獰猛な表情がたまりません。対するかしちゃんが憂いを帯びつつ無表情なのもステキ。
でも、この場面、オチはちょっと……あれやらなきゃいけないんですかねやっぱり。
え?え?って感じのかしちゃんはかわいいけどさ。かわいいシーンは別にあるんだから(カウボーイね)、ここは妖しく美しいまま終わってくれた方が……とほほ。
場面として好きなのは「大砂塵に消えた恋」。
前半の騎兵隊集団も若手勢揃いで楽しいし、後半シリアスモードの騎兵隊員・コム氏、インディアンの娘・まーちゃん、サルーンの女・いずるんの三角関係のストーリーダンスがドラマだ。他の男に目もくれず、コム氏だけにすがりつくいずるん。そんないずるんに何度かきくどかれても見向きもしないコム氏。
そして登場するインディアン娘まーちゃんの可愛いこと! コムまーのデュエットダンスは文句なしだし。
ただ、最後コム氏にはまーちゃんに駆け寄って欲しかったけど。銀橋歌もいいけどさ。それが残念だ。
あと芝居と微妙にテイストが被るのが気になりました。騎兵隊の青い制服とか、銃声が恋人たちを引き裂くところとか。
白鯨の場面は、私的にはちょっと退屈でした。水くんファンにとっては面白いのかしら。ストーリー性のある場面だけど、暗くて地味な気がする。もっと華やいだ見せ場があってもいいような。
と言うか、水くんのすぐ後ろがハマコ・まちかというのはちょっと地味すぎるのでは。これだけハマコ見て喜んでる私が言うのもなんですが。
もうちょっときらきらした若手を配してもいいような気はする。いや後ろの方にはきれいな子もいるけど、若手のスターさんをこの直後の騎兵隊から一人二人回しても良かったんじゃないかなあ。
ところで。
私は贔屓組(つまり星)以外ではそれほど前方席に座りたいとは思わない人です。
が、今回は「0列センターに座りたい!」と思う瞬間がありました。
これだけハマコだのかしげだの言っておきながら、その二人のためではありません。
キムくんのせいです。
初見は2階席だったんですが、2階から見ても鮮やかな目線。にやりと毒をはらんだ笑顔。強烈なウィンク。
……最前列で銀橋から見下ろされたい。あのアピールの直撃くらって殺されてみたい。いや本気で最前列ゲットしようとは思いませんが。
キムくんのことは好きですが大好きと言うほどではないんですが、吸引力のある人だなあと。
と、まあこうやって書き連ねると楽しいショーだったみたいなんですが。いや実際楽しくはあったんですが。
何だか退屈だったなあ。
何でだろう。これと言って悪いシーンはなかったのに。こんなに面子は豪華なのに。
一場面一場面が長すぎてだれるからなのか。いちいちいらんオチがあるせいで盛り下がるからなのか。
ショーって難しいなあ。面白いショーを作るのって難しいんだろうなあ。
でも2回目は大体様子がつかめていたので初見ほどはだれませんでした。楽しみなポイントがそろそろ来るぞ、と言うのがわかるからね。
初見のときはもういいかなあと思ったけど、やっぱりもう1回くらい見たいかも。
いや、東京で少し変わったりするかなあ、そしたら東京で見ようかなあ(そんな暇あるんですか)。
子供のような人が好き。(月組『Ernest in Love』梅田芸術劇場)
2005年7月18日 宝塚梅芸行ってまいりました。
実は2回目。前回はもずえさんパクちゃんと、もずえさん1階パクちゃん2階私3階という妙な取り合わせで。梅芸の3階は3,000円ならコストパフォーマンスはいいと思いますが、1列目は手摺が視界の邪魔かも。
本日は1階後方席。幕間にハイディさんご夫妻とお会いしました。
さて、『Ernest in Love』。瀬奈じゅん・彩乃かなみお披露目公演。
初めて「私アサコちゃんのこと好きかも」と思いました。
いや、今までは「こういう人がもてるんだろうなー」とか傍観者してたんですが。今回は向こうから私のストライクゾーンに歩み寄ってかすってくれた感じで。
だって、瀬奈じゅん演じるアーネストと来たら。
馬鹿で、陽気で、憎めない。
健全で、善良で、どっちかというとヘタレ? でも格好いい。
そして根は真面目で、ひそかにピュア。
そう思うと、フィナーレで「瀬奈じゅん」として踊る姿も好ましく見えてきたりしました。ははは(←単純)。
お話は基本的に、他愛ないコメディ。
お約束満載。偽名に人違いにすれ違い、出生の秘密で混乱混乱また混乱のドタバタ喜劇。
主な登場人物は4人。アーネスト(瀬奈じゅん)とグウェンドレン(彩乃かなみ)、アルジャノン(霧矢大夢)とセシリィ(城咲あい)の二組のカップル。それとグウェンドレンの母でアルジャノンの伯母であるブラックネル夫人(出雲綾)。
男たちは馬鹿で策に溺れて空回って女たちを怒らせ、しゅんとして謝って許してもらったり。
そして最後はハッピーエンド。頭からっぽで楽しめる楽しいミュージカル。
なのだけれど。
それを越えて胸に響く一瞬がある。
アーネストは貴族の育ちだが拾われ子であり出自がわからないため、愛するグウェンドレンとの結婚を彼女の母・ブラックネル夫人に許してもらえない。
そんな彼が「貴族として暮らしてきた自分はしきたりの大切さは知っています。でも今はそれを離れて、ひとりの男の子のことを考えてください」と訴える。
ひとりの男の子。拾われ子でひとりぼっちだった彼・アーネスト自身のこと。暖かい家族が欲しかった、と言う願い。真実の響き。
一人歌うアーネストにそっと歩み寄るグウェンドレン。そして唱和する。
「子供のような人が好き」
何度も繰り返されたフレーズ。子供っぽい不器用なプロポーズが好き、子供のような情熱を持った人が好き、というようなニュアンスでコメディタッチに歌われていた言葉が、別の意味を持つ。慈母の眼差しでアーネストを包み込む。
コメディとしても十分楽しい。
けれど、それまでのお約束コメディを越えて真実の欠片を見せるこの場面が、好きだ。
そして、ああ、いいカップルだなあと思うのさ。
アーネストとグウェンドレンも。それを演じているアサコ氏とかなみちゃんも。
アーネスト=瀬奈氏の、それまでの振り回されラブコメヒーロー姿にプラスして、この場面で見せる寂しさと不器用さと善良さに胸を打たれたように。
グウェンドレン=かなみちゃんの乙女のキュートさとお姉さまの迫力を併せ持ったパワフルな美女ぶりにプラスして、ここで見せる慈愛の聖母が美しいと思う。
よかったなあ、お似合いで。
更に、まだ渋るブラックネル夫人に「言うべき事は言ったよ」とアルジャノンとセシリィの幸せのため二人の結婚を許すあたりのいい奴っぷりが駄目押しでした。
アルジャノン=きりやんはアーネストの悪友。類友だけど彼の方が一枚上手のお調子者。初登場はぼさぼさ頭のパジャマ姿だわ、舞台上で物食ってばっかりだわ、ラブラブデュエットに茶々入れるわ。
主役のアーネストが真っ当に主役なのに対し、いいコントラストです。上手いから見ていて安心。
セシリィ=あいちゃんは……。
電波系、だよな、この子。本当にセシリィでいいのかアルジャノン(笑)。
まだ18歳の美少女。突拍子もないです。
あいちゃん、こんな役もできるんだ。『シニョール・ドンファン』の政治家の妻(役名失念)とか『エリザベート』のマデレーネのイメージが強かったので、びっくりした。ハイパー夢見る少女を生き生きと楽しそうに演じてます。かわいい。グウェンドレンとのやりとりのどっちも退かないパワフルさはすごい。
とにかく主役4人がみんな役に合っていて、拮抗する存在感で楽しい。
出雲さんも言うまでもない上手さだし。
あと、特筆すべきは越リュウ氏。
2幕で神父役で出てくるんですが、このうさんくさい格好よさは何なんだ(笑)。瀧川末子嬢演じるミス・プリズムに迫られて気があるんだかないんだかよくわからないのらくらさがたまりません。
そしてフィナーレもすごいぞ。群舞の中階段上から現れてスポットライトで末子さんとデュエットダンスですよ。豪快なリフトは必見。いやいいもん見た。
更に皆で踊っていても一味違う。何と言うか、長い脚をもてあまし気味に、でも格好いい。素敵です。
ミュージカルナンバーはどれも耳に心地よく憶えやすい素直なメロディ。物語の単純さと相まって、古典的なミュージカルという感じ。古典というには新しいのかな。でもこういうのをウェルメイドというのかと思いました。
セットは秀逸。少しの工夫で風景が変わり、すごくお洒落できれいで可愛い。
あ、ハンドバッグには笑いました。メイド軍団も迫力だ。
海外ミュージカルを宝塚でやりました、という感じの舞台で、あまり「宝塚らしく」はなかったかな。役が少ないので大劇場ではできないだろうし。梅芸と日生向けの演目としては良いのかと思います。何よりよくできていてストレスなく見られる。
こんな楽しい作品でお披露目でよかったなあ。
出演者のコンビネーションもいいし、月組のこれからが楽しみです。
実は2回目。前回はもずえさんパクちゃんと、もずえさん1階パクちゃん2階私3階という妙な取り合わせで。梅芸の3階は3,000円ならコストパフォーマンスはいいと思いますが、1列目は手摺が視界の邪魔かも。
本日は1階後方席。幕間にハイディさんご夫妻とお会いしました。
さて、『Ernest in Love』。瀬奈じゅん・彩乃かなみお披露目公演。
初めて「私アサコちゃんのこと好きかも」と思いました。
いや、今までは「こういう人がもてるんだろうなー」とか傍観者してたんですが。今回は向こうから私のストライクゾーンに歩み寄ってかすってくれた感じで。
だって、瀬奈じゅん演じるアーネストと来たら。
馬鹿で、陽気で、憎めない。
健全で、善良で、どっちかというとヘタレ? でも格好いい。
そして根は真面目で、ひそかにピュア。
そう思うと、フィナーレで「瀬奈じゅん」として踊る姿も好ましく見えてきたりしました。ははは(←単純)。
お話は基本的に、他愛ないコメディ。
お約束満載。偽名に人違いにすれ違い、出生の秘密で混乱混乱また混乱のドタバタ喜劇。
主な登場人物は4人。アーネスト(瀬奈じゅん)とグウェンドレン(彩乃かなみ)、アルジャノン(霧矢大夢)とセシリィ(城咲あい)の二組のカップル。それとグウェンドレンの母でアルジャノンの伯母であるブラックネル夫人(出雲綾)。
男たちは馬鹿で策に溺れて空回って女たちを怒らせ、しゅんとして謝って許してもらったり。
そして最後はハッピーエンド。頭からっぽで楽しめる楽しいミュージカル。
なのだけれど。
それを越えて胸に響く一瞬がある。
アーネストは貴族の育ちだが拾われ子であり出自がわからないため、愛するグウェンドレンとの結婚を彼女の母・ブラックネル夫人に許してもらえない。
そんな彼が「貴族として暮らしてきた自分はしきたりの大切さは知っています。でも今はそれを離れて、ひとりの男の子のことを考えてください」と訴える。
ひとりの男の子。拾われ子でひとりぼっちだった彼・アーネスト自身のこと。暖かい家族が欲しかった、と言う願い。真実の響き。
一人歌うアーネストにそっと歩み寄るグウェンドレン。そして唱和する。
「子供のような人が好き」
何度も繰り返されたフレーズ。子供っぽい不器用なプロポーズが好き、子供のような情熱を持った人が好き、というようなニュアンスでコメディタッチに歌われていた言葉が、別の意味を持つ。慈母の眼差しでアーネストを包み込む。
コメディとしても十分楽しい。
けれど、それまでのお約束コメディを越えて真実の欠片を見せるこの場面が、好きだ。
そして、ああ、いいカップルだなあと思うのさ。
アーネストとグウェンドレンも。それを演じているアサコ氏とかなみちゃんも。
アーネスト=瀬奈氏の、それまでの振り回されラブコメヒーロー姿にプラスして、この場面で見せる寂しさと不器用さと善良さに胸を打たれたように。
グウェンドレン=かなみちゃんの乙女のキュートさとお姉さまの迫力を併せ持ったパワフルな美女ぶりにプラスして、ここで見せる慈愛の聖母が美しいと思う。
よかったなあ、お似合いで。
更に、まだ渋るブラックネル夫人に「言うべき事は言ったよ」とアルジャノンとセシリィの幸せのため二人の結婚を許すあたりのいい奴っぷりが駄目押しでした。
アルジャノン=きりやんはアーネストの悪友。類友だけど彼の方が一枚上手のお調子者。初登場はぼさぼさ頭のパジャマ姿だわ、舞台上で物食ってばっかりだわ、ラブラブデュエットに茶々入れるわ。
主役のアーネストが真っ当に主役なのに対し、いいコントラストです。上手いから見ていて安心。
セシリィ=あいちゃんは……。
電波系、だよな、この子。本当にセシリィでいいのかアルジャノン(笑)。
まだ18歳の美少女。突拍子もないです。
あいちゃん、こんな役もできるんだ。『シニョール・ドンファン』の政治家の妻(役名失念)とか『エリザベート』のマデレーネのイメージが強かったので、びっくりした。ハイパー夢見る少女を生き生きと楽しそうに演じてます。かわいい。グウェンドレンとのやりとりのどっちも退かないパワフルさはすごい。
とにかく主役4人がみんな役に合っていて、拮抗する存在感で楽しい。
出雲さんも言うまでもない上手さだし。
あと、特筆すべきは越リュウ氏。
2幕で神父役で出てくるんですが、このうさんくさい格好よさは何なんだ(笑)。瀧川末子嬢演じるミス・プリズムに迫られて気があるんだかないんだかよくわからないのらくらさがたまりません。
そしてフィナーレもすごいぞ。群舞の中階段上から現れてスポットライトで末子さんとデュエットダンスですよ。豪快なリフトは必見。いやいいもん見た。
更に皆で踊っていても一味違う。何と言うか、長い脚をもてあまし気味に、でも格好いい。素敵です。
ミュージカルナンバーはどれも耳に心地よく憶えやすい素直なメロディ。物語の単純さと相まって、古典的なミュージカルという感じ。古典というには新しいのかな。でもこういうのをウェルメイドというのかと思いました。
セットは秀逸。少しの工夫で風景が変わり、すごくお洒落できれいで可愛い。
あ、ハンドバッグには笑いました。メイド軍団も迫力だ。
海外ミュージカルを宝塚でやりました、という感じの舞台で、あまり「宝塚らしく」はなかったかな。役が少ないので大劇場ではできないだろうし。梅芸と日生向けの演目としては良いのかと思います。何よりよくできていてストレスなく見られる。
こんな楽しい作品でお披露目でよかったなあ。
出演者のコンビネーションもいいし、月組のこれからが楽しみです。
私信:生きてます(笑)。
2005年7月17日昨日は朝起きられなくて月バウに行き損ねました(午後4時くらいまで寝てた)。夏バテという奴かもしれません。水曜日に始バス発終バス帰で愛・地球博強行軍のせいか、ただ単に暑いせいか、暑くて煮炊きする気が起きないのでコンビニ食ばかりなのが悪いのか。しかし反省して久々に料理をしたらやはり暑かった。クーラー買えってことか?(今更)
10日は雪大劇と月梅芸を見たのですが、そんな調子なので感想はもう1回見たときにでも。って梅芸は明日行くんですけども。
いやそんなことはどうでも良くて。
韓国には行きません。行きませんってば(何を念押ししてるんだ・笑)。
全ツの続きみたいな海外公演でいいんだろうかと邪念を挟みつつ、大人しくお留守番しております。サトリさん任せた!
あ、でも韓国行かない分ってことで全ツ楽の北海道はうっかり行っちゃうかも(その方が高くつくんじゃないか?)。
初日初回の梅芸はなんとかB席を押さえました。初心に帰ってとにかく見られさえすればいいやってことで、楽しみです。
そして以下完全私信。
サトリさんの東宝報告が嬉しいです。
楽屋番、ムラでは殆どアドリブなかった気がします。基本的に「使うんだからダメです」くらいだった記憶が。進化してるな紅ゆずる(笑)。
あと、あかし君は芝居でも目線くれます。上手花道で捕り方やってるとき、じーっと見てると目線返してきます。役に入っているので流石にウインクはしませんが(笑)、真顔で見つめられてどうしようかと思いました。お試しあれ。ちなみに下手端で見つめても誰も返してくれませんでした。いやそれが普通か。
あとあと、ショーの下手端スタンバイチームはいいよね!(ゆかりちゃんも仙堂さんもいるよ!)
……とか書いてると見たくなってきました。いかんいかん。いやショーは見たいんだけどね。
ミュージカルバトンもどうもです。やはり世代差を感じる(笑)。ZABADAKって色々な人が挙げてますな。聞いたことないけど(やはり世代差)。
SAYAKAさん、メール届いてますか? 21日はやっぱりダメでした。すみません。
ジュンタさん、「もしアリスティドとリュドヴィークがニアミスしたら(5/10日記参照)」に反応していただけて嬉しいです! 誰からも反応なかったもんで(当然)やっぱりこんなこと面白がるのは私だけかと思っていたもので。パリのシーンオリガの青いドレスが檀ちゃんアデルと同じなのも連想の一助となっておりました。
と言う訳で、とりとめのないままに。
10日は雪大劇と月梅芸を見たのですが、そんな調子なので感想はもう1回見たときにでも。って梅芸は明日行くんですけども。
いやそんなことはどうでも良くて。
韓国には行きません。行きませんってば(何を念押ししてるんだ・笑)。
全ツの続きみたいな海外公演でいいんだろうかと邪念を挟みつつ、大人しくお留守番しております。サトリさん任せた!
あ、でも韓国行かない分ってことで全ツ楽の北海道はうっかり行っちゃうかも(その方が高くつくんじゃないか?)。
初日初回の梅芸はなんとかB席を押さえました。初心に帰ってとにかく見られさえすればいいやってことで、楽しみです。
そして以下完全私信。
サトリさんの東宝報告が嬉しいです。
楽屋番、ムラでは殆どアドリブなかった気がします。基本的に「使うんだからダメです」くらいだった記憶が。進化してるな紅ゆずる(笑)。
あと、あかし君は芝居でも目線くれます。上手花道で捕り方やってるとき、じーっと見てると目線返してきます。役に入っているので流石にウインクはしませんが(笑)、真顔で見つめられてどうしようかと思いました。お試しあれ。ちなみに下手端で見つめても誰も返してくれませんでした。いやそれが普通か。
あとあと、ショーの下手端スタンバイチームはいいよね!(ゆかりちゃんも仙堂さんもいるよ!)
……とか書いてると見たくなってきました。いかんいかん。いやショーは見たいんだけどね。
ミュージカルバトンもどうもです。やはり世代差を感じる(笑)。ZABADAKって色々な人が挙げてますな。聞いたことないけど(やはり世代差)。
SAYAKAさん、メール届いてますか? 21日はやっぱりダメでした。すみません。
ジュンタさん、「もしアリスティドとリュドヴィークがニアミスしたら(5/10日記参照)」に反応していただけて嬉しいです! 誰からも反応なかったもんで(当然)やっぱりこんなこと面白がるのは私だけかと思っていたもので。パリのシーンオリガの青いドレスが檀ちゃんアデルと同じなのも連想の一助となっておりました。
と言う訳で、とりとめのないままに。
歪んでいるのは。(『長崎しぐれ坂』)
2005年7月15日 宝塚もうこの芝居の話はしないつもりだったのだけれど。
でも、物言わざるは何とやらなので。
ネガティブなことはこっそりと。前の日付で書いております(姑息)。
この話がダメなのは、気持ち悪いから。
いや、話だけなら「つまんねー」で済むところだけれど。卯之助というキャラクターが、気持ち悪い。
それは「倫理的な気持ち悪さ」と「生理的な気持ち悪さ」。
「倫理的な気持ち悪さ」は、前にも散々書いた。
犯罪者である幼なじみを守るために岡っ引をやっている、という職業意識皆無な男。
それなのに罪悪感一切ナシ。最後伊佐次が撃たれて吐く台詞が「卑怯な!」と来たもんだ。せめて「間違っているけれどそうするしかなかった」という風に描いてくれればまだ、ああそういうこともあるよね、と思えるんだが。
そしてもうひとつ。
生理的に気持ち悪い、と言うのもあんまりな話ですが。
白状すると。
初日、全て伊佐次を守るためだったと告白する卯之助に、ドン引きしました。
もし自分が伊佐次だったら絶対引く、つーか切れる。ブチ切れるね。
「誰が手前にそんなこと頼んだってんだ、恩着せがましいこと言うんじゃねえ!」って。
でも伊佐次は「独活の大木にしちゃあ考えたじゃねえか」と肯定したので、さすが男はそんな細かいこと気にしないんだなと感心しました。
(と、ボケ倒そうと思ってたんですが「愛されることに慣れてるのね」という緑野さんの解釈が正しいんだと思います。他人が自分を愛し守り尽くすことに何の疑問も持たないタイプの人間っつーか)
どうにも粘着質のストーカーにしか見えません、卯之助。
連想するキャラクターが『グイン・サーガ』のアリだと言ったら、この困惑が伝わるだろうか。
私は色々余計なことを考えて深読みする人間なので、努力すればこの芝居も消化して辻褄を合わせて見ることは不可能ではないと思います。
でも、今回はその努力をする気力がない。どうしても出ない。
嫌悪感は如何ともし難い。
でも。
もし、この芝居が宝塚でなかったら。
星組でなかったら。卯之助を演じているのが湖月わたるでなかったら。
あーそんなもんか、と思って見ていたかもしれん。
もし、卯之助を演じているのが湖月わたるでなかったら。
私はこんな風に読み取っただろう。
卯之助は、終わりにしたかったんじゃないだろうか。
目的を押し隠して奉行所の手先を勤める毎日。本心を誰にも見せない二重生活。
それが、5年。
いつ破綻するかもしれない日々に、疲れてもおかしくはない。
折しも、幼なじみのおしまとの再会。伊佐次を捕えようと意気込む新任同心の赴任。
潮時かもしれない。
いつか破綻するなら、幕引きは自分の手で。
そして。卯之助は、伊佐次とおしまを再会させて伊佐次の望郷の念を煽る。
伊佐次のため、とおしまを引き離しておきながら、当の伊佐次に対しては囲いの外に出られない不遇にあてつけるようなことを言う(しかも、らしゃをダシにして)。
ついに我慢しきれず外に出ようする伊佐次に、卯之助は今までひた隠しにしてきた本心をぶつける。全てお前を守るためだった、と。
恐らく、これは賭け。伊佐次がほだされて思いとどまるもよし。それでもなお破滅に向かって突っ走るもよし。
どちらにしても、卯之助の閉塞した日々には変化が訪れるだろう。
伊佐次は破滅を選んだ。
卯之助はそれを見届ける。
別に、死なせようと思っていた訳ではないと思う。伊佐次が逃げおおせても、それはそれでひとつの終わりであり、ひとつの破滅であるのだから。
破滅と言う名のカタルシス。
なんてね。
しかし、卯之助を演じているのが湖月わたるであるということが、この読みを不可能にする。
だって、ワタさんそういうキャラじゃないじゃん! 全然!!
激しく認知的不協和。つまり、気持ち悪い……。
もっとも、こんな読みをすること自体が、おかしいと言えばおかしいんだろうけど。
歪んでいるのは、私の方かもしれない。
***
「歪んでいる」などと書いておきながら何ですが。
今までに、わたるファンと名乗ってメールを下さった方はお二人。今回、そのお二人ともから「長崎嫌い、卯之助ダメ」と観劇感想を送っていただきました。
世間的には、と言うかワタさんファンからはどちらかと言うと好評なように見受けられるんですが、さすがこんな日記見てメールくれる方は……何にせよ、共感していただけるのは有難いです。いやこんな事態に共感して相憐れむのもちょっと悲しいですが。
お互い、くじけず頑張りましょう。何をと言われると困りますが(笑)
でも、物言わざるは何とやらなので。
ネガティブなことはこっそりと。前の日付で書いております(姑息)。
この話がダメなのは、気持ち悪いから。
いや、話だけなら「つまんねー」で済むところだけれど。卯之助というキャラクターが、気持ち悪い。
それは「倫理的な気持ち悪さ」と「生理的な気持ち悪さ」。
「倫理的な気持ち悪さ」は、前にも散々書いた。
犯罪者である幼なじみを守るために岡っ引をやっている、という職業意識皆無な男。
それなのに罪悪感一切ナシ。最後伊佐次が撃たれて吐く台詞が「卑怯な!」と来たもんだ。せめて「間違っているけれどそうするしかなかった」という風に描いてくれればまだ、ああそういうこともあるよね、と思えるんだが。
そしてもうひとつ。
生理的に気持ち悪い、と言うのもあんまりな話ですが。
白状すると。
初日、全て伊佐次を守るためだったと告白する卯之助に、ドン引きしました。
もし自分が伊佐次だったら絶対引く、つーか切れる。ブチ切れるね。
「誰が手前にそんなこと頼んだってんだ、恩着せがましいこと言うんじゃねえ!」って。
でも伊佐次は「独活の大木にしちゃあ考えたじゃねえか」と肯定したので、さすが男はそんな細かいこと気にしないんだなと感心しました。
(と、ボケ倒そうと思ってたんですが「愛されることに慣れてるのね」という緑野さんの解釈が正しいんだと思います。他人が自分を愛し守り尽くすことに何の疑問も持たないタイプの人間っつーか)
どうにも粘着質のストーカーにしか見えません、卯之助。
連想するキャラクターが『グイン・サーガ』のアリだと言ったら、この困惑が伝わるだろうか。
私は色々余計なことを考えて深読みする人間なので、努力すればこの芝居も消化して辻褄を合わせて見ることは不可能ではないと思います。
でも、今回はその努力をする気力がない。どうしても出ない。
嫌悪感は如何ともし難い。
でも。
もし、この芝居が宝塚でなかったら。
星組でなかったら。卯之助を演じているのが湖月わたるでなかったら。
あーそんなもんか、と思って見ていたかもしれん。
もし、卯之助を演じているのが湖月わたるでなかったら。
私はこんな風に読み取っただろう。
卯之助は、終わりにしたかったんじゃないだろうか。
目的を押し隠して奉行所の手先を勤める毎日。本心を誰にも見せない二重生活。
それが、5年。
いつ破綻するかもしれない日々に、疲れてもおかしくはない。
折しも、幼なじみのおしまとの再会。伊佐次を捕えようと意気込む新任同心の赴任。
潮時かもしれない。
いつか破綻するなら、幕引きは自分の手で。
そして。卯之助は、伊佐次とおしまを再会させて伊佐次の望郷の念を煽る。
伊佐次のため、とおしまを引き離しておきながら、当の伊佐次に対しては囲いの外に出られない不遇にあてつけるようなことを言う(しかも、らしゃをダシにして)。
ついに我慢しきれず外に出ようする伊佐次に、卯之助は今までひた隠しにしてきた本心をぶつける。全てお前を守るためだった、と。
恐らく、これは賭け。伊佐次がほだされて思いとどまるもよし。それでもなお破滅に向かって突っ走るもよし。
どちらにしても、卯之助の閉塞した日々には変化が訪れるだろう。
伊佐次は破滅を選んだ。
卯之助はそれを見届ける。
別に、死なせようと思っていた訳ではないと思う。伊佐次が逃げおおせても、それはそれでひとつの終わりであり、ひとつの破滅であるのだから。
破滅と言う名のカタルシス。
なんてね。
しかし、卯之助を演じているのが湖月わたるであるということが、この読みを不可能にする。
だって、ワタさんそういうキャラじゃないじゃん! 全然!!
激しく認知的不協和。つまり、気持ち悪い……。
もっとも、こんな読みをすること自体が、おかしいと言えばおかしいんだろうけど。
歪んでいるのは、私の方かもしれない。
***
「歪んでいる」などと書いておきながら何ですが。
今までに、わたるファンと名乗ってメールを下さった方はお二人。今回、そのお二人ともから「長崎嫌い、卯之助ダメ」と観劇感想を送っていただきました。
世間的には、と言うかワタさんファンからはどちらかと言うと好評なように見受けられるんですが、さすがこんな日記見てメールくれる方は……何にせよ、共感していただけるのは有難いです。いやこんな事態に共感して相憐れむのもちょっと悲しいですが。
お互い、くじけず頑張りましょう。何をと言われると困りますが(笑)
私信:とりいそぎ訂正(笑)
2005年7月11日緑野さん緑野さん、私が一番だったのはアンソニーじゃなくてステアだってば。
6/17日記でもちらっと白状してるし、我が家に向かうバスの中で星組で『キャンディ・キャンディ』キャスティングで盛り上がったときにもそう言ったじゃん。(世代の違うサトリちゃんを置き去りにして・笑)
いや、別にどうでもいいことではあるが、太字で大書きされるとつい訂正したくなって(笑)。
しかもアンソニー以上に微妙だよね、ステアって。完全にお友達キャラだもんね。
お互い王道から外れてるのは認めますよ。外れてる方向は違うけど(笑)。
***
7/12追記。
緑野さん、訂正どうも(笑)。
「萌えに発展しない」って……確かにそうだわな(苦笑)。当時小学生だったからそんなことは認識の外でしたが。
確かアーチーはステアが死んだとき「もし兄弟でなかったとしても僕はお前が好きだったろう」みたいなこと言ってるのにね(よく憶えてるなそんなこと私)。
えーと、この二人は全然似てない兄弟でした。緑野さんの好きなアーチーは正式にはアーチボルト・コーンウェル。白いフリルのブラウスを着て薔薇持っている姿が似合う、ナルシー入った美形のお坊ちゃまです。
同じ白ブラウスと薔薇でも、アンソニーは正統派の白い王子様なのにね(笑)。
そんな微妙な好みの私、瀬奈氏に対しては「こういう人がもてるのね」と言う認識しかなかったわけですが。
『Ernest in Love』は様子が違いました。
ちょっと好きかも、と言うか、向こうから私のストライクゾーンに近づいてきてくれた感じ?
その話は、また後日別途。
6/17日記でもちらっと白状してるし、我が家に向かうバスの中で星組で『キャンディ・キャンディ』キャスティングで盛り上がったときにもそう言ったじゃん。(世代の違うサトリちゃんを置き去りにして・笑)
いや、別にどうでもいいことではあるが、太字で大書きされるとつい訂正したくなって(笑)。
しかもアンソニー以上に微妙だよね、ステアって。完全にお友達キャラだもんね。
お互い王道から外れてるのは認めますよ。外れてる方向は違うけど(笑)。
***
7/12追記。
緑野さん、訂正どうも(笑)。
「萌えに発展しない」って……確かにそうだわな(苦笑)。当時小学生だったからそんなことは認識の外でしたが。
確かアーチーはステアが死んだとき「もし兄弟でなかったとしても僕はお前が好きだったろう」みたいなこと言ってるのにね(よく憶えてるなそんなこと私)。
えーと、この二人は全然似てない兄弟でした。緑野さんの好きなアーチーは正式にはアーチボルト・コーンウェル。白いフリルのブラウスを着て薔薇持っている姿が似合う、ナルシー入った美形のお坊ちゃまです。
同じ白ブラウスと薔薇でも、アンソニーは正統派の白い王子様なのにね(笑)。
そんな微妙な好みの私、瀬奈氏に対しては「こういう人がもてるのね」と言う認識しかなかったわけですが。
『Ernest in Love』は様子が違いました。
ちょっと好きかも、と言うか、向こうから私のストライクゾーンに近づいてきてくれた感じ?
その話は、また後日別途。
私の好きな5つの歌(ミュージカルバトン)
2005年7月9日 その他はなはなマロンさま、バトン受け取りましたー。
うわ回ってくるんだ。ここブログとは名ばかりで日記なのに、びっくり。
などと思いつつ、ありがたく答えさせていただきます(お調子者ですから)。
・Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
0メガバイトらしい。デジタルオーディオも欲しい気はするが。軽くて持ち運びに便利そうだ。
・Song playing right now (今聞いている曲)
『レクイエム(Requiem)』ヴェルディ(G.Verdi)
ヴェルレク。聞いていると言うか練習中。
・The last CD I bought (最後に買ったCD)
『王家に捧ぐ歌』実況CD。
中日王家観劇の帰りに買った。でもまだ一度も聴いていない。
・Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
1.「我が祖先の墓(Tombe degli avi miei)」ドニゼッティ(G.Domizetti)
オペラ『ランメルモールのルチア』よりエドガルドのアリア。
私の葬式で流して欲しい1曲。アルベルト・クピードの声で。
愛するルチアに裏切られたと思ったエドガルド。それでも彼女を憎むことは出来ず、絶望のうちに仇敵(ルチアの兄)との決闘で死のうとする。しかしそこにルチアの死の知らせがもたらされる。彼女が望まぬ相手との新床で夫を刺し殺し狂気のうちに息絶えたことを知ったエドガルドも、彼女を追って自害する。
と言う場面ですが、繰り返されるルチアへの呼びかけ「bell’anima innamorata−愛されし美しい魂」が切なくも甘い。
その甘い旋律と声が響くなら、死すら甘美。
しつこいようだが私の王子様ヴォイス、クピードの声で。手元にあるのは1990年録音のCD。もう少し後の録音があったらベストなんですが。
2.「やさしい魚−川崎洋の詩による五つの混声合唱曲」新実徳英
二十歳前後に歌った歌はなかなか忘れないもんだなあと(笑)。
「感傷的な歌」「ジョギングの唄」「天使」「鳥が」「やさしい魚」の5曲。中でも好きなのは「感傷的な歌」と「天使」。でも全部好き。平易な言葉と優しいメロディの中に潜む一抹の寂しさ、不安、傷、毒。
風が吹くから生きよう、とはじまる「感傷的な歌」。本当に感傷的な歌詞で、体温計のケースにしのばせて手渡そうとした恋文、なんて、恥ずかしいくらいだ(笑)。これも葬式でかけてほしい歌だけど、日本語なので、死んでしまって肉体がすっかり滅びても、と言う歌詞は直截すぎるな。
まなざしだけがみえる、とはじまる「天使」。最後の、ひどいことをいいそうになるのを、のくだりで、はっとする。
(当然ながら)著作権があるので、歌詞を全部引用できないのが残念。
3.「グッバイからはじめよう」佐野元春
「別れ」にぶつかると必ず脳内を巡る歌。(退団者に対しても)
「グッバイからはじめよう」、と物分りのよさそうなことを言いつつ「どうしてあなたはそんなに手を振るのだろう/僕の手はポケットの中なのに」と理屈にならないだだをこねるあたり、気分に合うのだと思います。淡々としたメロディと歌い口も、なんとはなしの喪失感に似合い。
4.「Maybe」中島みゆき
気合を入れるときの歌、と言うと語弊があるけど。
主観的にしんどいとき、歌詞の主人公になりきって歌う。と言うとずいぶんイタイヒトみたいだなあ。みたいじゃなくてそのとおりなのか。
5.「アンダルシアに憧れて」真島昌利、と言うか近藤真彦
実はカラオケの十八番だったりする(笑)。
何だか、「よく聞く」じゃなくて「よく歌う」だな(苦笑)。
次点。
「見よ、恐ろしい炎を(L’orrendo foco)」ヴェルディ(G.Verdi)
『イル・トロヴァトーレ』マンリーコのアリア。私は『31人のテノールが歌う「見よ、恐ろしい炎よ」』というCDを持っている。知人には拷問用かと訊かれた。ふふふ。久々に聞くかな。
・Five people to whom I’m passing the baton (バトンを渡す5人)
5人は多いですよね? 実態としてこれチェーンメールだし。
と言う訳で私からはとりあえず一人だけに回してみます。
サトリさんよろしくー!
いやこの機会に好きな音楽とか聞いてみたい気がしたので。気が向いたら語ってください。星東宝レポで忙しいだろうし(真顔)、無視してくれても全然OK。
他にも希望者がいれば回しますのでご連絡ください。(それ趣旨が違うんじゃないのか?)
うわ回ってくるんだ。ここブログとは名ばかりで日記なのに、びっくり。
などと思いつつ、ありがたく答えさせていただきます(お調子者ですから)。
・Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
0メガバイトらしい。デジタルオーディオも欲しい気はするが。軽くて持ち運びに便利そうだ。
・Song playing right now (今聞いている曲)
『レクイエム(Requiem)』ヴェルディ(G.Verdi)
ヴェルレク。聞いていると言うか練習中。
・The last CD I bought (最後に買ったCD)
『王家に捧ぐ歌』実況CD。
中日王家観劇の帰りに買った。でもまだ一度も聴いていない。
・Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
1.「我が祖先の墓(Tombe degli avi miei)」ドニゼッティ(G.Domizetti)
オペラ『ランメルモールのルチア』よりエドガルドのアリア。
私の葬式で流して欲しい1曲。アルベルト・クピードの声で。
愛するルチアに裏切られたと思ったエドガルド。それでも彼女を憎むことは出来ず、絶望のうちに仇敵(ルチアの兄)との決闘で死のうとする。しかしそこにルチアの死の知らせがもたらされる。彼女が望まぬ相手との新床で夫を刺し殺し狂気のうちに息絶えたことを知ったエドガルドも、彼女を追って自害する。
と言う場面ですが、繰り返されるルチアへの呼びかけ「bell’anima innamorata−愛されし美しい魂」が切なくも甘い。
その甘い旋律と声が響くなら、死すら甘美。
しつこいようだが私の王子様ヴォイス、クピードの声で。手元にあるのは1990年録音のCD。もう少し後の録音があったらベストなんですが。
2.「やさしい魚−川崎洋の詩による五つの混声合唱曲」新実徳英
二十歳前後に歌った歌はなかなか忘れないもんだなあと(笑)。
「感傷的な歌」「ジョギングの唄」「天使」「鳥が」「やさしい魚」の5曲。中でも好きなのは「感傷的な歌」と「天使」。でも全部好き。平易な言葉と優しいメロディの中に潜む一抹の寂しさ、不安、傷、毒。
風が吹くから生きよう、とはじまる「感傷的な歌」。本当に感傷的な歌詞で、体温計のケースにしのばせて手渡そうとした恋文、なんて、恥ずかしいくらいだ(笑)。これも葬式でかけてほしい歌だけど、日本語なので、死んでしまって肉体がすっかり滅びても、と言う歌詞は直截すぎるな。
まなざしだけがみえる、とはじまる「天使」。最後の、ひどいことをいいそうになるのを、のくだりで、はっとする。
(当然ながら)著作権があるので、歌詞を全部引用できないのが残念。
3.「グッバイからはじめよう」佐野元春
「別れ」にぶつかると必ず脳内を巡る歌。(退団者に対しても)
「グッバイからはじめよう」、と物分りのよさそうなことを言いつつ「どうしてあなたはそんなに手を振るのだろう/僕の手はポケットの中なのに」と理屈にならないだだをこねるあたり、気分に合うのだと思います。淡々としたメロディと歌い口も、なんとはなしの喪失感に似合い。
4.「Maybe」中島みゆき
気合を入れるときの歌、と言うと語弊があるけど。
主観的にしんどいとき、歌詞の主人公になりきって歌う。と言うとずいぶんイタイヒトみたいだなあ。みたいじゃなくてそのとおりなのか。
5.「アンダルシアに憧れて」真島昌利、と言うか近藤真彦
実はカラオケの十八番だったりする(笑)。
何だか、「よく聞く」じゃなくて「よく歌う」だな(苦笑)。
次点。
「見よ、恐ろしい炎を(L’orrendo foco)」ヴェルディ(G.Verdi)
『イル・トロヴァトーレ』マンリーコのアリア。私は『31人のテノールが歌う「見よ、恐ろしい炎よ」』というCDを持っている。知人には拷問用かと訊かれた。ふふふ。久々に聞くかな。
・Five people to whom I’m passing the baton (バトンを渡す5人)
5人は多いですよね? 実態としてこれチェーンメールだし。
と言う訳で私からはとりあえず一人だけに回してみます。
サトリさんよろしくー!
いやこの機会に好きな音楽とか聞いてみたい気がしたので。気が向いたら語ってください。星東宝レポで忙しいだろうし(真顔)、無視してくれても全然OK。
他にも希望者がいれば回しますのでご連絡ください。(それ趣旨が違うんじゃないのか?)
憎しみは何も生まない。(星東宝初日に思う)
2005年7月8日星大劇千秋楽、最後の舞台挨拶。
「この作品を愛してくれる方々、」と感謝を述べるワタさんの言葉。
自分がその中にいないことを思い知る。
だって、むしろ憎んでいるもの。
作品をと言うより、この状況をもたらした全てを、かもしれないが。
……こんなことで、憎悪なんて強い感情を抱くなんて(愕然)。
我ながらなんて大馬鹿者なんだ。
まあ私は元々感情の激しくない人間なんで、どうせたいしたことはないんですけどね(半笑)。
大劇場公演が終った頃、もう卯之助のことは書かないんですか? と言うようなメールをいただきました。(正確には「どうしたら卯之助が気持ち悪くなくなるか、対策があれば書いてください」ということでしたが)
そう仰ってくれる方がいるなら書いてみるかな、と思ったんですが。
書きませんでした。
書けないという方が正しいかもしれない。
根底にある思いが憎しみと言う負の感情では、書けないです。
と言う訳で申し訳ありません、KAMOさま(私信)。
でも卯之助については緑野さんが理路整然と書いてくれたから、あれで十分ですよね。
今日は星組東宝初日。
矛盾しているようだが、公演の成功を切に願う。
私はこの芝居がダメで、『長崎』を「いい話」卯之助を「いい奴」と皆が思っているとしたら自分にとっては生きにくい世の中だとさえ思っているんだが。
でもそれとは別の部分で、思う。
公演が成功しますように。
あの人たちが多くの観客とたくさんの拍手の中で舞台に立てますように。
私のようなひねくれ者でない人たちが、喜んで劇場に足を運んで、笑って泣いてくれますように。
大げさなタイトルでわけわからんこと書いてすみません。(誰に謝ってるんだ)(いや何となく)
「この作品を愛してくれる方々、」と感謝を述べるワタさんの言葉。
自分がその中にいないことを思い知る。
だって、むしろ憎んでいるもの。
作品をと言うより、この状況をもたらした全てを、かもしれないが。
……こんなことで、憎悪なんて強い感情を抱くなんて(愕然)。
我ながらなんて大馬鹿者なんだ。
まあ私は元々感情の激しくない人間なんで、どうせたいしたことはないんですけどね(半笑)。
大劇場公演が終った頃、もう卯之助のことは書かないんですか? と言うようなメールをいただきました。(正確には「どうしたら卯之助が気持ち悪くなくなるか、対策があれば書いてください」ということでしたが)
そう仰ってくれる方がいるなら書いてみるかな、と思ったんですが。
書きませんでした。
書けないという方が正しいかもしれない。
根底にある思いが憎しみと言う負の感情では、書けないです。
と言う訳で申し訳ありません、KAMOさま(私信)。
でも卯之助については緑野さんが理路整然と書いてくれたから、あれで十分ですよね。
今日は星組東宝初日。
矛盾しているようだが、公演の成功を切に願う。
私はこの芝居がダメで、『長崎』を「いい話」卯之助を「いい奴」と皆が思っているとしたら自分にとっては生きにくい世の中だとさえ思っているんだが。
でもそれとは別の部分で、思う。
公演が成功しますように。
あの人たちが多くの観客とたくさんの拍手の中で舞台に立てますように。
私のようなひねくれ者でない人たちが、喜んで劇場に足を運んで、笑って泣いてくれますように。
大げさなタイトルでわけわからんこと書いてすみません。(誰に謝ってるんだ)(いや何となく)
月船さらら主演『BourbonStreet Blues』観て参りました。
「さららんで不良少年の挫折と悲哀と希望!」と期待しまくった月バウ。直前にあらすじが変更され期待と不安の入り混じった初日観劇となりました。
結果。
面白かったです。
が、何となく感想が書きにくいのは、とっちらかった印象のせいか。
主人公・ジェフ(月船さらら)は孤児院出の少年。喧嘩してトラブルを起こしては警察の厄介になる日常。何故か親身になってくれる刑事ジェラルド(嘉月絵理)の説教はうるさいし、ガールフレンドのシンシア(白華れみ)には心配して怒られるし、本人も何とかしたいとは思うけれど、なかなか上手くいかず。どうせ俺はこういう人間なんだよ、と世を拗ねてみたり。
そんなある日、ジェフはギャング同士の内輪もめに巻き込まれ……
正直、一幕が終って、ちょっと呆然としてました。
話がどこに転がっていくか全然見えなかったので。
ジェフのキャラクターと彼の置かれた環境、取り巻く人々を淡々と描く。よく言えば丁寧、悪く言えば冗長。
彼がギャングにスカウト?されてやっと話が動き出した感じ。
そうか不本意にも裏街道を歩む青年の話なのか、と思ったらあっさりそれも終って。ええ?この話どこに行くんだ?と。
正塚氏かー、そういえば『ステラマリス』も前半は冗長だったよなー、と思って2幕。
一人でシンシアやジェラルドの言葉を反芻して、いきなり「人生これでいいんだー!」と目覚めるジェフ。唐突。そうか、君に必要だったのは一人でゆっくり自分を見つめなおすことだったんだね、と妙に納得(笑)。
ふっきれて晴れ晴れと明るくテンション高いジェフのもとに血相変えてやってきたのは、弟分のスマイル(明日海りお)。シンシアがギャングに人質に取られたー! とにかく助けに行かねばとジェフとスマイルは若い刑事(麻月れんか)をかわして逃走。ここ、馬鹿なジェフと更にお馬鹿なスマイル、そしてやっぱりお馬鹿な刑事のやりとりが可笑しくて可愛くてたまりません。
銃を手にシンシアを助けに行こうとするジェフ。彼を止めようと立ちはだかるジェラルド。
大人の余裕でジェラルド完勝。ヘタレまくって「だってどうしたらいいかわからないんだよー!(うわーん!)」と地面にへたり込むジェフ。うわーすげー子供。どう考えても中学生くらいだよね、これ(笑)。いや可愛いけど。
そっから後はすっかりジェラルドに素直なジェフ。やっぱりお子様……いや可愛いんだけど。
そして歌い踊るギャングたち。派手な銃撃戦。
いきなりテンション高くラストまで突っ走った2幕でした。
いやー面白かった(笑)。
ジェフ君は、やたらと可愛いヤツでした。
突っ張って、いきがってはいるものの、どう生きたらわからず不安だらけだから強がっている男の子。鎧がはがれれば後は素直ないい子。つっ転ばしたい、と言うより既に自分で派手にすっ転んで泥まみれでべそかいているような(笑)。ジェラルドに泣きつくあたりのテンションはジェフなのかそれともさららん本人だかわからん。なんかもう可愛いったらありゃしない。
いや、可愛くていいのか、とも思うんだけど。
せっかくのバウ主演。見ている人に「可愛い」じゃなくて「格好いい」と言わせるべきなんじゃないだろうか。
ま、私は可愛いさららんも好きですが(笑)。
格好よかったのは、嘉月さんでした。
一人3役。
メインは刑事ジェラルド。周りみんなお子様な中、一人で大人。格好いいわ美中年だわ頼りになるわ。お馬鹿な部下がパニクって電話してきたときの受け答え、さばき方にうっとりでした。惚れる。
その他に、さわやかかつうさんくさい建築家・キューザック(シンシアに初対面でいきなり「美人だね」)と、迫力だけど妙に可笑しいギャングのボス・フェルッティ。どっちも流石だ。
フィナーレでもついつい目で追っちゃいましたよ。若くてきれいな子はたくさん出ているのに、断然格好いいんですけど。(やっぱ年の功?)
そして最後の並びはさららんの隣。そっか、この公演二番手は嘉月さんだったのか。
ヒロイン・シンシアはふつーで真っ直ぐな女の子。ジェフとの突っ張りつつも素直なカップルが可愛い。正塚台詞もなかなか自分のものにしていたんじゃないかと。れみちゃんはひと目でヒロインとわかる輝き。スタイルいいなあ。
デイモン(真野すがた)とダイアナ(憧花ゆりの)のカップルもよかったなー。デイモンの尻に敷かれてる感じがナイス(美形なのに)。「今と同じ顔してたからよ」「そりゃ納得だ」のやり取りが好き。
ロッシ(龍真咲)。すげー、おもしれー。
小顔が際立つオールバック。イロモノかつ迫力のギャング。
モブとかお友達役では髪型をすっかり変えて別人してるし。いや面白い。面白すぎてイロモノにならんようにちょっと案じるところもあるが、まあ問題ないか。ちゃんと自分の方向性をわきまえてそうな人だし。
あと、美鳳あや嬢。ダイナーのおかみさんその他の役でしたが、踊るとやはり目を引く。
つーか、ダンスはやっぱり娘役陣の方がキレイだなー。ついつい見てました。
ところで、この舞台、出演者は常に舞台上にいます。
役として出演していないときでも、両端のベンチに座って舞台を見ている。
最初は「公開レッスン?」と引っかかったけど、2幕テンション上がりだしたら引き込まれて気にならなくなった。出演者に贔屓がいる場合は嬉しいのではないかと。ずっと舞台上にいるからずっと見ていられる(やりすぎるとストーリーがわからなくなるかもしれないけど・笑)。
そして私は、若者たちのダンスシーンで一人下手ベンチに腰掛けシャウトを飛ばす嘉月さんに釘付けでした(笑)。
前半は話が見えない不安に振り回され、後半はトップテンションの全力疾走に振り回された初日観劇。
このとっちらかり方は初日のせいでこれから落ち着いてくるのか、それともどんどん加熱してテンション上がって暴走していくのか。何にせよもう1回見なければと決意を新たにしました。
こんなにリピートが楽しみな作品は初めてかも(笑)。全然決まらなくてギャグに見えたケンカシーンの上達も含めて、大いに期待しております。
カーテンコールのご挨拶でさららんも「見ないと損なところまで持って行きます!」って宣言してたしな(笑)。
「さららんで不良少年の挫折と悲哀と希望!」と期待しまくった月バウ。直前にあらすじが変更され期待と不安の入り混じった初日観劇となりました。
結果。
面白かったです。
が、何となく感想が書きにくいのは、とっちらかった印象のせいか。
主人公・ジェフ(月船さらら)は孤児院出の少年。喧嘩してトラブルを起こしては警察の厄介になる日常。何故か親身になってくれる刑事ジェラルド(嘉月絵理)の説教はうるさいし、ガールフレンドのシンシア(白華れみ)には心配して怒られるし、本人も何とかしたいとは思うけれど、なかなか上手くいかず。どうせ俺はこういう人間なんだよ、と世を拗ねてみたり。
そんなある日、ジェフはギャング同士の内輪もめに巻き込まれ……
正直、一幕が終って、ちょっと呆然としてました。
話がどこに転がっていくか全然見えなかったので。
ジェフのキャラクターと彼の置かれた環境、取り巻く人々を淡々と描く。よく言えば丁寧、悪く言えば冗長。
彼がギャングにスカウト?されてやっと話が動き出した感じ。
そうか不本意にも裏街道を歩む青年の話なのか、と思ったらあっさりそれも終って。ええ?この話どこに行くんだ?と。
正塚氏かー、そういえば『ステラマリス』も前半は冗長だったよなー、と思って2幕。
一人でシンシアやジェラルドの言葉を反芻して、いきなり「人生これでいいんだー!」と目覚めるジェフ。唐突。そうか、君に必要だったのは一人でゆっくり自分を見つめなおすことだったんだね、と妙に納得(笑)。
ふっきれて晴れ晴れと明るくテンション高いジェフのもとに血相変えてやってきたのは、弟分のスマイル(明日海りお)。シンシアがギャングに人質に取られたー! とにかく助けに行かねばとジェフとスマイルは若い刑事(麻月れんか)をかわして逃走。ここ、馬鹿なジェフと更にお馬鹿なスマイル、そしてやっぱりお馬鹿な刑事のやりとりが可笑しくて可愛くてたまりません。
銃を手にシンシアを助けに行こうとするジェフ。彼を止めようと立ちはだかるジェラルド。
大人の余裕でジェラルド完勝。ヘタレまくって「だってどうしたらいいかわからないんだよー!(うわーん!)」と地面にへたり込むジェフ。うわーすげー子供。どう考えても中学生くらいだよね、これ(笑)。いや可愛いけど。
そっから後はすっかりジェラルドに素直なジェフ。やっぱりお子様……いや可愛いんだけど。
そして歌い踊るギャングたち。派手な銃撃戦。
いきなりテンション高くラストまで突っ走った2幕でした。
いやー面白かった(笑)。
ジェフ君は、やたらと可愛いヤツでした。
突っ張って、いきがってはいるものの、どう生きたらわからず不安だらけだから強がっている男の子。鎧がはがれれば後は素直ないい子。つっ転ばしたい、と言うより既に自分で派手にすっ転んで泥まみれでべそかいているような(笑)。ジェラルドに泣きつくあたりのテンションはジェフなのかそれともさららん本人だかわからん。なんかもう可愛いったらありゃしない。
いや、可愛くていいのか、とも思うんだけど。
せっかくのバウ主演。見ている人に「可愛い」じゃなくて「格好いい」と言わせるべきなんじゃないだろうか。
ま、私は可愛いさららんも好きですが(笑)。
格好よかったのは、嘉月さんでした。
一人3役。
メインは刑事ジェラルド。周りみんなお子様な中、一人で大人。格好いいわ美中年だわ頼りになるわ。お馬鹿な部下がパニクって電話してきたときの受け答え、さばき方にうっとりでした。惚れる。
その他に、さわやかかつうさんくさい建築家・キューザック(シンシアに初対面でいきなり「美人だね」)と、迫力だけど妙に可笑しいギャングのボス・フェルッティ。どっちも流石だ。
フィナーレでもついつい目で追っちゃいましたよ。若くてきれいな子はたくさん出ているのに、断然格好いいんですけど。(やっぱ年の功?)
そして最後の並びはさららんの隣。そっか、この公演二番手は嘉月さんだったのか。
ヒロイン・シンシアはふつーで真っ直ぐな女の子。ジェフとの突っ張りつつも素直なカップルが可愛い。正塚台詞もなかなか自分のものにしていたんじゃないかと。れみちゃんはひと目でヒロインとわかる輝き。スタイルいいなあ。
デイモン(真野すがた)とダイアナ(憧花ゆりの)のカップルもよかったなー。デイモンの尻に敷かれてる感じがナイス(美形なのに)。「今と同じ顔してたからよ」「そりゃ納得だ」のやり取りが好き。
ロッシ(龍真咲)。すげー、おもしれー。
小顔が際立つオールバック。イロモノかつ迫力のギャング。
モブとかお友達役では髪型をすっかり変えて別人してるし。いや面白い。面白すぎてイロモノにならんようにちょっと案じるところもあるが、まあ問題ないか。ちゃんと自分の方向性をわきまえてそうな人だし。
あと、美鳳あや嬢。ダイナーのおかみさんその他の役でしたが、踊るとやはり目を引く。
つーか、ダンスはやっぱり娘役陣の方がキレイだなー。ついつい見てました。
ところで、この舞台、出演者は常に舞台上にいます。
役として出演していないときでも、両端のベンチに座って舞台を見ている。
最初は「公開レッスン?」と引っかかったけど、2幕テンション上がりだしたら引き込まれて気にならなくなった。出演者に贔屓がいる場合は嬉しいのではないかと。ずっと舞台上にいるからずっと見ていられる(やりすぎるとストーリーがわからなくなるかもしれないけど・笑)。
そして私は、若者たちのダンスシーンで一人下手ベンチに腰掛けシャウトを飛ばす嘉月さんに釘付けでした(笑)。
前半は話が見えない不安に振り回され、後半はトップテンションの全力疾走に振り回された初日観劇。
このとっちらかり方は初日のせいでこれから落ち着いてくるのか、それともどんどん加熱してテンション上がって暴走していくのか。何にせよもう1回見なければと決意を新たにしました。
こんなにリピートが楽しみな作品は初めてかも(笑)。全然決まらなくてギャグに見えたケンカシーンの上達も含めて、大いに期待しております。
カーテンコールのご挨拶でさららんも「見ないと損なところまで持って行きます!」って宣言してたしな(笑)。
追記予定(『コジ・ファン・トゥッテ』ザ・カレッジ・オペラハウス)
2005年7月3日 オペラサマーオペラモーツァルトシリーズ『コジ・ファン・トゥッテ』観て参りました。
去年の『ドン・ジョヴァンニ』がなかなか良かったので。
見終わった感想。
『コジ』って、後味の悪いオペラだなあ!
いや、何を今更って話なんですけど。
でもあれで「こんな事態にも笑えるのが幸せな人。レッツポジティヴシンキング」ってオチはどうなんだと。外からやってきた不幸じゃなくて自分たちが馬鹿な真似して引き起こした問題に対してそれでいいのか。何か間違ってないか?
勿論、名作に対して野暮は承知で言っております。そういや私『ドン・ジョヴァンニ』の「悪党は滅びた」とか『ファルスタッフ』の「世界は劇場、人生は芝居(記憶で書いているので違うかも)」とか、オチに釈然としないことはままあるんだよなー。西欧人の発想には時々ついていけません(そういう問題?)。
『コジ』は3回目です。
思えば、初見はメトロポリタンオペラ。キュートで美しくお洒落な舞台を愛で、2回目は新国立劇場のフィオルディリージとフェルランドが結ばれるというハッピーエンド要素に納得し、このフィナーレの受け止め方が違ったのかもしれない。
今まで見た中で一番「むきだしの」コジ・ファン・トゥッテと言う感じがした。
舞台の出来は良かったです。素晴らしかったと言ってもいいです。
あまり広くないホールもこのオペラには合っていたのではないかと。歌手の声が伸びやかに響いて、気持ち良かった。
特にテノールの清原邦仁の声が好みでした。久々の私的ヒット。この声で口説かれたらそりゃ落ちるって!
バリトンの青木耕平も良かったです。ビジュアル的に格好よかったし。アリアで客席降りして軽やかな動きにびっくりしました。
しかし圧巻だったのはデスピーナの櫻井裕子。これほどお嬢様二人と身分が違うことがありありとわかるデスピーナって、すげー。もうお育ちが違うから、って感じ。そしてその胸の谷間とそれを強調する衣装がまたすごい。日本人では珍しくないですか?
とにかくパワフルで舞台狭しと暴れまわって、迫力でした。あんだけ走ってよくちゃんと歌えている。
演出は、名前?が一面に書かれた青いビニールシートとか、大きな翼の彫刻とか、『ドン・ジョヴァンニ』と同じものが使われていましたが、ちょっと意味わからず。あとドン・アルフォンソがしきりとメモを取っていた意味もよくわからず。レポレロのノートとつながってるとか?
基本的には奇をてらったことはせず、良かったと思います。(だから「むきだし」と言う印象になったんだと思う)
但し、字幕で「人間は皆こうしたもの」と出してしまうのはどうかと。そりゃテーマとしてはそれで正しいかもしれないけれど、歌詞は「Cosi fan tutte」なんだから、字幕でそれを変えてしまう=解釈を押し付けるのは問題じゃないかな。
フェルランドとグリエルモ、フィオルディリージとドラベッラ、貞節であるときは二人全く同じ衣装で見分けがつかなくし、浮気(女たちは本気になるんだけど)するときは個性がわかる違う衣装って、その方が本来でしょうと言う意味にとれました。そのあたり面白かった。
気が向いたらまた追記します。
去年の『ドン・ジョヴァンニ』がなかなか良かったので。
見終わった感想。
『コジ』って、後味の悪いオペラだなあ!
いや、何を今更って話なんですけど。
でもあれで「こんな事態にも笑えるのが幸せな人。レッツポジティヴシンキング」ってオチはどうなんだと。外からやってきた不幸じゃなくて自分たちが馬鹿な真似して引き起こした問題に対してそれでいいのか。何か間違ってないか?
勿論、名作に対して野暮は承知で言っております。そういや私『ドン・ジョヴァンニ』の「悪党は滅びた」とか『ファルスタッフ』の「世界は劇場、人生は芝居(記憶で書いているので違うかも)」とか、オチに釈然としないことはままあるんだよなー。西欧人の発想には時々ついていけません(そういう問題?)。
『コジ』は3回目です。
思えば、初見はメトロポリタンオペラ。キュートで美しくお洒落な舞台を愛で、2回目は新国立劇場のフィオルディリージとフェルランドが結ばれるというハッピーエンド要素に納得し、このフィナーレの受け止め方が違ったのかもしれない。
今まで見た中で一番「むきだしの」コジ・ファン・トゥッテと言う感じがした。
舞台の出来は良かったです。素晴らしかったと言ってもいいです。
あまり広くないホールもこのオペラには合っていたのではないかと。歌手の声が伸びやかに響いて、気持ち良かった。
特にテノールの清原邦仁の声が好みでした。久々の私的ヒット。この声で口説かれたらそりゃ落ちるって!
バリトンの青木耕平も良かったです。ビジュアル的に格好よかったし。アリアで客席降りして軽やかな動きにびっくりしました。
しかし圧巻だったのはデスピーナの櫻井裕子。これほどお嬢様二人と身分が違うことがありありとわかるデスピーナって、すげー。もうお育ちが違うから、って感じ。そしてその胸の谷間とそれを強調する衣装がまたすごい。日本人では珍しくないですか?
とにかくパワフルで舞台狭しと暴れまわって、迫力でした。あんだけ走ってよくちゃんと歌えている。
演出は、名前?が一面に書かれた青いビニールシートとか、大きな翼の彫刻とか、『ドン・ジョヴァンニ』と同じものが使われていましたが、ちょっと意味わからず。あとドン・アルフォンソがしきりとメモを取っていた意味もよくわからず。レポレロのノートとつながってるとか?
基本的には奇をてらったことはせず、良かったと思います。(だから「むきだし」と言う印象になったんだと思う)
但し、字幕で「人間は皆こうしたもの」と出してしまうのはどうかと。そりゃテーマとしてはそれで正しいかもしれないけれど、歌詞は「Cosi fan tutte」なんだから、字幕でそれを変えてしまう=解釈を押し付けるのは問題じゃないかな。
フェルランドとグリエルモ、フィオルディリージとドラベッラ、貞節であるときは二人全く同じ衣装で見分けがつかなくし、浮気(女たちは本気になるんだけど)するときは個性がわかる違う衣装って、その方が本来でしょうと言う意味にとれました。そのあたり面白かった。
気が向いたらまた追記します。
幸せの種(『風を結んで』)
2005年7月2日 舞台(宝塚以外)『風を結んで』の感想続き。今回はネタばれあり。
それぞれの事情で一座に集まってきた侍たち。一幕の最後は宣伝用写真の撮影。思い思いにポーズを決める姿が愛しい。
しかし第2幕が始まると、彼らはそれぞれの事情で去っていく。
小弥太と伝四郎。
元薩摩藩士である彼らは、西郷立つの報に自らも加わるべく国へ帰っていく。
謎ありしがらみありの男たちの中、彼らは普通の青年たち。一座に加わったのも合法的に刀を振るえるから。特に裏も過去もなく、ただ武士であることを捨てられず明治の時代についていけず不満がくすぶっている。
そんな普通の青年が「西郷さんはわかってくれる」と真剣に、無邪気に信じている。
「再び武士の時代が来る」と語る澄んだ瞳が、歴史を知っているだけに、痛い。
また幸村氏の演技が良くて。
刀さえ振るえれば、と能天気に見えつつ、武士の誇りを傷つけられるような事態(誠一郎の身の上話、刀で文字を書く芸をしろとの命令)には、目をぎらつかせて真剣な顔になる。小さな身体に爆発寸前の怒りを凝縮しているような。少年ぽいなーと思っていたら、実際若い役なんですね。
大輔。
空腹で行き倒れたところを一座に拾われる。体型からのネタ?と一瞬思ったが(失礼)、別にギャグキャラではなく実直な温厚な男で。
元会津藩士である彼もまた、黙って一座を去る。会津残党の決起に加わるために。
道中、彼は右近に本音を洩らす。本当は、このまま一座に居たかった、自分たちの芸を見た人に喜んでもらえて、楽しかったと。
しかしそれはできない、人生半ばに死んでいった仲間たちの亡霊が忘れられない、と。
彼もまた普通の、気の優しいところもあるような青年で。苦しんだ末の決断が胸に痛い。
右近。
彼は大輔に誘われ、共に一座を離れる。
仲間たちの亡霊、と言う大輔に右近は答える。「我々もまた亡霊ではないのか」と。
そして、大輔を逃がすため警察相手に大立ち回りを演じ、最期は己の手で果てる。
彼は、死に場所を探していたのだろう。
無邪気に武士の世の再来を夢見るのではなく、過去のしがらみを捨てられないのではなく。ただただ、古い時代とその中で培われた己の生き方に殉じるために。
新しい時代にふさわしいのは平吾の生き方であると知りつつ。平吾に先祖伝来の刀と、おそらくは妹・静江を託して。
傍から見てると馬鹿だし、実際残された人々に迷惑をかけているのだが。
でも「仕方ないよなー」と思う。気持ちはわかる……気がする。
誠一郎。
小弥太と伝四郎が去り大輔が席を立った後「皆さんを見込んでお話があります」と言う彼。(何のことやら?と思いつつ神妙にする3バカトリオが可愛い)
実は彼は警視庁の密偵で、会津藩の残党が一座にいるとの知らせに没落士族を装って潜入していた。(ぽかーんとして「役者が一枚上手だ」と言う3バカトリオが…略)
でも、一座での彼は、決して偽りの姿ではなかったのだと思う。
弥助が通りかかるのを見計らって身投げのふりをし一座に潜り込んだけれど、その身の上話が真に迫っていたのは、彼もまた士族の一人であったからだろう。体制側の彼と他の者たちを分けたのは、ほんの少しのめぐり合わせで。だから、反政府に身を投じる者たちの思いもわかっていたろう。
そして何より「ずっとこの一座に居たかった」と言うのだ、彼も。
その、組織の人間として則を越えず、しかし個人の思いが見える辺りが、私は好きなんですが。
武智さん、サトリちゃんは唐沢寿明似と言いましたが私は竹之内豊に似ているような気もします。どうだろう?
大罪人を出したことで一座は解散。残ったのは平吾と郡兵衛、弥助の3人だけ。そんな中、いつの間にか平吾と静江が結婚してうまくやっているらしいのが救いだ。
しかし、時は流れていく。
誠一郎が挨拶に来る。警視庁抜刀隊の一員として鹿児島へ行くと。
弥助も。彼は本当は行きたくはなかった。でも、次男坊の冷や飯食いの立場では、職があるだけ文句は言えないよ、と。
郡兵衛も記者として鹿児島へ。死ぬかもしれない場所に行きたがる奴なんかいないから潜り込めた。上手くいったら人生変えられるかもしれない、と賭けて。
平吾が見送りに駆けつけるのを待たずに、手紙だけを残して。
そして、捨吉。
事件の時から姿を消していた彼が、品川駅で呆然と立ち尽くす平吾の前に現れる。彼こそが誠一郎が探していた会津藩残党だった。
しかし彼は決起には加わらなかった。
無念のまま慙死した仲間たち、白虎隊の少年たちの恨みを晴らすため決起準備に暗躍していた彼は、平吾と出会う。
何も持たず何の力もなく、それでも「生きるために生きる!」と爆走する平吾を見て、彼の生き方が揺らぐ。
白虎隊の少年たちが生きていれば、平吾くらいの年だった。彼は平吾に未来を見た。
死んだ者の恨みのためではなく、生きている者のために。
彼は、決起には加わらなかった。
捨吉は平吾に一枚の写真を渡す。一座結成の時の写真。
右近と大輔は既に世を去り、他の5人は鹿児島の戦場にいる。
写真を見つめて平吾は言う。
「俺も鹿児島へ行く!」
正直、ここで「えええーっ!?」と思いました。
平吾は「敢然と立ちつづける舫杭のように(パクリ)」皆の心の支えとして東京に居続けるんだと思っていたので。一座再結成の日まで。
でも、そうだ、こいつは突っ走る男だ。
平吾は静江に言う。
「鹿児島に行ってみんなを連れ戻す!」
だから、待っていてくれるか、と。
静江は答える。
「必ず生きて戻ると約束してください」
約束するなら待ちますと。
「あなたは私の幸せの種なのですから」
幸せの種。
それは由紀子の言葉。これからは女性も自らの手でチャンスを掴まなくては!と力説する由紀子に、ちゃんす?と怪訝そうな静江。
そこで由紀子が言った言葉が「幸せの種」。しっかり掴まなければ手から零れ落ちてしまう種。
由紀子が持ち込んだ西欧の概念が、翻訳されて静江が消化して自分のものとした、対照的な二人のつながりが見えて、良かったです。
ついでに「もう誰も死なせない」って鹿児島に行くのはどうなんだ平吾、と思いましたが、西南戦争は日本で初めて赤十字が活動した戦争だそうなので、彼はそれに加わったんだと思って納得しました(最近NHKの『その時歴史は動いた』でやってた)。赤十字のことは由紀子が教えてくれたんだと思います。
ラストシーンは、平吾以外のメンバーが一幕最後の記念撮影の姿で舞台奥に立つ。
戻らない楽しい日々。
でも、平吾はそれを取り戻そうとしている。
写真を手に、真っ直ぐに前を見る平吾が、一人立つ。
カーテンコールも、良かったです。
捨吉が由紀子に呼ばれてひょこひょこついていくのが、本編ではもう戻ってこなかっただけに(由紀子さんも心配してずっと探していたんですよ、と平吾の口から語られる)、幸せで切なくて泣き笑い。
えーと。あと、衣装が良かったです。基本的には皆同じようなつぎはぎ着物風なんだけど、上着でがらっと印象が変わる(静江は赤い着物、由紀子は黄色いジャケットで洋装風、等)。モブもやるので早変わり多いから、よく出来てるなあと。
音楽は甲斐正人。この人実はメロディメーカーではないのかなと思いました。耳に強く残るほどではない。でも場面に合った、いい曲だと思います。(でも日本語の乗せ方がぎこちない所があるのはキムシンのせいだけではなかったのかと……それとも時代とか何とか概念的な歌詞のせいなのか)
それぞれの事情で一座に集まってきた侍たち。一幕の最後は宣伝用写真の撮影。思い思いにポーズを決める姿が愛しい。
しかし第2幕が始まると、彼らはそれぞれの事情で去っていく。
小弥太と伝四郎。
元薩摩藩士である彼らは、西郷立つの報に自らも加わるべく国へ帰っていく。
謎ありしがらみありの男たちの中、彼らは普通の青年たち。一座に加わったのも合法的に刀を振るえるから。特に裏も過去もなく、ただ武士であることを捨てられず明治の時代についていけず不満がくすぶっている。
そんな普通の青年が「西郷さんはわかってくれる」と真剣に、無邪気に信じている。
「再び武士の時代が来る」と語る澄んだ瞳が、歴史を知っているだけに、痛い。
また幸村氏の演技が良くて。
刀さえ振るえれば、と能天気に見えつつ、武士の誇りを傷つけられるような事態(誠一郎の身の上話、刀で文字を書く芸をしろとの命令)には、目をぎらつかせて真剣な顔になる。小さな身体に爆発寸前の怒りを凝縮しているような。少年ぽいなーと思っていたら、実際若い役なんですね。
大輔。
空腹で行き倒れたところを一座に拾われる。体型からのネタ?と一瞬思ったが(失礼)、別にギャグキャラではなく実直な温厚な男で。
元会津藩士である彼もまた、黙って一座を去る。会津残党の決起に加わるために。
道中、彼は右近に本音を洩らす。本当は、このまま一座に居たかった、自分たちの芸を見た人に喜んでもらえて、楽しかったと。
しかしそれはできない、人生半ばに死んでいった仲間たちの亡霊が忘れられない、と。
彼もまた普通の、気の優しいところもあるような青年で。苦しんだ末の決断が胸に痛い。
右近。
彼は大輔に誘われ、共に一座を離れる。
仲間たちの亡霊、と言う大輔に右近は答える。「我々もまた亡霊ではないのか」と。
そして、大輔を逃がすため警察相手に大立ち回りを演じ、最期は己の手で果てる。
彼は、死に場所を探していたのだろう。
無邪気に武士の世の再来を夢見るのではなく、過去のしがらみを捨てられないのではなく。ただただ、古い時代とその中で培われた己の生き方に殉じるために。
新しい時代にふさわしいのは平吾の生き方であると知りつつ。平吾に先祖伝来の刀と、おそらくは妹・静江を託して。
傍から見てると馬鹿だし、実際残された人々に迷惑をかけているのだが。
でも「仕方ないよなー」と思う。気持ちはわかる……気がする。
誠一郎。
小弥太と伝四郎が去り大輔が席を立った後「皆さんを見込んでお話があります」と言う彼。(何のことやら?と思いつつ神妙にする3バカトリオが可愛い)
実は彼は警視庁の密偵で、会津藩の残党が一座にいるとの知らせに没落士族を装って潜入していた。(ぽかーんとして「役者が一枚上手だ」と言う3バカトリオが…略)
でも、一座での彼は、決して偽りの姿ではなかったのだと思う。
弥助が通りかかるのを見計らって身投げのふりをし一座に潜り込んだけれど、その身の上話が真に迫っていたのは、彼もまた士族の一人であったからだろう。体制側の彼と他の者たちを分けたのは、ほんの少しのめぐり合わせで。だから、反政府に身を投じる者たちの思いもわかっていたろう。
そして何より「ずっとこの一座に居たかった」と言うのだ、彼も。
その、組織の人間として則を越えず、しかし個人の思いが見える辺りが、私は好きなんですが。
武智さん、サトリちゃんは唐沢寿明似と言いましたが私は竹之内豊に似ているような気もします。どうだろう?
大罪人を出したことで一座は解散。残ったのは平吾と郡兵衛、弥助の3人だけ。そんな中、いつの間にか平吾と静江が結婚してうまくやっているらしいのが救いだ。
しかし、時は流れていく。
誠一郎が挨拶に来る。警視庁抜刀隊の一員として鹿児島へ行くと。
弥助も。彼は本当は行きたくはなかった。でも、次男坊の冷や飯食いの立場では、職があるだけ文句は言えないよ、と。
郡兵衛も記者として鹿児島へ。死ぬかもしれない場所に行きたがる奴なんかいないから潜り込めた。上手くいったら人生変えられるかもしれない、と賭けて。
平吾が見送りに駆けつけるのを待たずに、手紙だけを残して。
そして、捨吉。
事件の時から姿を消していた彼が、品川駅で呆然と立ち尽くす平吾の前に現れる。彼こそが誠一郎が探していた会津藩残党だった。
しかし彼は決起には加わらなかった。
無念のまま慙死した仲間たち、白虎隊の少年たちの恨みを晴らすため決起準備に暗躍していた彼は、平吾と出会う。
何も持たず何の力もなく、それでも「生きるために生きる!」と爆走する平吾を見て、彼の生き方が揺らぐ。
白虎隊の少年たちが生きていれば、平吾くらいの年だった。彼は平吾に未来を見た。
死んだ者の恨みのためではなく、生きている者のために。
彼は、決起には加わらなかった。
捨吉は平吾に一枚の写真を渡す。一座結成の時の写真。
右近と大輔は既に世を去り、他の5人は鹿児島の戦場にいる。
写真を見つめて平吾は言う。
「俺も鹿児島へ行く!」
正直、ここで「えええーっ!?」と思いました。
平吾は「敢然と立ちつづける舫杭のように(パクリ)」皆の心の支えとして東京に居続けるんだと思っていたので。一座再結成の日まで。
でも、そうだ、こいつは突っ走る男だ。
平吾は静江に言う。
「鹿児島に行ってみんなを連れ戻す!」
だから、待っていてくれるか、と。
静江は答える。
「必ず生きて戻ると約束してください」
約束するなら待ちますと。
「あなたは私の幸せの種なのですから」
幸せの種。
それは由紀子の言葉。これからは女性も自らの手でチャンスを掴まなくては!と力説する由紀子に、ちゃんす?と怪訝そうな静江。
そこで由紀子が言った言葉が「幸せの種」。しっかり掴まなければ手から零れ落ちてしまう種。
由紀子が持ち込んだ西欧の概念が、翻訳されて静江が消化して自分のものとした、対照的な二人のつながりが見えて、良かったです。
ついでに「もう誰も死なせない」って鹿児島に行くのはどうなんだ平吾、と思いましたが、西南戦争は日本で初めて赤十字が活動した戦争だそうなので、彼はそれに加わったんだと思って納得しました(最近NHKの『その時歴史は動いた』でやってた)。赤十字のことは由紀子が教えてくれたんだと思います。
ラストシーンは、平吾以外のメンバーが一幕最後の記念撮影の姿で舞台奥に立つ。
戻らない楽しい日々。
でも、平吾はそれを取り戻そうとしている。
写真を手に、真っ直ぐに前を見る平吾が、一人立つ。
カーテンコールも、良かったです。
捨吉が由紀子に呼ばれてひょこひょこついていくのが、本編ではもう戻ってこなかっただけに(由紀子さんも心配してずっと探していたんですよ、と平吾の口から語られる)、幸せで切なくて泣き笑い。
えーと。あと、衣装が良かったです。基本的には皆同じようなつぎはぎ着物風なんだけど、上着でがらっと印象が変わる(静江は赤い着物、由紀子は黄色いジャケットで洋装風、等)。モブもやるので早変わり多いから、よく出来てるなあと。
音楽は甲斐正人。この人実はメロディメーカーではないのかなと思いました。耳に強く残るほどではない。でも場面に合った、いい曲だと思います。(でも日本語の乗せ方がぎこちない所があるのはキムシンのせいだけではなかったのかと……それとも時代とか何とか概念的な歌詞のせいなのか)
小ネタ(『炎にくちづけを』ポスター)
2005年6月29日 宝塚巷で噂の『炎にくちづけを』ポスター。
あちこちで阿鼻叫喚を巻き起こしているようですが、私としては「いいんじゃない?」ってとこです。
だってキムシンDEトロヴァトーレなんでしょ? 大人しいくらいなんじゃ?
ちなみに『イル・トロヴァトーレ』は私の最も好きなオペラのひとつです。血湧き肉踊るぶんちゃかぶんちゃかでどっかんぎゃーな典型的なイタオペ。なかなか雰囲気出ていると思うんですよ。登場人物も(まだビジュアルだけだけど)、ガイチさんのルーナ伯爵とお花様のレオノーラがどハマり。
キムシンがどんなアレンジをしてくるかわかりませんが、すげー楽しみです。
まあ、まだWebでしか見ていないので、実物見たら「どひゃー」とか言うかもしれませんが。
更に私は『長安』のポスターは東宝版が一番好き、と言って緑野さんに奇異の目で見られた前科があるので、センスは全く当てにならんのですが(笑)。
暑くてまとまった物事を考えられないので、だらだらと思いつくままに殴り書いております。
あちこちで阿鼻叫喚を巻き起こしているようですが、私としては「いいんじゃない?」ってとこです。
だってキムシンDEトロヴァトーレなんでしょ? 大人しいくらいなんじゃ?
ちなみに『イル・トロヴァトーレ』は私の最も好きなオペラのひとつです。血湧き肉踊るぶんちゃかぶんちゃかでどっかんぎゃーな典型的なイタオペ。なかなか雰囲気出ていると思うんですよ。登場人物も(まだビジュアルだけだけど)、ガイチさんのルーナ伯爵とお花様のレオノーラがどハマり。
キムシンがどんなアレンジをしてくるかわかりませんが、すげー楽しみです。
まあ、まだWebでしか見ていないので、実物見たら「どひゃー」とか言うかもしれませんが。
更に私は『長安』のポスターは東宝版が一番好き、と言って緑野さんに奇異の目で見られた前科があるので、センスは全く当てにならんのですが(笑)。
暑くてまとまった物事を考えられないので、だらだらと思いつくままに殴り書いております。
まっすぐ。(TSミュージカル『風を結んで』サンシャイン劇場)
2005年6月25日 舞台(宝塚以外)『風を結んで』見て参りました。
ぴあで5列目ゲット、と会場に行ったら実質3列目でした。先端恐怖症の人は前方に座らない方がいいかも。刀や槍を振り回すので(ちょっと怖い)。
がーがー泣いた。
客席が明るくなっても席から立ち上がれなかった。無理に立ち上がったら足がもつれた。
暫く口が利けなかった。感想を語るには舞台から放射されたものが大きすぎて重すぎて、すぐには言葉にならなかった。
前作『タック』から類推して予想と言うか覚悟していたとおりではありましたが。TSは、こういうものを創るところなんだなあと。ええ、消耗しました。すがすがしい消耗ではあるのだけれど。
時は明治初頭。武士は職を失い廃刀令で己の拠り所も失いかけていた。そんな士族の青年、片山平吾と友人たちが、ひょんなことからアメリカ帰りの富豪令嬢と出会う。彼らは日本におけるショービジネスの確立を目指す彼女に雇われ、侍パフォーマンス一座を結成することになる。
チラシで、時代背景に西南の役が匂わされていたので、シビアで悲劇的な話かと予想。
が、劇団結成という予想外の展開。それぞれ事情を抱えた侍が一人ずつ一座に加わる様子は、何か希望に満ちたことが始まりそうで、わくわくした。
時代の変化に迷い、日々をやり過ごして生きてきた平吾が、家のために犠牲になろうとする静江の姿に「そんなのは間違っている」「俺は生きるために生きる」と腹を決めて、走り出す。
走り出した平吾の姿は友人たちを動かし、捨吉を動かし、お嬢を動かし、ついに静江の兄、右近を動かす。
希望に向かって、光に向かって突っ走る彼のまわりに、人が集まる。
しかし、時折挿入される場面。
忘れるには近すぎる過去、白装束の侍たち。
現在、そして未来に射す戦の幻影。赤い衣の鬼、舞神。
そして、客席にのみ見せる、捨吉の厳しく暗い瞳。
以降のストーリーは、書かないことにします。
見るなら、予備知識無しで彼ら一人一人の生き様を目の当たりにして、飲み込まれて欲しいから。
ただ言えるのは。
泣いたのは、人が死ぬからじゃない、可哀想だからじゃない
彼ら一人一人が、全力で、真っ直ぐに、精一杯生きているからだ。
己の生き方を全うするために、突っ走っているからだ。
……元々群像劇に弱いしな、私。
以下、役とキャストの話。
片山平吾=坂元健児
主人公。
『タック』に続き、裏も悪意もなく真っ直ぐなヒーロー。だから皆彼に惹かれる。
いや正直、若干出来すぎなくらいの男なので、途中まで彼が剣の腕はいまいちの見習いだということに気づきませんでした(笑)。
歌(ハイトーンボイスで鈴木氏とまた違うタイプ)もダンスもパワフルで、舞台を引っ張ってました。
捨吉=鈴木綜馬
すげー上手い(呆然)。歌は一人で格が違う感じ。上手さだけでなくて歌唱スタイルも違うのか。狂言回し的な役柄なので、それも良い方に作用していました。上手端で苦悩の表情を浮かべて佇んでいることが多くて、色々深読んじゃいましたよ。
お嬢へのお仕えぶりもはまってます。カーテンコールで逆方向に行こうとするのを、捨吉、と呼び止められてひょこひょこついていくのが楽しい。
轟由紀子=絵麻緒ゆう
この役名は一体(笑)。ウケ狙い?
強く凛々しく格好よく素晴らしいお嬢っぷり。
洋行帰り、英語交じりで喋りまくるハイテンションお嬢様。旧弊な男どもに愛想を尽かし、この手で日本におけるショービジネスを始めるのよ!とやる気満々(正直変キャラ紙一重・笑)。
当然侍たちとは対立する。過去の日本を懐かしむ貧しい武士である男たちと、アメリカかぶれで富豪商人の娘である彼女は何から何まで正反対だから。この辺り「女だてらに」という表現でなく、価値観の違う人間同士の対立、として描かれていたのが見ていて良かったなあと。最初は自分の考えを押し付がちなのだけれど(彼女も突っ走りタイプだから)、平吾や静江と出会って彼らの言葉に耳を傾けたり、根はいい人。
ついでに。「轟由紀子一座」を立ち上げる彼女、「TSミュージカルファンデーション」を設立した謝珠栄氏がモデルだったり?
出演者が少ないため早変わりでモブもあり。激しい剣舞も見られます(風花さんはぱっと見でわかるけど、ブンちゃんは探しました・笑)
橘右近=今拓哉
道場一の達人、であるらしい。変わる時代の中で武士の矜持を守って生きようと苦悩する男。平吾のことも認めつつ、武士であることを捨てきれない男。
平吾の動に対して静、あまり表情を露にしない。だからこそ時折洩らす本音が重い。役に合っていたと思います。
静江=風花舞
右近の妹。綺麗で可愛らしく慎ましい武家のお嬢様。赤い着物もお似合いでした。
走り出してまわりを動かすのは平吾ですが、彼に火をつけたのは静江。この二人の不器用な惹かれあいがぎこちなくも微笑ましかったです。と言うか静江はともかく平吾は自分が静江に惹かれていることもわかってないんじゃないのか?
由紀子とのデュエットも良かったです。対照的な二人の女性の、相手を認めつつそれぞれの生き方がある、そんな関係(多分静江の方が年下だけど、静江の方が大人か?)。
ダンサーとしての場面も多々ありました。象徴的に出てくるのだけれど、これがもうキレイでキレイで!
すごい上手いんだけど、やっぱり「上手い」というより「きれい」。
私は俄かヅカファンなので在団時の彼女の舞台は見ていないのですが、すごいダンサーなんだなあと。
田島郡兵衛=畠中洋、加納弥助=川本昭彦
平吾の仲間、3バカトリオ(笑)。
兄貴分で図々しいが憎めない郡兵衛と、気弱で情けない弥助、という役どころ。弥助が「平吾が静江を助けようとしたことが嬉しかった」自分も次男坊で家に居ても居候のような身分だから、と訥々と語る辺り、しんみり来たなあと。
しかし川本さんまた眼鏡くんですか!とウケまくる私とサトリさん。
栗山大輔=福永吉洋
平吾たちに助けられて一座に加わる男。
静かな演技がちょっと意外でした。ほら、その前に見たのがパンタロン刑事だったからさ(をい)。でもその、真面目な普通の人であるところが良かったです(しんみり)。
斎藤小弥太=幸村吉也、新田伝四郎=平野亙
平吾たちに助けられて一座に加わる。デコボココンビ(笑)。
一座の中でも若いそうだけれど、特に小弥太は血気盛んな少年と言う感じかなと。すぐムキになる顔をしているし。
あまり出番も台詞もないのだけれど、過去に何かあるわけでもなく家の責任があるわけでもない普通の若者が、刀を、武士の生き方を捨てられず無邪気に夢を見る、あたり、逆に切ないなあと。
ダンスシーンを漠然と見ていて、うわ浮いた、と言うか飛んだ!と思ったら幸村さんでした(割と贔屓)。
佐々木誠一郎=武智健二
好みです(笑)。役どころもビジュアル的にも。プログラムで出演者に「男性像(or女性像)として好みな登場人物は?」という質問をしているけれど、私は誠一郎くんがいいです(誰も聞いてません)。
彼もまた真面目でいい人だよなあ。つーかみんな真面目だよなあ……。
一種ファンタジーであった『タック』に比べて、歴史上の事実、知識として知っている時代背景の今作の方が、やや客観的に見られました。比べると主人公たちの年齢層が高いこともあるか。
パワフルなダンスアクションは期待通り。この、理屈ぬきに揺さぶられる快感も、今時テーマを真っ直ぐにてらいなくぶつける舞台に説得力を持たせていました。
ぴあで5列目ゲット、と会場に行ったら実質3列目でした。先端恐怖症の人は前方に座らない方がいいかも。刀や槍を振り回すので(ちょっと怖い)。
がーがー泣いた。
客席が明るくなっても席から立ち上がれなかった。無理に立ち上がったら足がもつれた。
暫く口が利けなかった。感想を語るには舞台から放射されたものが大きすぎて重すぎて、すぐには言葉にならなかった。
前作『タック』から類推して予想と言うか覚悟していたとおりではありましたが。TSは、こういうものを創るところなんだなあと。ええ、消耗しました。すがすがしい消耗ではあるのだけれど。
時は明治初頭。武士は職を失い廃刀令で己の拠り所も失いかけていた。そんな士族の青年、片山平吾と友人たちが、ひょんなことからアメリカ帰りの富豪令嬢と出会う。彼らは日本におけるショービジネスの確立を目指す彼女に雇われ、侍パフォーマンス一座を結成することになる。
チラシで、時代背景に西南の役が匂わされていたので、シビアで悲劇的な話かと予想。
が、劇団結成という予想外の展開。それぞれ事情を抱えた侍が一人ずつ一座に加わる様子は、何か希望に満ちたことが始まりそうで、わくわくした。
時代の変化に迷い、日々をやり過ごして生きてきた平吾が、家のために犠牲になろうとする静江の姿に「そんなのは間違っている」「俺は生きるために生きる」と腹を決めて、走り出す。
走り出した平吾の姿は友人たちを動かし、捨吉を動かし、お嬢を動かし、ついに静江の兄、右近を動かす。
希望に向かって、光に向かって突っ走る彼のまわりに、人が集まる。
しかし、時折挿入される場面。
忘れるには近すぎる過去、白装束の侍たち。
現在、そして未来に射す戦の幻影。赤い衣の鬼、舞神。
そして、客席にのみ見せる、捨吉の厳しく暗い瞳。
以降のストーリーは、書かないことにします。
見るなら、予備知識無しで彼ら一人一人の生き様を目の当たりにして、飲み込まれて欲しいから。
ただ言えるのは。
泣いたのは、人が死ぬからじゃない、可哀想だからじゃない
彼ら一人一人が、全力で、真っ直ぐに、精一杯生きているからだ。
己の生き方を全うするために、突っ走っているからだ。
……元々群像劇に弱いしな、私。
以下、役とキャストの話。
片山平吾=坂元健児
主人公。
『タック』に続き、裏も悪意もなく真っ直ぐなヒーロー。だから皆彼に惹かれる。
いや正直、若干出来すぎなくらいの男なので、途中まで彼が剣の腕はいまいちの見習いだということに気づきませんでした(笑)。
歌(ハイトーンボイスで鈴木氏とまた違うタイプ)もダンスもパワフルで、舞台を引っ張ってました。
捨吉=鈴木綜馬
すげー上手い(呆然)。歌は一人で格が違う感じ。上手さだけでなくて歌唱スタイルも違うのか。狂言回し的な役柄なので、それも良い方に作用していました。上手端で苦悩の表情を浮かべて佇んでいることが多くて、色々深読んじゃいましたよ。
お嬢へのお仕えぶりもはまってます。カーテンコールで逆方向に行こうとするのを、捨吉、と呼び止められてひょこひょこついていくのが楽しい。
轟由紀子=絵麻緒ゆう
この役名は一体(笑)。ウケ狙い?
強く凛々しく格好よく素晴らしいお嬢っぷり。
洋行帰り、英語交じりで喋りまくるハイテンションお嬢様。旧弊な男どもに愛想を尽かし、この手で日本におけるショービジネスを始めるのよ!とやる気満々(正直変キャラ紙一重・笑)。
当然侍たちとは対立する。過去の日本を懐かしむ貧しい武士である男たちと、アメリカかぶれで富豪商人の娘である彼女は何から何まで正反対だから。この辺り「女だてらに」という表現でなく、価値観の違う人間同士の対立、として描かれていたのが見ていて良かったなあと。最初は自分の考えを押し付がちなのだけれど(彼女も突っ走りタイプだから)、平吾や静江と出会って彼らの言葉に耳を傾けたり、根はいい人。
ついでに。「轟由紀子一座」を立ち上げる彼女、「TSミュージカルファンデーション」を設立した謝珠栄氏がモデルだったり?
出演者が少ないため早変わりでモブもあり。激しい剣舞も見られます(風花さんはぱっと見でわかるけど、ブンちゃんは探しました・笑)
橘右近=今拓哉
道場一の達人、であるらしい。変わる時代の中で武士の矜持を守って生きようと苦悩する男。平吾のことも認めつつ、武士であることを捨てきれない男。
平吾の動に対して静、あまり表情を露にしない。だからこそ時折洩らす本音が重い。役に合っていたと思います。
静江=風花舞
右近の妹。綺麗で可愛らしく慎ましい武家のお嬢様。赤い着物もお似合いでした。
走り出してまわりを動かすのは平吾ですが、彼に火をつけたのは静江。この二人の不器用な惹かれあいがぎこちなくも微笑ましかったです。と言うか静江はともかく平吾は自分が静江に惹かれていることもわかってないんじゃないのか?
由紀子とのデュエットも良かったです。対照的な二人の女性の、相手を認めつつそれぞれの生き方がある、そんな関係(多分静江の方が年下だけど、静江の方が大人か?)。
ダンサーとしての場面も多々ありました。象徴的に出てくるのだけれど、これがもうキレイでキレイで!
すごい上手いんだけど、やっぱり「上手い」というより「きれい」。
私は俄かヅカファンなので在団時の彼女の舞台は見ていないのですが、すごいダンサーなんだなあと。
田島郡兵衛=畠中洋、加納弥助=川本昭彦
平吾の仲間、3バカトリオ(笑)。
兄貴分で図々しいが憎めない郡兵衛と、気弱で情けない弥助、という役どころ。弥助が「平吾が静江を助けようとしたことが嬉しかった」自分も次男坊で家に居ても居候のような身分だから、と訥々と語る辺り、しんみり来たなあと。
しかし川本さんまた眼鏡くんですか!とウケまくる私とサトリさん。
栗山大輔=福永吉洋
平吾たちに助けられて一座に加わる男。
静かな演技がちょっと意外でした。ほら、その前に見たのがパンタロン刑事だったからさ(をい)。でもその、真面目な普通の人であるところが良かったです(しんみり)。
斎藤小弥太=幸村吉也、新田伝四郎=平野亙
平吾たちに助けられて一座に加わる。デコボココンビ(笑)。
一座の中でも若いそうだけれど、特に小弥太は血気盛んな少年と言う感じかなと。すぐムキになる顔をしているし。
あまり出番も台詞もないのだけれど、過去に何かあるわけでもなく家の責任があるわけでもない普通の若者が、刀を、武士の生き方を捨てられず無邪気に夢を見る、あたり、逆に切ないなあと。
ダンスシーンを漠然と見ていて、うわ浮いた、と言うか飛んだ!と思ったら幸村さんでした(割と贔屓)。
佐々木誠一郎=武智健二
好みです(笑)。役どころもビジュアル的にも。プログラムで出演者に「男性像(or女性像)として好みな登場人物は?」という質問をしているけれど、私は誠一郎くんがいいです(誰も聞いてません)。
彼もまた真面目でいい人だよなあ。つーかみんな真面目だよなあ……。
一種ファンタジーであった『タック』に比べて、歴史上の事実、知識として知っている時代背景の今作の方が、やや客観的に見られました。比べると主人公たちの年齢層が高いこともあるか。
パワフルなダンスアクションは期待通り。この、理屈ぬきに揺さぶられる快感も、今時テーマを真っ直ぐにてらいなくぶつける舞台に説得力を持たせていました。
びっくりした。(宝塚公式HP)
2005年6月22日 宝塚2005/06/21
専科 初風 緑 退団のお知らせ
びっくりした。いやびっくりした。
確か星楽の後夕飯食べながら「いまさら次で退団はないよ。ガイチさんならもっと前に発表してるよ」って言ってなかったか、私?
いや本当にそう思い込んでたよ……。
ルーナ伯爵はいい役だろうことがまだ救いかなあ。ある意味マンリーコよりもおいしい役だと思う。きっと格好いいだろう。キムシンが原作をどう料理するかによるけど。
でもなあ……。
びっくりしたよ……。
宙組退団者の綾花ちかちゃん、『Le Petit Jardin』悠未Ver.のサチだよね。
可愛かったのに……。
専科 初風 緑 退団のお知らせ
びっくりした。いやびっくりした。
確か星楽の後夕飯食べながら「いまさら次で退団はないよ。ガイチさんならもっと前に発表してるよ」って言ってなかったか、私?
いや本当にそう思い込んでたよ……。
ルーナ伯爵はいい役だろうことがまだ救いかなあ。ある意味マンリーコよりもおいしい役だと思う。きっと格好いいだろう。キムシンが原作をどう料理するかによるけど。
でもなあ……。
びっくりしたよ……。
宙組退団者の綾花ちかちゃん、『Le Petit Jardin』悠未Ver.のサチだよね。
可愛かったのに……。
黒燕尾に赤いバラ(星組大劇千秋楽)
2005年6月21日 宝塚入りには遅れました。
既に仙堂さんも恵斗くんも入った後。
恵斗くんの白い靴、拝めなかったよ。東京でリベンジします。
でも檀ちゃんには間に合いました。白い帽子、白い服。白いシフォンの布をはぎあわせたようなふわふわ広がるスカート、細い足。
「千秋楽頑張って!」の掛け声にガッツポーズで答える。麗しくも男前。
しかし私、前回公演の千秋楽もケロさんの入りに間に合わなかったんだよな。学習しない奴だな。
ショー『ソウル・オブ・シバ!』。
ムラでは見納め。だから今日は退団者の日。
と言う訳で、赤いプロローグは下手花道の恵斗くんを見てました。
ニューヨークも群舞センターの恵斗くんを見てました。
レディ・ダイスが出てくるシーン、ここ2回ほど見ているとワタさんが後ろから恵斗くんの腰を抱えて(セクハラ・笑)、そして押しのけてダイスさんの握手をゲットしてました。楽はどうするのかと思ったら、何と脚の間をくぐって出てきたよ! そりゃあの長い脚ならくぐるのも簡単だろうけど。
いつも握手してもらえない恵斗氏。楽くらいはと思ったけど、ダメでしたね(笑)。
靴磨きの場面、いつも「でかいね!」のところいきなりワタさんしゃがみ込み。「小さいね!」そうきたか! 靴磨き代はとうこさん渡さず「いくら?」「お心のままに」「じゃ片方しか磨いてもらってないからこれだけ」とかやってました。
タップ合戦(楽しいー!)が終わりレーク君アカデミーへ。仙堂さんの右手首に黄色い花輪を見て、ああ、そうかと。
……可愛いなあ、仙堂さん。
紅くんから帽子を取り上げるところ、今日は「あっ!」とあらぬほうを指差しその隙に奪ってました。
クラブの場面。ここは檀ちゃんと彼女をエスコートするしぃちゃんを見るんだ!と登場から銀橋を通り過ぎるのをずーっとオペラでロックオン。しぃちゃん、大分板についてきたよねー、と思うのは私だけ?(正直初日はちょっと足りない感があった……)
店内の場面になってからもずっと見てました。楽だし何かやってくんないかしらと思いつつ。
が。
黒タキシードの胸元に、赤いバラのコサージュ。
嶺恵斗くんが視界に入った途端、オペラを持っていかれました。
そうか。
悟ってしまった。私が今日一番見送りたいのは誰なのか。
悟ったからには潔く、ずっと見てました。かっこいいよー、かわいいよー。
1番テーブル(?)の前で格好つけるところも。真顔も笑顔も。上着の裾をひらめかせるところも。
軸のぶれる(言うな!・笑)3回ターンも愛しい。一旦上手にはける時の横顔も。
再登場して「ケンカ? やばくない?」って顔してるところも。片がついて、帰っていくお客様に「ありがとうございました」って感じで頭を下げてるところも。
緞帳が降り切るまで、ずっと見てました。
思えば私、彼を悪役キャラ認定したことはないんじゃないのかな。
初めて強く認識したのは『花のいそぎ』の良房だから。彼は敵役だったし悪役だったかもしれないけれど、悪人じゃなかった。
彼は彼なりに一生懸命でいっぱいいっぱいで、プライドと意地と完全主義に追い詰められて暴走して、挙句に取り返しのつかないことをしでかして挫折して泣く、一人の若者だったから。
そしてその後は中日王家のケペルと『DAN’ke schon』だ。わかりやすい俄かファンでごめんよ。
でも、見ることができて、好きになることができて、良かったよ。
コパカバーナの仙堂さんは、紫のドレスの胸元に白い胡蝶蘭。
でも、いつもどおり。きらきらギラギラのハンターモード(笑)。
……やっぱりやめるのウソなんじゃ(未練だ)。
中詰の歌手。恵斗くんの紫の衣装には水色の花。
初日に比べると、大分こなれてきたなあ。それに、とてもいい笑顔で。
嫉妬の場面を経て、シバ神降臨。
私はこの日、1階14列やや上手側席でした。
だから、上手で寄り添って立つトップコンビの姿が、よく見えました。
白い衣装。お互いに愛しげに笑う、幸せそうな二人。
群舞の中の歌手。仙堂さんと大河睦くんの胸には、赤い薔薇。白い衣装にひときわ映える。
睦くんの晴れがましげな表情が、微笑ましかったよ。
あっという間に大階段。時間の流れが速い。
佇む男女。
檀ちゃんは最後までコサージュを飾ったりしないまま。このショー自体が彼女のサヨナラに捧げられているようなものだから、それで良いんだろう。このデュエットダンスが彼女のための花。
檀ちゃんがやや反り気味になり、ワタさんが覆いかぶさるようにゆっくりと近づき、口付けるかと思いきや檀ちゃんのほうから抱きつく、一連の振りが好き。
短いデュエットダンスが終わり。
彼女を見送ったわたるくん。堪えかねたように踊り、しかし微笑んでかすかに頷いて。
セリに沈むその姿を、最後まで見ていた。
パレードは特に花もなく。
でも、恵斗くんと仙堂さんは並んでいるので。ともすれば周りに埋もれて見えなくなってしまいそうな仙堂さんを頑張って見つめながら、幕が閉まるまで手を叩いていた。
この後のサヨナラショーは昨日分の日記に書いたけれど。
その前にここで、組替えになるまとぶんの紹介がありました。
組長が「この場に引きずり出してみたいと思います」と呼び出して(笑)。
星組が初舞台で、組回りも星組で、それからずっと星組で、と。
寂しいけど、花組でもがんばれ。観に行くぞ(元々行くけど)。
でもまだ2ヶ月あるから、それまでは星組生です、と言ってました。うん。
退団者メッセージは殆ど憶えていないけど、睦くんが「バウの長をやったこと」を印象深いことに挙げてました。柚希バウの楽、立派なご挨拶だったのを思い出しました。
今日の芝居は、私にとっては仙堂花歩歌謡ショーでした。いやむしろサヨナラショー。
オープニングの長崎の歌が、明るく可愛らしいのに泣けて。
実は、精霊流しの場面は元々嫌いじゃなかったです。死への道行を暗示しているようで、モノトーンが不吉に美しい。(その道行が伊佐次と卯之助だって言うのが問題なんだが)
でも、先週辺りからここを見ていると、ああ、仙堂さんが行ってしまう、という気分になって。
これぎり惜しみても、送る定めなり。
千秋楽、絶唱でした。ストイックに美しかった。初日は最後の芝居で役がないことに憤慨していたけれど、これだけ聞かせてくれれば、これはこれでよかったのだろうと思います。
船の上から、ひょいっと降ろされるところが可愛くて好き。
その後はずっと下手花道を見ていました。その前を伊佐次が走りすぎようと卯之助が走りすぎようと、構わずに。(でも長崎同心の皆様は見た←ダイナシ)
色々あるけど、それなりに通ったさ。
6.5回(ショーのみが1回あるので)+新公。やっぱり「もっと見ておけば良かった」って後悔はしたくないもの。
さて、次は東宝でお会いしましょう(笑)。
既に仙堂さんも恵斗くんも入った後。
恵斗くんの白い靴、拝めなかったよ。東京でリベンジします。
でも檀ちゃんには間に合いました。白い帽子、白い服。白いシフォンの布をはぎあわせたようなふわふわ広がるスカート、細い足。
「千秋楽頑張って!」の掛け声にガッツポーズで答える。麗しくも男前。
しかし私、前回公演の千秋楽もケロさんの入りに間に合わなかったんだよな。学習しない奴だな。
ショー『ソウル・オブ・シバ!』。
ムラでは見納め。だから今日は退団者の日。
と言う訳で、赤いプロローグは下手花道の恵斗くんを見てました。
ニューヨークも群舞センターの恵斗くんを見てました。
レディ・ダイスが出てくるシーン、ここ2回ほど見ているとワタさんが後ろから恵斗くんの腰を抱えて(セクハラ・笑)、そして押しのけてダイスさんの握手をゲットしてました。楽はどうするのかと思ったら、何と脚の間をくぐって出てきたよ! そりゃあの長い脚ならくぐるのも簡単だろうけど。
いつも握手してもらえない恵斗氏。楽くらいはと思ったけど、ダメでしたね(笑)。
靴磨きの場面、いつも「でかいね!」のところいきなりワタさんしゃがみ込み。「小さいね!」そうきたか! 靴磨き代はとうこさん渡さず「いくら?」「お心のままに」「じゃ片方しか磨いてもらってないからこれだけ」とかやってました。
タップ合戦(楽しいー!)が終わりレーク君アカデミーへ。仙堂さんの右手首に黄色い花輪を見て、ああ、そうかと。
……可愛いなあ、仙堂さん。
紅くんから帽子を取り上げるところ、今日は「あっ!」とあらぬほうを指差しその隙に奪ってました。
クラブの場面。ここは檀ちゃんと彼女をエスコートするしぃちゃんを見るんだ!と登場から銀橋を通り過ぎるのをずーっとオペラでロックオン。しぃちゃん、大分板についてきたよねー、と思うのは私だけ?(正直初日はちょっと足りない感があった……)
店内の場面になってからもずっと見てました。楽だし何かやってくんないかしらと思いつつ。
が。
黒タキシードの胸元に、赤いバラのコサージュ。
嶺恵斗くんが視界に入った途端、オペラを持っていかれました。
そうか。
悟ってしまった。私が今日一番見送りたいのは誰なのか。
悟ったからには潔く、ずっと見てました。かっこいいよー、かわいいよー。
1番テーブル(?)の前で格好つけるところも。真顔も笑顔も。上着の裾をひらめかせるところも。
軸のぶれる(言うな!・笑)3回ターンも愛しい。一旦上手にはける時の横顔も。
再登場して「ケンカ? やばくない?」って顔してるところも。片がついて、帰っていくお客様に「ありがとうございました」って感じで頭を下げてるところも。
緞帳が降り切るまで、ずっと見てました。
思えば私、彼を悪役キャラ認定したことはないんじゃないのかな。
初めて強く認識したのは『花のいそぎ』の良房だから。彼は敵役だったし悪役だったかもしれないけれど、悪人じゃなかった。
彼は彼なりに一生懸命でいっぱいいっぱいで、プライドと意地と完全主義に追い詰められて暴走して、挙句に取り返しのつかないことをしでかして挫折して泣く、一人の若者だったから。
そしてその後は中日王家のケペルと『DAN’ke schon』だ。わかりやすい俄かファンでごめんよ。
でも、見ることができて、好きになることができて、良かったよ。
コパカバーナの仙堂さんは、紫のドレスの胸元に白い胡蝶蘭。
でも、いつもどおり。きらきらギラギラのハンターモード(笑)。
……やっぱりやめるのウソなんじゃ(未練だ)。
中詰の歌手。恵斗くんの紫の衣装には水色の花。
初日に比べると、大分こなれてきたなあ。それに、とてもいい笑顔で。
嫉妬の場面を経て、シバ神降臨。
私はこの日、1階14列やや上手側席でした。
だから、上手で寄り添って立つトップコンビの姿が、よく見えました。
白い衣装。お互いに愛しげに笑う、幸せそうな二人。
群舞の中の歌手。仙堂さんと大河睦くんの胸には、赤い薔薇。白い衣装にひときわ映える。
睦くんの晴れがましげな表情が、微笑ましかったよ。
あっという間に大階段。時間の流れが速い。
佇む男女。
檀ちゃんは最後までコサージュを飾ったりしないまま。このショー自体が彼女のサヨナラに捧げられているようなものだから、それで良いんだろう。このデュエットダンスが彼女のための花。
檀ちゃんがやや反り気味になり、ワタさんが覆いかぶさるようにゆっくりと近づき、口付けるかと思いきや檀ちゃんのほうから抱きつく、一連の振りが好き。
短いデュエットダンスが終わり。
彼女を見送ったわたるくん。堪えかねたように踊り、しかし微笑んでかすかに頷いて。
セリに沈むその姿を、最後まで見ていた。
パレードは特に花もなく。
でも、恵斗くんと仙堂さんは並んでいるので。ともすれば周りに埋もれて見えなくなってしまいそうな仙堂さんを頑張って見つめながら、幕が閉まるまで手を叩いていた。
この後のサヨナラショーは昨日分の日記に書いたけれど。
その前にここで、組替えになるまとぶんの紹介がありました。
組長が「この場に引きずり出してみたいと思います」と呼び出して(笑)。
星組が初舞台で、組回りも星組で、それからずっと星組で、と。
寂しいけど、花組でもがんばれ。観に行くぞ(元々行くけど)。
でもまだ2ヶ月あるから、それまでは星組生です、と言ってました。うん。
退団者メッセージは殆ど憶えていないけど、睦くんが「バウの長をやったこと」を印象深いことに挙げてました。柚希バウの楽、立派なご挨拶だったのを思い出しました。
今日の芝居は、私にとっては仙堂花歩歌謡ショーでした。いやむしろサヨナラショー。
オープニングの長崎の歌が、明るく可愛らしいのに泣けて。
実は、精霊流しの場面は元々嫌いじゃなかったです。死への道行を暗示しているようで、モノトーンが不吉に美しい。(その道行が伊佐次と卯之助だって言うのが問題なんだが)
でも、先週辺りからここを見ていると、ああ、仙堂さんが行ってしまう、という気分になって。
これぎり惜しみても、送る定めなり。
千秋楽、絶唱でした。ストイックに美しかった。初日は最後の芝居で役がないことに憤慨していたけれど、これだけ聞かせてくれれば、これはこれでよかったのだろうと思います。
船の上から、ひょいっと降ろされるところが可愛くて好き。
その後はずっと下手花道を見ていました。その前を伊佐次が走りすぎようと卯之助が走りすぎようと、構わずに。(でも長崎同心の皆様は見た←ダイナシ)
色々あるけど、それなりに通ったさ。
6.5回(ショーのみが1回あるので)+新公。やっぱり「もっと見ておけば良かった」って後悔はしたくないもの。
さて、次は東宝でお会いしましょう(笑)。
サヨナラの儀式(星組大劇千秋楽)
2005年6月20日 宝塚ムラで一日過ごして家に帰ると、ここがどこだかわからなくなります。夢の国からまだ戻りきれてないよ。
何はともあれ、千秋楽。
色々あって記憶がぼろぼろですが、まずはサヨナラショー。
間違っているところが多々あると思います。雪・月組時代の曲は全然知らないので、後でわかったら訂正・追記します。
幕が開くと大階段に檀れい一人。赤いドレスの上から、楊貴妃の衣装の薄物を羽織った姿で、中国語の歌。
階段を下りて薄物を脱ぎ去り「それはファラオの娘だから」。娘役選抜メンバーと。取り囲む娘役は皆黒いドレス。うめ・となみが対。うめちゃんは大劇・東宝も中日も女官としてアムネリス様にお仕えしていたなあ。
続いて『ドルチェ・ヴィータ!』から、大階段のスパニッシュの曲「La Pioggia」。娘役勢揃い、檀ちゃんを挟んでうめ・かのちかだった場面、ちかちゃんのかわりにとなみちゃんで。
娘役たちがはけて、代わりに登場した黒燕尾のまとぶんとデュエット。ここも知らない曲。最後、まとぶんが檀ちゃんの手を取り甲に口付けていたのが印象的でした。実はこの二人で『椿姫』やったらはまるだろうなーと思っていた私としては、その片鱗を見せてもらったようで。
次いで、しぃ・すずみん・れおんを中心とした男役群舞を従えて。ここ、しぃちゃんが登場して檀ちゃんと二人オペラに収まる位置関係だったのでそのままオペラを覗いていたら、気がついたら勢揃いになってました(しぃちゃんの優しい笑顔に見とれてたらしいですよこの人)。
曲名は知らない、パワフルな歌。そして本舞台に男役たちを残したまま、ひとり銀橋で歌う檀ちゃん。
一旦檀ちゃんは去り、雰囲気が変わって『タカラヅカ絢爛』主題歌。嶺、仙堂、大河、美琴の退団者4人。紫のスーツ&ドレスで銀橋渡り。
うわーすごいうれしい! このショー大好きだったし、この歌も大好きだし、4人が楽しそうだし! 藤井君ありがとー!(私的泣き笑いの第一波)
本舞台に檀ちゃんが、先ほどとは違う赤いドレスで現れる。コート風の、ヴェルヴェットの質感のドレス。
トド様とデュエット。これも曲名知らず。
トド様と入れ替わりにとうこさん。『うたかたの恋』。
そして登場するのは、相手役・湖月わたる。
手を取り合い歌うのは『風と共に去りぬ』から「二つの手」。
初めて相手役として共演した作品の歌。この手を離さないで、と夫婦愛の歌。
初めての歌、最後のステージ、最後のデュエット。
ラストソングは「あなたに会いたい」。
ミュージックサロン『Dan’ke schon!』のために河村隆一が書き下ろし、最後に歌われた曲。
もう行かなくちゃ、という歌。もう一度あなたに会いたい、という歌。
ひとり、白いドレスで。
そして黒燕尾の男役、黒いドレスの娘役たちが舞台を埋め、彼女に唱和する。
決意も鮮やかに、美しく、別れの曲。
舞台中央に立つ檀れいの姿を、湖月わたるが、背後から優しい目で見ている。
組長が読み上げた退団者からのメッセージを、私は殆ど憶えていない。
ただ、どの人にも「やめようと思った時期もあった」「楽しいことより苦しいことの方が多かった」のような言葉があって、そうなのか、と。
そんな事々を乗り越えて見せてくれている華、見せてくれている夢に。
心からの感謝と敬意をこめて、ありがとう、と。
(余談ですが組長は終始女役で通してました。サヨナラショーも黒いドレス姿)
いよいよ退団者が袴姿で大階段を下りてくる。
美琴さなえちゃん。ピンクの花籠はガーベラ? 組み合わせるタイプのかわいい花籠を持って、にこにこして、とても可愛らしくて。
大河睦くん。ご挨拶はともかく、その後結構うるうるしていた。同期からのお花はみらんくん。
仙堂花歩ちゃん。名前を呼ばれて、はい、という返事がいつものイメージどおりの元気な声で。同期のお花はとなみちゃん。組からは普通に持つタイプで、同期からは髪に挿すものだったけれど、ちゃんと挿せるかちょっとはらはらした(ちゃんとできました)。
嶺恵斗くん。晴れやかな笑顔で。
同期からのお花は、すずみん。
すずみんはずーっと泣きっぱなしでした。前回の楽も泣いてたけど、それ以上じゃないだろうか。同期の恵斗くんも、バウや新公で相手役だった仙堂さんもいるし。
でも、そんなにボロボロに泣いているのに、お花を渡すときは、ちゃんと笑顔でした。
ライトが当たっていないときは眉はハの字口はへの字、あごまで伝う涙を時折手で拭っているのに、スポットライトを浴びるときはちゃんと微笑んでいる。
偉いと言うか、可愛いと言うか。
受け取る恵斗くんは、すがすがしい、本当にいい笑顔で。一点の曇りも涙もなく。
檀れい様。いつもながらの美貌とオトコマエ。
同期からはますみさん、組からはワタさん。
挨拶があり、カーテンコールがあり。
何度目かのカーテンコールで幕が開くと、舞台には退団者5人のみ。
目配せして、一歩前に出て。
マイク無しの生声で。
「宝塚が大好きです!」
そうか、大好きか。
大好きなのに、行っちゃうんだ。
行っちゃうのに、大好きでいてくれるんだ。
……うわーん(私的落涙ポイント第二波)。
その次に幕が開いて、再び退団者5人のみ。
檀ちゃんが「星組のみなさーん」と呼ぶ。わらわら出てくるみんな。
ありがとうございました、で幕。
それで、最後だった。
一度立ち上がったけれど、もう一度座席に座りなおした。
混んでいたからというのもあるけれど、もう少しこの空間を味わっていたかったので。
人の波が切れてから、出口に向かった。
緑野さん「み」さんと合流して、退団者が出てくるのを待つ。
割と無口になっていた私は「み」さんに「どうしたんですか?」と聞かれた。
「どうしたもこうしたもないでしょう! サヨナラショーがあって退団者がいる千秋楽ですよ!」と頭の悪い返事をする。でもそうとしか言いようがない。
さなえちゃんは、素顔化粧もとても愛らしかった。
睦くんもとてもきれいで。さらさらの髪が風になびいて。退団者らしくさわやかな笑顔で。
仙堂さんも、きらきらと可愛らしかった。きちんとまとめた髪、くりっとした瞳。そして笑顔。
恵斗くんは、舞台と変わらず晴れやかな笑顔だった。
あーもう仕方ないよ、そんなにすっきりした顔をされちゃあ。と勝手にぼやく私。
そして、檀ちゃん。
後ろ髪を下ろして、すっきりとした姿。背筋を伸ばし凛として歩いてくる。
会の人たちの前で立ち止まる。
「きれいな檀ちゃんも、男前な檀ちゃんも、可愛い檀ちゃんも、大好きです。一番星は檀ちゃんの笑顔です」みたいな言葉(不正確)を、「男前」のところでは苦笑しつつ、聞いていた。
会の方々が薔薇の花びらを檀ちゃんに向けて撒く。紅と白のシャワー。
用意された車は黒いオープンカー。白い薔薇で埋め尽くされた後部座席に座る。この演出に全然負けていない、まさにトップ娘役。いや空前絶後檀れい様。
そして、かの美しい人は、手を振って去っていった。
次いでワタさんの出を見送る。ベージュのスーツ姿、相変わらず男前。
楽屋口の方へ。「み」さんは帰るし緑野さんたちは宝ホに行くと言うが、私はちょっと出待ちをすると言って一旦別れた。
まだ居てくれる人たちの姿を、見たくなったので。
緑野さんと合流して夕飯、帰宅。
そして今これを書いている。
サヨナラを消化するには、泣いて感情を整理することが必要。
だから、儀式があるんだろう。
今日でひとつ終って。次は東京で。
何はともあれ、千秋楽。
色々あって記憶がぼろぼろですが、まずはサヨナラショー。
間違っているところが多々あると思います。雪・月組時代の曲は全然知らないので、後でわかったら訂正・追記します。
幕が開くと大階段に檀れい一人。赤いドレスの上から、楊貴妃の衣装の薄物を羽織った姿で、中国語の歌。
階段を下りて薄物を脱ぎ去り「それはファラオの娘だから」。娘役選抜メンバーと。取り囲む娘役は皆黒いドレス。うめ・となみが対。うめちゃんは大劇・東宝も中日も女官としてアムネリス様にお仕えしていたなあ。
続いて『ドルチェ・ヴィータ!』から、大階段のスパニッシュの曲「La Pioggia」。娘役勢揃い、檀ちゃんを挟んでうめ・かのちかだった場面、ちかちゃんのかわりにとなみちゃんで。
娘役たちがはけて、代わりに登場した黒燕尾のまとぶんとデュエット。ここも知らない曲。最後、まとぶんが檀ちゃんの手を取り甲に口付けていたのが印象的でした。実はこの二人で『椿姫』やったらはまるだろうなーと思っていた私としては、その片鱗を見せてもらったようで。
次いで、しぃ・すずみん・れおんを中心とした男役群舞を従えて。ここ、しぃちゃんが登場して檀ちゃんと二人オペラに収まる位置関係だったのでそのままオペラを覗いていたら、気がついたら勢揃いになってました(しぃちゃんの優しい笑顔に見とれてたらしいですよこの人)。
曲名は知らない、パワフルな歌。そして本舞台に男役たちを残したまま、ひとり銀橋で歌う檀ちゃん。
一旦檀ちゃんは去り、雰囲気が変わって『タカラヅカ絢爛』主題歌。嶺、仙堂、大河、美琴の退団者4人。紫のスーツ&ドレスで銀橋渡り。
うわーすごいうれしい! このショー大好きだったし、この歌も大好きだし、4人が楽しそうだし! 藤井君ありがとー!(私的泣き笑いの第一波)
本舞台に檀ちゃんが、先ほどとは違う赤いドレスで現れる。コート風の、ヴェルヴェットの質感のドレス。
トド様とデュエット。これも曲名知らず。
トド様と入れ替わりにとうこさん。『うたかたの恋』。
そして登場するのは、相手役・湖月わたる。
手を取り合い歌うのは『風と共に去りぬ』から「二つの手」。
初めて相手役として共演した作品の歌。この手を離さないで、と夫婦愛の歌。
初めての歌、最後のステージ、最後のデュエット。
ラストソングは「あなたに会いたい」。
ミュージックサロン『Dan’ke schon!』のために河村隆一が書き下ろし、最後に歌われた曲。
もう行かなくちゃ、という歌。もう一度あなたに会いたい、という歌。
ひとり、白いドレスで。
そして黒燕尾の男役、黒いドレスの娘役たちが舞台を埋め、彼女に唱和する。
決意も鮮やかに、美しく、別れの曲。
舞台中央に立つ檀れいの姿を、湖月わたるが、背後から優しい目で見ている。
組長が読み上げた退団者からのメッセージを、私は殆ど憶えていない。
ただ、どの人にも「やめようと思った時期もあった」「楽しいことより苦しいことの方が多かった」のような言葉があって、そうなのか、と。
そんな事々を乗り越えて見せてくれている華、見せてくれている夢に。
心からの感謝と敬意をこめて、ありがとう、と。
(余談ですが組長は終始女役で通してました。サヨナラショーも黒いドレス姿)
いよいよ退団者が袴姿で大階段を下りてくる。
美琴さなえちゃん。ピンクの花籠はガーベラ? 組み合わせるタイプのかわいい花籠を持って、にこにこして、とても可愛らしくて。
大河睦くん。ご挨拶はともかく、その後結構うるうるしていた。同期からのお花はみらんくん。
仙堂花歩ちゃん。名前を呼ばれて、はい、という返事がいつものイメージどおりの元気な声で。同期のお花はとなみちゃん。組からは普通に持つタイプで、同期からは髪に挿すものだったけれど、ちゃんと挿せるかちょっとはらはらした(ちゃんとできました)。
嶺恵斗くん。晴れやかな笑顔で。
同期からのお花は、すずみん。
すずみんはずーっと泣きっぱなしでした。前回の楽も泣いてたけど、それ以上じゃないだろうか。同期の恵斗くんも、バウや新公で相手役だった仙堂さんもいるし。
でも、そんなにボロボロに泣いているのに、お花を渡すときは、ちゃんと笑顔でした。
ライトが当たっていないときは眉はハの字口はへの字、あごまで伝う涙を時折手で拭っているのに、スポットライトを浴びるときはちゃんと微笑んでいる。
偉いと言うか、可愛いと言うか。
受け取る恵斗くんは、すがすがしい、本当にいい笑顔で。一点の曇りも涙もなく。
檀れい様。いつもながらの美貌とオトコマエ。
同期からはますみさん、組からはワタさん。
挨拶があり、カーテンコールがあり。
何度目かのカーテンコールで幕が開くと、舞台には退団者5人のみ。
目配せして、一歩前に出て。
マイク無しの生声で。
「宝塚が大好きです!」
そうか、大好きか。
大好きなのに、行っちゃうんだ。
行っちゃうのに、大好きでいてくれるんだ。
……うわーん(私的落涙ポイント第二波)。
その次に幕が開いて、再び退団者5人のみ。
檀ちゃんが「星組のみなさーん」と呼ぶ。わらわら出てくるみんな。
ありがとうございました、で幕。
それで、最後だった。
一度立ち上がったけれど、もう一度座席に座りなおした。
混んでいたからというのもあるけれど、もう少しこの空間を味わっていたかったので。
人の波が切れてから、出口に向かった。
緑野さん「み」さんと合流して、退団者が出てくるのを待つ。
割と無口になっていた私は「み」さんに「どうしたんですか?」と聞かれた。
「どうしたもこうしたもないでしょう! サヨナラショーがあって退団者がいる千秋楽ですよ!」と頭の悪い返事をする。でもそうとしか言いようがない。
さなえちゃんは、素顔化粧もとても愛らしかった。
睦くんもとてもきれいで。さらさらの髪が風になびいて。退団者らしくさわやかな笑顔で。
仙堂さんも、きらきらと可愛らしかった。きちんとまとめた髪、くりっとした瞳。そして笑顔。
恵斗くんは、舞台と変わらず晴れやかな笑顔だった。
あーもう仕方ないよ、そんなにすっきりした顔をされちゃあ。と勝手にぼやく私。
そして、檀ちゃん。
後ろ髪を下ろして、すっきりとした姿。背筋を伸ばし凛として歩いてくる。
会の人たちの前で立ち止まる。
「きれいな檀ちゃんも、男前な檀ちゃんも、可愛い檀ちゃんも、大好きです。一番星は檀ちゃんの笑顔です」みたいな言葉(不正確)を、「男前」のところでは苦笑しつつ、聞いていた。
会の方々が薔薇の花びらを檀ちゃんに向けて撒く。紅と白のシャワー。
用意された車は黒いオープンカー。白い薔薇で埋め尽くされた後部座席に座る。この演出に全然負けていない、まさにトップ娘役。いや空前絶後檀れい様。
そして、かの美しい人は、手を振って去っていった。
次いでワタさんの出を見送る。ベージュのスーツ姿、相変わらず男前。
楽屋口の方へ。「み」さんは帰るし緑野さんたちは宝ホに行くと言うが、私はちょっと出待ちをすると言って一旦別れた。
まだ居てくれる人たちの姿を、見たくなったので。
緑野さんと合流して夕飯、帰宅。
そして今これを書いている。
サヨナラを消化するには、泣いて感情を整理することが必要。
だから、儀式があるんだろう。
今日でひとつ終って。次は東京で。