「どうでした?」
『コパカバーナ』初日を見た翌日、サトリちゃんに期待に満ちた目で聞かれました。
いや、良かったよー。となみちゃんはあーぱーでピュアで無邪気で超キュートだし、トウコさんは素敵にオヤジだし、あすかちゃんはいい女だし、組長はすげーシンガーでダンサーでアクトレスだし、みらんのカマキャラは天下一品だし、ゆかりちゃんは制服美人だし。
「で、わたるさんは?」
……難しいんだよな、主役褒めるのって。
『フェット・アンペリアル』と『コパカバーナ』二日連続で痛感。主人公、割と普通だし。いや、そりゃ格好良いことは良いに決まってるんだけども、どうしても周囲の方がキャラ立ってるし、格好良いって言ってるだけじゃキャッチーじゃないし(いや別にキャッチーにする必要は)。いや、カリブの海賊(違)の登場シーンはマジで格好良かったですが。いや本当に格好良かった。

と、どさくさ紛れにコパもちょろっと語っておりますが、今回はまだ『フェット・アンペリアル』の話。
主人公ウィリアムと、それを演じる立樹遥氏について。

作中、何度「馬鹿」と言われ何度張り倒されたかわからない主人公(笑)(でもかっこいい)。
作品解説の時点で「新米スパイ」と言う設定にぐらんぐらん来ていたのですが、蓋を開けたら期待以上でした。
要するに、未熟な若者。完全でない人間。学年とかにとらわれずに持ち味にあった役であることに、まず感謝。

ウィリアムは、バランスが難しいキャラだと思っています。
彼自身も鬱屈を抱えている。けれど、エンマに対しては子供のような真っ直ぐさで彼女の心を動かす。そのバランス。

結論から言うと、舞台上で見られるウィリアムのキャラクタは、後者に寄っている。そして恐らくは、それでいいんだろうと思う。
脚本で描かれているエピソードの比率からして、彼の抱える傷、コンプレックスには最小限度の描写しか割かれていない(それでも、腹違いの弟で嫡男のアーサーに向ける視線には、言いようの無い屈折が見て取れて、もどかしいのだけれど)。
育ってきた過程で傷や翳りやコンプレックスを抱え込んではいるけれど、ウィリアムの本質は、真っ直ぐで優しくて温かい、あくまでも前向きなもの、なんだろう。

それは、演じるしぃちゃんの持ち味を存分に生かしたものであり、あてがきの結果なのだろう。そのまま、ではなく「持ち味を生かしたあてがき」であるところに、大野氏の上手さを感じるのだけれど。
とにかく、ウィリアムの、そして演じるしぃちゃんの、相手役に向ける真っ直ぐな愛情は得がたい持ち味だと思う。(いやま、ぶっちゃけ私の好みだってだけかもしれませんが)

そして、エンマというヒロインとの関係において、ウィリアムはそういうキャラでなければならなかったのだ、とも思う。

陽月華演じる、コーラ・パールことエンマ・クラッチ。
さばさばしていて、強気で、背筋を伸ばし誇りを持って生きる、強い娘。けれど、傷だらけであやうい、必死に自分のバランスを保っている、ひとりぼっちの少女。
(うめちゃんは本当にいい役者、娘役だと思う。Acrossのときも思ったけれど「ダンスは上手いけどちょっとガサツ」と世間に思われている隙に、いつの間にかすごく情感のある芝居をする人になっていた)

エンマの心の壁を突き崩すには、計算を知らない愚かなまでの真っ直ぐさが必要だったんだ。常識的な「大人」な人間が踏み込まない、踏み込めないところに、ただ善意と相手への思いやりだけで真っ直ぐに切り込んでくる愚かさが。
そして、その痛々しさを包み込むためには、やはり計算も何もなく、ただ相手の痛みを自分の痛みとして受け止めて包み込む、真摯さと優しさと大きさが必要だったんだ。

そう、本当に、愚直で「馬鹿」。でもそれでいい、それがいいんだ。そういう人間だから、エンマを変え、周囲を動かす力があるんだ。
エンマと言うヒロインを救う、少なくとも未来への光を見えるよう取り戻させるためには、ウィリアムは子供の素直さと少年の不器用さ、そして大人の包容力を兼ね備えた男でなければならなかったんだ。

と、ぐだぐだと述べたようなことは、
「ウィリアムは駄目な男です。でもエンマにはウィリアムしか居なかったんですよ」
と言う、しぃ担サトリさんの名言ひとことで言い表せてしまうのですが(勝手に引用ごめん)。「後で考える」と言って後先考えずに駆け落ち(違)できるような馬鹿な(どう贔屓目に見ても職業人としては失格だしエンマを救うことも出来ないのにそれをやってしまう)男でないと、彼女の自ら作った固い鎧を壊せなかったのです。

エンマもウィリアムも、素直に素顔を覗かせているときが魅力的だよね。
ウィリアムで言うと、ミス・ハワードとの場面は基本的にコメディだけれど、その中で「歌声が寂しそうだったので」「賑やかな場は苦手」と言う、自分自身の言葉で喋ってるときは、素直にいいな、素敵だなと思う。きっとミス・ハワード(みなみちゃん素晴らしい!)の「言うほど悪くなかったわよ」はその辺りがお気に召したのではないかと(笑)。

エンマはどこもかしこもそんな風なのですが、私のお気に入りはシャーベットを買いに行くと盛り上がった後で「だめだわ」と我に帰って言うところだったりします。すごく素の、無防備な感じで。
あと、追いかけっこのシーンでケイティたちの踊る姿に見とれて、嬉しくて楽しくて状況を忘れて立ち止まってしまう場面。輝く表情が、その前後の展開を思うとかえって切ない。

思えばニール=すずみんもシンシア=ひかちゃんに「素直にしていればいいのに」みたいなことを言われていました。
それもひとつのテーマかもしれない。この、表と裏の顔、外に見せている顔と自分だけが知っている顔の両方を抱える人々のこの物語で。

ウィリアムとエンマの会話で、何度も繰り返される台詞がいくつかある。
エンマがウィリアムに言う「馬鹿ね」「そんな目で見ないで」。二人の「返事は?」「……はい」。
物語が進み二人の関係が変化するにつれ、場面に合わせて言い方や表情を変えて繰り返される会話。微妙に色の違う紗の布が重ねられていくように、様々なニュアンスのリフレイン。

そしてもうひとつ、私の好きなリフレインがある。
それは、「少しだけ」。

2幕。心を隠して立ち去ろうとするエンマを、ウィリアムは「ごめん、少しだけ」と言って抱きしめる。
このとき、客席から見えるのはエンマの顔。そして、ためらっていたのが自分の心に抗えなくなったかのようにウィリアムの背中に回される腕。

こういう場面で、娘役の方が客席を向いているのは珍しいのではないかと。男役を見に来る人の方が多いから、という理由だと思うけれど、印象に残っているのは『1914/愛』のアデル=檀ちゃんのびっくり顔くらいだ。
ここではエンマの、決して手に入らないと思っている幸せをつかの間味わうような、絶望と希望の入り混じった表情が切なくて苦しくて、そうか、だからこの立ち位置でいいんだな、と思った。

けれど。
ラスト近くに、もう一度「少しだけ」がある。

今度は、そう言うのはエンマ。「少しだけ」と言って、ウィリアムに体を預ける。
そしてこのとき、客席から見えるのはウィリアムの顔と、エンマの背中に回され彼女の細い体を力を込めて抱きしめる腕。彼にはそれしかできないから。切なくて、苦しい。

そうか、そういうことか。
少しだけ。本当に「少しだけ」。
切なくて苦しいリフレイン。

***

とか書いてますが、しぃちゃん演じるウィリアム、月曜火曜を見た人によるとまた変わっているそうです。
駆け落ち(?)の後のワルツの場面でエンマを落としにかかってるですってー!?
私が見たときはお互いに恋愛感情を自覚していないような微笑ましくも甘酸っぱい場面だったのに。いつの間にそんなことに(笑)。

本当に、一回ごとに変化して、進化してるよねー。
今までも芝居は割と変わってくる人ではありましたが(だから観察し甲斐がある訳ですが)。
今回はフィナーレでも、私が観た金土日3日間の間に、どんどんセンターが板についてさまになってきて、もうどうしようかと(別にあんたがどうもしなくても)。

……週末また見に行くのが楽しみです。そしたらまた全然違う感想を語れる気がします。

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