まずは『フェット・アンペリアル』の話をします。
いや、だってこっち先に終わっちゃうし。コパはまた来週以降。
いやもうすごい良かったですよ。
見れば見るほど色々心に沁みてきて、実にリピートし甲斐のある作品です。
今回のバウシリーズ、これが星組に当たってくれて良かった。本当に感謝。
主な見どころはサトリさんがさくっとまとめてくれている(http://diarynote.jp/d/62774/20060602.html)ので、まずはそちらをどうぞ(宣伝・笑)。
私は私らしくうだうだと語らせていただきます。
2回目に見たとき、オープニングから泣かされました。
そうだ、大野作品はこれがあるんだ。忘れていた。
オープニングは、本編と地続きでないショーシーンであることが多い。主題歌で主人公登場、みんな出てきて群舞、みたいな(大くくりにすればベルばらだってそうだ)。
大野作品においてもそれは同様。私が実際に観たのは『花のいそぎ』『睡れる月』だけですが。
しかし、現実=本編とは地続きでないイメージ空間と言う意味では同様なのだけれど、ひとつ特徴がある。
それは、時間軸の設定。空間は無くても、時間は明確に設定されている、と思う。
時間の設定。すなわち、それは物語の終わり。
全てが終った後、主人公が過ぎし日に思いを馳せて歌う歌。
だから、これから起こることを知っていると、歌詞のひとつひとつが意味を持ってくる。
切なくて泣ける。
そう、切ない。これも大野作品の特徴。
主人公にも周りの人たちにも様々な思いや切れないしがらみがあり、それが切なくて、やるせない。登場人物に感情移入して思いを馳せすぎると辛く苦しくなる。(つまりリピートがしんどくなる)
の、だけれど。
今回は、それが「切ない」どまりだったように思う。
重苦しいだけでなく、すがすがしさがある。言い方を変えると、希望がある。
そう感じられる理由のひとつは、この物語が過去と現在の二重構造であること。
本編は過去。冒頭と最後を短い現代パートが額縁のように挟んでいる。
冒頭、現在のウィリアム=ヒロさんが現れ、彼の回想と言う形で過去のウィリアム=しぃちゃんの物語、すなわち本編が始まる。そして本編が終わり、最後は現代に戻ってエピローグがあり、物語は終る。
この構造においてオープニングの時間は、本編の終わりと冒頭と最後の現代パートの間に位置する、と思う。
だから。
若き日に様々な出会いと別れを経験し、決して取り戻せないものを失った主人公(本編)が、「君が教えた勇気を胸に」(オープニング)その後の長い人生を生き、「誰も見捨てたりはしない」と約束してそれを実現できる人間になっている(冒頭と最後)、ということ。(歌詞と台詞もし間違ってたらすみません。気がついたらこっそり直します)
その外枠の物語全体が、希望であり救い。
深い痛みを抱えてなお前を向いて生きることを決意した主人公が、誓ったことを成し遂げる、その未来が見えるから、
いや、本当に「痛い」ものが好きな方には物足りないかもしれませんが。でも私は過去の大野作品でも『睡れる月』より『花のいそぎ』がより好きな方でしたから。
ちなみに「理由のひとつは」と書きましたが、そのほかに理由と感じているのは主演者の持ち味です。これについてはまた項を改めて。
ネタばれしない方がいいか等と迷いながら書いた結果、何が言いたいのかわからない文章になった気も(苦笑)。
えーと、とにかく、短い公演期間でもう前半終っちゃいましたが、機会のある方は是非見てください。リリカルで切ない、でも温かくすがすがしい後味の佳品です。
そして、誰かさんも言ってましたが、できれば2回見てください。本当にオープニングからキますから。
と、これだけおすすめしておいて何ですが。
ごく正直に言うと、初日見たときはちょっと微妙な感想でした。
消化不良と言うか。いや、大野拓史作品と言うことで期待しすぎていたのか。
1幕と2幕のバランスが悪いなあ。1幕は遊びすぎて状況説明に終始し、2幕は駆け足で話が進んでしまった気が。いや遊び部分は楽しいんだけど。それを削って説明入れろと言うのも忍びないんだけれど、でも。
その時点で、主な不満は2つ。
・1幕で遊びの要素を入れすぎたためか、主人公をはじめとする登場人物の葛藤が描かれていない。伏線不足。結果、2幕の種明かし(?)が唐突に感じる。
・2幕の黒幕探しをダンスシーンで処理している。スパイものをやりたいなら解き明かし追い詰める過程をドラマで描いてほしい。つか、ここで主人公の有能さとか努力とか見せてくれないと、いまいち格好よく見えない……。(でもヅカって仕事の有能さを見せるエピソードはあまり出て来ないよね一般的に)
で、喜劇を目指してスベった?とか色々考えて物足りなさを感じていた訳ですが。
翌日2日目の午前公演を見てあっさり撤回しました。
全然違う。面白い。
話がどう転がるかわかってるから、という観る側の問題に過ぎないのではないかとも思いましたが、でも初日を見ていない人の反応を見てもやっぱり違う。そうじゃない。少なくともそれだけじゃない。
つまり、やっぱり初日はとっちらかってたんだなと。
初日、2幕でしぃちゃん台詞間違ったとこがあったんですよ。ニール=すずみんに対し「アーサー(しゅんくんの役名)」と呼びかけてしまって。
まあそのくらいなら良くあることだけれど、その後。
「ニールだよ」とすずみんがアドリブで返したのに「ありがとうアーサー」と念押し。きっぱりはっきり明瞭な発音で。
……あのー、もしかして、聞えてない? つか周り全然見えてない?
何事も無いように舞台は進行して行きましたが。進行するしかないですが。
実は初日で相当テンパってたってことなのかなあと。それまでトラブルなく無難にこなしているように見えただけに、観ている側としてもちょっと手に汗握りました。
その後、1幕のラストシーンは舞台稽古で追加された(それまで無かった)話など聞くにつけ、やっぱ初日は大変だったんだと。
2日目以降落ち着いてくると、不満その1の書き込み不足は気にならなくなりました。舞台が落ち着いて出演者が演技で埋めれば十分埋まるレベルの不足だったと。
一番気になっていたのはウィリアムと腹違いの弟アーサーの話で、二人の関係を描くエピソードが足りないため2幕の展開が唐突だと言うことだったのですが、それも気にならなくなりました。短いさりげない会話に、微妙な緊張関係や気まずさが見て取れたので。これはしゅんくんも上手いしすごくきめ細かい演技をしているおかげ。
不満その2、敵を突き止める過程が描かれていない件は……正直こちらは今でも不満ではあるのですが、でもま、いっかと(をい)。
「洋物をやるならスパイ物」と大野氏が言っていたと聞いて、だったら何故その過程を描かない、それが醍醐味じゃないかと思いましたが、でも違うんだろうな。
スパイ物で描きたかったのは「二面性のある人間のドラマ」「表の顔と裏の顔を使い分ける人間の葛藤」だったんだろうなと。いや、あくまでも推測ですが。
そう思えば、無いものねだりはしなくてもいいかと。恩田陸や京極夏彦の所謂ミステリと呼ばれている作品に、ロジカルな推理劇は期待しない、でもそれ以外の部分で十分魅力を感じているのと同じで。
切なくて、苦しくて、でもどこか優しい物語。薄い紗を重ねるように、繊細な言葉の積み重ねで紡がれる物語。抑えたリリシズムに貫かれた世界。(ちょっと前の少女漫画好きにはたまりません)
それで十分じゃないかと。
話が逸れました。
初日と2日目の差は大きかったですが、その後も回を重ねるごとにどんどん良くなっていて、引き込まれます。こうしている間にも変化しているだろうと思うと見られないのが悔しい。
ので、もし初日しか見ていないという人がいたら、やはりもう1回見ていただきたいと(勝手に)思ったりしています。
うだうだ書くと宣言したら本当にうだうだしてしまった。
まだまだ続きます。次はもうちょいてきぱきと出演者の話など。
いや、だってこっち先に終わっちゃうし。コパはまた来週以降。
いやもうすごい良かったですよ。
見れば見るほど色々心に沁みてきて、実にリピートし甲斐のある作品です。
今回のバウシリーズ、これが星組に当たってくれて良かった。本当に感謝。
主な見どころはサトリさんがさくっとまとめてくれている(http://diarynote.jp/d/62774/20060602.html)ので、まずはそちらをどうぞ(宣伝・笑)。
私は私らしくうだうだと語らせていただきます。
2回目に見たとき、オープニングから泣かされました。
そうだ、大野作品はこれがあるんだ。忘れていた。
オープニングは、本編と地続きでないショーシーンであることが多い。主題歌で主人公登場、みんな出てきて群舞、みたいな(大くくりにすればベルばらだってそうだ)。
大野作品においてもそれは同様。私が実際に観たのは『花のいそぎ』『睡れる月』だけですが。
しかし、現実=本編とは地続きでないイメージ空間と言う意味では同様なのだけれど、ひとつ特徴がある。
それは、時間軸の設定。空間は無くても、時間は明確に設定されている、と思う。
時間の設定。すなわち、それは物語の終わり。
全てが終った後、主人公が過ぎし日に思いを馳せて歌う歌。
だから、これから起こることを知っていると、歌詞のひとつひとつが意味を持ってくる。
切なくて泣ける。
そう、切ない。これも大野作品の特徴。
主人公にも周りの人たちにも様々な思いや切れないしがらみがあり、それが切なくて、やるせない。登場人物に感情移入して思いを馳せすぎると辛く苦しくなる。(つまりリピートがしんどくなる)
の、だけれど。
今回は、それが「切ない」どまりだったように思う。
重苦しいだけでなく、すがすがしさがある。言い方を変えると、希望がある。
そう感じられる理由のひとつは、この物語が過去と現在の二重構造であること。
本編は過去。冒頭と最後を短い現代パートが額縁のように挟んでいる。
冒頭、現在のウィリアム=ヒロさんが現れ、彼の回想と言う形で過去のウィリアム=しぃちゃんの物語、すなわち本編が始まる。そして本編が終わり、最後は現代に戻ってエピローグがあり、物語は終る。
この構造においてオープニングの時間は、本編の終わりと冒頭と最後の現代パートの間に位置する、と思う。
だから。
若き日に様々な出会いと別れを経験し、決して取り戻せないものを失った主人公(本編)が、「君が教えた勇気を胸に」(オープニング)その後の長い人生を生き、「誰も見捨てたりはしない」と約束してそれを実現できる人間になっている(冒頭と最後)、ということ。(歌詞と台詞もし間違ってたらすみません。気がついたらこっそり直します)
その外枠の物語全体が、希望であり救い。
深い痛みを抱えてなお前を向いて生きることを決意した主人公が、誓ったことを成し遂げる、その未来が見えるから、
いや、本当に「痛い」ものが好きな方には物足りないかもしれませんが。でも私は過去の大野作品でも『睡れる月』より『花のいそぎ』がより好きな方でしたから。
ちなみに「理由のひとつは」と書きましたが、そのほかに理由と感じているのは主演者の持ち味です。これについてはまた項を改めて。
ネタばれしない方がいいか等と迷いながら書いた結果、何が言いたいのかわからない文章になった気も(苦笑)。
えーと、とにかく、短い公演期間でもう前半終っちゃいましたが、機会のある方は是非見てください。リリカルで切ない、でも温かくすがすがしい後味の佳品です。
そして、誰かさんも言ってましたが、できれば2回見てください。本当にオープニングからキますから。
と、これだけおすすめしておいて何ですが。
ごく正直に言うと、初日見たときはちょっと微妙な感想でした。
消化不良と言うか。いや、大野拓史作品と言うことで期待しすぎていたのか。
1幕と2幕のバランスが悪いなあ。1幕は遊びすぎて状況説明に終始し、2幕は駆け足で話が進んでしまった気が。いや遊び部分は楽しいんだけど。それを削って説明入れろと言うのも忍びないんだけれど、でも。
その時点で、主な不満は2つ。
・1幕で遊びの要素を入れすぎたためか、主人公をはじめとする登場人物の葛藤が描かれていない。伏線不足。結果、2幕の種明かし(?)が唐突に感じる。
・2幕の黒幕探しをダンスシーンで処理している。スパイものをやりたいなら解き明かし追い詰める過程をドラマで描いてほしい。つか、ここで主人公の有能さとか努力とか見せてくれないと、いまいち格好よく見えない……。(でもヅカって仕事の有能さを見せるエピソードはあまり出て来ないよね一般的に)
で、喜劇を目指してスベった?とか色々考えて物足りなさを感じていた訳ですが。
翌日2日目の午前公演を見てあっさり撤回しました。
全然違う。面白い。
話がどう転がるかわかってるから、という観る側の問題に過ぎないのではないかとも思いましたが、でも初日を見ていない人の反応を見てもやっぱり違う。そうじゃない。少なくともそれだけじゃない。
つまり、やっぱり初日はとっちらかってたんだなと。
初日、2幕でしぃちゃん台詞間違ったとこがあったんですよ。ニール=すずみんに対し「アーサー(しゅんくんの役名)」と呼びかけてしまって。
まあそのくらいなら良くあることだけれど、その後。
「ニールだよ」とすずみんがアドリブで返したのに「ありがとうアーサー」と念押し。きっぱりはっきり明瞭な発音で。
……あのー、もしかして、聞えてない? つか周り全然見えてない?
何事も無いように舞台は進行して行きましたが。進行するしかないですが。
実は初日で相当テンパってたってことなのかなあと。それまでトラブルなく無難にこなしているように見えただけに、観ている側としてもちょっと手に汗握りました。
その後、1幕のラストシーンは舞台稽古で追加された(それまで無かった)話など聞くにつけ、やっぱ初日は大変だったんだと。
2日目以降落ち着いてくると、不満その1の書き込み不足は気にならなくなりました。舞台が落ち着いて出演者が演技で埋めれば十分埋まるレベルの不足だったと。
一番気になっていたのはウィリアムと腹違いの弟アーサーの話で、二人の関係を描くエピソードが足りないため2幕の展開が唐突だと言うことだったのですが、それも気にならなくなりました。短いさりげない会話に、微妙な緊張関係や気まずさが見て取れたので。これはしゅんくんも上手いしすごくきめ細かい演技をしているおかげ。
不満その2、敵を突き止める過程が描かれていない件は……正直こちらは今でも不満ではあるのですが、でもま、いっかと(をい)。
「洋物をやるならスパイ物」と大野氏が言っていたと聞いて、だったら何故その過程を描かない、それが醍醐味じゃないかと思いましたが、でも違うんだろうな。
スパイ物で描きたかったのは「二面性のある人間のドラマ」「表の顔と裏の顔を使い分ける人間の葛藤」だったんだろうなと。いや、あくまでも推測ですが。
そう思えば、無いものねだりはしなくてもいいかと。恩田陸や京極夏彦の所謂ミステリと呼ばれている作品に、ロジカルな推理劇は期待しない、でもそれ以外の部分で十分魅力を感じているのと同じで。
切なくて、苦しくて、でもどこか優しい物語。薄い紗を重ねるように、繊細な言葉の積み重ねで紡がれる物語。抑えたリリシズムに貫かれた世界。(ちょっと前の少女漫画好きにはたまりません)
それで十分じゃないかと。
話が逸れました。
初日と2日目の差は大きかったですが、その後も回を重ねるごとにどんどん良くなっていて、引き込まれます。こうしている間にも変化しているだろうと思うと見られないのが悔しい。
ので、もし初日しか見ていないという人がいたら、やはりもう1回見ていただきたいと(勝手に)思ったりしています。
うだうだ書くと宣言したら本当にうだうだしてしまった。
まだまだ続きます。次はもうちょいてきぱきと出演者の話など。
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