もう少し『フェット・アンペリアル』の話をします。

「それじゃまるで子供じゃない」
「ガキかよ」
何も考えていなかった、何故だか嫌だった、と言うウィリアムに、エンマとニールがそれぞれ言った台詞。
どちらの場合も、ウィリアムはそれに対して否定も怒りもしない。エンマには笑っているし、ニールに対しては「そうなんだ」と肯定して「はあ?」と呆れられたりしている。

それが必要だったんだろうな、と思う。
エンマについては既に長々述べたけれど、ニールだって実は窮屈な思いをしながら貴族社会の一員を演じている人間で。
ま、彼は楽しそうにやってるけど。でも、オッフェンバックの新作について薀蓄を傾ける貴族たちの間で、場末のミュージックホールのカンカンの方がよっぽど楽しいと思い、なおかつそんな自分をおくびにも出さないように猫を被っていたんじゃないかと。で、ついうっかりたがが外れてあんなことになったと(笑)。
「生きる世界が違うものを一緒に考えても仕方ない」「仕方ない、身分が違うんだ」と言う言葉も、実感であると同時に、そうではないと否定したいような思いを隠しているんじゃないかと。でも、そんなことは言わない。貴族社会の一員で、外交官で、大人なんだから。割り切ってそれらしく振舞うべきだから。

そんな彼の目の前に現れた、貴族らしくない貴族。「とにかく嫌なんだ」という理由で行動してしまった人間。
なんだあいつ。ありえない。だのに、つい手助けしてしまった。
良かったのか、それ。
いや、良くないけど。いつも誰もがそんなことをやっていたら世の中めちゃくちゃになるけど。でも、「とにかく嫌なんだ」と思うこと自体は否定しなくてもいいのか。理屈が通らなくても。
ニールだって「とにかく嫌」なことは色々あるだろう。例えば「見栄えのいい女なんていくらでも代わりはいるさ」なんて言ってるけれど、それだって露悪的に割り切った振りをしているだけなんじゃないの。ミュージックホールの踊り子のお姐さん(お上品なご婦人からは眉を顰められる人種)に淡い初恋を抱いたことだってあっただろうし。だからクリス君、あまり心配しなくていいと思うよ(笑)。
で、そんな自分を認めたら気持ちが軽くなってつい口も軽くなって、素直に色々喋って、シンシアに「その方がずっとステキよ」と言われると(笑)。

でも、ウィリアムが元々、思いのままに行動する人間だったのかと言うと、それは違うのだろう。
いや、本来の性質はそうなのだろうけれど。でも、思いのままに行動する人間だったら、異母弟とぎくしゃくしながら揉め事のない兄弟を演じたり、生母を避けて死に目に会えなくて後悔したりしない。
彼もまた、変わったのだ。

理由のひとつには「ここはイギリスじゃない」ということだあるだろう。異国、新しい環境、今までと違う人々の中で、意識的無意識的に自分を縛っていたしがらみから解き放たれる。。
そして、多分、きっかけはエンマだ。
エンマに惹かれたこと。何も知らないままに「きみのひとみにうつるかなしいかげをすべてそめあげることができたら」と、思ったこと。
そして、エンマの腕を取って走り出した瞬間。「とにかく嫌なんだ」「理由は後で考える」と、理屈の通らない行動を取ることを決めた瞬間が、彼にとってもターニングポイント。

と、今まで、ウィリアムの「とにかく嫌だった」がエンマへの恋心の発露であるかのように書いてきたけれど。
実はそうではなくて。少なくともそれだけでなくて、そんな単純な話ではなくて。
母への屈折した思いとか、それに囚われて会おうとしなかったことへの後悔とか、表面上は取り繕っていたけれど貴族社会でずっと居心地の悪さが消えなかったとか、そんなこと。説明しようとすると長い身の上話から始めなければならないような、そんなこと全てに後押しされて、「とにかく嫌」で走り出してしまったんだと。
エンマもそれを知ってか知らずか「あなたにだって言いたくないことはあるでしょう?」と言い、それを言われたウィリアムは「そうだな」と引き下がってしまう。

でも、それでもやはり、エンマの手を取って走り出した瞬間が、彼のターニングポイントであることには変わりはないと思うのだけれど。
段々と、自分に折り合いをつけていく過程の。

エンマには「いいたくないこともあるでしょう」と言われて黙ってしまったけれど、ニールに対してはその言いにくいことも含めて、行動の理由を彼なりに説明している。
そしてそれが、終盤の異母弟アーサーとの和解につながる。いや、和解と言うのも変だけれど、避けずに正直に向き合うことが出来るようになる。

……何だかこういう整理の仕方をするとすごくストレートな成長物語だなあ、若い青い(笑)。勿論この物語は色々な要素が詰まっているので、それはひとつの視点で切り取った物語に過ぎないのだけれど。

閑話休題。
アーサーとの関係はあまり書き込まれていないのだけれど、それでも最初の場面のぎくしゃくした感じ(笑顔で顔を覗き込もうとするアーサーと、なるべく目を合わせないようにするウィリアムとか。思わず笑いあっていたのが我に帰ってすっとぎこちなくなる瞬間とか)や、出征前もウィリアムが引き止めるまでの、何かありそうな緊張感が良く出ているので、何となくわかる気にさせられる。(アーサー=しゅんくん上手いなあと)
お互いに相手を嫌いだったと言い合った後、アーサーが「でも兄さんのは嫌いって言うより無関心でしょう?」と言うのが、個人的には一番ぐっときました。あー、それが一番嫌だったんだね、兄さんに関心を持ってもらいたかったんだねー。愛の反対は無関心と言う言葉がありますが、正にそういうことで。

ちなみにここ、ロバート=みきちぐもいいです。ウィリアムに「何か言いたいことがあるんじゃないのか」と言われたアーサーがどうしようと言うような視線を向けるのに頷き返すところとか。「お前が嫌いだった」とウィリアム言ったとき、ニールは「おい!」と声を荒げるのに対して、全てわかっている感じで見守っているところに、色々説明がなくても付き合いの長さを感じました。

更に余談になりますが、ウィリアムとアーサーは学校も軍隊も別々だけれど、そうなったと言うことはウィリアムがそれを希望して叶えられたと言うことですよね。
彼らの父親は話に出てこないので、多分もうこの世の人ではない、割と早くに死んだのではないかと。
代わりに出てくるのは、アーサーにウィリアムに会いに行くように言った「おじいさま」のこと。
多分このおじいさまが認めたんだろうな。良かれと思って息子の隠し子を家に迎え入れ、ワルシンガム家の人間として育てることにしたけれど。表立っては何も不満も言わず揉め事も起こさないけれど馴染むことも出来ないでいる少年と、その弟との緊張関係を案じて、例外を認めたんだろう。(厄介払い、と言うニュアンスはウィリアムからもアーサーからも読み取れなかったので)

この話の主筋であるウィリアムとエンマの物語については、基本的な理解は以前語ったことと変わっていません。
けれど、後半ウィリアム=しぃちゃんがオトコマエにより格好よくなってきた(と思う)おかげで、「誰も彼女を救えなかった、でも彼女にはウィリアムしかいなかった(けれど彼も彼女を助けることは出来なかった)」(「あなたが来てくれても私を救うことが出来ないなら、神様だって救えやしないわ!」from『椿姫』)から、「手を伸ばせば届いたはず」に印象が変わっております。
エンマは自由になれたのに、これからなのに。身分の差も、エンマの過去も心の傷も、ウィリアムなら全て問題じゃなかったのに。彼女を救えたのに。
どちらにしても、切ない話ではありますが。

ついでに、ブランメルのことを少し。
無政府主義にかぶれて国益に反する活動をやっていた、ことになっているようですが、その辺のことは描かれていない。と言うか、エンマを手駒にしてなおかつ失敗させて何をしたかったのか、さっぱり読み取れない。
決めてなかったんだね、と片付けるのは簡単ですが、非常に深読みし甲斐のある大野作品、それでは勿体無い(笑)。

彼もまた「とにかく嫌だった」人だったんじゃないかと。
親の不名誉による白眼視を跳ね返すため、殊更に愛国者として振舞った。でもいつしか、そんな自分が「とにかく嫌」になっていた。結果、無政府主義者になったけれど、別に無政府主義の思想に共鳴したわけではない。ただ、愛国者である自分が「とにかく嫌だった」から、それとかけ離れたものに近づいただけだ。
けれど、彼は「とにかく嫌」なんて理屈のつかない子供じみた感情を認めようとしなかった。だから、無政府主義者になった。そうすれば、今までの愛国的な行動を否定する理屈が立つから。
でも、所詮本心から動いているのではない彼のやることは、目的がはっきりしないほころびだらけのものになって。やがて、破綻する。
自分でも本当に何を求めているか、わからないから。
借り物の理屈や理念に頼らず、ただ嫌だっただけだと認めることが出来たら、そこを出発点に考えることが出来たらよかったのに。
それが出来るか出来ないかが、分岐点だったのかなあと。

そして「敬愛する閣下」がそんな風に破綻していく姿を見ていたサマービルの心中はいかばかりか……とそこまで思いを馳せてしまいました(笑)。

いや、本当に大野作品って「言わぬが花」的な部分が多くて、でもはっきり言わなくても色々と読み取らせる台詞や描写が多くて、非常に深読みのし甲斐があるんですが。特に今回、描写不足気味の部分が多いので、でも破綻はしていないので、つい色々脳内で埋めてしまいそれが苦にならず純粋に楽しいんですが。(破綻しているものを埋めるのは義務と言うか作業と言うか本能と言うか。いやそれも楽しいけど)

コメント

お気に入り日記の更新

日記内を検索