私信とか御礼とか。

2005年8月29日
昨日の日記に「『プロデューサーズ』の劇中劇で目立っていた金髪のお兄ちゃんは誰?」と書いたところ、早速ご親切な方が教えてくださいました。こんな僻地の日記なのに、ありがたやありがたや。

松原剛志氏というそうです。ググってみるとPROJECT DMMというグループでウルトラマンの主題歌とか歌っているらしいです。なるほどシンガーなのだな。
他に「ハシゴを持った作業員」「ゲイのインディアン」などで出ていたとか。
るんせる様、ありがとうございました。
ブログも拝見させていただきました。そうかやはり東宝でも霧ミラは薄かったんですね(って反応するのそこですか!)。

『プロデューサーズ』はパンフ買っていないので(2,000円と高いので)、いろいろ間違っている部分があると思います(気づいたことはこっそり昨日分に手を入れております)。

その後ネットを放浪しましたが、ウーラちゃんはさえちゃんファンにも好評なようで。
まあ確かに、あれ見て拒絶反応を示す人は最初から見に行かないよなー(苦笑)。
それに、あれだけ楽しそうにきらきら輝いている姿を見たら、やっぱりうれしいよね。
カンパニーの雰囲気もよさそうだし、いいスタートを切れてよかったね、さえちゃん。

***

はなはなさーん、連載楽しみにしてますよー。
腐女子かどうかはおいといて(笑)、作品ネタSSは読みたいです。
完全に作品ネタだから問題ないとは思いますが、私もどこからやばいかよくわからんので……じっくりお書きになるなら別ページも良いかもしれません。

***

パクちゃん。
アイドル卒業おめでとー!(めでたいのか)
青山劇場『プロデューサーズ』観て参りました。
ええ、さえちゃんを見るために。
ちなみに立見。立見でも8,000円。12,000円のSS席が大半を占める以上は仕方ないのか。当日立見は普通の時間に行けば十分買えました。隣がいなかったんで結構楽だったし。

さえちゃんはウーラ役。スウェーデン娘という設定で片言で喋るちょっと足りなそうな金髪美女。ゴージャスでブリリアントでビューティフルでグラマラスでダイナマイト、おまけにキュート。動く舞台姿は宣伝写真よりずっと魅力的でした。
すげースタイルの良さ、胸の谷間を強調する衣装とすらりと伸びた脚。ハイヒールなので確実に主役二人よりもでかいぞ。
そして美貌。地顔が派手なのかメイクのせいか「この人だけ外人なんです」と言われても信じそう。
登場シーンの振り付けは太ももばかりかパンツまで、いいいいーんですか?って感じで、歌詞の通り見せまくっております。
が。
その割に、あんまり色っぽくなかったなーと。
開けっぴろげで開放的で、天然だからかな。男の人と絡んでも全然いやらしくない。めちゃくちゃ可愛いけど。
まあ、この作品が井ノ原・長野というジャニーズタレント主演で、観客の多くが彼ら二人のファンの女性、ということを考えると、色気過多でない方がいいのかもしれない(それにあくまでも私の主観なので「十分いやらしかったわよ!」と言う人もいるかもしれない)。そもそもウーラというキャラクターがそういう可愛い天然キャラなんだろうな。
主役の一人、レオと恋に落ちるウーラ。ステロタイプに捉えれば、お色気美女がヘタレ純情青年を誘惑するの図、なのだけれど、何故か二人とも可愛くて初恋の少年少女のようで、微笑ましい。くるくる変わるウーラの表情がまたいいんだよねー。キスした瞬間、毛布(ライナスの毛布)を捨てるレオもツボ(でも後でパニックになるとゴミ箱あさって拾うんだけど)。
声は、あまり高くなくややかすれた感じのセクシーなハスキーボイス。歌は印象が薄かったけれど、ダンスとか、ふとした仕草や身のこなしがキレイだなーと思いました。その辺は流石という感じ。
劇中劇でショースターとして出てくるのがまた迫力美女。ダルマもあるし、アルプスの民族衣装のようなかわいこちゃんルックもあり。
衣装はポスターにもなっている白いセクシーワンピースがメインのようですが、その後もとっかえひっかえ着替えます。私は1幕ラストのゴージャスな赤いドレスと、2幕のトロピカルなワンピースと大きな帽子のキュートな新婚さんが特に好き。

登場までちょっと長いけど、出番も多く見せ場も多く、まずは退団後第一作成功おめでとうと言ってよいのではないかと。このくらい思い切ってイメージチェンジした方がやりやすいのかもしれないし。
しかし、真剣に「男役・彩輝直」のファンだった人はどんな気持ちだろう。キスシーンもばんばんあるし。中性的な持ち味が魅力の人だったから、これはこれでいいのかな。
男役だったとは信じられない見事な美女ぶりでしたが、時折すごく目が利いてて、過去の片鱗を見ました(笑)。

作品自体も楽しめました。
落ち目なのに勝気なプロデューサー、マックスは、真面目だけど弱気な会計士、レオの「失敗したミュージカルの方が儲かる」という言葉に、絶対に大失敗するミュージカルを企画上演しての一儲けを思いつく。コンビを組んだ二人は最悪の台本『春の日のヒトラー』の上演権を手に入れ、最低の演出家ロジャーと契約し、出演者は下手な奴ばかりを集めついでに押しかけ美女ウーラの出番もねじ込み、色ボケのおばあちゃんたちをたらしこんで資金を作る。
ところが初日、批評家たちは「最高の風詩劇」と絶賛。空前の大ヒット、ロングラン。これじゃ資金をごまかしたことがばれてしまう。困り果てたマックスとレオ。そこに台本作家リープキンが「俺は真剣に総統を賛美したのに侮辱した」と銃を持って乱入。警察が来て帳簿が見つかってしまった。逮捕されるマックス、逃げるレオ(とウーラ)。そしてマックスの判決が言い渡される時、現れたレオは……。

毒と風刺をちりばめたスラップスティックなコメディ。
が、何故今の日本でこのキャストでやるのか?と言う疑問は最後までひっかかりました。
主演はジャニーズの二人ということはライトなミュージカルファン向けですよね。でもこれはブロードウェイに対する毒や風刺が満載の作品。ナチスの扱いもブラック。来日版は見ていないので断言はできないけれど、そういうものにくすりと笑える人向けの演目じゃないのかなあ。
まあ主役二人を中心に、笑ってちょっとほろりとさせるドタバタ友情コメディとしても十分楽しめましたが。私としては少々おさまりが悪かったです

配役別に少し。

マックス・ビアリストック=井ノ原快彦、レオ・ブルーム=長野博
この二人に思い入れがあれば、もっと楽しく見ることができるんだろうなと思います。強気で傲慢ででもダメダメなプロデューサーと、プロデューサーになることが夢だったヘタレで弱気な会計士。デコボココンビが同じ目的のために奔走するうちに友情が芽生えて、というお話なので。二人のコンビっぷり、ボケツッコミお笑いなやりとりは楽しかったです。最後の友情シーンも多少唐突ながら熱演で説得力あったし。
最後、やっとプロデューサー帽をレオに渡したマックス。にやっと笑うマックスとふにゃっと笑うレオにほのぼのしました。
レオのような役の方が若い子にはやりやすいのかな。ナチュラルに見られる。マックスは髭とオールバックでガンガン歌い踊るオープニングがちょっといっぱいいっぱいな感じだなあと。でも見ているうちに段々ノってきて(こっちが慣れた?)刑務所のソロは迫力があって良かった。

ロジャー・デ・ブリー=藤木孝、カルメン・ギア=岡幸二郎
上手ーいっ!
格が違う感じ。この二人中心の場面になると「ミュージカルだー」って気分になります。特に岡さんの歌! 素晴らしい!
役どころは、ゲイのプロデューサーとその助手兼恋人。ロジャーは最初ゴージャスなイヴニングドレスで登場。似合う…と言って良いか迷いますが、堂々たるもんです。カルメンは終始身体にぴったりした黒っぽい衣装でくねくね。手だけ残してドアに消えるところ、下手席から見たかった。
急な代役で舞台に立つロジャーにカルメンが「ゲイの女王様からノンケのスターになるのよっ!」と真剣に励ますのが笑えるけど愛だ。でも結果ゲイにしか見えなくてそれがウケる展開だけど。
スタッフの皆さんも実にいい感じでした。特にジャンプしまくる振付家と、レズと思しき少年風女性が(彼女は1幕ラストウーラに釘付けで笑った。ウーラは気にも留めず)。

あと、出資者のおばあちゃんに松金よね子、台本作家リープキンに桑野信義。
全体的に見るとマックスとレオVS奇人変人軍団という感じなのですが、さえちゃんウーラもしっかり変人側なのがすごかったです(笑)。

劇場入口付近の柱に感想や出演者へのメッセージを書き込めるようで。殆ど主演二人宛てで、あと岡さんとさえちゃんに一つくらいずつ。
が、その中に「ナチスの金髪の人カッコイイ! テノールに惚れました!」と書いてあって激しく同感。あの人いい声だった。
と言う訳で、劇中劇で目立っていた金髪のお兄ちゃんが何者かご存知の方は教えてください。こんなとこで聞いても無駄だとは思うけど。
藤原の『アドリアーナ・ルクヴルール』観て参りました。

ロビーに入って、まず、ショックなことが。
主役の二人、ダニエラ・デッシーとブァビオ・アルミリアートが身内の不幸のため休演、代役と発表されておりました。
木曜発売のぴあには既に出ていてので、ちょっと前にはわかっていたようですが。でもプログラムは間に合わなくて挟み込みになっていました。

ファビオには去年の2月にボローニャでも振られてるんだよなー。やはりデッシーと共演のはずだったアンドレア・シェニエ、目の前で病気休演の紙が貼られた……。
縁が無いのかなー、好きなんだけどなー(泣)。
(ちなみにその旅ではトリエステでも中島康晴が休演と、テノールには振られっぱなしでした。とほほ)

ちなみに変更後のキャストはヴェロニカ・ヴィッラロエルとマルチェッロ・ジョルダー二。代役でこのクラスを呼べるのが藤原の偉いところだと常々思っております。

さて、気を取り直して『アドリアーナ・ルクヴルール』。
きらきらした甘い、甘ったるい音楽とベタベタなストーリー展開の怒涛のメロドラマ(褒めてます)。
大好きなオペラです。

幕が開いて、かなりクラシカルな装置と衣装に少々驚く。藤原は比較的正統派の演出が多いけれど、今回は特に、と思ったら、1966年ローマ歌劇場の歴史的演出なのだそうな。アドリアーナというオペラには合っていると思う。セットや衣装、小道具も本物らしい重厚感に溢れていて、すごく素敵。
演出はマウロ・ボロニーニ。
指揮は菊池彦典、オーケストラは東京交響楽団。

以下、役ごとに。

アドリアーナ=ヴェロニカ・ヴィッラロエル
やっぱりデッシーを期待した分ちょっと……。
1幕の登場のアリアが、いまひとつ安定感や表現力、つまりは魅力に欠けた気がします。4幕のアリアもいまいち。
でも、朗誦やドラマ部分は良かった。特に2幕のブイヨン公妃との激しいやりとりと、3幕の朗誦! 朗誦の後の「復讐してやったわ!」も迫力。
あと言ってはなんですが、ちょっと顔も恐いかも、ヴィッラロエル(失礼な!)

マウリッツィオ=マルチェッロ・ジョルダー二
いかにもイタリアンテノール。カーンと高音を出したときの突き抜け方はやっぱり気持ちいいなあと。粗もありそうなんだが張り上げたときの勢いと輝かしさで、ま、いいかという気分に。その辺マウリッツィオという役にも合っている気がする(笑)。
思えば、このオペラを初めて見たのはボローニャ歌劇場の来日公演。アドリアーナ=フレーニとブイヨン公妃=コッソットの迫力対決に頭がぐらんぐらんして、マウリッツィオの印象が殆どありませんでした。
が、今回。
マウリッツィオって、とんでもねー奴だな(呆笑)。格好のよさと甘い言葉だけが取得の、調子のいいのーてんきな男。でもどこか憎めない。
それはやはり、ジョルダーニの持ち味なのではないかと。
……もしかしたらボローニャのときはドヴォルスキーだったので、もうちょっと誠実そうに見えたのかもしれない。

あ、ラテン系二人のラヴシーンはやたらと濃かったです。日本人ではこうはならないだろう(笑)。

ブイヨン公妃=エレーナ・カッシアン
多分この人を聞くのは初めて……と思ったがスカラ座来日公演のリゴレットでマッダレーナをやっているそうなので、初めてではないかもしれない。
まだ若そう。でも迫力。2幕登場のアリアもがーっと勢いでドラマチックに歌いきる。もうちょっと声が太くなるともっと貫禄や幅が出てくるかも。

ミショネ=堀内康雄
最初に見て、随分年寄り臭いミショネだなあと。これも、初めて見たボローニャのアンジェリスがナイスミドルだったから思ってしまうことかも。三つ子の魂百まで。
しかし、その野暮ったさがしみじみと切なかったです。叶わぬ恋を断念して、父親のような愛でアドリアーナの側にいるのが沁みました。
歌も幕開きはちょっとかき消されぎみてもどかしく感じたけれど、ここぞというところは外さず、深い声で聞かせてくれました。今まで割と堀内康雄の声や歌い方は苦手だったのだけれど、二枚目よりこういう役の方がはまるのかも。

ブイヨン公爵=久保田真澄、シャズイユ修道院長=持木弘
二人でごちゃごちゃ芝居して、いい味出してました。
ブイヨン公は尊大かつ俗物な感じが良く出ていたなあと。
修道院長もあっちにへつらいこっちにおべっかぶりが面白かった。持木さん、すっかりこういう路線になっちゃったのかなあ(去年のイル・カンピエッロといい)。もう二枚目はやらないのかしら。

今回、友人が急に行けなくなり、ドリーさんにお付き合いいただきました。
オペラは初めてに近いということでしたが、楽しんでいただけたようで何より。特に火花散る女同士の争いや怒濤のストーリーにはウケてくれました。ラストの展開は「こだまっちか齋藤か!(どちらも宝塚が誇るトンデモ劇作家)」とお褒めいただきました(いや褒めてないから)。うん、確かに、これで死ぬのか!?ってのは、わかる。
まあ私は多少のトンデモ展開は、特に古典劇の場合は「あー、現代人には思いつかないなー、すげー」と素直に楽しむことにしているので。このオペラの場合、2幕3幕の恋敵同士の対立と緊迫感溢れる探りあいから一気呵成のカタストロフィの盛り上がりが快感なので、好きです。あとやっぱり音楽の力かな。あの繊細な甘さは癖になる。

終演後に「面白かった、オペラって難しくないんだ」と言われて、改めて「オペラは難しい」というイメージがあるんだなあと気づきました。そうそう、殆どが色恋の話なんだしさ。
と言う訳で、キムシンだけでなく他の演出家諸氏も、ラヴストーリーのネタとしてオペラを使ってくれてもいいのにな、と思ったりしました。
(つーか、ワタ檀瞳子で『仮面舞踏会』が見たかった。叶わぬ夢だったけど)

仙堂さん……

2005年8月26日 宝塚
「元タカラジェンヌ、よしもと新喜劇挑戦(大阪日刊スポーツ)」
http://osaka.nikkansports.com/oet/p-ot-tp5-050826-0029.html

……オルガか、やはりオルガで目覚めてしまったのか(笑)。
そりゃまあ、このまま終る人ではないと思ってはいたが。
さすが星娘と言うべき?

ともあれ、早速に消息がわかって何よりです。
何処に行っても仙堂さんならやってくれるだろう、きっと。

しかしよしもと新喜劇とは。私の守備範囲を超えるなあ。
ここはもずえさんに教えを請いたいと思います。もずえさーん!(と振ってみる・笑)
やっと星組全ツベルばらの配役が発表されました。
いや、やっとと言うか、23日が来年前半ラインナップ発表で24日が花千秋楽だったことを考えると、ヅカファンって忙しいなーと言う気分なのですが。

とにかく配役。

・メルシー伯爵  未沙のえる
・グスタフIII世 英真なおき

グスタフIII世がいるってことは、スエーデン宮廷のシーンがあるのか!
一幕物なのに。要らないじゃん。(きっと植田某にとってはすごくかっこいいシーンなんだろうなここ)

・シモーヌ 万里柚美
・ブイエ将軍 にしき愛

シモーヌってどんな役でしたっけ?
にしき氏のブイエ将軍は普通に格好よさげで楽しみ。

・シッシーナ伯爵夫人 しのぶ紫
・モンゼット公爵夫人 美城れん

シッシーナはしのぶさんだけど、モンゼットはももかさんでもエレナさんでもないのか! つーか美城れんくんの女装か!(何故!)
がんばれ〜。いやあまり頑張られても困るけど。

そんでもって私的メインイベント(イベント?)。

・アンドレ 立樹遥
・オスカル 涼紫央

予想どおり、ああやっぱりと言う感じではありますが。
あれは忘れもしない星大劇千秋楽の日。
全ツとDCのメンバー分けが決まり、緑野さんのところにお友達から速報メールが届きました。
「しぃすずみで今宵一夜!?」というメッセージとともに。
「どーしよー、客席で笑う、絶対笑うー!」と叫んだのは私です。
なんて失礼な奴なんでしょう。謝りますごめんなさい。
でも同時に「うわーそれ見たい、すげー見たい!」とも言ってたんですが。

しぃアンドレ、涼オスカル、それぞれ単体では全然おかしくないんですよ。普通にいいと思う。見たい。
でもこの二人がかっつり組んでオスカルとアンドレやるのを想像すると、何だか、その……(笑)。
いや、妙な先入観と言うか偏見と言うか、キャラクターとしてフィルタかけて見てしまっているからだと言うのはわかってはいるんですが。
普通に先入観無しに見たら、格好いいし、きれいだと思う。二人とも熱演してくれると思うし(結局すごく楽しみらしい)。

・ロザリー 琴まりえ
・ルイ16世 大真みらん
・ベルナール 綺華れい
・ジェローデル 麻尋しゅん

この辺はまあ順当?
みらんくんのルイ16世がちょっと意表でしたが、意外とベルナールやジェローデルより出番や芝居のしどころがあるかも、と思うと楽しみになってきます。あるといいな。と言うか無いんだったらこの役をみらんくんに当てる意味無いよな。
あとゆかりくんは頑張って欲しいです。中日カマンテは結構いっぱいいっぱいに見えたけど、石浜さんは後半男前になってきてたし。しかしコトコトの夫かー(ってそこに反応するか)。

・士官 銀河亜未
・士官 天緒圭花
・士官 一輝 慎
・士官 鶴美舞夕

何だかいい並びです。楽しみです。

・女官長 真白ふあり

ってどんな役だかわかりませんが(笑)。
ふありちゃんのお堅い感じが活きるような予感が。そうだといいなあ。

その他の役はよくわからないので。名前だけの皆様は市民?
ますみさんとゆうほさとる氏が伯爵と大臣ってのも並び的には面白いな。小芝居の余地があるといいんですが。
小公子・小公女は如月蓮(or碧海りま)、妃咲せあらあたりで予想しておきます。

(追記。カトリーヌ・ミレイユ・イベット・ブリジットは宮廷の令嬢方とドリーさんに教えていただきました。ももか姐、ひかちゃん、まりのゆいちゃん、エレナさん……小芝居上等? あと良く見たらますみさんはフランスでゆうほ氏はスウェーデン? 共演しないじゃん・苦笑)

つー訳で、気分が盛り上がってまいりました。
全ツのチケットまだ4回分しか押さえてないんだよねー、あとどうしようかなー。(しかも梅田だけじゃないらしいですよこの人)

あ、そうそう忘れてた。

・フェルゼン 湖月わたる
・マリー・アントワネット 白羽ゆり

これは発表済みですが。
……正直、玄宗、卯之助、フェルゼンと続くと思うと軽く鬱になります(しかも来年大劇東宝までと思うと更に鬱)。
まあ今はその辺スルーの方向で。
今日は博多座『マラケシュ』の千秋楽。

8/20,21と見て。
芝居の3回目が終わるとき、ものすごい喪失感があった。

20日昼公演は、I列センター。21日昼は3F立見、夜はE列下手サブセン(何と友会で当たった)。
最後が一番いい席というのは、却って未練になる。もっと見たいと思ってしまう。
3回目でやっと、物語の世界に入り込めたせいもある。博多座マラケシュは情報量が多く、また、つい頭の中でムラ版との比較をしてしまうせいで、消化するまでそのくらいかかってしまった。
でもまあ、それで良かったのかもしれない。
通い出したら切りが無い。4回見れば満足するはずもなく、見れば見るほどもっともっと見たくなっていたろう。
もっと見たいと思ったときに終わりで、良かった、と言うことにしておこう。
まあ、また、すっぱい葡萄の論理かもしれないけど。

それに、もっとリピートしていたら、みつるくんに落ちていたかもしれないし。
ほら、芝居見て「この人(役)何考えてるんだろう」と気になって注視して、結果本人に嵌る、と言うパターンが今までにあったもので。(『1914』シャガール、『長安』楊国忠でのしぃちゃん。中日『王家』ケペルでの恵斗くん)
あ、いや、みつるくんがダメだって訳じゃないですよ? でもこれ以上誰かに嵌ったら大変じゃないですか(半笑)。

と言う訳で。
さようなら、私の『マラケシュ』。
勿論、観に行った方のご報告、楽しみにしております(笑)。

***

これだけで終わるのも何なので。
はなはなマロンさんが連載小説を始めていらっしゃいますが、花を売るリュドヴィーク、と言う設定?は、博多座開演前に友人の友人からも聞いておりました。まあご婦人方に、って話でしたけどね。
この友人と言うのは東京の人間で、なのに博多で久々に再会すると言う……日本って狭いよな(笑)。
それはさておき、その話を(「だからオリガには「貴方が買う?」って言って売らなかったのよ!」と注釈つきで)聞いた私は思いましたよ。
すげーこと考えるなあ。その場面吹いちゃうかもしれないよ。

だがしかし。
石の薔薇を珍しいものではないと言われて「でも、きれい」と見惚れるオリガ。
リュドヴィークは言う。
「そう、だから高く売れる。みんな騙される」
この「みんな騙される」の、やけに明るい、捨て鉢のような調子が耳に響いて。
そうか、みんな騙されてるんだ。彼の美貌や人当たりのよさ、如才なさに。
少なくともリュドヴィーク自身はそう思っているんだ。本当は価値の無い石ころである自分の真の姿を誰も知らずに、自分に惹かれているんだ、って。
多分、それは行きずりの相手だけでなく、ある程度親しくしている人たちについても同じことで。
もしかしたら、そうじゃない人もいるかもしれないのに。
でもそれは、彼の目にはそう映らない、彼の心には届かないんだ。

そう思うと。
「みんな騙される」と笑い飛ばすリュドヴィークが、すごく痛くて、痛々しくて。
思いもかけず、掴まれるシーンになってしまいました。
公式サイトに来年のラインナップが発表されております。

その中でも私的ビックニュースは、何と言っても。

<宝塚バウホール公演>
◆2006年6月2日(金)〜6月11日(日)
バウ・ミュージカル
『フェット・アンペリアル』
−帝国の祝祭−(仮題)
作・演出/大野拓史
 第二帝政期フランスの半社交界=ドゥミ・モンドを舞台に繰り広げられる、「新米スパイ」の恋と友情の物語。

■主演・・・(星組)立樹遥


たたた大変ー!!

画面スクロールして、固まって、とりあえずサトリちゃんにメールして、少し落ち着いてから緑野さんにメールしました。って何だその差は(笑)。
ちなみにサトリちゃんからは「ぎゃー!!!!」ってタイトルのメールが帰ってきましたよ。

だってさあ、バウ主演ってだけで大ニュースなのに、しかも大野先生だよ?
しかも第二帝政でドゥミ・モンドで新米スパイ……夢じゃないだろうな。

いや、実は前にサトリちゃんと「しぃちゃんでバウをやるならぜひ軍服で!」って盛り上がったもんで。叶うのか我々のドリーム。
ちなみにその語っていたシチュエーションはナチスの青年将校とタンゴダンサーの少女。微妙にイメージかぶっているような、いないような(つーかそれ明らかに『薔薇の封印』の影響受けてるだろ・笑)。

と言う訳で、今から想像で床を転げまわるほど楽しみです(笑)。正に祝祭。


その次に気になったのは、これ。

<宝塚バウホール公演>
◆2006年1月2日(月)〜1月10日(火)
バウ・ミュージカル
『不滅の恋人たちへ』
作・演出/太田哲則
 19世紀フランス文学界に実在した女流作家ジョルジュ・サンド、伊達男アルフレッド・ミュッセの情熱的な恋をモデルに、大人の愛の物語を描く。

■主演・・・(宙組)大和悠河

<東京特別公演(会場:日本青年館大ホール)>
◆2006年2月2日(木)〜2月5日(日)
Musical
『THE LAST PARTY〜S.Fitzgerald’s last day〜』
フィッツジェラルド最後の一日
作・演出/植田景子

■主演…(宙組)大和悠河


1/2〜1/10、太田バウ新作
2/2〜2/5、ラストパーティ再演

……何でこんなスケジュールなんだろう? いくら再演とは言え、大変なんじゃ?
太田芝居も台詞多そうだしなあ。
バウは他の誰かに回しても良かったんじゃないだろうか。駄目?
まあタニスコット&るいるいゼルダの組み合わせが見られるとしたらそれは楽しみです(違ったりして)。
……月はゼルダもアーネストもいなくなってるじゃん。(さららーん!!・泣)

ところで、同じラストパーティでも、タニちゃんは青年館でゆうひさんは池袋の芸術劇場なんですな。


その次に気になったこと。


星組
マリー・アントワネット生誕250周年記念
宝塚グランドロマン
『ベルサイユのばら』
−フェルゼンとマリー・アントワネット編−
〜池田理代子原作「ベルサイユのばら」より〜
(中略)

※東京宝塚劇場公演における特別出演はありません。


今までは「特別出演及び役替りはありません」でしたよね?
これは東宝は組内役替り有りってことですか?!

そういえば全ツ配役はまだ……集合日まで待てということですか。

以上、今回のラインナップの私的3大ニュースです。
世間様とずれているのは言われずともわかります(特に3つ目)。
だって、星担ですから。

***

すごく間が空いてしまってますが、今までの日付のどこかで書きたいと思っていること。

・月バウBチーム感想
・星組千秋楽に寄せて檀ちゃん語り
・博多座遠征記

このくらいは何とかしたい。書けるかどうか自信はないが。

 真っ赤な血のいろ。
 鋼の焼け爛れたいろ。
 大地が悲鳴をあげていた。

幕が開くと、舞台ぎりぎりまで赤茶けた街の外壁が迫っている。
アーチの影から現れる一人の男。黒いスーツに深緑のストール。
その手には、赤い薔薇。
男は辺りを見渡す。見ている私たちをねめつけるように。それとも何も見てはいないかのように。
うっとりと薔薇に顔を寄せ、歌いだす。
血、焼け爛れた鋼、夕焼け。
赤の奔流。果てしなくつながる赤のイメージの連鎖。
目蓋の裏が染まる。赤、紅、緋、朱。砂漠、煉瓦、赤銅、暁、晩景。

マラケシュ。
暗黒の大陸に咲く、赤い薔薇。

この導入で掴まれました。心臓を鷲掴み。
博多版『マラケシュ』に。そして、ギュンターに。

赤を歌うギュンターの旋律は、イズメルとアマンが歌っていたものとほぼ同じだ。
世界へと導く、導入の歌。
しかし、その色は全く違う。

ムラの『マラケシュ』は詠唱から始まった。遠く低く響く詠唱。
そして現世と異界との狭間を渡るベドウィン、イズメルとアマンの歌。それは砂漠の夜空に吹く風だった。
しかしギュンターの歌は、禍々しい赤だ。
歌が終ると、舞台中央のせりの上では様々な人々が行き交う。何もかも行き詰ってマラケシュへ向かうイヴェットとソニア。測量隊として旅立つクリフォードと、見送るオリガ。その伯母ナターリアと使用人セルゲイ。
その間、ギュンターはゆっくりと歩いている。手にした薔薇を弄びながら。彼らのドラマを知らぬげに、しかし時折にやりと笑ったり、また次の瞬間に世の中の全てに関心が無いような顔になり。
そして時折、客席に目を向ける。
眼が離せない。
舞台中央で繰り広げられる物語を背景に、台詞のやり取りをBGMに、私はギュンターから目が離せなかった。
何なのこの人。
そして、それなのに。この禍々しくも美しい男は、アマンとの二重唱もするのだ。イズメルの歌っていたパートを。誰もが信じた約束の地、と。

博多座『マラケシュ』の閉塞感は、この幕開きのためでもあるような気がする。
水先案内人は、悪夢のように赤を歌う男なのだから。

ギュンターは、その後もずっといる。人々の営みをあざ笑うように。むしろ、蛇以上にこの世ならざる存在のように。
いや、市場では女の子にまとわりつかれていたり、実在の人間なんだけどね。いかにも汚らわしいと言いたげに振り払ったり突き飛ばしたりしているのがツボ。

そんなギュンターだが、パリの回想シーンからは違う。
普通のイっちゃった人間になる。「普通のイっちゃった人間」と言うのも変な表現だが、異常だけれどあくまでも人間、超常的な存在ではない。

蘭寿ギュンターは、イヴェットに惹かれているのかも?と一時思ったけれど、愛音ギュンターはそんな面はかけらも無い(だから逆説的に、プロローグでソニアがイヴェットに「よっぽどあなたのことが好きなのね」等と言うんだろう)。
パリの場面では、薔薇を奪う機会があるのに手にしない蘭寿ギュンターと違い、愛音ギュンターはその機会が無いため手にできなかっただけだ。
蘭寿ギュンターが壊れたのは、薔薇を、いやイヴェットを巡って争う人々の愚かしさを見たとき。
しかし愛音ギュンターが壊れたのは、己の手が血に染まったとき。イヴェットへの独占欲が暴走して死んだブノワを嘲笑い、戯れにその手を掴んだとき、彼の手もまた血に染まった。
何故かはわからない。しかし、血の赤が彼を壊した。

説明されてしまえば彼も普通の人間。イヴェットを追い詰めるときも、リュドヴィークと対決するときも。
イヴェットを自殺に追い込み、彼はリュドヴィークにナイフを向ける。高笑いし、ナイフを自らの掌に這わせ、その手を頬に這わせる。
掌の赤い血。あの日と同じように。

この、ギュンターが途中から普通の人間になってしまうのがどうも腑に落ちないんですけどね(笑)。それはムラ版からずっと。
まあ、うん、でもそうなんだから、そうなんだろう。
そこも含めて眼が離せない存在です、ギュンター。おまけにみわっちが耽美にイっちゃってるので、余計に。
そしてそんな彼が可哀想にすら見えてしまう。この世を超越した存在と見えた彼も、結局は得られないものを追い求める者であることがわかってしまうと。

***

緑野さんに思考過多と書かれてしまった(笑)。いやそのとおりなんだけど。
そうか、普通の人は感情を理屈で説明しようとしないのか。と言うか両立しないのか。
それを両立させようとしてしまうのは、私が人間としていびつな証拠だろう。
普通の人はそんなことをしないのは、感情だけで充足できるからだろう。
自分の感情を信じられない。理屈の裏付けが無ければ。
つまり、自信がない。

「自信がないんです」
オリガにそういう台詞がある。今まで流されて生きてきたから、自信がない、と。
最初から、何となくひっかかるシーンだった。
オリガは続ける。
「あなたは、自分に自信がありますか?」
聞かれたリュドヴィークは答えず、逆に聞く。自分で何かを決めたことは一度も無いんですか、と。

何故、ひっかかるのか。
ここ、私は話のすりかえだと思っていた。
生きるのが不安で自信がないなんて、当たり前じゃん。それを、自信がないのは自分に特別な事情があるからで、いつか自信が持てると考えているあたりが、オリガの未成熟さなんだろう。だからリュドヴィークもまともに答えず、いなすように話をすりかえているんだろう。
そうか。
ひっかかるのは、その、私がすりかえだと思った「自分で何かを決めたこと」を軸に話が進むからた。山場であるパリの回想シーンがくるからなんだ。

と、思っていたのだけれど。
もしかしたら、普通の人はここをすりかえだとは思わないのかな?
リュドヴィークとオリガのやり取りは、言葉どおりに受け取るべきなのかな?
確かにその方が、最後オリガがクリフォードとやり直すのが納得できる。クリフォードが石の薔薇を持って生還して、オリガはクリフォードを「自分で選んだ(選びなおした)」のだから。それがオリガの再出発なのだから。

そして、リュドヴィークは。

博多座で、リュドヴィーク生存説も有りという気がしてきた。だってこのリュドヴィーク、成仏してないよね?
リュドヴィークファン、寿美礼様ファンに顰蹙を買うのは承知で白状すると。
この物語で、私が一番共感を持って見ていたのは、リュドヴィークだった。
だから、最後には彼は幸せになって欲しかった。幸せになる彼が見たかった。
だから、最後には彼は死んでいると思っていた。だってこの世の何処にも彼の幸せは無いのだから。
それは幸せと言うより、楽になるということかもしれないけれど。

実際、ムラで見たときは、リュドヴィークは死んだのだと見えた。空を見上げる表情や、最後の歌声に静謐さや安堵感、穏やかな諦念を感じた。
けれど、何故かここ博多座では。
最後の歌。まだ感情が暴れている、ように聞こえた。少なくとも私が見た3回、特に21日の2回は。
立ち尽くす姿にも諦念や穏やかさは感じられなくて。
リュドヴィークは、生きているのかもな。そしてまだ人の世に思いを残したまま、現世をあがいている。
彼の人生はまだ、終わっていない。

全くの主観ですが、そう感じました。

ちなみに、二番目に感情を入れて見ているキャラはギュンターかもしれません(笑)。思えば私、らんとむギュンターについても結構書いてたし。その時から「汚されたのは彼自身」とか言ってたし。
8/20,21の土日、博多座遠征しました。
博多までは緑野さんと新幹線で。行きは始バス、帰りは終電とフル稼働の旅。20の昼、21の昼夜と3公演見て、20の午後ははなはなさん、ココナッツさん、かーこさんと喋りまくり。往復の新幹線でもずーっと喋りっぱなし。
正直へろへろでした。睡眠不足で気が遠くなりそうだけど勿体無いから無理して起きていると、脳のシナプスがぷちぷちと死んでいく音が聞えるような気が。でもいいの、今が楽しければ。

緑野さんとはなはなさんの腐女子話盛り上がりっぷりは実に楽しそうでした。いつも付き合えなくてごめんねー、はなはなさんが近くに住んでいればいいのにねー。と思いましたのことよ。
しかし一番深い溝を感じたのは腐女子話でなく「男は転がしてもてあそぶもの」とはなはなさんが語った時でした(はなはなさん8/20日記参照)。
清純なお嬢様ココナッツさんが首を傾げる前で、緑野さんは頷いておられました。
常々、腐女子というのはある意味恋愛至上主義者だと思って感心しているのですが、ここにもそれが現れているのか(違う?)。素敵だお姉様。いや年の問題でなく。

それはさておき、博多座公演の話。

『マラケシュ』。
情報量が多すぎて密度が濃すぎて、酔っぱらいました。
舞台が狭いせいか、幕が開くと赤い街のセットがみっしりと視界いっぱいに迫ってきて、すごく閉塞感があった。
出演者も少ないのだけれど、その少ない人たちがいつも舞台にいる感じ。だから舞台が狭い。
そしておびただしい伏線。人物も台詞も、全てリンクが張られている。ああ、さっきの台詞がここにつながるのか、と何度も何度も思う。そして思う端から新しい情報が提示され上書きされる。全て記憶することはとても不可能。
登場人物たちの重みは等価。オリガも、イヴェットも、レオンも。ソフィアもクリフォードも。誰がヒロインでもなく、群像劇。
そしてその中心に、リュドヴィークがいる。

完成度は、高くなっているのかな。私はムラのすかすかした書き込み不足で風通しの良い感じも好きだけれど。
みっしり人がいて比重が等価に重い分、蛇の影が薄くなっているのもちょっと寂しい。

以下、まとまらないままにメモ。

・ギュンターみわっちから目が離せない。
・そのかから目が離せない。
・ゆみこレオンは不良少年風。
・ナターリア伯母様最強。
・まっつクリフォードがマスオさん。
・アマン可愛い。可愛いったら可愛い。でもリュドヴィークと並ぶと大きい(いや別に大きくはないけど、一花ちゃんと比べたら)。
・コルベットがスケール小さくなってる、残念。
・主要人物が全体的に若くなった? 親世代(ソニア、コルベット、ナターリア)の重要度が増しているからか。
・レオンが少年だからこそ、彼の野望と空回りと破滅が痛々しい。つーか可哀想。
・だからファティマも可哀想。少女なのに、母の役割も負っていて。
・イヴェットも可哀想。回想シーンの歌がわんわん泣いているように聞こえる。痛々しい。
・ギュンターだって可哀想。
・オリガはムラよりいい感じかも。寂しさとか寄る辺ない少女の部分を残している感じが前面に出てきた。
・回想シーンに沈むせり下がり、背中合わせのリュドヴィークとオリガにうわ、やられた。
・パリの回想シーンのクライマックスで、背景のそのかに目を奪われる。黒塗り黒燕尾の格好よさ、凶悪。
・レオンを射殺するアリも凶悪。恐えー。でも格好いい。
・寿美礼様、いやリュドヴィークの涙を見た。
・ファティマが蛇と踊っているのは、レオンの魂鎮めなのかもしれない。
・クリフォードがまっつだと、リュドヴィークと相似形でびびる。見詰め合って薔薇を渡すシーンのニュアンスが違ってくるよ。おまけにやたらと近づいてるし。
・セルゲイ、いい奴だ。

博多版では新キャラがいます(消えたキャラもいるが)。

その一人がセルゲイ(日向燦)。マクノートン+ウラジミール+α。オリガの家に仕える青年で、ナターリアの命で測量隊に同行し、遭難して一人生き残る。最後ソフィアと結ばれるのはウラジミール同様だけれど、ホテルで療養中に親しくなったのだとわかる。姿を消したオリガを探すときも「クリフォードさんだけでなくオリガ様にまでもしものことがあったら」と二人のことが好きで心配して責任を感じているのがわかる。いい奴。
「一緒に探します」と答えるソフィアがまたいい子で。いいカップルだなあ。

そしてもう一人新キャラ。新任長官ジェラール(華形ひかる)。
役割的にはクロック長官の代わりなのだろうけれど、演じるのがみつるくんだから若い。とにかく若くて世慣れないエリートという感じ。
市場でレオンに財布を擦られるのも彼。でも彼はマクノートンたちのように気づかず笑っているお人よしではない。たかが現地人のチンピラにコケにされた彼は怒り、その私怨がレオンを破滅させることになる。

私は、彼のことが気になっていました。
物語におけるジェラールの役割は「レオンを破滅させる」だろう。けれどそのためだけではないはずだ。この『マラケシュ』という物語において、ストーリー進行のためだけの歯車はいないだろう。
彼は何者? 何を考えている?
狭量でプライドが高い若造であることはわかる。マラケシュに何の興味も理解もなく、ただ植民地だと思っている。レオンのことも根に持つし、コルベットとの握手も拒否する。
それだけなら、ステロタイプの愚かな悪役だけれど。

でも、こいつ、イヴェットにはマジ惚れしてるよね。
最初に会ったときの舞い上がりっぷりはともかく(それはクロックも同じだった)、コルベットにイヴェットを紹介されたナターリアが「裸同然の衣装で踊る踊り子」と侮辱すると、顔色を変えて本気でナターリアに食って掛かろうとして部下に止められている。
そしてレオンの店。イヴェット、オリガ、ソフィアの様子も見守っている。最後に「もう行きましょう」とイヴェットの腕を取る様子も、本気で心配しているようだ。クロックが、事が収束してから一杯飲んだ呑気な様子で現れたのと全然違う。
イヴェットとコルベットが親しげに話しているときにも、出てきて物陰に去っていく。コルベットを敵視するのも、イヴェットのパトロンだからじゃないのか?

ジェラールはイヴェットに惚れている。
そこが、面白い。だって、本来なら彼は、イヴェットのような人種を馬鹿にしても当然の立場なのに。
勿論、それは思い込みと空回りの産物で、彼女を何も理解していないし、彼女には一顧だにされていないのだけれど。
でも、それが若いと言うか青いと言うか、愚かと言うか可愛いなあと。
いや結構可愛いよ? ハラハラと女達の闘いを見守る姿(笑)。

最後に登場する意味はいまいちわからず。クリフォードとオリガの再会シーンの途中から現れ、何も言わぬまま立ち去る。ムラ版のクロックのようにコルベットと言葉を交わしたりしない。イヴェットとも居合わせない。
何のために出てきたんだろう。

一応、帰りの新幹線で緑野さんとの協議の結果、「こいつのせいでレオンが死にリュドヴィークがいなくなった」とコルベットがターゲット認定するために出てきたということになりましたが。

つー訳で思いつきSSです。私のジェラール観を理屈立てて説明するより、こっちの方が簡単なので(いやそもそもニーズ無いから)。
http://kine.nobody.jp/camelia.html
本日は観劇評でも、それどころか観劇感想でもありません。そういうものを求める方は読まれませんよう。
ただ、自己観察です。

と、断った上で。

『長崎』千秋楽、卯之助にオペラ上げました。

先週東宝初見で、出演者の演技が良くなったおかげで見やすくなったと感じたんですよ。8/7日記にも書きましたが。
で、14日前楽で、更にそれを確信。
伊佐次とおしまの演技が変わったのが大きい。どちらも失われた過去への哀惜とこうなってしまった現在へのやるせなさが、すごく身に沁みる。
伊佐次は、少年性を前面に出してきたのが大きいかと。同じわがままでも、横暴な男ではなく、駄々っ子のような少年性を持った男。
おしまちゃんは「お別れします」がひたすら切ない。あのしどころの無い役を、檀れい最後の舞台にふさわしい名場面にまで持ち上げてきた。
と、幕間に緑野さんとさんざん語り合ったのだが、卯之助も良くなったと言ったらあっさり否定された。いや、守るべきもの(伊佐次とおしま)が守るべきものに見えるようになったから、それを守るための行動が変でも許容できるようになっただけという面があるのは否めませんがね。

それが前楽。

そして千秋楽。
まあ、普通に見てました(幕前芝居で鈴木さんを注視したりはしましたが)。
でも、和泉屋の旦那に、出立すると言われた後の場面。

実は、私は初日、この場面は嫌いじゃなかった。と言うかむしろ好きだった。
だって、芝居でワタ檀ががっつり絡むのは、ここしかないんだもの。
「恋の逆恨みかい」と言われたワタさんの目に、傷ついた色を見るのが好きだった。
でも、そのためにオペラを上げていたのは最初の2回くらいだったけれど。
この芝居自体、卯之助と言う役自体を受け付けられなかったから。

だけど、千秋楽はおしまちゃんの熱演につられてオペラを上げた。最後だし。
そしたら、ワタさんの卯之助はやっぱり傷ついた顔をしていて。でも「そうかもしれねえな」とへへっと笑っていて。でもおしまちゃんはそれどころじゃないし、そんな卯之助の顔は見ていなくて。
なんだかせつないなあと。

その後、卯之助は伊佐次に、冗談めかして、あの世では「兄弟分にでも子分にでもなりてえよ」と言うのだけれど、伊佐次にはあっさりお断りだと言われて。

ああ、卯之助はおしまちゃんも伊佐次も大切に思っているのに、わかってもらえなくてかわいそうだなあと。
するっと、そんな感想が出てきてしまいました。

ええ、驚きましたよ自分でも。
まさかそんな風に感じる日が来るとは。
頭のどこかでは冷静な自分が「おいおい」と突っ込みを入れているのだけれど。それまでのあの場面もあの台詞もおかしいだろって。
でも、卯之助にシンクロしてしまった。

だから、最後伊佐次が死んだときも、ああ、卯之助は守ろうとしたものを全て失ってしまったんだなあ、かわいそうだなあ、と素直に思えて、改めて驚きました。
すげぇやられた。持っていかれた。

ありえない。(と今までの感想を読んだ人も思うだろう)
いや実は、白状してしまうと、ありえるかもしれないという気はしていた。
ワタさんの演技に、騙されてしまうかもしれないと。
で、もしそうなったら嫌だな、と。
だってこんな話なのに! こんなに間違ってるのに! それってすげー敗北感じゃないですか。
実際、前楽まではそんなことなかったし。見やすくはなってるけど、やっぱ歪んでるよな、って。
ああ、それなのに(笑)。

と言う訳で、勝ち負けで言うと負けた訳ですが、まあそれも有りかと。
だって、劇場には夢を見に行っている訳だしなあ。
騙してもらえるなら、それはそれでいいか。

あと、自分の心が持っていかれたという事実自体が面白かったりしました。
予想の範疇の方向ですごい力で押し流されることは、それほどはないけれど、まあ、ある。
でも、全然意志に反する方向に持っていかれることって、滅多に無い。
珍しい経験でした。面白かった。

かと言って、通えば良かった、また見たい、とは思いませんが。
これは多分、千秋楽マジックのせいでもあって、二度と同じものは見られないだろうという気がしているから。
でもまあ、『長崎』最後の記憶として、これが残るのは、悪くない。

しかし。
幕間に、緑野さんと話していたんだよね。
良くなった、役者の力ってすごい、と我々は思うけれど、これって他の人には伝わらないんだろうなあ、って。
最初にムラで見て、ひでー駄作壊れまくってる!と絶望して、それでもリピートして、また東宝で見た人にしかわからない感覚なんだろうなあと。元々気に入っていた人とも、東宝で1,2回見た人とも共有できない。

と、溜息をついていた訳ですが。
千秋楽のこれは、本当に私にしかわからないんだろうなあ(半笑)。

同じものを見ていても、誰一人として同じものが見えていない、と改めて思った楽日だったりしました。

あ、でも最初から「長崎良い!」って人には、最初からあれが見えていたんだろうか。それって幸せってことかもしれない(でも私はそんな幸せは欲しくない・笑)。それとも愛は盲目?

とにかく、やっぱり私はワタさんが好きなんだろうな。まあ「それほど」ではないにしても。
と再認識した千秋楽でした。

ついでに想像力で補完。伊佐次、卯之助、おしまの三人が揃うのは20年ぶりでも、それぞれはその間に会うこともあったんだろうと思います。でないと再会してもわからんだろう。昔惚れたっていうのもつじつまが合わない。
多分10年くらい前に、卯之助はおしまにプロポーズして、でもおしまは伊佐次を思っていて、そういうことならと卯之助は身を引いて。ところが伊佐次が凶状持ちで追われる身となり、あきらめて他の男に嫁げと親に言われたおしまは反抗して家を出たものの(後足で砂をかけるように)行くあても無く芸者に身を落とし。伊佐次はおしまを憎からず思っていたけれど、それほどまでに惚れられているとは思わず一人江戸を離れ。
そんな過去が、三人同時に顔を合わせることなく存在したんじゃないかと。
と、前楽と楽で一気につながりました。勝手に。
つーかやっとそういう想像を楽しめる境地になったってことだな

もひとつ『長崎』の話。しぃちゃんの館岡さんの役作りも変わった、と言ったのだけれど、これも緑野さんにはあっさり否定された。
でもサトリちゃんはわかってくれました。そりゃしぃ担だから当然。
が、どう変わったかは意見の一致を見たものの、その評価については合意できず。
「変わった」と思ったのは、何と言うか、人間臭さ。
ムラでは、いや東宝の前半も、館岡さんはただただ「正しい」人でした。でも東宝後半で見た館岡さんは、迷ったり焦ったり愚かしい面もあったり、とにかく人間らしい。
私はムラの絶対正義な館岡さんの方が好きなのだけれど、『長崎』と言う物語においては東宝の方がバランスがいいと思う。主人公は伊佐次や卯之助なのだから、館岡さんが正しすぎると収まりが悪くなる。
と思ったのだけれど、
サトリさんは、むしろ正しすぎる方が対比になって良いのでは?と言っていたような……おっと、こんなところまで記憶が怪しい。間違ってたら訂正してください、サトリさん。
とにかく、見方は色々あるなあ、難しいなあと。
いやそれ以前にしぃちゃんの役にこんなに意味を持たせている人自体少ないだろうけど(苦笑)。

本当に、みんな同じものを見ていても誰も同じものが見えていない、ってことで。
8月14日。
東宝にたどり着いたのは朝7時過ぎ。そのまま当日券の列に並ぶ。結局立見のセンター下手側で見た。

そうこうしているうちに入りが始まる。
夜行バスで来たのはそのため。ムラでは遅刻して檀ちゃんの姿しか見られなかったから。

既に忘れかけているので、憶えていること、憶えていたいことだけを。

仙堂さん。
会服のTシャツ姿で、会の人と何やら喋りながら歩く姿を見送った。
小さくて、キュートで、強そう(笑)。
大好きだった。オルガも、秦国夫人も。
ジュリアで、違うタイプの女の子を演じていて、また魅力的だったなあと思い出す。

檀ちゃんも、お付きの人と歩く姿を。
ムラのひらひらしたスカートとは違い、マーメイドラインの大人っぽいワンピース。上から会服のシャツを着て。大きなつばの帽子をかぶって。
色は勿論、白一色。細くて華奢で、舞台の上の堂々とした姿と比べると、一瞬戸惑う。
綺麗だった。

恵斗くん。
白いシャツは、東京茶会のプレゼントだそうで。細身のシンプルな、きれいなシルエット。真っ白だけれど、よく見ると織りで模様が入っている。心持ち大き目の襟が印象的で、よく似合う。
白い靴はムラ茶会のプレゼント。爪先がとがっていてピンヒールで、リボンと言うか編み上げ風の装飾がアクセント。
ええ、会の人たちの後ろにへばりついていたので(笑)、よく見えました。
一旦行ってしまいかけたところを、会からの声かけがあるから、と呼び戻され。何?どこに行けばいいの?という感じできょろきょろする。会の人が「かわいい」と呟くのが聞えた。
うん、かわいいよね。真っ白なシャツと真っ白な細身のパンツで、信じられないスタイルの良さ。そして丸いかわいらしい顔、ひよこのようなほわほわの髪。
会の皆さんの掛け声は、残念ながら細部を憶えていません。大好きですと、そして最後は、行ってらっしゃい、と言っていたような気がする。
暖かい声に送られて、恵斗くんは笑顔で手を振って去っていきました。

白い服は夏の空に映えるなあ、と思った。
この前は、冬だったけれど。

***

緑野さんと「み」さんが、太陽の塔に言った話を書かれている。
私も、子供の頃大阪万博へ行った。太陽の塔にも入った、はずだ。おぼろげな記憶もある。
なのに。
お二人の書かれていることと、私の記憶の中の光景とは、何だか違うのだな。
私は、何を見たのだろう。何を憶えていたのだろう。
それを確かめるために、一度行かねばならないかな、と思っている。

千秋楽について、あちこちの報告を読んでいる。
間違って記憶していたらしいこともあれば、見た記憶すらないこともある。
太陽の塔は、子供の頃のことだから記憶が曖昧でも仕方ないか、と思っていたけれど。
記憶って、そんなものなのかもな。
恵斗くんがレディ・ダイスと握手できてましたー!!

ブロードウェイの場面。レディ・ダイスの出待ち(違)をするも、いつもレークに押しのけられて近づけない恵斗氏。その後花道を追うけれど手が届かない。
しかし今日、千秋楽は違いました。
レークをはねのけ、見事レディ・ダイスの握手をゲット! コケて転がるレーク、ガッツポーズの恵斗氏。場内大拍手。
花道をはけていく時も「うわー握手してもらっちゃった」と感激冷めやらぬ様子で、自分の両手を見つめて歩いてました。微笑ましい。

ここ「楽くらいは握手してもらえるといいなー」と思ってたんですよね。でも本舞台では期待せず、花道をはけていく時にやってくれないかなあと。そしたら本舞台で実現。良かった良かった。憧れの君と握手して喜ぶ恵斗氏を見ることができて私も嬉しいです。ほくほく。

ちなみに前楽では、レークがレディ・ダイスに「今日の舞台頑張ってください!」白い花を一輪渡していました。そしてラスト、別れのデュエットダンスでは檀ちゃんの髪にその白い花が。
ああ、素敵だなあ、サヨナラだなあ、と思って見ていたのですが、前楽でこれをやってしまって楽はどうするんだろうとも思っていました。
そうか、このためだったのか。
大楽は恵斗くんに譲ってあげたんだね。ありがとうワタさん。

その他、千秋楽アドリブ。
靴磨きでオーキッド「でかいね!」のところでレークがオーキッドの前に立ち客席から隠してしまい「でかくてすっぽり!」。
その後支払い。オーキッド「今までずっとやっていたけど、本当はいくら?」。
レーク「キュッが1万ドルなんで、♪キュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッキュッ、で合計9万ドルです」。
じゃあ切りよく10万ドル。そしてJCBカードと友の会カードとOMCカードとVISAカードもつけちゃうオーキッドさんでした。
(既に記憶が怪しい。前楽と混ざっているかも)

アカデミーに推薦されたレーク、喜んでジャンプ君とハグしてました。

楽屋番の帽子。「これから彼女とデートなんです。要らないからどうぞ」レーク「(彼女に)お幸せに」。
ちなみに前楽は楽屋番「これ使って彼女と踊るんです」レーク「それ必要ないから」。

一人ずつアピールする黒タキホスト。まとぶんの時にワタさん「星組、真飛聖!」とご紹介。場内拍手。

えーと、まだあった気がするけれど思い出せません。
あ、サトリさんから指令のあった中詰のしぃゆかキスシーン、千秋楽にて補足しました(前楽は歌手の恵斗くんピン撮りしていたら見損ねた)。
はい、ちゃんとキスしてるように見えました。少なくとも1階1x列上手サブセンからは。うん、良かった。綺麗だった。

ショーのそれぞれの場面で退団者がお花をつけていたのは、ムラ楽とほぼ同じ。
恵斗くん、黒タキに赤い薔薇のコサージュ、決めの3回転のブレがムラと比べて本当に改善されていました。
大河くん、白いシバの子のソロ、見る度どんどん上手くなっていっていた。千秋楽は感極まったのか、声が震えていたけれど。

パレードでは檀ちゃん、階段を下りていつもの優雅な娘役お辞儀をしながら、口パクで、多分「ありがとうございました」と。

檀ちゃんサヨナラショーも、ムラと同じ。
ムラの時は書かなかったことを書くと。
銀橋を渡る他の退団者たち。歌い終えて最後に、大河くんが仙堂さんを、恵斗くんがさなえちゃんをエスコートして下手花道を去っていくのが、最後の男役娘役の姿として目に焼きついています。
デュエット「二つの手」を歌い終えて、ワタさんが檀ちゃんの赤いガウンをそっと脱がせ、下手に去っていくシルエットも。かすかに一礼したようなその姿を、ずっと見ていました。

サヨナラショーが終って。
退団者からのお手紙も、ムラと同じ内容。

ちなみに、涼さんは今日も泣いてました。ムラの方が大泣きしていたと思うけれど、やはり手で頬の辺りを拭って、隣のまとぶんに笑われて自分も泣き笑いしてました。

何度か幕が開き。3度目くらいかな。舞台上には退団者5人の姿。
客席は自然とスタンディングオベーション。それを見て泣いてしまったのか、口を覆う檀ちゃん。それを見てこっちもついつい泣けてしまう。
が、5人で一緒に、生声で、
「愛してまーす!」
……マジ泣けた。

もう一度。退団者だけの舞台。檀ちゃんが「みなさーん!」と声をかけ、現れる出演者たち。
ワタさんが、ムラと違い今度は意図的に、檀ちゃんに「ありがとうございました」と〆てもらい、幕。

出は相当な人数でした。やはり東京は違う。暑かったし、ガードの方々は大変だったろうなと。
終演後きっちり1時間で、さなえちゃん。かわいい。お団子にした髪に黄色い花の髪飾りと、同じく黄色の可愛らしいブーケを手に持って。
続いて大河くん。ムラと同じサラサラの地髪で美人さん。白いブーケ、だったと思う。
仙堂さん。アップにした髪に、挨拶時に同期のとなみちゃんに挿してもらった紫の花(蘭?)と、手には同じ花のブーケ。
皆、にこにこと、幸せそうに。

恵斗さん。髪はきちんと男役らしく固めて、袴姿でもありえないくらいの長身、小顔、長い手足。にこやかに、本当にすっきりした笑顔。それはもう大階段を下りてくるときからずっと。
檀ちゃんは、これから女優さんになる。仙堂さんの今後は何も知らないけれど、あの歌はこれで封印と言うことはないだろう、またどこかで聞けるのではないかと勝手に思っている。
でも、恵斗くんの姿を見るのは、多分これで最後だろう。
ご挨拶では「嶺恵斗として生きてきた10年間」と言っていた。もし今後姿を見ることがあったとしても、それは「嶺恵斗として」ではないのだろう。
だから、お見送りできて良かった。

檀ちゃん。ムラでは髪を下ろしていたが、東宝では結い上げて。
白い花を髪に飾り、同じく白い花を持って。いつものように、頭を挙げて毅然とした、美しくも凛々しい姿。
今まで立ち止まったまま見送っていたが、思わず走って追いかけた。人垣の向こうで姿は全く見えない。が、ガードの切れる辺りに車を止めて、何やらインタビューを受けている。
暫しの後、
「愛してまーす!」
檀ちゃんのオトコマエな声が響いた。
それで、最後だった。

その後も、ぼーっとしたりいい場所を求めてうろついたりしながら、出待ち続行。以下、順番は適当。
しぃちゃんは、黒のウエストシェイプしたスーツで出はサングラス無し。いつものように笑顔で、いつものように美人さん。
まとぶん、VO5トークショーの時に来ていたと言うすずみん特製シャツで。前に「飛」の文字、背中にV。一際大きな拍手。ファンクラブから「どこまでもついて行きます!」と声がかかり「ついてきてください!」と応える。
とうこさん、会から「とうこちゃん最高!」だったか、声がかかる。笑顔で手を振っていた。
ワタさん、長いガードの列に手を振りながら帝国ホテル方面へ。服装、一見ジャージみたいだけど、実はいい物なんだろうな。ラフな格好だと余計に「格好いい兄ちゃん」って感じ。最後に投げキス。ガードから歓声。

贔屓組の楽、しかも退団者を見送る楽。
いい千秋楽でした。この公演色々文句を言いながら通ったけれど、それでもやはり楽は格別で。
色々あるけれど、やっぱり出会えて良かったなあと。
パレードの最後に「出会いは決して奇跡じゃない」と歌いながら大階段を下りてくる、我が心の太陽に、今回も感謝。

落ち着かない週。

2005年8月13日
今週は何となくざわついていた。いや個人的に。
日曜に東宝に行ったせいで、またカウントダウンが始まっていたので。
しかも今度は、後はない。

まあその間にさららん退団ニュースで別の衝撃も来ちゃいましたが(苦笑)。
と言う訳で、何はともあれまた東宝行ってきます。檀ちゃんのこととか色々書きたいことはあったんだがタイムリミット。帰ってきて気が向いたら、また。

(とか言いつつ宙組のショーと月バウほっくんVer.の感想もまだなんだが、まあ仕方なし)

2005/08/11
月組 退団者のお知らせ
下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。

(月組)
 光樹すばる
 月船さらら  
  
2005年12月25日(月組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団


(以上、公式から引用)

さららん?
……何それありえない。

と言うのが私の第一声。
いや、今でも嘘なんじゃないかと思っているんだが。

だってありえないだろう、あのやる気が有り余って暴走してる人が。
バウ初日でも上手い演技といい演技の違いについて延々語っていた人が。

しかしエイプリルフールでもなんでもないしなぁ……。
現実なのか。

うーさんもびっくりだ。
ずーっと居て、組長さんになって、専科さんになってくれる人だと思っていたのに。

そして問題は、次の月組公演の友会が全部はずれてしまっていることだったりする。
発売日も旅の空だから並びに行けないし。
どうしよう、困った……。
7日は、ドリーさんとお友達とお会いしました。11時公演終わってからずっとくっちゃべっていた。内容はとてもここでは書けない(笑)。

夕方からはサトリさんと合流。星全ツ初日参戦を決意したと聞く。
そんなサトリさんに耳寄り情報。

 美術館「えき」KYOTO 開館8周年記念
 Marc Chagall 愛のシャガール展

 http://wjr-isetan.com/kyoto/event/index.html#eki

「愛のシャガール展」ですよ。
来るよね? つーかサトリさんが関西に来るのを狙ったような企画よね(笑)。
会期は8月27日(土)〜10月2日(日)。良ければ前売り買ってお待ちしてます。

つー訳で、完全私信でした。
私信なのに何でここで書くかというと、もしかしたら立樹担の方のニーズがあるかもしれないと思わなくも無いからで。リンク先の紹介文「生をうけたのは白ロシアのヴィテヴスクで」に、知ってるよ!と突っ込み入れた人は是非に(笑)。
前項の続き。

【ショーメモ】

・オペラ無しで見ていたら赤いオープニングでれおん君に持っていかれました(普段はしぃちゃんかすずみんが目に入る)。何だかすごく王子様に見えて目が離せなかったんですけど。髪型のせい?
・でも下手端の恵斗くんチェックも外せない。
・ラジオシティもピンクのスーツの恵斗くんを。でも視界が広いので靴磨きレークの登場も見られた。初めて見たかも(お前誰のファンだ)。
・レディ・ダイス登場。恵斗くんの右腕をがしっと捕まえて何かと話しかけるレーク。ダイスが目の前に来ると突き飛ばす。相変わらずあんまりだ(笑)。
・靴磨き代「足りない?じゃ一枚引いて」と札束をトランプのように広げるオーキッド。悩んで一枚引くレークに「えーと…今日はたくさんの人に見守られています」って占いかい! ちなみに本日は会総見でした。
・タップ合戦。みらんくんがバンダナ無し。
・生着替え「たくさんの人に見守られているから暑いけどがんばるぞ」みたいなことを。
・アカデミー。楽屋番アドリブは「これレンタル禁止なんです」「いーじゃん!」
・やっぱり仙堂さんの歌を聴くと涙ぐんでしまう。またいつかどこかでも聞けるよね……。
・となみちゃんとのデュエットは前よりなじんできたような。何となく。
・レディ・ダイスをエスコートして銀橋を渡るスタンが格好よくて、私もエスコートされてみたいとうっかり考えてしまいました。いやうっかり。でもムラ前半と比べるとすっかり板についていて、良かったなあと。
・オーキッドの♪レディ・ダイスの歌はやはり素敵だと思う(目はスタンを追っているけれど・笑)。
・ホストクラブ(違)もオペラがないので今まで見えていなかったものが見えました。そうかああやって次々出てきていたんだなあ。(ちなみにオペラがあると、スタンをピン撮りしつつレークもちら見→全員出てきたら恵斗くんピン撮り←お前誰のファンだ)
・オーキッドとダイスの目線が通っているのも初めて確認した。
・恵斗くん3回ターンの軸のぶれ幅は小さくなったような。
・ムラより相当パワーアップしている2番テーブル。
・ワタさんが柚美さんに「マダム」とか呼びかけてるのが聞えた。ひゃー。
・何気にきんさんとれおん君のカップルが素敵でした。ちょっと強引に踊りに誘うれおん。
・ケンカシーンも初めて全体を見た気がする……黒服たちの相手を小馬鹿にするような手招き、多分ムラでもやってたんですよね?
・ワタ檀とうこの3人銀橋渡り、やっぱり好きだ。
・ロケット、れおんくんの脚はやはりとんでもねー。これは赤い王子様や黒タキホストとは別人として見るべきなんだろう、うん。韓国はれおんが行くとして、全ツではどうするんだろうこのロケット。
・紫の中詰め。恵斗さんのソロは大分自分のものにしてきたのかタメをつけたりしてきてました。ちょっとだけど。
・サトリさんの指令でしぃゆかキスシーンを捕獲しようとするも、微妙。確かに顔を寄せていたけれどあれはキスシーンカウントしていいんだろうか。若干距離があるような(サトリさんすみませぬ。オペラがなかったのが敗因か)。
・オーキッド、ジェラシーの歌は相変わらず良い。最高音、あまりファルセットっぽくなくなった?
・大河くんの歌を聴いても目頭が熱くなってしまった。
・ブロードウェイメドレー銀橋渡りは楽しい。
・ひそかに、しぃ琴仙堂のトリオとまとぶとなみうめのトリオは、組み合わせを交代した方が身長バランスがいいんじゃないかと言う気がしているのは私だけ?
・パレード、下級生がお辞儀するところから、ちゃんと拍手が入るようになっていた。良かった良かった(客が意地で入れているような気もしたけど)。

こんなもんかな。思い出したら追記します。

午後はコーナン貸切だったので、見たのは1公演だけ。でも「もう1回見たいー!」とサバキを探す気にはならなかったので、多分そういうことなんだろう。
ショーだけだったらもうちょっと通っても良かったんだけどな。残念だ。

91期生が加わったのに全然気がつかなかった、と東宝版のプログラムを買ったところ、檀ちゃんさよなら記念写真とインタビューが載っていました。
……綺麗だなあ。
やはりキャトルで全ポストカードを買っておくべきかしら。
星組観に行ってきました。東宝は今期初めて。
月バウ後期日程とか宙初日とか書いていないことはあるけど、とりあえずこのことから。

寝坊しました(目が覚めて時計を確認したとき「そんなに私芝居観たくなかったのか」と思った)。
11時公演、奇跡的に間に合いました。
けど、慌てていてオペラグラス忘れた……と言う訳で、久々の上に2階席からオペラ無し視点で。

【芝居メモ】

・ミエコ先生と絡むすずみんは相変わらず楽しそうだ。
・仙堂さんの歌を聞くと目頭が熱くなる。
・最初は「長すぎ」と思った舞踊会プロローグ、今となってはこの作品屈指の楽しいシーンかも。
・いじめっ子のシーンでちび卯之助が「この脚のせいで!」。因果関係がわかるように台詞を改善したらしい。

・長崎奉行所のカーテン前芝居、佐藤さん(にしきさん)の演技が格段に良くなっていて驚いた。軽妙洒脱に磨きがかかっていると言うか、大人と言うか、奉行所のまとめ役と言うか一番偉い人(役職は知らないが)はこの人なんだなと言うのがわかる。有体に言うとかっこいい。いやびっくりした。
・石浜さん(ゆかり氏)もかっこよくなっていた。容姿だけでなしに、台詞声や雰囲気も男前度が上がっていた。これもびっくりした。
・鈴木さん(恵斗氏)はあまり変わっていないような……今はそれすら可愛いのですが。

・中国娘たちは相変わらず可愛い。と言うか可愛らしさパワーアップしていて溶ける。
・コトコトの歌もパワーアップしているような。清楚で可憐かつ力強い歌声に聞き惚れる。
・乙名のみきちぐは本当にいい仕事をしていると思う。ゆうほさとるとのコンビがたまらない。まだ青いゆうほ氏をいなすあたり。
・手入れに来た館岡さんが立ち去るとき、キックのポーズで二度と来んなと見送る内通辞みらんくん。可愛いじゃないか。

・「それでどうだ」は思ったほど気にならなかった。上手く自然に言うようにした三人の工夫の賜物だと思う。(でもカフェブレイクで初めて聞いたときは吹いた)
・精霊流しでも仙堂さんの歌を聞くと目頭が熱くなる。ここも最初長いと感じたが今となっては屈指の心やすらぐシーンだったりする。
・ラスト、小船で男二人で心中、の光景はやはり半端な破壊力じゃなかった。

結論。
卯之助が湖月わたるだということを極力意識しないようにすれば、この芝居結構観られる。
ってどうなんだそれ。

いや、久々に見たら、主要3人の演技も変わっていたように感じたんですよ。
寂寥とか、哀惜とか、失われた過去を惜しみ現在を寂しく思う色合いが強くなっていたように見えました。
特に、おしまと伊佐次が。「江戸の女が流れ流れてこんな姿になっちまったのさ」「昔の伊佐は死んだよ」と言った台詞が、大劇のときより寂しく聞えた。
二人とも過去は過去として、自分たちが戻れないところに来てしまった、変わってしまったことを自覚しつつ、それでも帰りたいというやるせなさ。
ムラでは(頭では理解できても)感覚としてピンと来なかった部分がすごく沁みてきた。つまり良くなったんじゃないかと。

それに対して、卯之助は変わってしまったことを否定しているような。変わっていないと思いこもうとしているような。変わっていないことにしようとしているような。
伊佐次が凶状持ちであると言いつつ、おしまに対して人柄の良さを強調して、相変わらずと言われてみたり。
一番道理をわかっているようなことを言いつつ、一番時を止めようとしているような気がする。唐人屋敷と言うアジールの中で。
でも、その企てはいつか破綻する。

やっぱり、どういう見方をしても卯之助が一番歪んで見えるんですよ。私には。
そういう人物もありだとは思うけれど、ワタさんでは観たくないってことで。

『長安』の玄宗は、しょーもないバカ殿だけどワタさんだから許せたのに対し、卯之助はワタさんが熱演すればするほど更に許せない。この感覚は伝わる人には多言を要さず伝わるし、伝わらない人にはどう説明しても伝わらないらしい、という気が最近してます。
それでも、個人への妄執でなく、過去への執着に見えるようになった分、少しは見やすい、かなぁ……それともこっちの感覚が麻痺しただけかなぁ(自信なし)。

(そしてやはり相当自己中で変な人だと思うカールハインツ氏@霧のミラノに対しては好意的な自分が不思議でなりません。あ、あの人は「○○のため」とか偽善的なことを言わないからか。←文字にしたら速攻で結論が出たらしい)

あと、館岡さんも変わってました。
何だか、普通の人っぽく見えた。
ニュアンスが伝わるかどうかわかりませんが、ある意味常人離れしたゆるぎのない真っ直ぐさではなく、普通の範疇と言うか。
迷ったり困ったりもするし私心もないわけじゃないかもしれないし、卯之助を小者と軽んじるのもそれが自然なのではなく俗物的な意味合いがあるような。新公のあかし館岡にちょっと近いような気もする……決してイコールではないけれど。佐藤さんの大物度や石浜さんの男前度が上がっているので、相対的なものもあるのかなあ。
個人的にはムラの「絶対正義」な館岡さんの方が好きなんでちょっと寂しいんですが、伊佐次や卯之助が主人公とするとこのくらいの方がバランスがいいのかなあという気もしています。でもやっぱり個人的には残念だ。
……つーかそこまで館岡さんに意味を持たせて観ている奴もごく少数だとは思いますが。ええわかってますってば。

中途半端に長くなったので、ショーは別項で。
半端に字数が足りなくなったので。

原作との比較話になってしまうのはご容赦を。『イル・トロヴァトーレ』本当に好きなもので。
原作はもっと「個人」の話です。個人と運命の話。恋と復讐、愛と憎しみ、因果と不条理の話。

ちなみに、気になる点その2、幕毎に飛びまくるストーリーは原作のままでした。マンリーコの立場をパリアが説明している分だけ、まだ親切かな(笑)。

『炎にくちづけを』で素晴らしいのは、舞台の美しさ。
出演者が美しいのは宝塚だから当然として、衣装と、舞台装置。

衣装は、主要キャストは勿論(マンリーコ登場の白い王子様ルック!)、舞台全体として美しい。
伯爵側の兵士たちの統制された衣装も。(赤十字なのはキムシンの意図だろうなー)

舞台美術がまた美しい。
やや抽象的でシンプルな装置を、照明で上手く千差万別に使っている。特に、うねる木の幹の森のような装置。
新国立劇場あたりで使えばいいのに。このセットでトロヴァトーレ、見たいぞ。

とかく役が少ないと言われるキムシン作品ですが、今回の若手ジプシー軍団は美味しかったと思います。あくまでもキムシン当社比というか宙組当社比かもしれないけど。でも本当かっこよかった。
宙組初日観劇。
挨拶でたかこさんは「熱い宙組」と何度も言っていました。
すげー違和感がありましたが、あの芝居を観れば納得。宙組の温度を上げるか、やるなキムシン。

実際、熱い舞台でした。
幕開きからテンション高く、それが進行に伴ってどんどん熱を増していく。
出演者の、だけでなく、作品自体のテンション。
幕が下りてしばらく立ち上がれませんでした。
とてもとても力のあるものを見せられた感じ。これぞ舞台の醍醐味。

ただ、重すぎてリピートはきついかな。「一度宝塚を観てみたい」と無邪気にいう初心者に見せるのも躊躇われる。
キムシンの長所も短所も遺憾なく発揮されているので、嫌いな人は嫌いだろうなあ。

『炎にくちづけを』には相当期待していた。
原作にあたる『イル・トロヴァトーレ』は大好き。一番好きなオペラかもしれない。
そしてそのとんでもない設定から「宝塚でやればいいのに」とヅカにはまる前から思っていた。だって主人公は吟遊詩人で謎の騎士でジプシーで、おまけに失われた伯爵家の息子だよ?
それがキムシン作で、宝塚が誇るヴィジュアル系の宙組。
こりゃ期待するなって方が無理。

宝塚化にあたって、特に興味深かったのは3点。
1.内容の追加:テーマやストーリーに新機軸があるはず。
2.原作の補足:幕毎にストーリーが飛びまくっているので。
3.ラストの処理
以下、原作もあるし、ネタばれ気にせず感想。

冒頭に短い序曲があり、何やらオペラ風。
続いて、フェルランド(寿つかさ)と兵士たちとの掛け合いによる昔語り。マンリーコ(和央ようか)を待つレオノーラ(花總まり)、情熱的過ぎる恋の行方を案じるイネス(紫城るい)、レオノーラに横恋慕するルーナ伯爵(初風緑)と、オペラと同じように進んでいく。
が。一見似たような物語の中に、独自の要素が立ち現れる。
原作の主題である恋と復讐に続く、いや、それらをも内包する『炎にくちづけを』独自の主題。

キリスト教徒と、ジプシーたち。
多数を誇り正義を奉ずる体制派と、体制からはみ出した自由な少数派。

正直「キムシンまたやんちゃしてるよー」と思いました。
まあ、舞台は中世スペインだしジプシーに対して強圧的なキリスト教徒が出てきても有りだとは思うけれど、不快な人は不快だろう。私もちょっとやりすぎだと思った。それに、日本人がこういうステレオタイプな書き方でキリスト教を取り上げて、しかも大真面目であることに、青さと言うか子供っぽさを感じる。
今までのキムシン作品を見ていれば、キリスト教に物言いたいのではなく、自分以外の価値観を認めない集団の暴力対そこからはみ出した個人、が本当の主題なんだろうと思うけれど。

やりすぎ(苦笑)。
だけど、この『炎にくちづけを』において、キムシンが『イル・トロヴァトーレ』を現代化するにおいて、それは必要なことだったんだろう。

オペラとの大きな違いは、ジプシーたちの存在。
オペラでは物語の背景だった彼らが、実に生き生きと描かれている。
若頭のパリア(大和悠河)を筆頭に、遼河はるひ、悠未ひろ、十輝いりす、七帆ひかる、和涼華ら若手たち。そして長老のエーク(美郷真也)。
キリスト教徒の兵士たち修道女たちが、整然とし統制の取れた、ある意味顔のない集団であるからこそ、彼らの個性豊かな生命力が際立つ。
きらきらと、眩しいほどに。

正直、彼らが出てくる度に、泣けてきそうになった。
「ジーザスは嫌いじゃない」と明るく力強い歌を聴く度に。
だって、この世界で、彼らが無事に生きて行ける訳がないじゃないか。
修道女たちを騙くらかし伯爵を出し抜いて、マンリーコとレオノーラを逃がすジプシーたち。陽気で魅力的で、ちょっとワルだけど、仲間を大事にする気のいい奴ら。
彼らはわかっちゃいない。ただではすまないことを。慈悲をかけたのに裏切られたと怒る修道女たちや、面子を潰された伯爵たちの冷たい憎悪を。相手の奉ずる神を「嫌いじゃないぜ」と親しみを込めて笑う彼らには、わかりようもない。
最期、一人一人死んでいく彼ら。キリスト教徒たちは最後まで同情の欠片もない。それが、とても恐ろしい。
しかし、それでも、最期まで昂然と頭を上げて去っていく彼らの姿が、痛みでもあり、救いでもある。

で、ミーハーな話をすると。
タニちゃん、格好よかったなあ。兄貴分を好演。歌もキャラに合って良かった。魅力的だった。
他では、私はどうも和くんが目に付いてなりません。きらきらしてる。
あと七帆くん。ワイルドで男前な笑顔にびっくり。そんな顔もできるようになったんだ。へー。

マンリーコとレオノーラの恋物語は、ほぼ原作どおりに進む。
いや、その甘さ激しさは原作を越えている。宝塚の面目躍如。
マント一枚をまとっただけのレオノーラと、マンリーコのラブシーン、すごかった。こういうのがさまになるのを見ると、やっぱりタカハナっていいなあと思ってしまう……。

が、レオノーラにも「仕掛け」がある。
仕掛けと言うと語弊があるが『炎にくちづけを』のヒロインならではのオリジナルな部分。
終盤、囚われのマンリーコへの思いを歌う独白。
彼女が何故マンリーコとの愛に身を投じたのか、世間の常識から外れた生き方を選んだのか、一瞬にして明白になる。
恋と世界が交差する瞬間。個人と世界が対峙する瞬間。
すごかった。

一つ不満なのは、ルーナ伯爵の描かれ方。
いや、酷薄な美形でお貴族様、というキャラの立ち方は魅力的なんだけど。「特別な人間」としての存在感はすごいし。
高みから戦場の兵士たちを見下ろし、美しい旋律で孤独を歌う。孤独を嘆くでもなく、当然のこととしてただ歌う。その凄まじさ。
すげーキャラクターだと思う。

でも、このルーナだと「実はマンリーコが弟だった」と言うのが生きないんだよね。そんなことで衝撃を受けそうに見えないんだもの。
折角、先代伯爵が息子は生きていると言い遺した、と説明しているんだから、父の遺言を守ってずっと探していた、とか言えばいいのに。天上天下唯我独尊ルーナ伯の、ただひとつの「家族」への思い。
そうであればこそ、人間外のジプシーとして処刑される彼が実は伯爵家の息子だったというカタストロフィも生きると思うんだけど。
そこが不明瞭だから、アズチューナのドラマもいまいち影が薄い。テーマが原作とずれているから仕方ない面もあるけれど。

マンリーコは何も知らない。
己が何者かなど知らない。ただ、レオノーラを愛し、母を愛し。何故かルーナを殺せず。その場その場の思いに突き動かされて行動する。そのイノセンス。
原作においては、妄執に満ちた復讐劇の中心に。
そして『炎にくちづけを』においてはそれに加え、集団の冷たい狂気の中に。
その白いイノセンスがある。

ラスト、マンリーコは粗末な衣装で柱に括り付けられ、火刑に処せられる。
既にレオノーラを失い、彼はただ許しを歌う。全てに対する許しを。
炎が彼を包みもう取り返しがつかないその刹那、アズチューナが真実を告げる。あれはお前の弟だと。

原作はここで終る。見る者の心に慄然とした思いを残して。
でも、宝塚では変えてくると思った。

期待は、叶えられた。
光。青い空。白い翼。
物語を昇華し、見る者の心を救い上げる。
理屈はなく言葉もなく、ただその光景が。

マンリーコの姿は十字架のキリストのようで。
そのパラドックスさえも、救い。

オペラに力負けしない、力のある作品でした。
原作のファンにも、見てほしいと思います。
暑さのせいもあり観劇頻度が落ちております。
今週末も雪大劇か月バウを見ようと思っていましたが結局行かず。行きたい美術展もいくつかあるけれどそれも行かず、ぐーたらしていました。

扇風機を微風にしてだらだら寝ていると、気分だけは東南アジアのコテージだったり。目を閉じると、高い天井にレトロな扇風機がゆっくりゆっくり回っているイメージで。目を開けると蛍光灯が下がってますが。

とか言ってますが海外行くならイタリアがいいです。霧のミラノで逆に本物が見たいと刺激されたこともありますが、行くならヴェネツィアがいいな。
来年のカーニバルは2/17から2/28だそうな。ベルばら祭りの真っ最中だけど、ほっぽって行くか。

思考もだらだらと流れる夏の夜。

***

嶺茶に行ったためか、暑中お見舞いの葉書が昨日ポストに入っていました。
お芝居の鈴木さんの写真。何処となく頼りなげな風情に微笑ましくも苦笑い。
お茶会行っただけで葉書もらえるなんて最後だからサービスなのかしら、と思ってため息。
星東宝はまだ一度も行ってません。退団者の顔を思い浮かべると、後々後悔するかも知れないなあと思いつつ。

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