「僕は此の鐘を撞くまいと思う。何うだ」
「うむ、打つな。お百合さんのために打つな」

現実世界の主要人物、晃・百合・学圓。
人外度と言うか魔界度と言うか現実離れ度で並べると、晃>百合>学圓に見えた。
物語的には多分、百合>晃のはず。けれど、役者の個性の問題でそう見えるんだと思う。
晃の萬斎氏は流石の存在感で周囲から浮き上がった感じで素敵だった(褒めてます)。語り部(鏡花)もやっているのだけれど、素晴らしい声で作品世界を形作っている。
百合は、「凄いまでに美しい」と語られる美女。年齢を聞かれて「忘れました」と答えない場面があるが、そのやりとりは彼女が夜叉ヶ池を源とする水を日々飲むがゆえに年を取らないのではと想像させる。それは台詞だけではなく、檀れいのほのかな魔性ゆえで。

二人に対して学圓の小林氏は、どこかつかみ所の無い飄々とした男。役割的には、山里に分け入り夜叉ヶ池の物語を聞く、観客の視点なのだろうか。

その、学圓の印象的な台詞がある。
クライマックス。村人に追い詰められ百合は自害し、晃の腕の中で果てる。時は丁度丑三時。鐘を撞かねばならない刻限。晃は学圓に問いかける。
「僕は此の鐘を撞くまいと思う。何うだ」
学圓は答える。
「うむ、打つな。お百合さんのために打つな」

この答え方が、私には何も考えていないように響いた。
撞かなければどうなるか。一円の村々は水に沈み、夥しい人命が奪われる。しかし学圓の頭にはそんなものはなく、ただ百合の不憫さと友人の無念を慮るのみ。
その、馬鹿と言うか朴訥と言うか……純粋で真っ白な応えに、思いがけず胸を衝かれた。
そうか。晃と百合は二柱の神。
そして学圓は神を識る者。その純朴さゆえに神と交感する力を持つ者。

プログラムを見ると、学圓の台詞の前に(沈思の後)と書いてあるんですよ。
でも、実際の舞台では全然沈思してませんでした。間髪入れずに答えてました。少なくとも私にはそう聞こえた。
学圓が飄々と朴訥でピュアな人間だったのも、小林十市氏という役者の個性なのかなあ。この一言ですごく私好みのキャラに映ったんですが(笑)。
思えば、白いスーツ、白いパナマ帽子も、キャラクタを表現する衣装だったのかとも思えたりして。

主題歌にはケチをつけましたが、後からでもメロディが頭を回ることを考えると、いい曲ではあったのかなあと思ったり。
あと東京公演では村人達が出てきても誰も笑わなかったそうです(パクちゃん、るなこさんに教えていただきました。ありがとうございます)。
ほっとしました。やはり関西だけの現象だったのか。

***

そんなこんなで女優・檀れいのスタートを見た夜、帰りに通った阪急梅田駅の大画面に去年の博多座公演映像が映っていて、思わず見入ってしまったり。
……そして「この話ワタ檀瞳子でできるじゃん!」と思いついてちょっと寂しくなってしまったり(晃=ワタさん。立ち回りと、命に掛けても恋は売らん!の啖呵は迫力あるぞ。学圓=トウコさん。飄々としてちょっとうさんくさい大学教授。今の髪型で)。

何はともあれ、また檀ちゃんの舞台を見られますように。
『夜叉ヶ池』観て参りました。
ええ、檀ちゃんを見るために。

久しぶりの檀ちゃんは、相変わらず綺麗でした。
素顔化粧で舞台に立っているのがちょっと違和感。でも美しい。
そして声。ああ、この声が好きだ。また聞けて嬉しい。泉鏡花の時代がかった日本語の台詞が耳に心地よい。
季節は夏。白っぽい着物に後ろでひとつに結った黒髪が、楚々としつつしっとりとあでやかで。
役名は百合。村里離れた鐘楼近くに住まう孤独で薄幸な美女。夫だけが頼りで、彼が村を去る不安に常にどこか怯えているような、儚い女性。
そして、愛する夫が自分を守るため傷つくのを見て、自ら喉を鎌でかき切って自害する、強く激しい女性。

と、まあこれだけで終ってもいいんですが(笑)、全体の感想なども。

第一部は、日舞と、半能『石橋(しゃっきょう)』。
すみません。私は西欧かぶれでそっちの素養が無い人間なもので。終始うつらうつらとしてしまいました。お恥ずかしい。

そして第二部『夜叉ヶ池』。

越前の国三国岳の麓の夜叉ヶ池。その側に住む鐘撞き男・萩原晃(野村萬斎)と妻の百合(檀れい)。晃は伯爵家の嫡男だったが、先代の鐘撞きの遺言により、また百合に心惹かれたため、龍神との盟約である日に三度の鐘を撞いて暮らす。そこへ旧友の京都帝大教授・山澤学圓(小林十市)が訪れる。二人は龍神が棲むという夜叉ヶ池を見に出かける。
夜叉ヶ池の龍神・白雪姫(梅若六郎)は千蛇ヶ池の公達と恋仲だが、盟約に縛られ逢いに行くことができない。強大な龍神が動けば里は水底に沈み人間は皆死んでしまうのだ。萬年姥(英太郎)は人間は古い盟約を忘れている、誓いを破るのはもうすぐと白雪を諭す。
その言葉どおり鐘の盟約を迷信と軽んじる村人達が、雨乞いの贄として拉致しようと百合を襲う。百合を守ろうとする晃、学圓。
そして、ついに盟約は終る。

晃・百合・学圓らの現実世界は現代劇、白雪姫たちの棲む霊界は能・狂言、と演じ分けて表現。
これはなかなか面白かった。確かに、現代劇と対比することによって白雪とその眷属が異形のものであることが明白に映る。またその中に新派女形を置いたことで、能に慣れていない人にも「全然わからない」とはならない。

うん、発想は面白いし、それなりに成功しているとは思う。
でも、どうも私には「芝居」というより「イベント」に見えた。
最初、新作を作って役者を集めたのに何故大阪と東京1公演ずつしかやらないのか、と思ったけれど、実際観てそういうものかと納得してしまった。

現代パートの出演者は様々な分野から多士済々。
言わずと知れた狂言界のプリンス、野村萬斎。
元宝塚トップ娘役でこれが退団後の初舞台となる、檀れい。
バレエダンサーから役者に転進して間もない、小林十市。
そして、村人達には桂南光をはじめとする落語会の人々。

豪華です。
でも、豪華なのだけれど、とりあえず並べてみました、という感じ。キャスティングの意図がわからないというか演技の質がかみ合っていないというか。

野村萬斎氏は、野村萬斎でした。
現代劇と言うにはやや様式性の残った芝居で、最初は「何だか周りから浮いてるなあ」と違和感。
が、クライマックスで百合を贄にと奪おうとする村人達を恫喝する迫力、怒りをもって朗々と理を語る圧倒的な存在感に、ああ、それでいいのかと。
主役として舞台を支えきったのを観て、下手に周りとあわせて持ち味を殺しても仕方がないなと納得。一人で全部持って行きました。

檀ちゃんは、宝塚の演技のまんまでした。
嬉しかったけど。あの声、あの台詞、あのからからとした笑い声が聞けて。
最後、晃の腕の中で死ぬところは泣けた。自分を見つめる晃の頬に手を添えて、ご無事で、と言い残して、儚く。
……いや、その「相手」が本物の男性であるところについ違和感を覚えちゃったんですけどね。村の男達が捕えて縛り上げるのを見て「檀ちゃんに何てことを!」とか思っちゃったんですけどね(苦笑)。
卒業後第一作、まだまだ見る方が慣れないらしい。台詞が様式的な修辞のためか、宝塚時代と変わらない演技のせいもあると思うけれど。

小林十市氏。私、この人の舞台見てました。丁度去年の今頃『エリザベス・レックス』。
そのときの感想。
台詞が一本調子と言うか演技のテンションがずっと同じと言うか、大根?
でも、きれいだ。とても美しい男。
そして何よりその存在感。
何故か追ってしまう。目が離せない。
1年ぶりに見た小林氏は、相変わらず端正で存在感がありました。
そしてお芝居は……去年よりは上手くなっているのかな。何と言うか、普通でした。

この主要3人の演技のベクトルが全然合っていない。いや、それぞれ魅力的ではあるのだけれど。
そういうのって普通演出家が調整するんじゃ、と思ってスタッフを見ると。構成・総演出=梅若六郎、演出=中村一徳、とあり。
推測するに、梅若六郎氏は能の世界の人だから、現代劇の演技にはあまり口を出さないのかな。自分も主役格の白雪をやっているからそれほど暇じゃないかもしれないし。
で、中村一徳氏。うーん、先入観で失礼ながら、やはりあまり何もしなかったんじゃないかなあと。

出演者はそれぞれにベストを尽くしたのではないかと思います。
それに、ラスト。いかにも俗物な村人達の中で、この3人の美しさが際立つこと。
龍神との盟約を守り、里を村を守る晃と百合、そしてその二人を理解し「二柱の神」と表現する学圓。
雨乞いの儀式にかこつけて村一番の美女を裸に晒したいだけの下卑た連中に対して、精神の美醜まで表すような、残酷なまでの対比。
それだけでこのキャスティングには価値があるのかなと思いました。

村人、神主や代議士は落語家さんだそうです。私は不明にして存じませんが、知っている人にとっては見ただけで笑える人らしいです。
でも、出てきただけで笑いが起こると言うのはどうなんだろう。
だって、笑うところじゃないのに。俗物で何も見えていない群集が悲劇を引きおこす、カタストロフの引鉄なのに。
見ただけで笑えるほど有名な人だったら、出演者が悪いのでも笑った人が悪いのでもなく、ミスキャストだと思います。
(東京でもやはり客は笑うんだろうか?)

また、主題歌も疑問。
BIG BELLという男性ユニットの作だそうで、メロウなJ-POP。
正直、作品と合わないと思う。歌詞は近世歌謡『雲井弄斎』だそうですが。
更にこれ、幕開きで彼らがスポットライト浴びて歌っちゃうんです。普通の現代の格好で。霊界とも大正時代の日本とも違う。
興が醒めると思ったのは私だけでしょうか。
これも、彼らが悪いのではなく、頼んだ方の問題だと思う。

余談ですがこの歌、劇中で百合が歌います。しかもそれを聴いて荒れ狂う白雪が心を鎮めると言う重要な場面。
えーと、宝塚時代に檀ちゃんの歌を下手だと感じたことはあまり無かったんですが、正直手に汗握りました。
ま、まあ、声は綺麗だし、多少たどたどしいのも夫を慕う真情の表現と言う感じでいいかな、いいと思ってくれるかなと(苦笑)。

と言う訳で私にとっては色々微妙な公演でしたが、美しい人たちを見られたし、最後野村萬斎氏のおかげでいいもん見た気になれたし、まあ楽しかったかなと。あ、舞台美術・照明は美しかったです。
檀ちゃんの姿も見られたし。これからも活躍を楽しみにしています。

注:ネットをさまよったら評判は良いようなので、私の好みの問題かもしれません。
ヴェルディ『スティッフェリオ』観て参りました。
観たのは10/23。日本初演ということで、この作品自体初見。
指揮:若杉弘、演出:鈴木敬介、装置:イタロ・グラッシ、衣裳:スティーヴ・アルメリーギ。
合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル、東京オペラシンガーズ。管弦楽:京都市交響楽団。

すごいものを観ました。登場人物の苦悩と葛藤に魂を揺さぶられる迫力のドラマ。
牧師の妻の不倫話なんて地味な話かと思った私が愚かでした。ヴェルディ先生に失礼。
最大のドラマはいつも、人の心の中に。

マイナーなオペラなのであらすじ。

【1幕】
19世紀初頭ドイツ。布教の旅から戻った牧師スティッフェリオ。が、妻リーナの浮気の疑いが。取り合わないスティッフェリオだが、リーナが結婚指輪をしていないことに気づく。追求するスティッフェリオをリーナの父スタンカーが止める。リーナの不倫相手はラッファエーレ。スタンカーはそれを娘婿に隠して自分で決着をつけようとしていた。
帰還を祝う信徒達が集まる中、嫉妬と疑惑に己を抑えきれないスティッフェリオ。騒然となる信徒達。
【2幕】
教会の墓地。後悔しているリーナにラッファエーレが駆け落ちを持ちかける。拒絶するリーナ。スタンカーが現れラッファエーレに決闘を申し込む。のらりくらり逃れようとするラッファエーレだが、生まれを侮辱され剣を抜く。そこへスティッフェリオが現れて牧師として決闘を止めるが、ラッファエーレが妻の相手と知ってしまい、怒りを爆発させる。しかし年長の牧師ヨルグが聖職者としての勤めを説いて彼を止める。スティッフェリオは苦悩のあまりその場に崩れ落ちる。
【3幕】
ラッファエーレに逃げられ汚名をそそぐことができなくなったスタンカーは自殺しようとするが、ラッファエーレが見つかったと聞いて歓喜する。スティッフェリオはラッファエーレに、リーナが自由になったらどうするかと聞き、隣室で待たせる。
スティッフェリオはリーナに離婚届を渡す。リーナは驚き拒否するが、彼女の言葉に耳を貸そうとしない夫に、ついに自分も署名する。しかし、夫としてではなく牧師として私の訴えを聞いてくれ、と懇願し、スティッフェリオへの愛を告げる。ラッファエーレは逃げ出すが、スタンカーに殺される。
教会。惑乱しているスティッフェリオはそれでも牧師として信徒達に説教をしなければならない。教会にはリーナとスタンカーの姿も。聖書を開いたスティッフェリオはその頁を読み上げる。姦婦を許したキリストの説話。「彼女は赦された」と繰り返すスティッフェリオ。

重い話です。
が、どろどろしないのは、主要人物=スティッフェリオ、リーナ、スタンカーの真面目さゆえだと思います。
義務を重んじ、名誉を重んじ、相手を誠実に愛する真っ当な人たち。真面目で真摯であればこそその苦悩も深い。いい加減な人間であればそれほどに悩まないだろうに。

家柄を重んじ、娘をそして娘婿を誇りに思っていた元軍人のスタンカー。
それゆえラッファエーレへの怒りは激しく憎しみは深く、娘リーナに対しても絶望を隠さない。それでも自害を覚悟したアリアでは娘への愛を吐露せずにはいられない。名誉を重んじる彼にとっては娘は赦すべからざる存在であるはずなのに。

夫を愛しているのに過ちを犯してしまったリーナ。
まさしく、彼女にとってラッファエーレとのことは過ちに過ぎなかったのだろう。が、それは恐らく彼女が寂しかったから。立派な牧師として認められしばしば長い布教の旅に出る夫との生活は、彼女にとって時に寂しいものだった。でも、彼にふさわしい立派な妻であろうとした彼女には言えなかった。最後の最後、夫と妻でなくなって初めて、彼女は本心を吐露する。私はあなたを愛していたのに、それを知っていてくれていたのかと。

そして、スティッフェリオ。
神に仕え信徒を導く者としての責務と、自分を裏切った妻とその相手への怒りという個人的感情の間で葛藤し苦悩する。恐らくはその妥協点として、妻をこれ以上責めず離婚して自由にする、そのかわり目の前から消えろ、という解決策を選んだのだと思う。しかし、その妻に本心をぶつけられ、彼女の心を理解していなかったことを思い知り、呆然とする。

そして彼は、半ば自失したまま開いた聖書に赦しの言葉を見る。

正直な感想を述べると。スティッフェリオは牧師としてリーナを許したけれど、夫として妻を赦したかどうかは微妙に見えました。
今回の演出では、最後「その女は赦された」と繰り返すスティッフェリオに、感極まった様子のリーナが手を伸ばすけれど。
二人の手が触れ合うことはなかったので。

2幕の最後も、苦悩に耐え切れず崩れ落ちるスティッフェリオに、リーナは手を差し伸べるけれど、触れられない。苦悩する彼をいたわりたいのに、罪を犯し苦悩の元凶である自分にはできない。そのリーナの苦悩。
そして3幕最後もまだ、二人は触れ合うことができない。
もちろん、いつか赦しあう日が来るかもしれない、とは思うけれど。

真面目で誠実に人生に向き合う人々。
その真面目さの裏打ちは倫理。倫理と個人的感情の狭間で葛藤し苦悩する。オペラに良くある、個人的感情のままに突っ走る恋愛物語ではない、ある意味抑制された大人の物語。
そしてその倫理の根拠に、神の存在がある。神の存在が彼らの倫理を支えている。
だから、苦悩の果てに神の啓示がある。それだけ悩んだことへの報いとして。逆に言うと、たまたま開いた聖書の頁を神の言葉と受け取ることができるのは、それだけ悩んだ後だからかもしれない。

神様がいる世界って、どんな感じなんだろう。
私はごく一般的な日本人で、そういう神を実感することが無いので、そう思う。
もっとも、イタリア人であるヴェルディがドイツのプロテスタントの牧師が主人公のこの作品を作ったのは、カトリック下の退廃を憂えたからではないか、と演出の鈴木氏は推測している(プログラムより)。もしかしたら19世紀人ヴェルディにとっても、神の存在を意識し誠実に苦悩するこのオペラの世界は、身近に存在しないファンタジーだったのかもしれない。

ヴェルディの音楽は、圧巻でした。
各幕の幕切れ、それぞれの激しい感情を表現する表現力、緊迫感。
3幕とも、オテロの2幕や椿姫の2幕の最後に比肩するような盛り上がり、圧倒的な力を見せる。
もちろん、それは演奏したソリスト、合唱、オーケストラ、指揮の若杉氏の成果でもあるのだろう。拍手。

セットは簡潔で写実的で美しかった。衣装は重厚。やや重々しすぎる印象も受けましたが、それもこの話には合っていた。

歌手陣も皆素晴らしかったです。
特に、スティッフェリオ=中鉢聡。
この人最初ヴィジュアル系で売り出してましたが、本領は熱くて濃くてくどい歌唱と演技ですよね? 本当に気絶してしまうんじゃないかと思うほどの苦悩ぶりだった。本来この役はもう少し年長の設定かもしれませんが、でも役に入りきっている感じに持っていかれました。中音域は申し分なく張りも迫力もあるのに対して、高音域がちょっと物足りなかったかな。
暑苦しさはラテン系のテノールにも負けていない人なので、これからもイタリアものでどんどん聞いてみたいです。
リーナ=横山恵子も、大人の複雑なヒロインを好演。
スタンカー=折江忠道も元軍人ゆえのある意味融通のきかなさが出ていました。
あと、ヨルグ=田島達也、いい声でした。
たかこさんが来年7月2日付の退団を発表されました。
私はそのことについて多くを語る言葉を持ちませんが、その日まで敬意を持ってお見送りしたいと思います。
思うのはたかちゃんファンの友人のこと。
力になれるのは友会入力くらいしかないけれど。

***

メールフォームからご指摘くださった方、ありがとうございます。昨日の日記はこっそり直しておきました。お恥ずかしい。(ベルばらの時間軸に文句をつけられる立場ではない。とほほ)
もしかしてダイアリーで書いている方ですか? だとしたら、ひそかにいつも読ませていただいております。今後ともよろしくお願いします。
しかし「誰も読んでないよねー」と思っていると構ってもらえる今日この頃、有難い反面見透かされている感じが(苦笑)。姿勢を正しております。

***

緑野さん、オヅキの『美の旅人たち』ありますよ。ビデオで3倍なので画質悪いですが、他に誰もいなかったらどうぞ。
「干し鯵が好き」と嬉しそうなオヅキ君がツボだ(笑)。
つーか私は「鯵の干物」と通常呼んでますが。干し鯵……ちょっと違和感。でもお店の札もそう書いてあったし、一般的なんでしょうか。

北海道一泊二日。

2005年10月24日 日常
北海道一泊二日。
写真はモエレ沼公園(『美の旅人たち』涼紫央ロケ地)。ガラスのピラミッド「HIDAMARI」。

今回の遠征でテンションがおかしかったのは、千秋楽と言うだけでなく「北海道行くぞー!」と言うので盛り上がっていたせいだと思われます。
と言う訳で、ちょっと脱線して旅行記録。興味の無い方(大半だと思いますが)はスルーしてください。
北海道は何年ぶりだろう。あれはフランスW杯の年だから1998年、と言うことはもう7年も前だ。

【10月21日(金)】
・始バスで家を出る。電車とバスを乗り継ぎ空港へ。途中の乗り物ではひたすら熟睡。前の晩は興奮と明日寝坊して飛行機乗れなかったら洒落にならんという心配であまり眠れなかったので(馬鹿)。
・伊丹空港。そういえばお腹すいたとピザーラへついふらふらと。朝からピザのモーニングセットに手を出す。
・8:10伊丹発、10:00千歳着。飛行機の中でも熟睡。10時に着いてしまって、東京行くのと変わらないじゃん、と言うことに気づく。
・エアポート快速で札幌へ。景色を楽しもうと思ったのに電車の中でもまた熟睡。駄目過ぎ。
・11時頃札幌駅着。2時の開演まで時間があるので、かーこさんおすすめのJRタワー展望台へ。駅直結で便利。北海道の展望台と言うとテレビ塔が有名ですが、こっちはもっと高く、完全ガラス張りで外界と遮断。ランドマークタワーとマリンタワーみたいなものか(横浜の話です)。
・展望台は景色もよく、和む音楽も流れていて、厚生年金会館はどっちかな、等と思いつつしばしまったり。ここ、トイレもすごかったです。窓から外が見えて、高級ホテルのバスルームみたいでした。
・12時ちょっと前にランチのため移動。建物の外に出て呆然。「暑い…」
・駅前の電光掲示板によると、21.5度ある。おかしい、ガイドブックによると10月の平均気温は12度くらいのはず。昨日見た天気予報でも14度くらいのはず。
・きっとあの人たちが来ているからこんなに暑くなっちゃったんだ、と納得する(違)。上着が重い。
・回転寿司とっぴーエスタ店へ。ここもかーこさんに教えていただきました。
・食べたもの。220円×2(うに、アトランティックサーモン)、120円×5(いか、サーモン親子、ほたて、いわし、さんま)。ネタが大きくて感動。サーモンとほたてとさんまが絶品。特にさんま。
・しかしいい加減食べ過ぎたので徒歩で厚生年金会館へ。途中、時計台、赤レンガ庁舎など観光スポットを横目で見つつ。
・歩いているとやたらと虫が多いことに気づく。小さい羽虫がいっぱい飛んでいて、服やカバンに付くのは勿論、うっかりすると目に入りそうになる。小さくて弱い虫だから服に付いたのを払おうとすると死んでしまって羽根が衣類に付着して困る。つーかびびる(虫は苦手)。
 後でかーこさんに聞いたところ、この虫は雪虫と言ってこれが大量発生するともうすぐ雪が降るのだそうです。そう言えばなんだか青白くて雪のイメージが。いわれを聞くと何だか可愛くも思えます、と言った私ですが、翌日のモエレ沼公園で大量の雪虫に襲われパニックに陥り、こわいよー、もう二度とこの時期に札幌には来ないよー、と一瞬思いました。
・厚生年金会館着。とりあえず余ったチケットをさばく。買い手市場でしたが出ているチケットの中では比較的良席だったため割とすぐにさばけました。しかし慣れていないせいか予想外のことを言われることも。「私の持っている2階席と交換してくれませんか」ってそれありえないから(手持ちは1階席)。
・昼公演の後サトリさん達に速報を入れて夜公演。幕間にかーこさんにお会いする。この前会ったのは博多座でしたね。そして「一人で来たんですか!?」と驚かれる。いや、誰も付き合ってくれないし(苦笑)。
・終演後かーこさんと従姉妹さんに食事に連れて行っていただく。ジンギスカンのお店。タレにつけて食べるタイプは初めて。美味しかったです。地ビール?も美味しかった(あまり、いや殆ど飲めないのが心から残念)。
・11時半頃店を出て、タクシーでホテルへ。札幌はタクシーがたくさんいるなあ。ホテルは温泉つき。滑り込みセーフで入浴可能でした。LANも完備でメール書いたり日記アップしたりしているうちに夜も更ける。

【10月22日(土)】
・だらだら寝坊してホテルの朝食。バイキング。いつもは取らないイカの塩辛をチョイスするのは北海道だから(笑)。ヨーグルトも美味しかったです。
・10時頃出発。天気は小雨。とりあえず近くの中島公園へ。明治13年建築の洋館・豊平館見学。いや、こーゆーの好きなんですよ。昔は藤森照信の建築探偵とか好きで読んでたし。白とブルーに赤い星の外観の堂々としつつどこかメルヘンな感じに戸惑いつつ中に入ると、内部は重厚かつ瀟洒な近代建築でした。春慶塗の階段の手摺とか、シャンデリアの上にコテ絵とか、和洋折衷がいいよね。ガス灯だったと言うシャンデリアもお洒落でうっとり。結婚式場として現役で使われているそうです。
・と言う訳でうっかり予想外に長居。地下鉄とバスを乗り継ぎ本日のメインイベント、モエレ沼公園へ。そう、すずみんロケ地ですよ。
・東豊線環状通東駅からバスで約20分。ついたら雨が止んでラッキー。13時から噴水との掲示を見て、よくわからんが急いでその「海の噴水」へ。
・……すげー。
・いや、本当にすごかった。噴水なんですけど、40分のプログラムなんですよ。しゅわしゅわ湧き出していたのが巨大な水柱となったのを見てぽかーんと口を開けて見上げる。25mあるそうで。白い龍が襲い掛かってくるようだった。それが低くなり嵐の海のように荒れ狂い噴水が水で満たされ、やがて水が引いて静かになるまでの40分間。面白かった。楽しかった。
・そうこうしているうちに晴れてきました。やった。そうか、今札幌には太陽来てるもんね(注:実は既に千駄ヶ谷に居たようです)。
・ロケで映っていたテトラマウンドにぺたぺた触り(冷たい)、プレイマウンテンに登る。山は2つあるんですがこっちは30m。もうひとつのモエレ山は62mだそうで、見るからにパス。番組でもどっちか登ると言ってプレイマウンテンにしていたのを納得しました。
・空が高くて青くて大変気持ちよかったです。広い空間はいいなあ、北海道万歳。
・公園では2時間ほどだらだら過ごす。途中ソフトクリームなど買い食いした後、バスと地下鉄を乗り継ぎ再び札幌駅へ。
・駅の地下街(ぼるつパセオ店)で遅い昼ご飯にスープカレー(20日昼公演のアドリブネタ)。ドライカレー+スープカレーのちょっと変形版? 結構辛い。でもとても美味しゅうございました。
・ちょっと早めに空港へ。着いたら私の乗る予定の便はオーバーブッキングで席が足りないそうで慌てて手続き。早めに着いてよかった。いや、千歳に一泊して翌朝出発とか名古屋着後新幹線とかに振り替えればお金がもらえたらしいんですが、さすがにそれはちょっと。
・晩御飯用に海鮮丼弁当(ウニイクラカニ)購入。食べてばっかりだな(苦笑)。
・無事出発し無事伊丹着。家の最寄り駅に着いたら、何故か北海道並みに寒かった(呆然)。寒波が来ていたらしいです。
・帰ってお茶入れて海鮮弁当食べて(美味しかった)、旅行おしまい。

と言う訳で、観劇以外も堪能した北海道旅行でした。満足。
ダブルヘッダー。と言う訳で、当然、ベルばらも2回見ました。
虚心で観てきます、と20日には書きましたが、結果。

……私はどうも、ベルばらは流して見る癖がすっかりついてしまったようです。
矛盾しまくりの説明台詞とか、メルシー伯とフェルゼンのやりとりとか、グスタフ三世とフェルゼンのやりとりとか、耳には届いているけど、全く聞いちゃいねえ。目に美しいところを「あー、きれいだなー、かっこいいなー」と愛でる、そんな見方が身体に染み付いてしまったらしい。
こんなことではいかん。不快感を軽減するための防衛本能とは言え、こんな脳味噌のしわを消していくような観劇態度では馬鹿になってしまう。いや既に馬鹿だけど、でももっと馬鹿になる。

と言う訳で、ベルばらと再び向き合うのは来年の大劇場を待ちたいと思います。

ただ、見ていて思ったのは、これって幼年向け絵本みたいだなあということ。
例えば、ガンダムの子供向け絵本で「悪いジオンをやっつけろ」みたいに原作の本質を無視して単純化しちゃうやつ。特にスウェーデン宮廷のエピソードとかに「主人公はヒーローでないとな! よし、頭の固い悪い奴らを剣で蹴散らして、王様にも認められてヒロインを助けに行くことにしよう!」みたいなノリが感じられます(でも原作あるから結局助けられないんだけど)。

あと、目に映るものをそのまま見ていればそれほど矛盾を感じないなあと思いました。アントワネットとフェルゼンの関係だって、出会いから十年以上経過していると思えばおかしいことがいっぱいあるけど、説明台詞がなければそう見えないから。18歳で出会ってまだ2,3年、20歳そこそこでらぶらぶなときにメルシー伯のお説教、なら普通に受け入れられるし。この話全体が3〜5年くらいと思えば、更に言うと時間軸を無視すれば、「いい年してその言動はおかしい」とか「10年以上留学生なんて変」というつっこみは無くなるし。と言うかそもそも創り手が時間軸を考えてないんじゃないのか?

そんな私が、それでも真面目に見てしまった人々。
例によって私の主観なので、変わったのかもしれないし、元々そうだったことを初めて気づいただけかもしれませんが。

オスカルすずみん。
いや、元々良かったんですけどね。心持ち年齢上がったかな、とか。
かわいい女の子なところと、近衛隊隊長として仕事しているところと、メリハリがついたような気がする。後者は結構凛々しい。アントワネットを諌める芝居も元々良かったけど、もっと良くなってきていた。個人的なつながりがありつつ職業人として対しているような。
面白いのは、アントワネットとなみんもこの場面、様式芝居の殻をもうちょっとではみ出せそうに見えたこと。もしかしてすずみんにひきずられてるせい?いいぞ、がんばれー。

ジェローデルしゅんくん。
こちらも、すこーし大人になった?
「近衛隊は大変だなあ」という言い方が、前に見たときは「掃除当番は面倒くさいなあ」と言う中学生のようだったのに(その比喩もどうかと)、大人っぽくなってた。
あとスウェーデンにフェルゼンを訪ねてくる場面。
テンション高! 台詞の矛盾につっこむ暇を与えまいとするような熱演でした。う、うん、それだけ突っ走ってくれれば、王妃様を救うのがオスカルの意志と言われても、何となく煙に巻かれるよ。

ベルナールゆかりくん。
いや、これ本当に私が見落としていただけなのかもしれませんが。
アントワネットとのやりとり、すげー良かったです。王妃への個人的感情(敬意と共感と同情が入り混じったような)と立場との狭間で苦しい心情が伺える、ハートのある芝居でした。
……考えたら、ゆかり君の演技を褒めたのは初めてかもしれません。ごごごめんなさい、いつもついその美貌に目が眩んでしまうせいです。

と言う訳で、あまり真剣に見る気力が無かったので、この辺で。
あ、メルフォからベルばら韓国サイトを教えてくださったしぃちゃんファンの方、ありがとうございました。とりあえずここからも貼っておきます。
http://www.2005takarazuka.co.kr/main.html

ついでに全ツ小ネタ。

・幕開きの「ごらんなさい」で客席から歓声とため息が。やっぱりきれいはきれい、なんだよね。
・客席降りでもどよめき。もっとずっとライト当てててくれた方が嬉しいんだけど、難しいのかな。
・仮面舞踏会でゆかりエレナのカップルを初めて認識。妙な薄ら寒さがこわい。冷笑のベクトルが近い気がする。

・それってどうなの。
 トイレで並んでいたら後ろでプログラムを見ている人が「アンドレ……たちきはるか?」
 ……訂正するかしまいか悩みましたが、黙ってました。でもその後「こげつわたる」とも言ってましたが、やっぱり黙ってました。
 涼紫央を読んでいる気配は無かったです。読めないんでスルーされたのかも。
北海道10/21楽日の2公演観て参りました。市川以来の約2週間ぶり。

まずは報告。
タップソロのみらんくんの衣装が変わってました。
ハンチング帽無し、上着は腰で結ばずに普通に着るスタイル。
断然この方がいいです。いや、格好いいよね、最後ステップのスピード落としてキメとか。
みらんくんと言えば、コパカバーナで糸を引くような投げキス(妙な表現ですが察してください)が強烈でした。前からやってましたっけ? 昼公演で目撃してしまい、夜公演は思わずここみらんくんピン撮りしてしまった。濃い。正しく星組男役。

他所でも出ているとは思いますが、アドリブも。

靴磨き、昼公演。
ウッディ「これで、『クマ牧場(ポーズつき)』でも行って遊んでおいで」
レーク「……クマ牧場?」
ウッディ「そう『クマ牧場(再びポーズつき)』」
場内爆笑。この間はちょっと書き表せません。
いや正直、1回目は微妙だったんですけどね。2回目駄目押しされて負けた。思わず膝叩いて笑いました私。
その後、レーク「今のおかしかったね」とベッガーたちと一緒に「『クマ牧場(3人でポーズ)』一緒に行こうー」とお金分けてました。
アカデミーの着替えでも「『クマ牧場』行きたかったなあ」って言ってました。ちなみにここでシバの妻(組長)からタオルを渡すときフェイント掛け合ってて、間に合わないかと結構はらはらしました。

夜公演。
ウッディ「足りない? じゃあ」
財布から紙幣を取り出す。かなり高額。
ウッディ「アンニョンハセヨ(客席目線で・笑)。これで韓国に行っておいで」
レーク「韓国!?」
ベッガー君たちがおねだりしてましたが、分けてあげませんでした。韓国行きはお金かかるもんねぇ。
アカデミーの着替えでは「もっと北海道に居たかったなあ」で場内拍手。

「かわいいね」は2回とも「めんこいね」でした。
ちなみに昨日昼はスープカレー、夜はカツゲンだったそうです。
かーこさんによると、地元の方にとってはカツゲンとかクマ牧場とか、何故そういう微妙な、というネタらしいです。今回北海道出身者がツアーメンバーにいないしなー(そういう問題なのか)。

それ以外では、レディ・ホワイトの握手を青空やっひーがゲットしていました。これは個人的にはちょっと……恵斗くんはサヨナラだからこそ良かったんですが。いや別に弥ひろ君に対し含むところは全くないんですが。

さて。
ここからはまたちょっと世迷いごとを。

ウッディさんにオチました。
(超今更!とか今までオチてなかったんかい、というつっこみはスルー)

いや、オチたという表現は適切でないのかもしれない。
千秋楽、レディ・ホワイトへの思いを歌いながら銀橋を渡るウッディさんを見て、このまっすぐで微笑ましいような恋心が、どうしてあの魂を蝕むほどの暗い嫉妬に変わってしまうのだろうと思うと。
胸が苦しくなった。

そのとき「魂を蝕む」という言葉が出てきたことに、我ながら驚いた。
今まで、そんな言葉であの「ジェラシー」を表現しようとは思いもよらなかったのに。むしろ、嫉妬してもまっすぐだよなー、さすがしぃちゃん、とか思ってたのに。

演じる側が変化したのかもしれないし、観る側である私の問題かもしれない。
梅田はそんな余裕なかったし、市川は前方席すぎて人を見るのでいっぱいいっぱいだったし。
21日昼公演の席、そしてそこからの視界も、思い至った理由のひとつだと思う。

ジェラシーの歌って、ある意味決意表明だよね?
その思いを「ジェラシー」と名付ける。
それが暗い感情であることも、非道な行いであることも承知の上。
地獄の門番の剣に貫かれても、マドンナの頬を黒い涙でぬらしても、構わない。
抑えきれない、噴出す血潮のままに。

それが、暗く黒いのにまっすぐでゆるぎない、正々堂々とさえ見えて、すごいなーと思っていた訳ですが。

昼公演は16列センター、1階の縦にも横にも真ん中の席で見てました。
銀橋を歌いながら渡るウッディ氏の向こう、本舞台には幸福そうなレークとホワイト。
そして、舞台奥には4人の影。
影は微動だにせず、見ている。
彼を。

何故だかそのとき、ぞっとした。

抑えきれない自分の感情を「ジェラシー」と名付け、その感情に殉ずると言語化する。
意識下の行動であれば、それは抑えきれなくてもある意味ではコントロール下に置かれる。飼いならした感情、と言ってもいい。
そして、その意識に基づき、自分の意志で決断した結果の行動。
だから、疚しさや揺らぎがない。
その明快さは、それはそれで見るものにとっては恐ろしくはあるのだけれど。

でも、銀橋を横切るウッディとその向こうの影を見て。
意志的に決断し行動したつもりでも、それでもなお意識化できない領域があるのではないか。
心の闇に巣食う無自覚の衝動。
一見明快でゆるぎないかに見える心を食い荒らし魂を侵蝕する化け物。
それが、意志と決断を歌う彼を見つめる影。
彼にはその影が見えていない。

そうか、そうだよな。
どんなに割り切っても、それほどの暗い思いが心を蝕まないはずがない。
あんなに、まっすぐで微笑ましいような恋だったのに。
「契約をしよう」
「私の相手に!」
きらめくラジオシティ。あんなに、楽しそうな夜だったのに。

……どうしよう。最後の最後にこんな重い宿題もらっても消化しきれません。理解が追いつかないよ。書きかけのSSも全部ボツだボツ。見たものに対して全然足りない(性懲りもなくまだ何か書いてたのか)。
いや、どうしようもこうしようもないんですが。多分しばらくウッディさんのことは考え続けると思います。

ついでに言うと、しぃちゃんの役に対してこちらから積極的に読みに行ってないのに一旦消化(昇華)した解釈を揺るがされたことは初めてで(何気に失礼な言い方)、とにかくゆるぎなく正しいという印象をひっくり返されたのも初めてで、そういう意味でも若干戸惑っております。

テンションを戻して小ネタ。
昼、ウッディさんの赤いスーツの右肩が白く汚れているように見えたんですね。あちゃー、と思ったら夜も白いままでした。
……誰か教えてあげてください。

上げたり下げたり忙しいですが。
妙な思い込み読み込みは別にしても、ウッディさんはやっぱり格好よかったなあと。最後だから白状するとタップ合戦で踊っているときの目を伏せた表情がたまらなく大好きです。ここ本当に格好いい。レーク君ワタさんと並んで、それぞれ、ツナギの踊り方とタキシードの踊り方で、キメの感じとかそれぞれに素敵だなあと。(それ衣装がそうだからそう見えるだけなんじゃ?)
でもクラブではNo.1ホストレーク君にオペラをもぎ取られます。恋煩いのウッディ氏を見ようとしてもふっと視界に入れちゃうと戻ってこられなくなったことが幾度。
考えたら私、大劇版でここのワタさんロクに見てないんですよね。恵斗くんピン撮りしてたからなー。全ツがあってよかった。(投げキスとウインクと獰猛な色気のある目線にめろめろ腰砕け)
でもそれ以外は全然見れてません。みんなあちこちで小芝居やっているはずなのに。マルチアングルDVD希望(無理)。

※私的には「ジェラシー」のマドンナは、レディ・ホワイトです。勿論。(全体的にわかりにくい文章書いてるのにそこだけ解説しても無駄)
※「影」は、一人一人の視線とか表情とかまでは見てません。そこまで見切れない。全体の佇まいのみで語ってます。失礼。

千秋楽。
ご挨拶の後、上から色とりどりのハート型の風船が大量に降ってきました。
出演者にとってもサプライズだったらしく、みんなはしゃぐはしゃぐ。完全に素ですよね皆さん。
床に落ちた風船を「私の気持ちでーす!」と客席に投げようとするワタさん。軽いから空気抵抗に負けるし、銀橋もあるんだから無理だって。でかい羽根背負ってるから動きも制限されるし。ああ、でも、羽根の存在を忘れて普通に動けると思っている(しかもそれなりに動けてる)ところが、大変ステキでした。
もう1回が開いたときは、皆両手に風船を持っていて。再度投げてみるワタさん。どうみても無理なのに真似して投げるとなみちゃん、そして、絶対無理だよねー、という感じて全く投げる気配なく両手に持ってにこにこしているしぃちゃんが、もう、楽しいっつーか可愛いっつーか。
もう1回、今度はワタさんが真ん中に一人いて、呼ぶと両側から出てくる組子の皆様。
ありがとうございましたー!と幕。

英真組長のご挨拶は、梅田から14箇所約1ヶ月かけて回ってまいりました、と、各地のお客様の暖かさに感謝を述べ、専科のまやさんに感謝を述べ、韓国公演も行ってまいります、と。
ワタさんも、各地のお客様、そしてスタッフの皆様への感謝を。客席の皆様からたくさんしあわせをいただきました、と。
やだなあ、しあわせをもらっているのはこっちだよ(いやあんたに言った訳じゃないから)。
カーテンコールでは、テンション高く「皆様お楽しみいただけましたかー!」と何度も。マイク音量が不足気味で、そんな状況で拍手の中声を張り上げて潰さないでね、とちょっと心配しつつ、でも気持ちよくスタンディングしてきました。
パレードが踊りながら幕が下りる終わり方なので、あの、『タカラヅカ絢爛』を髣髴とさせるノリでした。
楽しかったー。

ご挨拶と言えば。
大きい羽根を背負ったしぃちゃん、客席にお辞儀するとき確実に90度以上は曲げてる、よね。羽根の角度が半端じゃないんですけど。終演後にかーこさんとその従姉妹さんにつっこまれましたが。と言うか「腰痛めないんですかね?」と心配されましたが。
ワタさんと銀橋でご挨拶するところは、梅芸から市川の間に大分こなれて自然になってたけど。初日・楽以外はそう何度も客席にお辞儀しないんで気にしてなかったけど。やっぱりなんか、ちょっと変わってるっつーか慣れてないっつーか(苦笑)。
でも、センターのワタさんも、毎回ナイアガラが上下に往復してるしな。それはそれでいいのか。
……と言うか、正直に白状すると、そんな二人が並んでお辞儀している姿は私的に大変ツボでした。すげーありえねー、とか言いながら、多分めちゃくちゃ笑顔で見ていたと思います。
至福でした

あとこれは書き残しておかねば。

北海道厚生年金会館には銀橋がありました

だから、レディ・ホワイトの歌も銀橋、その後のわたとなしぃ3人並びも銀橋、ジェラシーの歌も銀橋。
ついでにすずみんの中詰め(みんな客席降りしてるところ)も銀橋です。銀橋にひとり。すげー楽しそうだった。
もちろんパレードも銀橋でした。
北海道厚生年金会館グッジョブ。これだけでも札幌まで来た甲斐があったよ。

まあ、その分本舞台が遠いとも言えますが。オケがないのに銀橋だけあっても間抜けとも言えますが。
ちなみに芝居では「愛の面影」と「アン・ドゥ・トロワ」しか銀橋使ってませんでしたが。まあ、それ以上使いようがないのか。

あと褒めた後で落として申し訳ないが、音響が良くなかったです。
昼公演で全体的に音量が小さすぎてつらかった。夜は若干大きくなっていたけれど、それでもまだ足りなかった。昨日も見たと言うかーこさんによると、昨日はもっと小さくてショーでは殆ど無音になってしまう場面もあったとか。
色々大変なんだとは思いますが、でも頼みますよー。星組は歌がアレだと言われているのが、余計に荒が目立つじゃないか(泣)。そんな状況でもみんな負けずに頑張ってましたが。

終演後は出待ち。みんなタクシーで通り過ぎるだけですが、ワタさん、となみちゃん、しぃちゃんは確認できました。ワタさんは窓から手を出して黄色い風船を振ってくれました(いやそれ危ないから)。
その後かーこさんと従姉妹さんとジンギスカン。
かーこさん、お付き合いいただいてありがとうございました。おかげさまで終演後までしあわせでした。
あ、私も楽のパレードではしぃちゃんの目線もらいましたよ、2回も(12列上手でも、こっち見たから!と言い張っておく)。
ついでに白状すると中詰ではコトコトと握手しました。図々しく手を伸ばしてすみません。でもかわいかったー、細い指だったー。

公演感想はまた後で。
先週の10/14でしたっけ? 『生活ほっとモーニング』のベルばら特集は。
50分丸々『ベルサイユのばら』。ゲスト・湖月わたる、白羽ゆり、ずーっと出演しっぱなし。
いつ撮ったんだろう。さいたま市川の前後かなあ。大変だなあ。
となみちゃんは、可愛くて品のいいお嬢さん。ワタさんは……やっぱり大きいってインパクトあるんだなあ(笑)。内田アナが身長聞いて見上げて「もてるでしょうねー」と言ったのに対し「誰にですか」と苦笑していたのが妙におかしくて印象的でした。別の番組でも思いましたが、どうも男性アナウンサー氏は微妙に対抗意識を持つように見受けられます(苦笑)。
いかにもな男役娘役で、タカラヅカ紹介としてはいいコンビだったのではないかと。

最初はわたとなデュエットで「愛あればこそ」。
ストーリー説明ではフェルゼン、アントワネット、オスカル、アンドレの写真入登場人物相関図(恋心はハートマークと矢印であらわすベタベタなやつ)を指しながら大真面目に解説するアナウンサーにいたたまれない気分になりました。特に微妙な舞台写真が。
全ツ版ダイジェストは「あー、編集するとまともな話みたいだなあー、さすがNHK」とぼーっと感心しつつモブチェック(仮面舞踏会のしぃちゃんとかな)。
ナンバー紹介でわざわざ新曲として「大変ざます」が流れるのにはぽかーんと口をあけてしまいました。あの歌い踊る貴婦人達の右下に「大変ざます」ってテロップが出るのよ、サトリさん!
お稽古場映像。フリルブラウスのすずみんオスカルのアップ。「彼女はオスカル役なのでお稽古着もそのイメージで」とワタさんご説明。ステファン人形の代わりの白いクマのぬいぐるみはワタさんの私物だそうです……。
歌のプレゼントは最後にもう一曲「愛の面影」。アントワネットを思って歌う歌、と説明があり、どんな気分ですかと聞かれて「うれしいです」と答えるとなみんが大層可愛らしかったです。

と、まあ一人で苦笑したり失笑したり脱力したり忙しく見ていた訳ですが。
一番印象に残ったのは、新曲「アン・ドゥ・トロワ」を語る湖月わたる氏。
この歌があるおかげで気持ちが盛り上がります、歌う前と歌った後では気持ちが変化しているんですよ、と。
……。
………。
そ、そうか、そうなのか。
確かに、ここで泣いてたもんな、市川。
何この新曲ー、愛の三叉路って全部自分達のための道じゃんー、とか言ってごめんなさい。
いや、でも、だがしかし。

お稽古場映像の、ボロボロ泣いているラストとコンボで、何か私のベルばらの見方は間違っていたような気分に……気分に。

恐らく、真面目に誠実に、そして愚直に役に取り組む人なのだなあと思います。
どんな芝居でも、どんな役でも。

そして、ついうっかり、私はそれに騙される。
ぶっ壊れた話のどうしようもない人物だと思っていたのが、そう見えなくなる。
玄宗は、東宝の半ばくらいで許せてしまった。卯之助は東宝千秋楽までかかった。
さてどうなるでしょうね、フェルゼン。
騙されるなら騙された方がいい。だってどっちにしても見るもん、星組の舞台でワタさんが演じているならば(苦笑)。

何故このタイミングでこんな事を書くかというと。明日また観るからです。
ええ、全ツ楽の北海道。
緑野さんとサトリちゃんに先にばらされてしまったのでカミングアウトしました(笑)。

知人一同には「わざわざ行くんですか!あのベルばらを観に!」と呆れられましたが、当然本命はシバの方ですが、でもベルばらももう一回虚心で観てきます。

しかし、流石に常軌を逸してるような気がしてきた。計画中は「私が観ないで誰が観るんだこの公演」とか行って当然な気分でしたが、この期に及んで我に帰るとやっぱりやりすぎと言うかダメ社会人と言うか。
でも行くんですけど。
つーか、今すぐにでも飛んでいきたい♪とか鼻歌が回ってるんですけど(正気じゃない)。

と言う訳で、テンションがおかしい全ツ楽前夜。
たたた大変ー!
嶺恵斗氏、以下の公演にご出演だそうです。

Jun Kanzaki 20th Anniversary PART3
Special Winter Dream『Welcome to Jubilee II』
2005年12月16日(金)〜18日(日) [予定]
築地:ブディストホール

詳しくは神崎順さんのサイトから。
http://homepage3.nifty.com/jewel_bono/
動画が多くてわかりにくいのですが、
トップから入った最初の画面上部「公演予告ムービー」、
又は下のほうの「Schedule」からどうぞ。
あ、ムービー見ないと出演者はわかりません。

……ああびっくりした。
つーかこれどういう公演だかさっぱりわからんのですけど。
行かなきゃダメだろうかやっぱり。

しかし芸名は「KEITO」なんですか(それってどうなんだろう←余計なお世話)。
天王寺の駅を降りてデジャヴ。
大阪市立美術館ってここだったんだ。関西に越してくる前、一度フェルメールのためにはるばる来たよ。あの時は長蛇の列で大変だったなあ。

今回は空いてました。最終日の前日なのに。

さて、その『ミラノ展』。たいていの展示会では用意されている出品作品一覧がありませんでした。
まあいいや公式サイト見れば出てるだろう、と思ったら、それもなかった。図録は2,000円もするし重くてかさばるから滅多に買わないのに。文字だけでいいから一覧を出してもらえると嬉しいのですが。
チラシも地味、と言うか凝らないつくりで、いまひとつ企画に力が入っていないような。それともそういうセンスなのか。

と言う訳で記憶から消えないうちに。
と言っても、一番印象に残っている「ダ・ヴィンチ的構図でラファエロ風タッチの聖母子画」のタイトルも作者もわかりません。小品でだけれど、両者のいいとこどりみたいな画風が綺麗で美しくてとても気に入ったのですが。
あと、遠くから見て「セガンティーニだ」と思って近づいたら違う人の絵で、しかも画商が高値で売れるようにセガンティーニと偽って作者を怒らせたといういわくつきの絵だったり(私も騙されたってことか)。これも印象に残っているけど作者名を憶えていない。鳥の巣を覗き込む尼さんたちの絵で、割と気になったんだけど。
そのセガンティーニの「水を飲む雄牛」は迫力がありました。目が生きている感じが。画面が(筆致が)ゴツゴツてそれが妙に鮮やかで、古い、わざと極彩色にした写真にも通じる感覚があった。
ヴェルディ先生のブロンズ頭部像があってそれも思いに沈む様子がなかなか良くて、思わずその前で姿勢を正したりしてたんですが、やはり作者名を憶えておらず。子供が見上げて「この人落ち込んでるの?」と言っていたのか微笑ましかったです。

全体的には、割と地味な展覧会でした。混んでいないのも納得。
ポスターのメイン、つまり目玉がダ・ヴィンチの素描(レダの頭部)と言うのが物語っていますな。チラシが原寸大に近いんじゃないかと思うくらいの小品だったし。
でもダ・ヴィンチらしい端正な頭部像で、これをメインにするのは正しいと思います。私は好きだ。
展覧会全体としても好きでした。ミラノの歴史を概観するような構成で、ローマ帝国時代から20世紀まで、面白かった。

……でも「ダ・ヴィンチがやってくる」というコピーに惹かれてきた人はがっかりするかもしれないと思いますが。

と言う訳で、イタリア好きの私としてはまあ満足、かな。
美術館の建物自体も気に入ったし。大理石の階段とかって、やっぱりわくわくします。
昨日発表された宙バウ出演者が豪華でびっくり。
いや、今年前半のバウを見慣れていたからかもしれないけど。でもタニ主演であひとも十七和凪って、ありえない。娘役もるいるいを筆頭に新公やバウのヒロイン経験者がずらりだし、すっしーもはっちゃんもいるし、専科さんもチャルさんと五峰さん。
バウでこの人数ちゃんと使ってくれるかどうか、ちょっと心配ですが。
それ以上に心配はチケット。私のところにまで回ってこないんじゃないだろうか。(雪バウもまだ手に入れてない人)

あとバウにもDCにも出ないらしい珠洲さんが気になります。

***

最近見たけれど感想を書いていないもの。

『ベルリンの至宝展』@神戸市立美術館(9/23)
『愛のシャガール展』@美術館「えき」KYOTO(9/30)
ベルギー王立歌劇場『ドン・ジョヴァンニ』@文化村オーチャードホール(10/8)

『ベルリン』はそのうち項目立てて書きたいです。でも無理かも。
『シャガール』は……ステンドグラスの下絵は面白かったです。あと1914年製作の絵があったことはネタとしてご報告。故郷の村。このくらい初期の地味な絵の方がどちらかと言うと好きだなあ。

『ドン・ジョヴァンニ』は、レポレッロが二枚目半の役作りで、ドン・ジョヴァンニとの関係が通常の「主人と下僕」より対等に近い感じで面白かったので、思わず脳内でヅカキャスティングしてしまいました。
ドン・ジョヴァンニ=ワタさん、レポレッロ=トウコさん、ドン・オッターヴィオ=すずみん、マゼット=礼音くん、でどうでしょう? 私的には会心の配役。(ちなみに来年梅芸シフト)
ヒロインはドンナ・エルヴィーラ=となみで(私は『ドン・ジョヴァンニ』のヒロインはエルヴィーラだと思っています)。ドンナ・アンナ=みなみ、ツェルリーナ=コトコト。又はドンナ・アンナ=コトコト、ツェルリーナ=せあらでも可。
……最大の見所はドン・オッターヴィオ@すずみんの貴族の若様っぷりかな(そこなのか)。

***

キャトルで星全ツ写真を見てきました。
最大の見所はこれもすずみんの「4枚全部オスカル」でしょう。先に噂を聞いて聞いてすげーと思ったんですが、実際見たら本当にすごかった。みわっちの博多座3枚全部ギュンターも驚いたけど、それ以上。本当にオスカルが嬉しいんだろうなあ、あんなベルばらなのに(いや写真には脚本の出来不出来は残らないから)。
全体では結構な枚数が出てました。思わず数枚買ってしまいましたが、気がついたら全部となみちゃんが写っていたのでとなみファン判定されたと思います。

と言う訳でまだまだ全ツモードでSS。
と言うかただのスケッチ。クール視点ウッディ氏。またそういう微妙なものをと言われてそうだ(苦笑)。
http://kine.nobody.jp/passion.html
近いうちにサトリさんがもっといいものを書いてくれるそうです。期待してます(笑)。

***

緑野さんへのレス。(10/13追記)

そーゆーこと聞かれても(苦笑い)。どっちも違うとしか。
でも、しぃすずみでは「萌えない」「誰も喜ばない」とばっさりだった緑野さんから、そーゆーコメントがいただけたのは快挙なのか?(笑)

あ、緑野さんのところから来た方が期待するといけないので断っておくと、かけざんじゃありませんから。私的にはたしざんですらない。ただ並べただけ。その辺りがSSでなくスケッチと言う所以(=何も書けてない)(いつもは書けているのかと言うとそれも困るが)。

***

だらだらと追記。(10/16)
もし思い違いでないなら、ここんとこ緑野さんやサトリちゃんががんがん書いている内容のきっかけは、この日記なんですよね。
いや、思い違いでなければですが。
何だか、雪の斜面で何の気なしに雪玉を転がしたらどんどん大きくなっていく様子を呆然と見送っているような心境です。(完全に腰が引けている)(ヘタレ)
星組DC公演『龍星』。
宝塚には珍しいであろう、痛々しい主人公。
傷だらけで一人ぼっちで、哀しみと痛みを抱いてそれでも立ち尽くす男。

しかし。
2回目に観て、ちょっと印象が変わった。

プロローグ。青い衣装の流星の男女が踊る。
水色の衣装の龍星=トウコさんが歌う。
正確な歌詞は覚えていないのだけれど、出会い、愛し、生きたことは忘れない、と言うような歌。
晴れやかに、すがすがしく、明るく。

これは、なんなのだろう。
この物語で描かれる龍星の半生にこの歌はそぐわない。龍星はこの歌をこんな風に歌えない。
ならば。それは、未来のことではないのだろうか。
これから起こること。生きて、出会って、愛した、生を肯定できること。
孤独と絶望に取り残されても、再びめぐるものがあるかもしれない。愛するものを見出すことがあるかもしれない。
例え死んでも星となって再び会いたいと言ったのは、霧影と花蓮だけれど。それは二人のことだけではなくて。
龍星は、生きているのだから。生きていくのだから。
いつかまた。
そして、失ってしまったものたちも、失った訳ではない。
彼は砂浬も飛雪も失ってしまったけれど、彼らと出会い、共に在ったことは、失わない。失うはずもない。
そんな思いで、愛しく歌える日が来るかもしれない。

そう思えたのも、トウコさんの力なのだろう。
絶望に沈んでも消えない生命力。消えない熱があるから。
孤独と悲痛が似合うと同時に、生命の強さも似合う人だから。

またそれは、ウメちゃんの力かもしれない。
ラスト、霧影の忘れ形見に語りかける花蓮の姿から希望が感じられたので。仇討ちのため生きるのかと思っていたのが覆されたので。
明るい未来、を垣間見ることができたので。

いや、プロローグの青い衣装は正直ちょっと微妙ですけどね。男役は格好よく見えないし娘役もあまり可愛く見えない(苦笑)。

とにかく、2回観て良かった。
初日、ぎこちなかったところがスムーズになってました。特に、砂浬を姫抱っこする龍星と、李宰相の死体を担ぎ上げる飛雪。どっちも初日は協力しているのが見えてちょっと引いて、難しいなら無理してやらなきゃいいのにと思ったんですが、自然になってた。
初日は色々あったしなあ。シリアスなシーンで音花ゆりちゃんの鬘がずれたり。

以下、主役以外のキャスト。

砂浬=南海まり
姫。
特に後半が出色。龍星への相反する思いに悩む姿、最期やっと龍星と気持ちが通い合う姿がいじらしい。「来年も、再来年も一緒に白い花を見に行きましょうね」が切ない。泣ける。
正直初日は慣れていない感があったんですが、9日はしっかりヒロインでした。歌が少なくて残念だったけど、短いソロもきれいだった。

李霧影=柚希礼音
格好いい。すげー格好いい。
だけど、私的にはちょっと薄い。
この『龍星』、書いてあるとおり演ればいい芝居じゃないと思うんですよ。ストーリーを追うのに精一杯で細かい感情の動きまで描いていないから、そこは役者が埋めなければならない。流石にトウコさんは初日からそれをやってくれている訳ですが。その辺が薄いなあと。
霧影は密偵として金に送り込まれたけれど、烏延将軍や仲間達に親しみを抱く。そして何より花蓮と恋仲になる。それを本人がどう考えているか、伝わってこなかった。「お前に殺されるなら本望だ」とか台詞はあるけど。いや本当、幸か不幸か金が滅びたからうやむやになったけど、霧影はどうするつもりだったんだろう。あまり苦悩しているようにも見えなかったし。
いや本当に格好いいんですが。場面場面で見れば全然OKなんですが。台本の隙間を埋めるまでにはまだ至ってないなあ、難しいんだろうなと。今後に期待。

花蓮=陽月華
ウメちゃんに女剣士を振るかこだまっち!
格好よかったし可愛かった。すげー、ウメすげーとひたすら感服。立ち回りでウメVSあかしがあったのが面白かったです。
でも霧影と並ぶとちゃんと可愛い女の子。これは礼音くんの大きさあればこそだけど。手を取るところも、包み込むように握っていて素敵でした。
一番ぐっときたのは、宋へ帰るという霧影に付いていくために剣で勝負を挑み、敗れてそれでも諦めきれず掴みかかるところ。必死さにやられた。演技とは思えない真剣さ。
真っ直ぐですがすがしい女の子で、良かったなあと。
ラストもウメちゃんの持ち味が救いでありコントラストでもありました。

この二人デュエットもありましたが、歌も上手くなってた。特にウメ。きれいな声だった。

飛雪=彩海早矢
初日からの変化に驚いたNo.1。
龍星の無二の忠臣、腹心の部下。
龍星に「いつも冷静なお前」と言う台詞があって、初日は客席から微妙な空気が……まあ初日なんて組ファン出演者ファンが多いから先入観もあると思うけど、それにしても無理があった。私も、冷静って言うのをやめればいいのにと思ってました。皇帝への忠義一途は十分伝わるんだからその台詞だけ変えればいい。あかしの演技を変えるよりその方が早いよ、と。
ごめんなさい見くびってました。
ちゃんと、冷静と言ってもおかしくないようになってた。熱いものを秘めた、でも主人のために冷徹を貫くお庭番。
最後の演技も、龍星が本物の龍星でないと知って、それでも生まれながらの王だと言い切る思いの強さに打たれました。
とにかく今回のあかしは格好いいです。マジ格好いいです。

烏延将軍=星原美紗緒、李宰相=磯野千尋
専科さんお二人は流石。舞台を締めてくれます。多少の脚本の荒も説得力で誤魔化してくれちゃうし(笑)。
二人とも死に様が素晴らしかったです。

阿懶=美稀千草、達懶=紅ゆずる
予想通りのニコイチデコボココンビ。小さい兄貴分とひょろ長い弟分。この二人をこう使う辺りもこだまっち恐るべし。
みきちぐが上手いのは勿論として、紅ゆずるすげーと思いました。初日からナチュラルに笑いを取っていた。ちーくんに負けてない。『それ船』の時はまだぎこちなかったのに。やはり楽屋番で鍛えられた?
後半は泣かせてくれます。大好きこの二人。

皇后=朝峰ひかり
きんさんすげー。恐いー。
いや本当に恐ろしいです皇后陛下。おさすが。
ちなみに初日挨拶はやっぱりかみまくりでした。何故だ。

李夫人=涼乃かつき
良かったです。母であり妻であるしっとりとした暖かい女性。磯野さんともお似合いでした。

鳴沙=梅園紗千
しげちゃんもよかったなあ。砂浬の侍女で、砂浬と龍星の間をさりげなく取り持とうとする心遣いがあったかくて、いい人でした。

最後に。
張允=真汐薪
この公演で退団する真汐薪くんは、きんさん皇后の弟。
…いや、この学年、このルックスで今まであまり役がつかなかったのがわかったような…ごごごめんなさい。
今となってはそれすら愛しいけどね。9日は割と良席だったので、フィナーレで近くに来るとやっぱり格好よかったです。青年館楽まで頑張って下さい。

舞台の美しさは、『天の鼓』に続いて流石。
特に、舞台上に鏡…ではないんだろうけれど鏡のようなものがあって、舞台上の人物の背中が映ったりして、秘めた思いや他の顔を持つ登場人物が多い芝居ゆえに効果的だったと思います。
龍星が見上げる赤い星の夜空の禍々しさ、霧影と花蓮が見上げる青白い星空の爽やかさの対比も良かったし、白い花びらが降る回想シーンもきれいだった。
まあ、ちょっとどこかで見た感はあちこちでありましたが。(少なくとも『睡れる月』は思い出した。金は吉野だよね・笑)
10/9(日)16時公演。
この日はトウコさんバースデーイベントがありました。席に着くと黄色いウチワが。カーテンコールで振ってくださいとメモつきで全席にセットしてありました、すごいなFC。
終演後のご挨拶、客席のウチワに驚くトウコさんに、舞台上の出演者全員からも「お誕生日おめでとうございます!」。ひゃー、サプライズ!と高い声で驚くトウコさん。でももう1回幕が上がったときは「お誕生日ありがとうございます」とウケを取る余裕。いやぁいいなあ(笑)。
この日この時間しか見られなかったからこの回に来た訳ですが、得しました。

と言う訳で『龍星』2回目にしてマイ楽。
これも、成り行きを知っていると最初から切ない話です。最低2回は観たい作品。
以下、ネタばれあり感想。

戦乱の続く中原。宋の皇帝には権力に貪欲な皇后と病弱な皇太子。
そして側室に男児が生まれる。龍星と名付けられた男児は皇后に命を狙われ、宰相はその子を守るため密かに我が子と入れ替える。
皇子龍星は皇后の陰謀で敵国・金に和平の人質として送られる。金の烏延将軍は将来密偵として送り返すべく、龍星を名も無い戦災孤児と入れ替えて育てる。
で「龍星」は結局誰なのよ?とつっこみたくなる話ですが、それこそがキモだったのかもしれない。
龍星は誰だ。誰が龍星だ。

1幕の前半は状況説明に費やされ、主人公「皇帝の息子・龍星(実は名も無き孤児)」と彼と対を成す「宰相の息子・霧影(実は皇帝の息子龍星)」が実体を持って動き出すまで、暫くかかる。
彼らが動き出すのは、皇帝が崩御し龍星が皇太子として宋に呼び戻され(=密偵として金から宋に送り込まれ)、逆に霧影が密偵として金に送り込まれてから。

皇太子として現れて初めて、龍星は台詞を発する。が、彼の心情や行動を明確にする描写は少ない。
十数年ぶりに祖国への帰還を果たした皇太子、を演じる密偵、として、ボロが出ないように、それらしく振舞っている。金を出るとき、烏延将軍に平常心であれと叩き込まれたように。
しかし。
それでも、伝わるものがある。
龍星の帰還を心から喜んで慈しんでくれる(実の息子と信じているからなのだが)李宰相やその夫人に向ける声音や眼差しに、彼がそれを喜んでいることがわかる。孤独な孤児が、自分を愛してくれる人々の出現を干天の慈雨のように受け止めていることがわかる。決して大げさな演技ではないけれど、じんわりと伝わる。
西夏からの人質である婚約者・砂浬に対しても、彼女をとても大切に思っていることがわかる。大切に思う余り、祖国が彼女を見捨てたことを告げられず、誤解させ自分を憎ませたままにしておくしかないほどに。

この龍星という男を表現できるのは、トウコさんの演技力ゆえだと思う。何もはっきりとは表現しない、わかりにくい男。彼が隠し持つ寂しさや人恋しさ、そして柔らかな魂。声の温度や表情、その瞳で、微細な感情の襞を伝えてくれる。

運命の転機は、李宰相の告白。
皇子と自分の息子を入れ替えたと語る宰相は、目の前にいるのが自分の息子では無いことを知ってしまう。何者だ、と切りかかる宰相を、龍星は我が身を守るため図らずも殺めてしまう。
瀕死の宰相を抱きかかえて狼狽する龍星が切ない。彼は宰相を救おうと懸命に人を呼ぶ。宰相が生きていては自分の立場が危うくなるというのに。
本当に好きだったんだ。自分を我が子のような眼差しで見守ってくれた、この人のことを。
しかし、宰相の口から漏れるのは呪いの言葉。
我が子と思ったから、お前を王にしたかった。どこの馬の骨とも知れぬお前にはわかるまい、どうか本物の龍星が王位につくように、と。
駆けつけた部下、飛雪は進言する。
国を裏切ったのは李宰相。貴方は人の上に立つお方です、手を汚してはなりません。

時同じくして兄皇帝が崩御し、龍星は皇帝となる。
新帝は李宰相を逆臣として誅し、一族郎党皆殺しにする。母のような眼差しを注いでくれた李夫人のことも。前皇后も粛清し、彼は君臨する。
一人、孤独に。
朕は皇帝なり、と強く言い放つ龍星の、挑むような、なのに潤んだ瞳が痛い。
彼を包むのはただ夜の空。赤い星が嗤う。

2幕、龍星は金を裏切る。
孤児だった自分が欲しかったもの−衣食住と教育、そして何より欲しかった名前を与えてくれた烏延将軍を裏切る。
皇帝の座、自分のものとなった宋のために。そして恐らくは、妃である砂浬を守るために。
血を流し、手を汚し、荒野を駆け続ける。前へ進めば進むほど、彼は独り。

それでも。
それでも、砂浬は気づきかけていたのに。
龍星が孤独な哀しみを抱えていることを。
龍星が自分を愛していることを。自分が龍星を愛していることを。
気づきかけていたのに。
ひとこと、聞けば良かったのに。
ひとこと、素直に言えばよかったのに。

運命は再び彼を訪れる。
今度の運命の使者は一人の青年。
金から生還した密偵、李霧影。
真実の龍星。
「お前だけには負けたくない」と言う偽の龍星。
二人の龍星は対峙し剣を交え、偽りの龍星は敗れる。
彼は全てを失うことを覚悟する。地位も、国も、生命も。
名前も。
記憶を失った孤児が一番欲しかったもの。ただひとつ欲しかったもの。自分の名前。自分が何者かであるという証。
彼は絶望して眼を伏せる。最後の望みは、砂浬が自分の正体を知らないまま祖国の地で幸せになってくれること、ただそれだけ。

しかし、彼の元に現れる二人の人間。
飛雪。唯一無二の部下。
「こいつが何者か知っているのか」と言う霧影の言葉を遮り、龍星に「あなたは生まれながらに人の上に立つお方です!」と言い放つ。
飛雪は知っているのだと思う。龍星に何らかの秘密があることを。それでも飛雪にとっては目の前の龍星がただひとりの皇帝。ただひとつの真実。命をかけるべき主君。
そして、砂浬。
身を挺して龍星を庇おうとする、龍星の妻。

二人の姿を認めた龍星は、微笑う。
晴れやかに、幸福そうに。
それでは、自分は独りではなかったのだ。自分を、この自分自身を愛し、認めてくれる人間がいたのだ。

それなのに。
彼は、諦めていたのに。
満足して、これで人生を終わりにできると思ったのに。

龍星を庇おうとした砂浬を霧影の剣が貫く。呆然とする霧影に飛雪が切りつけ、霧影は最期の力を振り絞って飛雪を返り討ちにする。
龍星は、全てを失う。
忠臣も、宿敵も。
愛する人も。

全てを失い、死体の転がる中、龍星は独り玉座に座る。
今度こそ、彼は独り。
再び言い放つ。朕は皇帝なり、と。
哄笑。今度こそ泣き出しそうな、でも泣かない瞳が、悲痛に輝く。
悲痛。まさに文字通り、悲しく痛い。

物語の最後は、一組の母子。
霧影が愛した女性・花蓮と、霧影の忘れ形見。
花蓮は息子に父親の残した剣を渡し、父親のことを語る。
母子は明るい瞳で空の星を見上げ、寄り添って荒野を歩いていく。

この希望を感じさせる光景が、更に追い討ちをかける。
霧影は死んだのちも暖かく思ってくれる人がいるというのに。
龍星には誰もいない。彼の孤独は果てしない。

ラスト、初見では呆然とした。
主要人物を3人、一瞬にして殺してしまうのか。
だから、最期に言葉を交わせるのは砂浬だけだ。飛雪も霧影も背景と化す。
でも、それは必要なことなんだ。一瞬にして、彼に全てを失わせるために。
彼を、独りにするために。

龍星。
ピカレスク・ロマンと呼ぶにはあまりにも痛々しい主人公。
安蘭けいにしかできない、安蘭けいのための役。
ゴッホは陰影の無い浮世絵を見て、日本は強い陽光に溢れた土地だと思い込んでいたそうです。聞きかじりなので事実かどうか知りませんが。

と言う訳で、星全ツ『ソウル・オブ・シバ!』の話。

今回全ツの、と言うかこのショーのセンターラインは、湖月−立樹−涼となる訳ですが。
初日見て思ったのは「すげー明るいラインナップだな」ということで。
いや「明るい」と言うとちょっとニュアンスが違う。
陰が無い。

元々、太陽なトップスター・ワタさんに対して、陰影があり技巧に優れた二番手トウコさんというのが、星組の布陣(但しどちらも濃くて熱い)。
今回トウコさんは不在。ドラマシティでその陰の魅力を遺憾なく発揮中。
そしてまとぶん。彼は「孤独な不良少年の翳り」を持っている人だと思うが、組替えでいなくなり。
更に礼音くんも王道的な「傷ついた少年の影」を持ち合わせた人だと思ってるんだが、DC組。

残ったのは、太陽ワタさんと、おひさましぃちゃん。そして、ミラーボールとスパンコールの輝きが似合うタカラヅカスタァすずみん(笑)。
いや、この面子だったら、一番陰があるのはワタさんだと思うんですが、真面目な話。そして4番手格のみらんくんは陰のタイプのスターなのでその渋さと言うか燻し銀が際立つなあと思ってるんですが。
となみちゃんは、魔性も秘めた美少女だと思うけれど、この布陣の中では大らかなお姫様オーラの方が出ている、と思います。

で。
私、すっごい楽しいんですけど!
このぱかーっと明るくのーてんきでハイテンションな空気が。見終わった後「楽しかった!」記憶しか残らない感覚が。もう楽しくて楽しくて楽しくて、どれだけ楽しいかを表現する言葉が無いくらい。
全ツで『シバ』のアッパードラッグ((c)サトリさん)の威力が増しているのは、この面子のせいじゃないでしょうかね。

いや、私だって陰影礼賛の日本人だし、あくまでもこれは私の好みであって、一般的なニーズは別ってことはわかってます。今回、全ツだからたまたま成立した(してしまった)んだな、ということも。
でもだからこの僥倖は享受しないとな。私が見ないで誰が見るって言うんだこの公演(笑)。

(比較すると、花組センターラインは相当陰があるんだなあ……)

と言いつつ、1週間を間を置いて観て、思ったこと。
しぃちゃんの変化。

私がワタさんのファンで、しぃちゃんのファンだから思うのかもしれないけれど。
しぃちゃん、ワタさんについてきてくれてる?

しぃちゃんは今回のショー二番手。
初日は、いっぱいいっぱい感があった。きちんとこなしてはいるけれど、それでも、こなすのが精一杯というような。
まあ、それは観ている方も同じだったんだけど。うわ、プロデューサー役やっちゃってるよ、羽根が大きいよ、どどどうしよう、って(苦笑)。
だから、精一杯だったなんていうのは、今落ち着いて振り返ってみて初めて気づくことなんだけれど。
それでも、ワタさんのファンとして見ていると、かすかな欠落感というか寂しさがあった。一人で支えてるな、誰もついてこれてないな、と言うような(いや別にアドリブのことだけじゃ無しに・笑)。

改めて思い返してそんなことに気づいたのは、市川では違っていたから。
ちゃんと、ついてきてくれてる。拮抗していると言ってもいい。トップと二番手、のような空気感。
慣れて、余裕が出てきたのだと思う。
実際、アドリブも、段取りがあるとは言え間の取り方とかはこなれてきた感じだし。パレードのときの大きな羽根を背負った姿も、ぎこちなさが抜けて堂々と落ち着いて見えた。と言うか、あの赤い衣装と赤い羽根、似合いすぎ。後ろのひらひらした布(床に着きそうな長さの燕尾みたいなやつ)すごく長くて映える。好き。
お辞儀の仕方もそれらしくなってたしね(そこが気になって気になって変わっていたのを見て思わず声を上げそうになったあたり、我ながら馬鹿)。
勿論、それはしぃちゃんだけでなく、この全ツ組全体が、慣れて余裕が出てまとまってきた、お互いにバランスが取れてきたと言うことなんだけど。
いや、でも良かったなあ。
しぃちゃんのファンとしても、ワタさんのファンとしても、星ファンとしてもうれしい。とてもうれしい。

いや、あくまでも私の主観なんで「最初から余裕あったわよ!」とか「今もいっぱいいっぱいだと思います…」とか言われても、私にはそう見えるとしか申せませんが(苦笑)。

10/2の午後市川楽は、上手前方席だったんですよ。靴磨きのアドリブが目の前。
「船橋のららぽーと行って遊んでおいで」と言い捨てて上手袖に引っ込んでしまったウッディ氏に、当惑のレーク君「こっから近いの?」
これ、客席に向かって聞いてくれまして。つまり目の前で。思わず答えそうになったところに上手袖から「15分!」とウッディ氏の声。
私、すっかり壊れてました。隣席で同じく壊れていたサトリちゃんと思わず手を取り合い声にならない嬌声。
ワタさんに話しかけられちゃったー!(壮大な勘違い)という興奮と、「15分!」の間の良さにしぃちゃんやるじゃん、すごいじゃん!という感動(…)とでぶっ壊れていたと言うのが私の見解なんですが、そういうことでOK?>サトリさん
……こんなファンだから客観的な目を持っているとは言いません。

その一方で、しぃちゃんは初日から今までとちょっと違っていたなあ、とも。梅芸で「目線もらっちゃったー」「客席釣ってたよね」と緑野さんサトリちゃんと騒ぎつつ、今までしぃちゃんってそういうことしてたっけ?と。
そういえばあんまりしない人だったんじゃないか? あの笑顔を惜しみなく客席に振りまいてはくれるけど、そういうアピールしてるのは見たこと無いなあと。
それが今回、何と言うか「スターのお仕事」をしてくれている。いや勿論今までも立派なスターさんだったけど、何か意識が変わった? 
うわーどうしよう。つーか嬉しい。
梅芸から感じていたことを市川で再確認し、更に世間様の反応を見ても間違いじゃないなと判断した上でこんな事を書いております。小心者。
実は全ツ前はひそかに常にタカラヅカスタァなすずみんと並んだら喰われちゃうんじゃないかと心配してました。杞憂だったから白状するけど(失礼な心配でしたすみません)。
が、余計な心配ついでに。これが全ツマジックで無いことを祈ります。(いや全ツは二番手だという自覚の結果でフルメンバーにも戻ったら元に戻っちゃったらどうしようかと余計な心配を)

更に。
私、今、過去最高にすずみんが好きかもしれません。
と言うか、素直にかわいく見えるんですけど。
理由のひとつは勿論オスカルですが、それだけでなくて。丁度この時期に放映された『美の旅人たち』のせいでもある。
あの番組って出演者に色々やらせるじゃないですか。
馬の鼻面撫でて無邪気に嬉しそうな様子とか、無心で轆轤回してる真剣な顔とか、素の顔がかわいい(勿論本当に素かどうかは知る由も無いが)。舞台の、男役はキザってカッコつけてなんぼ、とのギャップのおかげで「あ、意外とかわいいとこあるんだ」みたいな。
オスカルもかわいい女の子だったのは予想外だったけど、今までのイメージは違う面を見せられたのは、良かったんじゃないかと。本人にとっては計算外というかわかってないんじゃないかと思うけど。

……つーか、これじゃ全ツ楽しくてたまらないはずだよな、私(半笑)。
前回の日記を読んで、どれだけ楽しかったかは半分も伝わらない文章だなあと思いました。
でも伝わったらかえってみっともないから、ま、いいか(笑)。
(実は「ウッディさんが好きです」と言う内容で書いていたのだがあまりに妙なテンションの文章になってボツりました)

***

緑野さんの10/3日記を読んで、『ベルサイユのばら(原作)』について思い出したこと。
私、アンドレは前半の方が好きだったんだ。オスカルの幼なじみで明るい二枚目半。貴族でなく平民であるがゆえの気楽さと親しみやすさ。後半のアンドレは、妙に深刻で好きじゃなかったのだわ(←ファンに殺されるよ!)。「ニセ黒い騎士」という必然性あってのことですが、変わっちゃった髪形も好みじゃなかったし。だったらアランや、いっそジェローデルの方がいいや、ってもんで。
だからと言って別にフェルゼンも好きじゃなかったけど。それだったらルイ16世の方がよかった。妻が眩しすぎてどう話しかけたらいいか分からない、シャイで不器用で、でも心優しい錠前オタク(笑)。しかし妻を愛し、そして最後は理解する誠実な夫。
……これじゃ、ベルばらに人並みの思い入れしか持てない訳だよなあ(半笑)。
大人になってから全然読んでないんで、今読んだら少しは違う感想になるのかしら。

***

雪全ツ、バウの配役が発表になってました。
どっちも行くのにどっちもチケットがまだ無いです。星組で手一杯で。
東宝では宙が始まるんだなあ(新公見たかった)(まだ言ってる)。
『霧のミラノ』でロレンツォを救いたいと身を投げ出すフランチェスカにカールハインツが言ったオペラは、時代的にも、同じヴェルディの『椿姫』が取り上げられていることからも『イル・トロヴァトーレ』だと思うので、次に『炎にくちづけを』が上演されることに何となく因縁を感じますが、ま偶然なんでしょうな。(つーか宝塚版として生まれ変わった作品である『炎』からじゃそういう連想にはならないよな)
10/2(日)2公演観てきました。
サトリさんのおかげで超良席観劇。ありがとうサトリさん。
舞台写真が出ていたので思わずデュエットダンスのわたとなを買ってしまいました。いやいいんですよこれが。
あとキャトルで売り切れだったしぃちゃんのブックマークもご祝儀に購入。これで持っているのはワタさんのとあわせて2枚です。正直だな私。

時間が経つと忘れるのでとりあえずメモ。
自分用メモなので多分面白くないですよ(予防線)。

芝居『ベルサイユのばら』
・全体的に流して見る技を覚えたので、かなり不快感が軽減できました。
・バラの少年@ゆかり君があんまりまがまがしくなくなってた。目が慣れただけ?
・梅田と比べて、ワタさんの演技がやりすぎになっている。『アン・ドゥ・トロワ』で涙流して熱演されてもなあ。まあ仕方ないんだろうけどなあ。
・でも客席降りで近くを通ると無条件に嬉しいファンの性。
・梅田と比べて、となみんの演技がやりすぎになっている。牢獄の場面も前の方が良かったなあ。母なのです、がやりすぎてわざとらしいよなあ。まあ気持ちはわかるけどなあ。
・でも近くで見るととなみちゃんは本当に綺麗だなあ。
・みらんくんルイ16世のイッちゃってるぷりもパワーアップしている。
・すずみんオスカルもより可愛くなっちゃってるような気が。
・にしきさんブイエ将軍も芝居がかってきた。
・つまりみんなどんどんやりすぎていると言うことか(ありがち)。
・しぃちゃんアンドレ、ソロの後晴れ晴れとした全開の笑顔でなくきりっと真顔で引っ込むようになりました。多分こっちが正解な気がする。
・午後公演でゆうほ君ヨルゲン陸軍大臣が台詞をかんだ。と言うか「道ならぬ恋」で詰まって繰り返したものの次が完全に出てこなくなった。青空やっひーデュガゾンが次の台詞を続けて何とか進行、ほっとした。しかし珍しいこともあるもんだ。
・スウェーデン宮廷のしぃももかカップルは相変わらず派手できらきらしている。
・とにかく台詞の意味を追わないように、絵面だけ楽しむように心がけて観たので、あまり憶えていません(駄目じゃん)。

ショー『ソウル・オブ・シバ!』
・16時公演はテンション高かった。首都圏最後だからプチ楽モード?
・最初の赤いシバの子の場面で泣きそうになった。何故だ。
・後半の白いシバの子の場面で泣いてしまった。何故か。
・いやだってみんなの笑顔があまりにもすがすがしくて、素直に神様が降りてきて。
・隣でサトリさんも泣いていた。我々ヘンなやつら。
・靴磨きの場面、街の男女の歓声でベッガーがベンチからこける小芝居が入っている(初日から?)。
・初めてウッディさんの登場シーンから見た。そうかこの時点でレークの舞い上がりっぷりを見て微笑ってるのね。
・「かわいいね」で笑いが取れていた。
・アドリブはサトリさんが報告してくれると思います(他力本願)。
・一応メモ。12時は「ソウル・オブ・千葉」、16時は船橋ららぽーと。
・タップのシーンで再び登場するウッディさん。クール君と何をそんなに長々と話しているのか知りたい。
・クラブ、レーク君のNo.1ホストっぷりに磨きがかかっている。周りが若くなったから余計そう見えるのかなー。
・レークにモーションかけられてふらふらと立ち上がるホワイトちゃん、立ち上がり方が大人しくなってる? 梅田はやりすぎだったの?
・どうやってホワイトちゃんを誘うか考えているようなウッディさんの表情がツボ。
・午後はみらんくんのダンスソロにいつも以上の大喝采(舞台上の客席が)。ご当地イベント?
・一輝慎くんもいいが鶴美舞夕くんのアピールにも目を奪われる。でもぎんがみちゃんもキザり方が板についてきた(目移り)。
・コパカバーナ、すずみらゆかの歌のバランスが良くなってきた。みらんゆかりが頑張ってきてます。
・初日いまいちと思った白いシバの子の歌も向上している。
・しぃちゃんも歌い慣れて上手くなってきていると思う。
・(歌について私がああだこうだ書いても信用が無いかもしれないが)
・ブロードウェイメドレーラストのセンターのしぃすずみが思いの外好きだということに気づきました。タイプは違えど二人とも舞台の上にいることが楽しくてしょうがないという感じがたまらない。
・そしてみんながはけて階段に黒燕尾のワタさんがいるのを見ると、毎回「おおー」と思う(慣れてないらしい)。
・デュエットダンス、ワタさんを見ているとこの人はなんて格好いいんだろうと思う(でれでれ)
・デュエットダンス、となみんを見ているとこの子はなんて可愛いんだろうと思う(でれでれ)。
・パレード、しぃちゃんのワタさんに対するお辞儀が会釈に近くなってた!(普通の大きい羽根背負う人みたいになってた!) うわー良かったなあ。初日ごろのもあれはあれで微笑ましくてかわいかったけど。
・……本当に終始どこ見ていいかわかんない。すげー楽しい。
・結局みんな大好き。
・ショーはショーで楽しすぎてしあわせすぎて記憶が吹っ飛んでます(駄目じゃん)。

いやもう楽しかったです。ベルばら2回も見て、懲りたけど、でもショーが楽しいのでその記憶がリセットされるので全然懲りません。
リセットされすぎて馬鹿になりそうな気はするが(笑)。

帰りの新幹線、興奮しすぎたのか眠れませんでした。
そしたら近くの席から「越リュウが」「あさちゃんが」と漏れ聞える会話が。
ご同輩?(今日は雪東宝楽だったし)
やっぱりヅカファンにとって日本は狭いんだなあ。
本日は星全ツさいたま公演。
関東からの全ツベルばらに対する非難轟々阿鼻叫喚が聞えてきております。そうだよなあれはあんまりだよな。

が、関西においては『龍星』初日です。
早速行って参りました。

何と言うか、すごいものを見ました。
ある意味容赦ない悲劇。
そしてその渦の中心であり、悲劇を支えきるのは、主演・安蘭けいの存在感と演技力(含歌唱力)。ひたすら感服。
と言うか、とうこさんならでは、とうこさんでなければ成り立たない舞台だと思う。

一番心配されたこだまっちの脚本ですが、今回は壊れてません!(驚くところなのか)
つっこみどころは多々ありますが、基本的にまともです。
最後は私的には反則技ですが、これを描きたかったのなら有りだ。全然有り。
(まあこだまっちのことだから「たまたまうまくいった」のかもしれないけど←信用してない)

チケット持っている方、安心して楽しみにしてください。まだの方は是非ご用意を。

続きはまた後で書きに来ます。いやあまり遅くならないうちに書きたいです。
ちなみにあらん(みきちぐ)とだらん(紅ゆずる)はニコイチ兄弟分でした。すげー予想したとおり。つーか紅ゆずるは今からコメディ専科ですか? それはちょっと勿体無い。
ここに至って思ってしまったこと。
この人は、また取り残されるんだなあ。
手の届かないところへ行ってしまう、美しい女性に。

そしてその人は実は最初から現し世の人ではなかったのかもしれないと思えとしまうところも、また、で。
となみアントワネットの、時に、何を映しているかわからない無表情を見せる大きな瞳も、朗詠調の台詞回しすらも、現実を隔てる壁のようにすら見えてしまったので。

いや元々「長安のラストがベルばらフェルゼンとアントワネット編みたいー」と思っていたせいでもあるんですが(笑)。

ついでにフェルゼンについてもうちょい。ひとつだけ愚痴。

私がフェルゼンを見ていて一番げんなりするのは、メルシー伯のお説教に逆ギレする姿ではなく、実はその後のオスカルとのシーンです。

そりゃ、義のため国のため王妃の名誉ために別れてくれと言うメルシー伯に「あなたは身勝手で卑怯だ!」と切り返した時はさすがに顎が外れますよ。
でも、そういう人ならそれはそれでありだ。「国よりも責任よりも目の前にいる彼女の涙をぬぐうことが大切」って男は、私的にはありです。
仕事では無能で平日に「いい天気だからディズニーランドでも行こうよ」と恋人を誘っちゃうような男でも、彼女には最高の恋人であればそれは主人公としてありでしょう。(ありなのか?そもそもその例えは適切なのか?)『グイン・サーガ』ではマリウスが好きでした、と言った方が伝わるかな(可哀想な一人の少年を殺さなければ国が救われないならそんな国は滅びてしまえ、と言った人。)

でもさ。
その場合その男には「国よりも名誉よりも人の心が大事」ということを終始一貫体現して欲しいわけですよ。感情を抑えて社会を円滑に回すことは出来なくても、ナイーヴでセンシティヴで、人の心の柔らかい部分を大切にできる人間であってこそ成り立つわけですよ。

ところが全ツベルばらのフェルゼン君は、そっちも裏切ってくれちゃうのよ。
オスカルが密かに自分に思いを寄せていると知ったときのデリカシーの無さは目眩もの。いままで気づかなくてごめんねー、先に会っていたのが君だったらなあ、でも僕は君も知ってるあの彼女一筋だからさー、君のことはいい友達だと思ってるんだよ、別れても僕のことは忘れないでねー。
てなことを、相手が口をはさむ間もなくべらべら喋りまくるのはどうなのよ。
私がオスカルだったら、ここで百年の恋も冷めます。

別に、デリカシーの無い男でもいいんです。ニブい体育会系男とか、仕事はできるが恋はからっきし、と言うのは、魅力あるキャラクターとして存在しえます。
でも、常識も無く無能なモラトリアム君で、更にデリカシーが無い馬鹿ってのは、ナシだろう。例え容姿が素晴らしくても、ヒーローとしてそれは許されないだろう(勘違いキャラとしてはあり)。

と言う訳で、オスカルとのやりとりは、追い討ちをかけられるという意味で一番耐えがたいのでした。
あ、オスカルの死を知っての「可哀想に、どんなに苦しんだことだろう。あの若さで」も論外。
これ「あの若さで」が無ければ、市民側に立って戦う道を選ぶに至る苦しみを慮っているように聞えなくもないんだが。「あの若さで」が台無しにしてます。つーか君ら同い年だし。

他の出演者の話行きます。順不同。

ジェローデル(麻尋しゅん)。妙に少年ぽくてかわいくて、生徒会長のオスカル(3年生)に憧れる副会長(2年生)。という雰囲気。それがジェローデルかと言われると違いますが、全ツ版ベルばらにおいて、このオスカルの副隊長としてはありだと思います。プロバンス伯等と話す場面、しゅんくんも一言ごとに反応する細かい演技してます。かわいいです。
まだまだ小公子が似合うお年頃だもんね。

ルイ16世(大真みらん)。見る度イッちゃってるぶりに磨きがかかる恐ろしい男(笑)。ルイ16世としての出番は1場面数分で、正直みらんくんの無駄遣いなのですが、その出番で王政末期の狂気と腐敗を体現したのは流石としか。

ベルナール(綺華れい)、ロザリー(琴まりえ)。この二人も全ツ版だと、ただの「典獄とその妻」だなあ。コトコトいい演技してました。可愛らしく健気でグッジョブ。

みらゆかはアルバイトの方が美味しいかも。ゆかり君のバラの少年はマッシュルーム鬘で微笑まれても妙に恐いというか禍々しさがありましたが、仮面舞踏会とスウェーデン兵士は格好いい。スウェーデン兵、他に役のついている彼らは台詞は喋ってないんですが、ダンス(いかにも宮廷舞踊風の音楽が好き)になると前方センターに出てきて眼に嬉しい。そして何気にみらゆか+一輝慎くんの場面があって、しかも一輝くんが一番アピールしてて驚く(笑)。みらんくんは真顔。
ついでにしぃちゃんもすずみんも、モブで宮廷服姿の方が格好いいような気がするのは私だけでしょうか(何てことを)。特にしぃちゃん、衣装も派手だしすげー目立つんですけど(笑)。スウェーデンではももかさんと組んでめちゃ派手なカップルです。と言うかももかさんのリアクションが派手です。愛を貫くと言うフェルゼンに感激していちいち反応する様子が激しすぎ(ほめてます)。中日王家の伝令の死に嘆き悲しむももかさんを思い出しました。実はこの場面芝居の内容に耐えられずにももかさんピン撮りしている私はわたるファン失格でしょうか。いや役者が悪いわけじゃ無いんだ、無いんだが…。

さて話題騒然の新曲、フェルゼン派とオスカル派に分かれて「大変ざます」と歌い踊る貴婦人達。初見は失笑しましたが今となっては作品屈指の楽しいシーンです(それもどうかと)。従来のオヤジギャグと金切り声の芝居よりずっと楽しい。当然大劇でも入るんですよね、パワーアップして。「○○、○○、わたくしの○○ー!」はどこかの会が楽の出とかでやってくれないかなと思います。あ、貴婦人達に取り巻かれて困惑する涼オスカルも見たかったけど。
濃くてくどい星娘達に一人混じって奮闘の美城れんくん、全然負けてない、と言うかなじんでてすごい(笑)。そうか、男役を入れたのは低音がほしかったのね。ドレスさばきも初日はさすがにちょっと下手かなと思いましたが、段々差がなくなってきました。もっともそれは周りの娘役達がやりすぎて動きが激しくなってはしたなくなってきたせいもあるかも(ほめてますってば)。

スウェーデン組。謎の下僕デュガゾン(青空弥ひろ)の特に何もしてないのにうさんくさい佇まいがすごく面白い。ヨルゲンの前では忠実な手下になっちゃうのも面白い。ヨルゲン陸軍大臣の祐穂さとるも手堅く安心して見られるなあと。ここやってることが馬鹿馬鹿しいので馬鹿っぽく見えちゃうのが気の毒ですが。

柚美さんはフェルゼンの姉(お姉様でなく姉上と呼んでほしい)よりも、モブの貴婦人姿が美しくて良かったです。黒髪でドレス着てきりっとしていると、エリザベートの肖像画に似てるよね。
英真組長もスウェーデン国王よりも、仮面舞踏会の貴族が面白かった。センターに反応する芝居が濃いよなー。

ふありの女官長は出番は少ないけどお固そうででも可愛くて素敵でした。あとコトコトも可愛かったなあ。

毬乃ゆいちゃん、仮面舞踏会では歌手として素晴らしい歌を聞かせてくれました。男役4人に囲まれて歌う姿は堂々たる歌姫。

……何だ結構楽しんでるんじゃないか(いつものこと)。
25日昼公演は上手席。
「私も叶わぬ恋をしている」と言うオスカルがちょうど正面。
そのとき、
「かわいいっ」
背後の客席に思わず呟いた人が。
いや、うん、可愛いですよ。

作品の駄目さばかり語っても気が滅入るんで、キャラの話をします。
「宿命の出会いをする二人の女性」オスカルとアントワネット。
いや、幕開きでフェルゼンがそう言ってるし。しかし最初は回想シーンから始まっているのに気がついたら現在進行形になっちゃってて、構成がぐずぐずですこの話。

前にも書いたけれど、途中までヒロインはオスカルに見える。
アントワネットと踊るフェルゼンにくってかかったと思えば、そのフェルゼンの予想外に潔い態度にときめいたり。
プロバンス伯には所詮女となじられ、アントワネットには女心がわからないと責められつつ、国家を守るとはどういうことか、自分のなすべき道はと思い悩んだり。
恋をしたり生き方を模索したり、大忙しです。
いや、その生真面目で乙女な様子は思春期の少女にも見えるんだけど。
青臭くて面映くなるけど、可愛い。

可愛いのは、脚本の書かれ方だけでなく、すずみんの演技のおかげでもあると思ってます。
表現がきめこまやかで、現代的。ひとつひとつの状況、台詞に丁寧に反応し、大芝居ではなく現代感覚で演技しているのね。
だから、わかりやすいと言うか、共感しやすいんだな。

しかし。
これは、すずみんの意図した結果なんだろうか。
いや、もっと「宝塚スタァ・涼紫央」として、バリバリ男装の麗人でくると予想していたもので。思いの外健気で可憐なオスカル、と言うか涼さんに、ちょっと戸惑っております。

意外と台本に忠実な手堅い芝居をする人なのかな。
今までショーでのイメージから、アピール過多(いい意味で)な人だと思っていたけれど、実は脚本と演出家の指示に忠実に、きちんと作ってくる人なんだな、と思いました。
思い返せば『それでも船は行く』のジョニー・ケイスもそんな感じ(ウィンクはやたら飛ばしてたけど)(オスカルもマント翻すことは忘れてないけど)。

あと、可愛く見えるのは相手役?のせいもあるかもしれない。わたるフェルゼンとしぃアンドレでは、どっちと並んでも小柄で華奢に見えるよな。

さて、そのアンドレ。
しぃちゃん、予想通りでした。大きくて暖かくて、真っ直ぐな愛に溢れていて。
全ツ版でオスカルとアンドレが絡むのは1シーンだけ。「フランスは自分はこれでいいのだろうか」と悩むオスカルに「痛々しいぞ」とか言っちゃうシーン。
ここのアンドレ、台詞だけ聞いていると結構ひどいです。オスカルは世間知らずのお嬢なりに真剣に悩んでいるのに、全然真面目に取り合ってない。「お前が悩んでも仕方ないだろう」って茶化しているだけで。
でも、うっかり聞き流してしまうのは、そこに愛があるからで。
オスカルのことが好きで、大切でたまらないとという根本動機が見えるからで。
「愛がなければどんな言葉も心を打たない」というような言葉がありますが、その逆。で、オスカルの方もそれをわかってるんだよな。

アンドレにくってかかろうとして小石につまづいたオスカルをアンドレが支え、更にムキになったオスカルがアンドレを追いかけて退場するシーンは、何十年前の少女漫画だ、って感じです。だって「(アンドレ)はははっ」「(オスカル)待てー!」だよ?25日は緞帳の向こうから最後「もぉーっ!」て声が聞えた。幻聴? もしかしたら「このー!」だったかもしれないが、いやそれにしても。

大変可愛らしいバカップルでございました。いやこれがオスカルとアンドレかと言われると困っちゃうんだけど。でもそれ以前に、これがベルばらかって時点で壊れてるからなあ……。(やはり一から作り直し希望)
ちなみにこの二人なら今宵一夜はナシで「平和になったら結婚しよう」とか言うんじゃないの?と言うことでサトリさんと意見の一致を見ました。

さて、本来のヒロイン、マリー・アントワネット。
…壊れている作品ってセンターほど被害甚大。

となみちゃん、わっかのドレスに負けない美貌、立ち姿のゴージャスさは素晴らしいです。
しかし。
アントワネットの出番は最初の仮面舞踏会、フェルゼンとの逢引と別れ、最後の牢獄。
最後の牢獄はいい。
しかし、それまでは、ただのわがままお嬢、いや奥方? 政略結婚させられた我が身を嘆き、フェルゼンと別れなければならない我が身を嘆いているだけ。周囲も何も見えていない。
アントワネットの見せ場である「フランスの女王なのです」が無いのが辛い。
後、演技なんですが。
となみちゃんが一番大時代的で様式的な朗誦風台詞回しと言うのは、どういうことなんだろう。
『花供養』の時とそっくりだから、多分植田氏の趣味なんだろうと思うけれど。でも、もうちょっと普通にやっても罰は当たらないと思う、と言うかその方がいい。周囲から浮いてる。
もっと普通にやっちゃえよ、やらせてあげなよ。
過去の作品を見ても、普通に品のあるお芝居ができる人なんだから。

そして(多分)主人公、フェルゼン。
…やっぱり壊れている作品ってセンターほど被害甚大。
それでも豪華な衣装をとっかえひっかえ出てきてくれるだけ、『長崎』よりマシかな。

フェルゼンもアントワネットも人格があるように見えません。
物語の都合でふらふら動かされて、その場その場で適当な台詞を言わされている人形みたいだ。
いや、熱演なんだけど。脚本がアレだから、熱演されるほど冷めるのね。
特にそれが顕著なのが、メルシー伯に説得されるシーン。
まやさんもワタさんも実に熱演です。でもね、間違ったことを真剣に訴えられても、格好悪くて白けるだけです。

元々、フェルゼンが主役というところに多少の無理があるのだと思う。
9/25の日記で「フェルゼンの屋敷とスウェーデン王宮をカットして、替わりにバスティーユと「フランスの女王なのです」を入れてください」と書いたけれど、これだとフェルゼンの出番が減るんだよね。
更に、宝塚のベルばらではフェルゼンの格好いいシーンはそもそも描かれていないし。
昔に読んだきりの記憶ですが、原作でフェルゼンが格好いいのは、
・仮面舞踏会の出会い。お忍びのアントワネットを割と強引に誘う男らしさ。
・アントワネットのためを思い身を引き、アメリカ独立戦争に義勇軍として赴く。
・革命の最中王家一家を救出しようとする。国王も含めた一家全員というのがキモ。そして国王とも友情に似た交流が生まれるのよ。
……これ全部ないんだもんなあ。(やはり一から作り直し希望)

しかし。
それでも、牢獄の場面は見ものです。出演者二人のテンションも高い。多分、ジェンヌさんにとってベルばらはもう基礎知識で、今回は存在しないシーンも前提として感情を盛り上げることができるんだろうな(でも客にもそれを期待されても)。
そこまで全部すっ飛ばしてここだけ見れば感動作。死を持って別たれる愛し合う者同士、と言うのは理屈抜きだから。
となみアントワネットはここに来て初めて感情を持ったような、様式芝居を越えてなお溢れる思い。
短い髪に質素なドレスのその姿は、いたいけな少女のようで。
意に反してアントワネットを見送り「愛あればこそ」を歌うフェルゼンに、格子の向こう、毅然として死に赴くアントワネットが唱和する、その二人の思い。

ここに至って思ってしまったこと…字数が無いので続く。

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