言い訳。又は、あなたがそこにいるだけで。(星組『ベルサイユのばら』)
2006年3月11日 宝塚前言撤回。
前に「湖月わたるにフェルゼンはいまいちニンでない」と書きましたが、あれ撤回します。
と言うか、3/4、3/11と見てたら、そんなことどうでも良くなってきました。
役を役として成立させる、きめ細かく丁寧な演技のひとつひとつに、見入ってしまったので。
例えば。
アントワネットとの小舟での逢い引き、「愛あればこそ」を二人歌った後。一瞬眉根を寄せて罪の重さに逡巡する苦悩を見せ、そしてそれを振り切るかのように刹那の愛に没入しようとする表情の変化。
「愛の三叉路」を歌いきったときの、自分のなすべき事を悟ってしまったのにそれでもまだ決意しきれない呆然とした顔。
アントワネットに別れを告げた後オスカルの姿を認め「君の忠告は正しかった、ありがとう」と言うような友情の眼差しから、思いも寄らなかったオスカルの恋心に気付き、今まで気付けなかった自分を責める表情。
牢獄でアントワネットを腕に抱き、愛する人を救うことができる確信と喜びに満ちた微笑みと、それが他ならぬアントワネット自身に否定された衝撃。離れようとする彼女の腕を反射的につかんでいることにも気付かず、ただアントワネットの顔に視線を凍り付かせ首を横に振る姿。
勿論、1幕ラスト決然と歩み去る姿と、最後の「王妃さま」の絶叫は言うに及ばず(叫ぶ前に一度、呆然と「王妃様」と呟くのがまた、もう)。
だけど。
こんなことを書いてもまた、当てにならないんだ。
だって、本当のところ、見ているだけでいいんだもの。
あの人がそこにいるだけで。舞台の上の姿を見ているだけで。それだけで。
それがフェルゼンであろうとベルばらであろうとなかろうと。
だから、あの人のどこが素敵かどこが優れているかなんてことを具体的に語ることは、もうあまりできないかもしれない。
だって、そこにいるだけでいいんだもの。
いや、まあ、元々私にとってあの人は、割とそういう人だったんだけども。
と言う訳で、今のうちに言い訳。(誰に対して)(いや色々と)
ただ、芝居の内容を関係なく見ているだけでも良くなってしまったおかげで、ベルばらがかなり平気になってしまったことは良いのか悪いのか悩むところではあります。
前に「湖月わたるにフェルゼンはいまいちニンでない」と書きましたが、あれ撤回します。
と言うか、3/4、3/11と見てたら、そんなことどうでも良くなってきました。
役を役として成立させる、きめ細かく丁寧な演技のひとつひとつに、見入ってしまったので。
例えば。
アントワネットとの小舟での逢い引き、「愛あればこそ」を二人歌った後。一瞬眉根を寄せて罪の重さに逡巡する苦悩を見せ、そしてそれを振り切るかのように刹那の愛に没入しようとする表情の変化。
「愛の三叉路」を歌いきったときの、自分のなすべき事を悟ってしまったのにそれでもまだ決意しきれない呆然とした顔。
アントワネットに別れを告げた後オスカルの姿を認め「君の忠告は正しかった、ありがとう」と言うような友情の眼差しから、思いも寄らなかったオスカルの恋心に気付き、今まで気付けなかった自分を責める表情。
牢獄でアントワネットを腕に抱き、愛する人を救うことができる確信と喜びに満ちた微笑みと、それが他ならぬアントワネット自身に否定された衝撃。離れようとする彼女の腕を反射的につかんでいることにも気付かず、ただアントワネットの顔に視線を凍り付かせ首を横に振る姿。
勿論、1幕ラスト決然と歩み去る姿と、最後の「王妃さま」の絶叫は言うに及ばず(叫ぶ前に一度、呆然と「王妃様」と呟くのがまた、もう)。
だけど。
こんなことを書いてもまた、当てにならないんだ。
だって、本当のところ、見ているだけでいいんだもの。
あの人がそこにいるだけで。舞台の上の姿を見ているだけで。それだけで。
それがフェルゼンであろうとベルばらであろうとなかろうと。
だから、あの人のどこが素敵かどこが優れているかなんてことを具体的に語ることは、もうあまりできないかもしれない。
だって、そこにいるだけでいいんだもの。
いや、まあ、元々私にとってあの人は、割とそういう人だったんだけども。
と言う訳で、今のうちに言い訳。(誰に対して)(いや色々と)
ただ、芝居の内容を関係なく見ているだけでも良くなってしまったおかげで、ベルばらがかなり平気になってしまったことは良いのか悪いのか悩むところではあります。
コメント