劇団四季『アイーダ』見てきました。
何故こんな時に(名古屋で『王家』やってるのに!)と思いますが、一度見ておきたかったのに明日で終わりだと聞いたもので。
と思ったら、6月から京都でやるんだそうで。なんだ、だったら無理して今見なくても良かったのに。

でもまあ、結論としては今見てよかったですけど。
オペラと宝塚との比較とか、色々考えられて面白かったです。そういう見方中心なのは失礼かと思いますが、でもそれは私としては仕方ないので。

『王家に捧ぐ歌』は「こう料理したのか」という感想を持ったのですが。
四季版(ディズニー版と言うべきか)『アイーダ』の第一印象は「アイーダでなくてもいいじゃんこれ!」でした。
だって、アイーダとアムネリスのキャラが全然違うんですよ。『王家』も違うけれど、あれはまだ、あのアイーダあのアムネリスがこうなったのか、思える。でも四季版は設定とか枠組みとかを借りてきただけに見える。
逆に言うと、『王家』がいかにオペラに忠実に作って、その上で独自の要素を盛り込んでいるか、と言うのがわかりました。
どちらが良いとかではなくて、ただ比較として。
(と言いつつ、立ち読みしたプログラムに、アイーダ役を得意としたレオンタイン・プライスが書いた絵本が元ネタのひとつになっているとあり、見てみたくなりました。オペラ開幕前のアイーダの生活等も書かれているんだそうで、それが今回のアイーダとラダメスの出会いにつながるのかな)

と、思ってたんですが。
ラストまで行き着いて、テーマ的な部分では四季版は結局オペラと同じところに着地し、『王家』が違うのかなと。
「100回生まれ変わっても君を見つけ出すよ」と「ただひとつできることがあるわ。祈ることよ」の違いと言うか。
オペラと四季版が『アイーダ』で宝塚が『王家に捧ぐ歌』であることの差と言うか。

あと、四季版は「ヒロインもの」でした。主役はアイーダ。予想したとおりでしたが。タイトルロールだしね。
その点宝塚は男役が主役だから。(『カルメン』『トゥーランドット』と女性がタイトルロールのオペラの宝塚化に際してはタイトルを変更し、『ホセとカルメン』『カラフとトゥーランドット』と言うヒーローを先に置いた副題がつけられているように)

そのヒーローであるラダメスですが、こちらは特にオペラとかけ離れたキャラになってはおらず。やんちゃで、冒険好きで、と若い感じになってるけど、善良で、でも何もわかっていない、と言うあたり。
と言うか、オペラのラダメスって実は人格無いよね。「エジプトの将軍」「アイーダを愛しアムネリスに愛される」って設定はあるけど、人となりは描かれていないよね。色々考えているうちにそのことに気づいてしまいました。(そうかだから私はオペラ『アイーダ』がそれほど好きじゃなかったのかもしれない)

ラダメスについてもう少し言うと。
『王家』では、アイーダがエチオピアの王女であることは皆に知られている。
前述のとおりストーリー進行やキャラ立てはオペラと宝塚版は良く似ていて四季版はかなり違うのですが、数少ない四季版はオペラどおりなのに宝塚だけが違う点、それがこの「アイーダが王女であると知られている」こと。
何故そうなのか、私は「それはタカラヅカだから」とすごく納得してるんですが。
だって、その方がラダメスがかっこいいから。
いや、だって、キレイでかわいい捕虜の奴隷娘に恋して、後から「えー王女だったの!?」と気づいてびっくり、より、敵国の王女と知ってそれでも愛を貫こうとする方が、かっこいいじゃないですか。わかっているのがアイーダだけだと、アイーダの苦悩だけが深まりラダメスが馬鹿に見えるじゃないですか。
それにその方がロマンチックだし。

話を四季版に戻して、アイーダとアムネリス。
アイーダは、オペラよりも宝塚よりも強くたくましい女性。迷いつつも王女として国民の期待に応え国を支えようと成長する女性。それ以前の、初対面でアムネリスの心を捉えてお友達に納まっちゃうあたりもたくましいよなーと感心しましたが。ラダメスとの出会いから恋に落ちる過程(これは四季版オリジナル)も、対等に言い争ってケンカして、でも何故か惹かれる、と言う描かれ方でした。

アムネリスは「おしゃれが私の切り札」と歌う、美人でちょっとあーぱーな女の子として登場。ラダメスへの思いも隠さず「どうしてあの人は私に会いに来てくれないの!」とヒステリー気味。
でもそんな彼女も王女として皆に期待されることの重圧と孤独に苛まれていて、それを理解する(彼女も実は王女だから)アイーダに心を開く。「友達としてお願いしているの」「あなたはいつも正しいことを言ってくれるわ、私と違って」とか、すげー可愛い女の子で。(ヅカだったらとなみちゃんに演ってほしい気がする)

そんな二人のヒロインでしたが、結論から言うとアムネリスの圧勝。いや別に勝ち負けつけなくても、と思いますが。でも見てる人の印象に残るのはアムネリスだろう。
四季のアムネリスは、アイーダのことをお友達だと思っているんですよ。だから、破局は彼女にとって、愛する男性と信頼する友人に裏切られたと言う二重の苦しみな訳で。
事が露見した後、ラダメスに「何も知らなかったと言えば命は助ける」と言っても拒絶され。アイーダには「ラダメスを助けて、あなたも彼を愛しているのでしょう」と懇願されても出来ないと言わざるを得ず。
でも、彼女は。二人がともに手を取り合って死ねるよう取り計らう。愛した男と友人のために。父であるファラオの反対を押し切って。死に行く父を、あなたは私にこの国を託さなければならないのだから、私に決断させろと説得して。
アムネリスは、オペラでも宝塚でも一番見る者の感情移入を誘うキャラクタですが、四季版はこの最後のサヨナラホームラン的逆転があるのでよりその傾向が強くなってます。なまじ最初がちゃらちゃらした脳味噌軽そうな女の子だっただけに、余計に。
ラストも、アイーダとラダメスは生まれ変わって巡り会うのに、アムネリスだけはそのまま永い時をさまよっている(ように見える)かと思うと、ひどいじゃないかそれー!って感じで。いや生まれ変わって巡り会う、はロマンチックでいいけどさ。

アイーダは、詰め込みすぎて難しいのかも。
「虐げられた民の声に応えて王女の自覚に目覚める」のと「ラダメスとの初めての恋で変わっていく」と言うある意味相反する変化が同時進行なんですよ。その迷いゆえにメレブ(後述)は死んじゃうし。ちょっと私的には消化不良でした。

あと、二人をともに死なせると言う形で許すアムネリスは哀しくも毅然としてとても魅力的なのですが、最初からそれとわかっているため、地下牢でラダメスとアイーダがお互いを探す場面が無いんですな。
ここ、二人の、特にラダメスの見せ場だと思ってるんで(オペラでも宝塚でも「もうここから出られない!」「私を愛したために貴女を死なせてしまうのか!」と言う、アイーダを思うが故のラダメスの慟哭が好きなんです)、それが無くなって、よりアムネリス一人勝ちになってしまっているかと。
勿論、それもいいんですけどね。アムネリス、元がふつーの女の子なだけに、女王としての責任と地位を引き受ける強さと痛々しさが泣けました。

文字数が尽きた、ので次項へ。

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