新年早々、初宝塚観劇。
1/3(火)11:00。星組マイ初日、朝海オスカルの日。
終演後の感想は「これなら通える」。
いや、ヘビーリピートは遠慮しますが、特出オスカル分5回は見てもいいような気になりました。
脚本・構成が改善されてます。ひどすぎた全ツに比べてマシなのは当然として、2001年の宙組フェルゼン編と比べても良くなってるんじゃないかな。
勿論、改善と言っても所詮は当社比。
「ごらんなさい」は相変わらずだし、最初にアントワネット、オスカル、フェルゼンがマンガのイラストから出てくる古さは昭和にタイムスリップした気分だし、白とピンクとブルーとフリルとレースの洪水はえらいことだし、わたるフェルゼンとコムオスカルが「愛あればこそ」で並ぶと即席イベント感が漂うし、どこかで聞いた台詞のつぎはぎは多いし、「大変ざます」があるのに更に悶絶と失神はあるし、メルシー伯の説教シーンは相変わらず長いし。
ツッコミ所も多々。何故国王への取次ぎを王妃が、とか、アンドレまで国王の御前にいるなよ、とか、そこでジャルジェ将軍がフェルゼンに愛の意味を問うのか、とか、変な台詞変なシチュエーションは多数。
でも。1幕の最後がフランスを去るフェルゼンの場面で。愛のために自ら身を引く、ということが強く描かれているので、幕切れの印象は悪くない。
全ツではスェーデン宮廷でやっていた「愛とは」との問答をここでやっているのだけど、その愛の発露である行動が全ツの「外国の王妃をかっさらいに行く」より「王妃の名誉のため身を引く」方が正当なので、説得力が増している。(勿論「外国の王妃をかっさらいに行く」は愛の発露としてはアリなのだが、世間的に認められる正当な行動ではない。「正しいかどうか関係なくそうせずにはいられない」部類だと思う)
オスカル、アンドレといった主な登場人物もその場にいて、フェルゼンが彼らそれぞれの愛、思いを理解していることを説明している台詞がある。ので、彼は自分しか見えていない身勝手な人間ではなく、他人のことも思いやれる男として描かれている。
そして更に、フェルゼンがオスカルに愛され、アントワネットを愛し愛されていることを示すことで、この恋愛物語の主人公であるという位置づけも説明している。
いや、決して上手い構成ではなく、台詞はところどころ妙だし人物相関図が書けそうな感じの説明的な場面ではあるのだけど。でも改善しようと言う配慮は感じられるよ。そして最後銀橋を渡って退場するわたるフェルゼンは格好いいし(結局そういうことを(苦笑)。いや格好だけなら全ツの客席降りも良かったけどさ)。
つーか、スェーデン宮廷の場面が無いだけでだいぶクオリティ上がってるよね。大劇ではルイ16世が英真組長で全ツのグスタフ3世と同一人物なので「彼はどこの王様? ここはどこの宮廷?」状態になるんですが、まあそれも仕方なし。
そして2幕。
ちゃんと、歴史ドラマに見えた。
歴史の中で、登場人物がそれぞれの思いに従って行動した結果この結末にたどり着いたのだと、見ていて思えた。
まず、アントワネットの運命の変転がきちんと描かれていることが大きい。「フランスの女王なのです」は残念ながら無いけれど、チュイリュリー宮殿での一幕が加えられている。夫である国王とやっと心が通い合ったのに彼は断頭台に消え、子供たちも奪われ。しかし理不尽と見えたその仕打ちも、民衆にとっては正当な理由のある怒りゆえ、自らの招いた結果であると知る、その絶望。(ここ、原作にもあった「わしらにも子供がいた」のくだりで、みきちぐに芝居のしどころがあるのが個人的に嬉しかったです。ちーくんいいぞ、がんばれ)
そして、その周囲の人たちが考え、行動することで歴史が動く。
王妃を助けるのはオスカルの遺志」と言う、全ツではつっこみどころだったジェローデルの台詞には裏づけが与えられ、革命側の人間であるベルナールが王妃を救おうと決意するに至る過程も描かれている。そして、ロザリーはヒロインたち=アントワネットとオスカルを理解する人間として立ち位置が与えられている。
ぶつ切りだった物語が連動し、説明され、伏線が拾われて辻褄が合わされているので、素直に物語を受け止めることができる。
(誰のおかげだろう。やっぱり谷せんせかなあ)
その結果、思ったのは。
フェルゼンが可哀想だということで。
運命の変転を経てアントワネットは変わる。今まで見えていなかったものが見えるようになり、フランス王妃の自覚を持って死に赴くまでに成長する。
しかし、フェルゼンは。
彼は言う。「スェーデンに帰国してからの自分は生きていなかった」と。
彼の時間は止まっていたのだ。フランスを去り、アントワネットと別れたその日から。
だから、以前と変わらない思いを抱いて迎えに来たフェルゼンに、アントワネットは共に行くことができない。それはフェルゼンにとって、一種の裏切りに映っても仕方がないようなことで。
しかし、フェルゼンはアントワネットの決断を受け入れる。愛する人の選んだ道ならば。それが彼にとってどれほどの苦痛であろうと。
それが、可哀想で、切ない。
……ってやっと文句じゃなくて作品語りできるレベルになりました。良かった本当に。
ついでにSSを書くモチベーションも湧いてきました(笑)。上でも触れてますが、ベルナールもジェローデルも格好よくてさー。下手したらアンドレより彼らの方がいい役なんじゃなかろうか。(物語における役割的に。アンドレは銀橋ソロがあるので役の格としては上ですが)
と言う訳で、また私しか楽しくないものを書いてます。実は感想よりこっちの方が早かった(笑)。
http://kine.nobody.jp/rose.html
役替り、コムカルについても少し。
綺麗で可憐なビジュアルと、それを裏切る男前な役作りに驚く。声も殆ど男役声のまま。
うわ、いい。格好いいよこのオスカル!
隣で観ていた緑野さん曰く「ビジュアルに自信があるからそれ以上女っぽく演技する必要がないということでは」。なるほど。
とにかく美しく格好いいオスカルでした。雪ベルばらも楽しみだ。
が、そのせいか、全ツではこそばゆく微笑ましかった小石につまづく場面の破壊力が激減してました。全然バカップルじゃなくて呆然。トウコアンドレは臭くカッコイイのに、コムオスカルが乙女じゃないからこうなるのか。面白いなあ。今宵一夜は熱かったですけどね。
そしてお楽しみのフィナーレ「小雨降る径」、ワタコムデュエットダンス。
……すげー。
いや、途中までもすごかったんだが、圧巻はラストせり下がり。二人とも客席に横顔を向けて真顔でポーズ、で下がっていく訳ですが、最後コムちゃんが正面を向いた!
客席を、そしてワタさんを見てニヤリと毒のある笑顔。ワタさんは真顔で斜め上を見上げたまま気づかない。
あんたはドルチェ・ヴィータか!!
いいものを見ました。眼福眼福。
フィナーレはワタとなデュエットも。考えるとこれが大劇場でのコンビお披露目。となみちゃんの、触れられて恐る恐るほころびはじめた紅薔薇のつぼみ、というような風情が良いです。アントワネットも全ツより安定感が増して、堂々たる王妃様。改めてお披露目おめでとう。
コムカル楽(午後は貸切)なので最後はご挨拶あり。かしげ氏もオスカルの扮装で現れて引継ぎご挨拶あり、非常にお得でした。
1/3(火)11:00。星組マイ初日、朝海オスカルの日。
終演後の感想は「これなら通える」。
いや、ヘビーリピートは遠慮しますが、特出オスカル分5回は見てもいいような気になりました。
脚本・構成が改善されてます。ひどすぎた全ツに比べてマシなのは当然として、2001年の宙組フェルゼン編と比べても良くなってるんじゃないかな。
勿論、改善と言っても所詮は当社比。
「ごらんなさい」は相変わらずだし、最初にアントワネット、オスカル、フェルゼンがマンガのイラストから出てくる古さは昭和にタイムスリップした気分だし、白とピンクとブルーとフリルとレースの洪水はえらいことだし、わたるフェルゼンとコムオスカルが「愛あればこそ」で並ぶと即席イベント感が漂うし、どこかで聞いた台詞のつぎはぎは多いし、「大変ざます」があるのに更に悶絶と失神はあるし、メルシー伯の説教シーンは相変わらず長いし。
ツッコミ所も多々。何故国王への取次ぎを王妃が、とか、アンドレまで国王の御前にいるなよ、とか、そこでジャルジェ将軍がフェルゼンに愛の意味を問うのか、とか、変な台詞変なシチュエーションは多数。
でも。1幕の最後がフランスを去るフェルゼンの場面で。愛のために自ら身を引く、ということが強く描かれているので、幕切れの印象は悪くない。
全ツではスェーデン宮廷でやっていた「愛とは」との問答をここでやっているのだけど、その愛の発露である行動が全ツの「外国の王妃をかっさらいに行く」より「王妃の名誉のため身を引く」方が正当なので、説得力が増している。(勿論「外国の王妃をかっさらいに行く」は愛の発露としてはアリなのだが、世間的に認められる正当な行動ではない。「正しいかどうか関係なくそうせずにはいられない」部類だと思う)
オスカル、アンドレといった主な登場人物もその場にいて、フェルゼンが彼らそれぞれの愛、思いを理解していることを説明している台詞がある。ので、彼は自分しか見えていない身勝手な人間ではなく、他人のことも思いやれる男として描かれている。
そして更に、フェルゼンがオスカルに愛され、アントワネットを愛し愛されていることを示すことで、この恋愛物語の主人公であるという位置づけも説明している。
いや、決して上手い構成ではなく、台詞はところどころ妙だし人物相関図が書けそうな感じの説明的な場面ではあるのだけど。でも改善しようと言う配慮は感じられるよ。そして最後銀橋を渡って退場するわたるフェルゼンは格好いいし(結局そういうことを(苦笑)。いや格好だけなら全ツの客席降りも良かったけどさ)。
つーか、スェーデン宮廷の場面が無いだけでだいぶクオリティ上がってるよね。大劇ではルイ16世が英真組長で全ツのグスタフ3世と同一人物なので「彼はどこの王様? ここはどこの宮廷?」状態になるんですが、まあそれも仕方なし。
そして2幕。
ちゃんと、歴史ドラマに見えた。
歴史の中で、登場人物がそれぞれの思いに従って行動した結果この結末にたどり着いたのだと、見ていて思えた。
まず、アントワネットの運命の変転がきちんと描かれていることが大きい。「フランスの女王なのです」は残念ながら無いけれど、チュイリュリー宮殿での一幕が加えられている。夫である国王とやっと心が通い合ったのに彼は断頭台に消え、子供たちも奪われ。しかし理不尽と見えたその仕打ちも、民衆にとっては正当な理由のある怒りゆえ、自らの招いた結果であると知る、その絶望。(ここ、原作にもあった「わしらにも子供がいた」のくだりで、みきちぐに芝居のしどころがあるのが個人的に嬉しかったです。ちーくんいいぞ、がんばれ)
そして、その周囲の人たちが考え、行動することで歴史が動く。
王妃を助けるのはオスカルの遺志」と言う、全ツではつっこみどころだったジェローデルの台詞には裏づけが与えられ、革命側の人間であるベルナールが王妃を救おうと決意するに至る過程も描かれている。そして、ロザリーはヒロインたち=アントワネットとオスカルを理解する人間として立ち位置が与えられている。
ぶつ切りだった物語が連動し、説明され、伏線が拾われて辻褄が合わされているので、素直に物語を受け止めることができる。
(誰のおかげだろう。やっぱり谷せんせかなあ)
その結果、思ったのは。
フェルゼンが可哀想だということで。
運命の変転を経てアントワネットは変わる。今まで見えていなかったものが見えるようになり、フランス王妃の自覚を持って死に赴くまでに成長する。
しかし、フェルゼンは。
彼は言う。「スェーデンに帰国してからの自分は生きていなかった」と。
彼の時間は止まっていたのだ。フランスを去り、アントワネットと別れたその日から。
だから、以前と変わらない思いを抱いて迎えに来たフェルゼンに、アントワネットは共に行くことができない。それはフェルゼンにとって、一種の裏切りに映っても仕方がないようなことで。
しかし、フェルゼンはアントワネットの決断を受け入れる。愛する人の選んだ道ならば。それが彼にとってどれほどの苦痛であろうと。
それが、可哀想で、切ない。
……ってやっと文句じゃなくて作品語りできるレベルになりました。良かった本当に。
ついでにSSを書くモチベーションも湧いてきました(笑)。上でも触れてますが、ベルナールもジェローデルも格好よくてさー。下手したらアンドレより彼らの方がいい役なんじゃなかろうか。(物語における役割的に。アンドレは銀橋ソロがあるので役の格としては上ですが)
と言う訳で、また私しか楽しくないものを書いてます。実は感想よりこっちの方が早かった(笑)。
http://kine.nobody.jp/rose.html
役替り、コムカルについても少し。
綺麗で可憐なビジュアルと、それを裏切る男前な役作りに驚く。声も殆ど男役声のまま。
うわ、いい。格好いいよこのオスカル!
隣で観ていた緑野さん曰く「ビジュアルに自信があるからそれ以上女っぽく演技する必要がないということでは」。なるほど。
とにかく美しく格好いいオスカルでした。雪ベルばらも楽しみだ。
が、そのせいか、全ツではこそばゆく微笑ましかった小石につまづく場面の破壊力が激減してました。全然バカップルじゃなくて呆然。トウコアンドレは臭くカッコイイのに、コムオスカルが乙女じゃないからこうなるのか。面白いなあ。今宵一夜は熱かったですけどね。
そしてお楽しみのフィナーレ「小雨降る径」、ワタコムデュエットダンス。
……すげー。
いや、途中までもすごかったんだが、圧巻はラストせり下がり。二人とも客席に横顔を向けて真顔でポーズ、で下がっていく訳ですが、最後コムちゃんが正面を向いた!
客席を、そしてワタさんを見てニヤリと毒のある笑顔。ワタさんは真顔で斜め上を見上げたまま気づかない。
あんたはドルチェ・ヴィータか!!
いいものを見ました。眼福眼福。
フィナーレはワタとなデュエットも。考えるとこれが大劇場でのコンビお披露目。となみちゃんの、触れられて恐る恐るほころびはじめた紅薔薇のつぼみ、というような風情が良いです。アントワネットも全ツより安定感が増して、堂々たる王妃様。改めてお披露目おめでとう。
コムカル楽(午後は貸切)なので最後はご挨拶あり。かしげ氏もオスカルの扮装で現れて引継ぎご挨拶あり、非常にお得でした。
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