落陽に立ちつくす人。(『落陽のパレルモ』)
2005年11月6日 宝塚『落陽のパレルモ』感想続き。引き続きネタばれあり。
景子先生の作品は魅力的な登場人物が多いなあと今回も思う。私の記憶に残っているのは『シニョール・ドンファン』『Le Petit Jardin』だけれど、どちらも群像劇に近く男女共にいいキャラが多かった。『Last Party』みたいに主人公一人舞台の芝居もありましたが。
ヴィットリオの完璧ヒーローは言わずもがな。有能で、身分に関係なく人が幸せになれる世の中を目指し、仲間からも一目置かれる青年。そして恋には情熱的。オサさんに似合っているかと言うと微妙な気もしますが、その判断はファンの方にお任せしたいと思います。
子孫のヴィットリオ・F。
優しく情熱的な恋人。私的にはお坊ちゃんなところがたまりません。白いスーツが似合いすぎ。かっこかわいい。ゆみこちゃんはお育ちの良い役が似合いますな。
おばあさまが結局許してくれることを本能的にわかってるのよねー。全くもうしょうがない(笑)。
でも頼りないぼんぼんじゃなくて、ちゃんと命がけで愛する人を守る男でもあり。
パレルモを離れて芸術関係(ミラノでスカラ座の演出家だって。いいなあ)ってあたり、ちょっと『ニュー・シネマ・パラダイス』を彷彿としたり。
恋人のジュディッタ=あすかちゃんがまた良くてねー。女優と紹介されて納得の美貌、スタイル。そしてこれと言って大げさな演技はしていないのにヴィットリオ・Fへの思いが見える。健気でとても可愛らしい。彼に迷惑をかけまいと一人で出て行こうとする姿に泣けた。
この二人のラブラブにあてられました。幸せになれよー。
ヴィットリオの友人、ニコラ。
貧しい村に生まれ育ち、ヴィットリオと共にイタリア統一のために戦った。が、統一後も新しい社会は来ず平民は虐げられるばかり。
ニコラ=らんとむはいい青年であり、ルチア=一花ちゃんのいいお兄ちゃん。でも熱い思いゆえに過激な行動に出てしまう男でもある。こういう役ははまりますな。わかりやすく美味しい役でもある。
追い詰められた彼らは無謀な反乱を企てる。ピエモンテ王家に嫁ぐことが決まった公爵家令嬢マチルダ=彩音ちゃんを誘拐する。彼女は貴族階級の、そして北イタリア中心の支配の象徴だから。
この辺りが全編で一番印象的な場面かもしれない。いやそれは問題と言うか前項でも言ったとおりバランスが悪いと思うけれど。
3日も何も食べていないマチルダにニコラがパンを渡すのだけれど、お嬢様育ちの彼女は庶民が食べる堅くかび臭いパンはのどを通らない。むせた彼女に慌てて水を渡すニコラ。その拍子に触れた白い手に、同い年の妹の荒れた手を思う。娘らしい楽しみを何も味あわせてやれない、首飾りのひとつも買ってやりたいと嘆くニコラに、マチルダは黙って自分の首飾りを渡す。俺たちは対等な人間だ、施しは受けないとニコラに返されて俯くマチルダ。
ニコラは言う、あんた、いい人なんだな。
もう、この場面が良くて。
無骨な平民の兄貴分らんとむに対して、婚礼衣装の彩音ちゃんは本当に純白に輝くお姫さまで。そんな清らかなお嬢さんだからこそ、首飾りをあげようとする行動が無神経でなく無垢に映る、世間知らずだけれど純粋な善意が伝わるんだよねえ。その善意を認めることのできるニコラもまたいい男で。
これだけらんとむくんを誉めてますが、格好いいと思いましたが、残念ながら『アーネスト』の時のようなときめきは感じませんでした。あれはアルジャノン限定だったのか。
結局、彼らの無謀な賭けは失敗、マチルダ救出と共に皆殺されてしまう訳ですが。らんとむとみわっちの遺体には取りすがって泣いている人がいるのに、さおたさんだけひとりで死んでるのは何か意図があるんですか? 誰か居てもいいんじゃ?
らんとむニコラといつも3人一緒に出てくるみわっちより、まっつの方がキャラが立っていたかも。カヴァーレ公爵家の使用人? 歌手? マチルダお嬢様に憧れていて身分違いとからかわれる。本人も諦めてはいるらしい。そのお嬢様がもっと庶民のニコラにさらわれていいムード(違)なんてことを知ったら……とかちょっと考えてしまいました。
さて。
と言う訳で、並べて誰がお好み?状態とも言える『パレルモ』な訳ですが(え、違う?)。
よくよく考えると、私が一番気になるのはロドリーゴかもしれない……。
ロドリーゴ・サルヴァトーレ・フォンティーニ伯爵。
ヒロイン・アンリエッタに求婚している男。誰が見ても釣り合いの取れた理想的な婚約者候補。
でもアンリエッタの気持ちは彼にはない。ロドリーゴは彼女の求める相手ではない。
ヴィットリオをアンリエッタに紹介したのはロドリーゴ。平民ながら優秀な部下として。そう、あくまでも平民。自分達と違う世界の人間。まさかそんな男にアンリエッタが恋をするとは露ほども疑わずに。
ロドリーゴ=まとぶん、格好いいです。軍服が似合うことったら。
でも、はっきり言ってロドリーゴはいいところなし。ヴィットリオに決闘を申し込むけれど、その必要はないとアンリエッタの父カヴァーレ公爵に止められる。ここ、公爵のはっちさんが大人で格好いいもんだから、余計に頭に血が上っているロドリーゴの小物感が可哀想でねえ。
その後も、貴族であることに疑いを持たない彼は、アンリエッタの気持ちが理解できない。貴族と平民の衝突も、平民たちが何を訴えたいのかも恐らく理解できていない。
最後、ロドリーゴはアンリエッタの手に口付け、言う。「貴方の幸せを祈っています」と。そしてヴィットリオの傍らに立つアンリエッタに背を向け、立ち去る。
彼の物語はここで終わるんだろうか。それともここから始まるんだろうか。
彼は、何故ヴィットリオとアンリエッタの仲を認めたのだろう。
二人が愛し合っているから? それとも周囲皆が認めたから?
身分など関係なくヴィットリオが優れた男だから? それとも彼が貴族社会の一員になったから?
初日に見たときには、そこがわかりませんでした。
物語的に正解は、身分など関係なく人間は平等であり愛し合うことを認めたから、だと思いますが、まだ全然わかっていないと言うのもそれはそれでいいなあ。そういうキャラも私的にはありです。
落陽のパレルモ。
『落陽』が象徴するのは貴族階級。
ドンブイユ公爵やカヴァーレ公爵はそれでいい。もう十分に生きた彼らは、豪奢な落陽に殉じればいい。息子や娘たちに新しい時代を託して。
でも、彼は?
彼はまだ若く、その人生はこれからだ。
落陽の中で立ちつくす彼は、そこから一歩踏み出すことができるのだろうか。それとも彼もまた落陽と共に沈んでいくのだろうか。
そんなことを、考えてしまいました。
いや、ニコラとの出会いやアンリエッタの生き方を見て新しい考えに目覚め始めたマチルダと、議論したり語り合ったりするうちに結ばれる、とかそんなのもありかなー、とかね(笑)。
初日、まとぶんはまだまだいっぱいいっぱいと言う感じでした。組替えして最初だし、今まで大劇場でこんな大きな役やったことないし、本人の引き出しにも無い役だから、仕方ない、よく頑張ってる。今までの経験から言えば平民側の方がやりやすいだろうけれど、いい経験、鍛えてもらっていると思って頑張れ。
しばらくたてばロドリーゴの役作りも変わってまた違うものが見られると思うので、期待して見に行きます。
景子先生の作品は魅力的な登場人物が多いなあと今回も思う。私の記憶に残っているのは『シニョール・ドンファン』『Le Petit Jardin』だけれど、どちらも群像劇に近く男女共にいいキャラが多かった。『Last Party』みたいに主人公一人舞台の芝居もありましたが。
ヴィットリオの完璧ヒーローは言わずもがな。有能で、身分に関係なく人が幸せになれる世の中を目指し、仲間からも一目置かれる青年。そして恋には情熱的。オサさんに似合っているかと言うと微妙な気もしますが、その判断はファンの方にお任せしたいと思います。
子孫のヴィットリオ・F。
優しく情熱的な恋人。私的にはお坊ちゃんなところがたまりません。白いスーツが似合いすぎ。かっこかわいい。ゆみこちゃんはお育ちの良い役が似合いますな。
おばあさまが結局許してくれることを本能的にわかってるのよねー。全くもうしょうがない(笑)。
でも頼りないぼんぼんじゃなくて、ちゃんと命がけで愛する人を守る男でもあり。
パレルモを離れて芸術関係(ミラノでスカラ座の演出家だって。いいなあ)ってあたり、ちょっと『ニュー・シネマ・パラダイス』を彷彿としたり。
恋人のジュディッタ=あすかちゃんがまた良くてねー。女優と紹介されて納得の美貌、スタイル。そしてこれと言って大げさな演技はしていないのにヴィットリオ・Fへの思いが見える。健気でとても可愛らしい。彼に迷惑をかけまいと一人で出て行こうとする姿に泣けた。
この二人のラブラブにあてられました。幸せになれよー。
ヴィットリオの友人、ニコラ。
貧しい村に生まれ育ち、ヴィットリオと共にイタリア統一のために戦った。が、統一後も新しい社会は来ず平民は虐げられるばかり。
ニコラ=らんとむはいい青年であり、ルチア=一花ちゃんのいいお兄ちゃん。でも熱い思いゆえに過激な行動に出てしまう男でもある。こういう役ははまりますな。わかりやすく美味しい役でもある。
追い詰められた彼らは無謀な反乱を企てる。ピエモンテ王家に嫁ぐことが決まった公爵家令嬢マチルダ=彩音ちゃんを誘拐する。彼女は貴族階級の、そして北イタリア中心の支配の象徴だから。
この辺りが全編で一番印象的な場面かもしれない。いやそれは問題と言うか前項でも言ったとおりバランスが悪いと思うけれど。
3日も何も食べていないマチルダにニコラがパンを渡すのだけれど、お嬢様育ちの彼女は庶民が食べる堅くかび臭いパンはのどを通らない。むせた彼女に慌てて水を渡すニコラ。その拍子に触れた白い手に、同い年の妹の荒れた手を思う。娘らしい楽しみを何も味あわせてやれない、首飾りのひとつも買ってやりたいと嘆くニコラに、マチルダは黙って自分の首飾りを渡す。俺たちは対等な人間だ、施しは受けないとニコラに返されて俯くマチルダ。
ニコラは言う、あんた、いい人なんだな。
もう、この場面が良くて。
無骨な平民の兄貴分らんとむに対して、婚礼衣装の彩音ちゃんは本当に純白に輝くお姫さまで。そんな清らかなお嬢さんだからこそ、首飾りをあげようとする行動が無神経でなく無垢に映る、世間知らずだけれど純粋な善意が伝わるんだよねえ。その善意を認めることのできるニコラもまたいい男で。
これだけらんとむくんを誉めてますが、格好いいと思いましたが、残念ながら『アーネスト』の時のようなときめきは感じませんでした。あれはアルジャノン限定だったのか。
結局、彼らの無謀な賭けは失敗、マチルダ救出と共に皆殺されてしまう訳ですが。らんとむとみわっちの遺体には取りすがって泣いている人がいるのに、さおたさんだけひとりで死んでるのは何か意図があるんですか? 誰か居てもいいんじゃ?
らんとむニコラといつも3人一緒に出てくるみわっちより、まっつの方がキャラが立っていたかも。カヴァーレ公爵家の使用人? 歌手? マチルダお嬢様に憧れていて身分違いとからかわれる。本人も諦めてはいるらしい。そのお嬢様がもっと庶民のニコラにさらわれていいムード(違)なんてことを知ったら……とかちょっと考えてしまいました。
さて。
と言う訳で、並べて誰がお好み?状態とも言える『パレルモ』な訳ですが(え、違う?)。
よくよく考えると、私が一番気になるのはロドリーゴかもしれない……。
ロドリーゴ・サルヴァトーレ・フォンティーニ伯爵。
ヒロイン・アンリエッタに求婚している男。誰が見ても釣り合いの取れた理想的な婚約者候補。
でもアンリエッタの気持ちは彼にはない。ロドリーゴは彼女の求める相手ではない。
ヴィットリオをアンリエッタに紹介したのはロドリーゴ。平民ながら優秀な部下として。そう、あくまでも平民。自分達と違う世界の人間。まさかそんな男にアンリエッタが恋をするとは露ほども疑わずに。
ロドリーゴ=まとぶん、格好いいです。軍服が似合うことったら。
でも、はっきり言ってロドリーゴはいいところなし。ヴィットリオに決闘を申し込むけれど、その必要はないとアンリエッタの父カヴァーレ公爵に止められる。ここ、公爵のはっちさんが大人で格好いいもんだから、余計に頭に血が上っているロドリーゴの小物感が可哀想でねえ。
その後も、貴族であることに疑いを持たない彼は、アンリエッタの気持ちが理解できない。貴族と平民の衝突も、平民たちが何を訴えたいのかも恐らく理解できていない。
最後、ロドリーゴはアンリエッタの手に口付け、言う。「貴方の幸せを祈っています」と。そしてヴィットリオの傍らに立つアンリエッタに背を向け、立ち去る。
彼の物語はここで終わるんだろうか。それともここから始まるんだろうか。
彼は、何故ヴィットリオとアンリエッタの仲を認めたのだろう。
二人が愛し合っているから? それとも周囲皆が認めたから?
身分など関係なくヴィットリオが優れた男だから? それとも彼が貴族社会の一員になったから?
初日に見たときには、そこがわかりませんでした。
物語的に正解は、身分など関係なく人間は平等であり愛し合うことを認めたから、だと思いますが、まだ全然わかっていないと言うのもそれはそれでいいなあ。そういうキャラも私的にはありです。
落陽のパレルモ。
『落陽』が象徴するのは貴族階級。
ドンブイユ公爵やカヴァーレ公爵はそれでいい。もう十分に生きた彼らは、豪奢な落陽に殉じればいい。息子や娘たちに新しい時代を託して。
でも、彼は?
彼はまだ若く、その人生はこれからだ。
落陽の中で立ちつくす彼は、そこから一歩踏み出すことができるのだろうか。それとも彼もまた落陽と共に沈んでいくのだろうか。
そんなことを、考えてしまいました。
いや、ニコラとの出会いやアンリエッタの生き方を見て新しい考えに目覚め始めたマチルダと、議論したり語り合ったりするうちに結ばれる、とかそんなのもありかなー、とかね(笑)。
初日、まとぶんはまだまだいっぱいいっぱいと言う感じでした。組替えして最初だし、今まで大劇場でこんな大きな役やったことないし、本人の引き出しにも無い役だから、仕方ない、よく頑張ってる。今までの経験から言えば平民側の方がやりやすいだろうけれど、いい経験、鍛えてもらっていると思って頑張れ。
しばらくたてばロドリーゴの役作りも変わってまた違うものが見られると思うので、期待して見に行きます。
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