言葉、言葉、言葉。
それはひらひらと舞う蝶々のようにさらさらと流れる小川のように、美しく軽やかに紡がれる。とめどないその調べに耳を傾けているうちに、やがて蝶々の羽は舞台の床と言う床に降り積もり足の踏み場も無く、小川は濁流と化して私を押し流す。とどまるところを知らない言葉は宙を舞い、そのひとひらひとひらがひらめくさまは目眩を誘う。歌うように詩のように耳から忍び込み脳を満たし、満たされてなお注ぎ込まれる刺激に脳は響く余地を失う。言葉はただ踊るように滑って行き流れ去って行き、私はそれらを咀嚼することができずただ呆然と見送るのみ。
さればと耳をふさぎ目を開き聴覚を閉じ視覚で舞台を味わおうとするも、咀嚼できずに立ち尽くしているのは客席の私のみではなく。本来は闊達な少女が固いコルセットで締め付けられ長い裾のドレスに足をとられ立ち往生しているように、彼らの自由な感情は過剰な言葉の鎧に発露する路を閉ざされる。言葉の死骸は化石のような白い骨、乾き果てうずたかく積まれた瓦礫。踏み歩く度にそれは軽い音を立てて崩れると共に彼らの生き生きとした命を奪い取り吸い尽くし、いつしか無音の荒野となる。
アルフレッド・ミュッセ=大和悠河は白い肌に薔薇色の頬、金の巻毛とその美しさはさながらビスクドールのようで生身の人間とは思われない。ジョルジュ・サンド=紫城るいは生命力の輝き、才知のきらめきで他を圧倒する女王のような存在感。しかしその美しさその輝きも、白い紗幕の向こうに霞んでよく見えない。
紗幕、それは踏みしだかれた言葉が誰にも咀嚼されずにこぼれ落ち風に巻き上げられた砂塵。渦。迷宮。その白いもやは全てを包み全てを覆い尽くす。ただ一人アルフレッド・デジュネー=箙かおるのみが異なった重力を身にまとい、白く乾いた空間に重油のような黒い染みを残すが、しかしそれすらもやがて掻き消え、残るのは白い虚無。
そして、取り残された私は退屈に溺れる。

***

9日は午前『不滅の恋人たち』午後『ベルサイユのばら』ダブルヘッダーでした。
見終わって最初の感想は「……つまんなかった」。
いや、前後色々忙しかったし、多分体調も万全じゃなかったんだと思います。そもそも私は太田作品との相性が悪いんだと思うし。とにかく言葉の奔流に幻惑されて、呆然と口を開けっ放し。物語がどうのとか登場人物がどうのというレベルまで考えられませんでした。
と言う訳で冒頭の感想。雰囲気だけでも真似てみましたが伝わりますでしょうか(笑)。結構こういうの書くのは嫌いじゃないです。太田せんせいは楽しいだろうなあ、自分の書いたものをあんな綺麗な人たちが演じてくれて(違……わないかも)。
でも太田作品と相性が悪いのは私だけではなく、演じている宙組さんも同様じゃないかなあと思いました。台詞の上滑りっぷりがすごいよ。唯一違うのはチャルさんですが、おかげで悪目立ちしていたような気も。と言うか、役が少ないんだし、専科さんを出さないでこの役はあひくんにやらせるとかいう訳には行かなかったんだろうか(タニちゃん演じるミュッセの鏡みたいな役なんだしさー)。

タニちゃんはとんでもなく美しかったです。正に生きているビスクドール。人間離れしている。るいちゃんもすごく生命力に溢れて輝いてました。
あとはともちの胡散臭いまでの爽やかさが印象的。はっちゃんもドアボーイのような貫禄の無い支配人(あれでホテル・ダニエリの支配人はねーだろー)が楽しかったです。十輝、七帆、和は役らしい役は無し。勿体無い。でも群舞やら何やらで見るときらきら素敵だったけど。

いや綺麗でしたよ。美しい人たちが美しい衣装で立ち現れる、本当に美しい舞台ではありました。

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