ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』新国初日。
指揮:ミゲル・ゴメス=マルティネス、演出・美術・照明:フィリップ・アルロー
合唱:新国立劇場合唱団、管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団。

こんな恐ろしい『アンドレア・シェニエ』は初めて見た。
今まで藤原歌劇団2回、ボローニャで1回見ただけですが、フランス革命を背景にした怒濤の恋愛ドラマ、というイメージは覆されました。革命は背景ではなく全てを飲み込む魔物。そしてその魔物を生んだのは人間。
群集の愚かしさ、凶暴さが全面に押し出され、その負のパワーに消耗しました。3幕終わり辺りで気分が悪くなりかけたほど。
『シェニエ』にこれほど消耗させられるとは。休憩込みで3時間に満たないのに。やられた、と言う気分です。
でも、この演出は決して嫌いではないです。時代を移す等の奇を衒ったことはしていないのに、今までと違うものを見せてくれた。そしてとにかく世界に没入させられ、翻弄された。面白かった。見てよかったです。

舞台は通常の上演よりも殺戮に満ちている。
1幕、ジェラールがつれてきた民衆が乱入し舞踏会が中断する。彼ら追い出して音楽が再開するが、それは既に貴族社会の落日を感じさせるものでしかない、と言うのが通常。しかしこのアルロー演出では民衆は去らない。優雅なガヴォットの響きの中、鎌や鍬を持った農民や使用人が貴族を虐殺し始める。
その光景を覆い隠すのは幕ではなくパネルのような壁で。切り取られた画面の斜めの線がギロチンのようだと思っていたら、壁がスクリーンになり映し出されたのは正にギロチンの図解。ギロチンはたゆまず動き続け、1台が2台、2台が4台、4台が8台と無限に増殖していく。響き続ける太鼓の音。
2幕では革命は完全に堕落している。密偵が跋扈し人々は互いに監視し、そんな社会に倦んで誰彼構わず処刑を見世物にして歓喜する。マッダレーナとシェニエを引き合わせようと尽くしたベルシはあっさり密偵に殺され。傷を負ったジェラールが犯人がわからないと言うと民衆が「ジロンド党だ!」と決め付けるのは楽譜どおりだが、この舞台ではそれだけでなく民衆がジロンド党員と思しき人々を囲み銃殺する。
3幕も暗澹たる光景が続く。ジェラールの演説は人々の愛国心を動かし寄付が集まるはずが、ここでは人々は冷笑を続け、銃を向けられて仕方なくあまり価値のないものを募金箱に投げ入れる。国のためと孫を差し出す盲目の老婆マデロンの感動的なアリアも、聴くのはジェラールだけ。腕を貸しておくれ、というマデロンに答える者はなく、彼女は一人墓場をさまよう。
そして3幕最後。シェニエの弁明もジェラールの弁護も民衆から拒絶されるのは同じだが、裁判の後傍聴席の中でも血なまぐさい争いが起こる。
4幕は、本来のとおりに進む。シェニエとマッダレーナが共に死ぬことによって愛の勝利を歌い上げる。しかし最後。手を取り合う二人の背後に現れる、今まで登場した全ての人々。
彼らは皆、三色旗の目隠しをしている。
そして二人の名を呼ぶ声はマイクを通した声だ。現代のように。
二人は答える。二人を含め全ての人々はその場に倒れる。
光が戻ると、倒れ伏した大人たちの中で4人の子供だけが立っている。子供たちは目隠しを取り、手を取り合って光に向かって旗を振る。

若干、やりすぎのきらいはあるかと思います。ベルシ殺すのかと愕然としたし、最後の三色旗の目隠しもそこまでやるかと思いました。
でも、世界が悪意と愚かさに満ちているからこそ、シェニエの真っ直ぐな清廉さ、マッダレーナの一途な愛、ジェラールの人間的な迷いが際立つ。
何故マッダレーナがシェニエとの愛に死ぬと決めたか、何故ジェラールが説得されたか、今回初めて実感を伴って理解できたような気がする。

美術もどこか抽象的でキッチュな悪夢。センスいい。
アルローは去年の『ホフマン物語』も面白かったけれど『シェニエ』でも色々見せてくれました。奇抜な演出はあまり好きではないのですが、これは許容範囲。と言うかありです。フランス人だそうなので、フランス革命にはこだわりがあるのだろうと感じさせられました。

以下個別に。

シェニエ=カール・タナー。
悪くは無いけれど、ちょっと弱かった。マッダレーナのルカーチが良かったのと、革命の悲惨さが強調された演出でその渦中の人ジェラールのドラマが際立ったために、シェニエの影が薄くなった感が。
元々シェニエは物語中あまり何もしていない(オペラの主役にはありがち)ので、圧倒的な歌唱で持っていく必要があると思うんですが、それには足りなかった。ラストの二重唱でもマッダレーナに負け気味でした。

マッダレーナ=ゲオルギーナ・ルカーチ。
今までにもこの人観たはずなんですが、こんなに美人でしたっけ? 1幕のおきゃんで無邪気な伯爵令嬢ぶりが可愛いし、没落の後も美しい。歌も素晴らしく綺麗な声でドラマティックな歌唱。特に3幕のジェラールとのやり取りとアリア、4幕の愛のため共に死ぬとシェニエに告げる場面。訴える力がありました。マッダレーナが主役でもいいくらいだった。

ジェラール=セルゲイ・レイフェルクス。
良かった。1幕最初のアリアは正直ピンと来なかったんですが、進むにつれどんどん良くなってきました。
また、この演出は革命が当初の理想を失って迷走するさまが露骨に描かれているので、その只中にいるジェラールの苦悩がすごく重く映る。3幕は殆どジェラール主人公で見てしまいました。アリア『祖国の敵』も、いつもなら彼個人の私欲と理想の板ばさみの歌なのに、革命そのものの腐敗と理想との乖離を苦しんでいるようにも見えて。可哀想にすら見えた。
元々、ジェラールというキャラクタ自体好きなんですよ。伯爵家の従僕として生まれたが本を読み学び革命の立役者となり、しかし主家のマッダレーナお嬢様にずっと恋していて。彼女を手に入れたくて権力を悪用するけれど、彼女のシェニエへの深い愛と毅然とした態度に動かされ良心を取り戻し恋敵を救おうとする。最後は最愛の女性が恋敵と共に死ぬ手助けをする男。
同じように女を手に入れようとその恋人を嵌める男でも、徹底的に色悪のスカルピア(トスカ)の方がどうも世間の女性には人気があるようですが、私は断然ジェラールの方がいいです。マッダレーナにはジェラールが伯爵家への復讐のために自分を探していたと思われていたんだろうなあ。可哀想に。また彼が革命に身を投じるのはシェニエの詩を聞いた直後だから、シェニエに対しても尊敬の念を抱いていたろうに。
等と考えるととても興味深いキャラです。ついでに彼もそう遠からず粛清されたと思います。だって、シェニエを告発しといてその後で彼を救おうと奔走するなんて、信用失くすだろう。その辺の不器用さ間抜けさも好きだ。

その他も皆良かったです。特にルーシェ=青戸知、いい声だったし、シェニエの友人としていい味出してました。密偵=大野光彦は歌はもうちょいと思ったけれど、胡散臭さが良かった。修道院長=加茂下稔も馬鹿っぽくてナイス。フーキエ=小林由樹はシェニエ、ジェラール相手に遜色なくやり合える張りのあるいい声でした。コワニー夫人=出来田美智子もなかなか迫力の美声で貫禄あり。ベルシ=坂本朱は2幕頭の蓮っ葉な演技が流石カルメン役者。
オケ、指揮も良かったと。ここぞと言うところでの盛り上がりは圧巻。

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