月バウ『想夫恋』見て参りました。

まともだ。
こだまっちなのに破綻してない物語(まあ今までの児玉作品で見た要素がてんこ盛りではあるのだけれど)。そしてあんなポスターなのに美しい舞台。午後の星ベルばらがオクで落とした前方席でなければ、そっちさばいてバウをリピートしていたところです。
いやマジで面白かったです。もう1回くらい見てもいい。特に帝@もりえちゃんを見に(そこか!)。

主人公・藤原知家(北翔海莉)は幼い頃藤原隆季(磯野千尋)に拾われ、彼の実子隆房(明日海りお)と兄弟のように育つ。ある日、成人した彼が桜の下で笛を吹いていたとき、その笛の音に誘われた美しい姫君と出会う。惹かれあう二人。しかしその姫君・小督(城咲あい)は、隆房の妻となるべき女性だった。
で、三角関係ものかと思いきや、隆房は平清盛(立ともみ)が後白河上皇に対して仕掛けた謀略に巻き込まれ追い詰められて命を落とすことになり、知家に介錯を請う。そしてその様子を見てしまう小督。しかし知家は隆房が死ななければならなかった理由も、小督への思いも一生胸に秘めて生きる決意をする。ここまでが1幕。
2幕。清盛の娘・徳子(青葉みちる)の陰謀により、小督は帝の側室として差し出される。絶望して死を思う小督の耳に、知家の笛の音が聞える。知家は笛の名手として帝に仕える身となっていたのだった。そして帝は「道具である身にも心はある」と正直にぶつける小督に心惹かれていく。彼もまた、清盛の暴政のもとでうつけを装い色々なことを諦めて生きていた男だった。

と言う訳で、ポスターはほっくん、あいあい、もりえの3人写りですが、実際二番手は前半みりおの隆房、後半もりえの帝で分け合っている感じ。

自分を抑えて生きる男と運命に翻弄される姫君の物語。
とは言え、この主人公・知家、自分を抑え過ぎて何考えているかわからなくてちょっと、いやかなりじれったいんですけれども。

知家は拾われっ子と言う負い目から、万事控えめに生きてきた。常に一歩下がり、隆房に勝ちを譲って生きてきた。小督への恋心さえも。
そして隆房の死後も、知家はその態度を崩そうとしない。いや、より一層、本心を明かさず小督とも距離を置いて生きる。
馬鹿だなあ。
そんなことをしても、誰も幸せにならないのに。
隆房だって、恋は譲るな、と言い、二人きりで話す機会をわざわざ提供したりしているのに。帝だって小督を求めはしたけれど、宮中で生きることは小督にとって籠の鳥として閉じ込められることだし、それが小督の幸せだと知れば喜んで知家と小督を行かせてやったろうに。

知家が何故そこまで自分を抑えて生きるか、いやそもそも何を考えているのか非常にわかりにくい。小督は何度も「お心をお聞かせください」と迫るけれど、知家は何一つ言わない(それでも、笛の音は偽れない、と言って、小督を思っているようなことはほのめかすのだけれど)。
知家がわかりにくいのは、隆房との関係がきちんと描かれていないからではないかと。知家の後半生を決定付けたはずの隆房の死が、彼に何故どんな影響を与えたのか、はっきり語られていないので観客が想像力で埋めなければならない。
ほっくんはそんなわかりにくい男を確かな技術で演じてました。常に何か耐えているような姿が、好きな人にはたまらないんじゃないかと。残念ながら私の好みではないですが(苦笑)。

ええ、私は好きな女に好きだと告げる男の方が好きです(笑)。
と言う訳で帝。まあレビュドリ銀橋の指差し直撃を食らって以来もりえちゃんに好意的だということもありますが。
「道具にも心はございます」と言う小督に「嫌がる女を組み敷くのは好きではない」と手を出さず、かつ「だからと言ってお前が嫌いと言うわけではない。いやむしろ好きなようだ」と言うのに、ついうっかりときめきました(←いい人好きだからな)。そして常に馬鹿殿の仮面を被っていたのに小督に去られて初めて真剣に取り乱す姿、戻ってきた小督を愛しそうにそっと抱きしめる姿にも。
常に諦めて自分を抑えて生きてきた男のただひとつの望みだからこそ、やはり自分を抑えて生きている知家は叶えようとしたのかもしれない、そんな風に思ったりもして。
それでも、幸せはほんのつかの間で、権力者の前では彼のささやかな愛なんて蹴散らされてしまうのだけれど。フィナーレでももりえちゃん見てると、あー幸せになってほしいなあとかつい思ってしまいましたよ。
ただ、病弱というのはちょっと似合いませんでしたが。咳込む姿に違和感が(苦笑)。

1幕のキーパーソン、知家の義理の弟・隆房は、かわいい奴でした。もう「馬鹿な子ほどかわいい」って感じで私ゃ愛で倒しました(笑)。最初の、舞を披露するときに知家と入れ替わるいたずらが上手くいって得意げな様子からして、少年と言うかお子様っぽいんだけれど、かわいい。
その無邪気で生き生きした少年が、突然降りかかった陰謀をどうすることもできず追い詰められる姿が哀れで。知家と小督が結ばれるならそれでもいいと思ったのも、自分の将来に絶望したからかもしれないなと思ったりして。
そんな風に、まだ幼く純粋な少年、かわいい弟だから、その非業の死は知家の心に傷を残すのだろう。みすみす死なせてしまった、自らの手に掛けるしかなかった傷は、小督との間の越えがたい壁となったのだろう。
と、思っていたのですが。
ラスト、隆房の墓の前での知家の独白を聞くと、それは実は違ったようでした。
隆房は知家にとってかわいい弟でも守るべき存在でもなく、対等な親友だったんだ。対等な、そしてただ一人の誰よりも大切な親友と、心から惹かれ愛した女性の間で思い迷ったからこそ、彼の苦悩は深かったんだ。
びっくりしました。

いや「びっくりした」なんて、それを読み取れなかった私が悪いのかもしれないけど、でも仕方ないと思うんです、私的には。
だって、隆房はみりおくんですよ。代表作は『バーボンストリートブルース』のスマイルという、かわいい弟分キャラですよ。
苦悩する貴公子ほっくんの、対等な唯一無二の友、には、ちょっと似合わないんじゃないかと。そして脚本にもそれを埋める描写はないし。
いや本当にかわいくてその無邪気さ若さが不幸に襲われるから痛々しくて、良かったんだけれども。どうも脚本の意図したところは私の受け取り方と違ったらしいです。

小督=あいあい。
と言う訳で、主人公知家はわかりにくいのですが、小督がヒロインだと思うと何となく整理されるかなと。
最初から最後まで、彼女が愛したのは知家。そして最初の許婚・隆房(とは言え彼女は知家に夢中で隆房のことは一顧だにしないのですが。その辺り『天の鼓』のヒロイン照葉を思い出す)、やがて結ばれることになる高倉天皇という二人の男が絡む。
ヒロインもの?と思わされてしまうのは、平徳子と祐子(麻華りんか)姉妹の存在も大きい。籠の鳥であり男達の道具でしかない女性たち。徳子は帝の寵愛を受ける他の女に復讐するため、そして自分を道具としてしか見ない父・清盛に反抗するため、小督を帝に差し出す。
その業。目的を達成してライバルを自害に追い込んでも決して心は晴れることは無い、業。
徳子役の青葉みちる嬢が良くて、真に迫ってました。と言うか、その苦しみを素直に出すことが出来たら、帝とも理解しあえたかもしれないと言う気すらするんだけれども。帝が小督を欲したのはその美貌だけではなく、正直さ真っ直ぐさだと思うから。でも駄目なんだろうな。
話はそれたけれど、とにかく世の不条理を経験し人の業を知った小督は、自分に振り向こうとはしない男を追い続けるのはやめ、自分を必要とする男と添う決意をする。
その姿はとてもすがすがしく、格好いい。

で、知家はその間、あんまり何もしていないのですが。ただ小督を見守っている、まさに見守っている「だけ」で。
小督が帝の元を去った後連れ戻しに来るのは知家なのだけれど、どう考えても宮中に戻る方が不自由で不幸な訳だから、小督の幸せを真剣に考えているかすら疑問なんだもんなあ。
すいません。どうもこの「耐える男」のロマンはよくわかりません。つか何のために耐えているのかわからない。耐えるために耐えているのかもしれない。

あと、知家を主人公として見た場合、話が散漫なのが気になります。前半後半、どちらかに比重を置いて構成するわけには行かなかったんだろうか。
前半の「親友と愛する女との三角関係」をメインにするなら、後半は比重を軽くして3人の関係と彼らの思いをじっくりと描くとか。
逆に後半の「耐える男と運命に翻弄される女、そして彼らを中心にした業を背負った人々の群像」を中心に据えるなら、隆房とのエピソードは知家が「耐える男」として生きる理由を表現できる範囲で短く整理して、比重を軽くして。
今のままだと、どっちつかずで散漫で、何だか淡々としてしまっているなあと。
とは言え、美しく切なくやるせない物語ではあるわけですし、その淡々とした風情も日本的情緒としてありなのかと言う気もするのですが。

あと重要な役どころとして、狭霧=彩央寿音なのですが。ちょっと辛かったかなーと。知家をつけ狙う男で、彼の生き方を揺さぶるような重要な台詞が多々ある役。が、どうも私怨で動いている小物のような印象を受けてしまって。もっと運命の使者的な存在感、不気味さがあっても良いのではないかと。
まだ下級生だから仕方が無いのだと思いますが。何だか『花のいそぎ』のときのゆめのせーかちゃんを思い出す。いっぱいいっぱいで一生懸命眉間にしわを寄せている感じが。がんばれー。

ほっくん主演と言うことで下級生が多い中、専科さんが舞台を締めていました。
特に清盛役の立さん。見事な存在感、悪役ぶりで、彼に翻弄される人々のドラマにリアリティを与えていました。

と、まあちょっとわかりにくかったり想像力で埋めなければならないところはありますが、薄墨の桜の風景が印象的に使われた、切なく儚く美しい舞台でした。ポスターに引いてる人にもあのイメージにとらわれずに見てほしいなと思います(つか本当にあのポスターあんまりだ。もうちょっと何とかならなかったんだろうか)。

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