「僕は此の鐘を撞くまいと思う。何うだ」
「うむ、打つな。お百合さんのために打つな」

現実世界の主要人物、晃・百合・学圓。
人外度と言うか魔界度と言うか現実離れ度で並べると、晃>百合>学圓に見えた。
物語的には多分、百合>晃のはず。けれど、役者の個性の問題でそう見えるんだと思う。
晃の萬斎氏は流石の存在感で周囲から浮き上がった感じで素敵だった(褒めてます)。語り部(鏡花)もやっているのだけれど、素晴らしい声で作品世界を形作っている。
百合は、「凄いまでに美しい」と語られる美女。年齢を聞かれて「忘れました」と答えない場面があるが、そのやりとりは彼女が夜叉ヶ池を源とする水を日々飲むがゆえに年を取らないのではと想像させる。それは台詞だけではなく、檀れいのほのかな魔性ゆえで。

二人に対して学圓の小林氏は、どこかつかみ所の無い飄々とした男。役割的には、山里に分け入り夜叉ヶ池の物語を聞く、観客の視点なのだろうか。

その、学圓の印象的な台詞がある。
クライマックス。村人に追い詰められ百合は自害し、晃の腕の中で果てる。時は丁度丑三時。鐘を撞かねばならない刻限。晃は学圓に問いかける。
「僕は此の鐘を撞くまいと思う。何うだ」
学圓は答える。
「うむ、打つな。お百合さんのために打つな」

この答え方が、私には何も考えていないように響いた。
撞かなければどうなるか。一円の村々は水に沈み、夥しい人命が奪われる。しかし学圓の頭にはそんなものはなく、ただ百合の不憫さと友人の無念を慮るのみ。
その、馬鹿と言うか朴訥と言うか……純粋で真っ白な応えに、思いがけず胸を衝かれた。
そうか。晃と百合は二柱の神。
そして学圓は神を識る者。その純朴さゆえに神と交感する力を持つ者。

プログラムを見ると、学圓の台詞の前に(沈思の後)と書いてあるんですよ。
でも、実際の舞台では全然沈思してませんでした。間髪入れずに答えてました。少なくとも私にはそう聞こえた。
学圓が飄々と朴訥でピュアな人間だったのも、小林十市氏という役者の個性なのかなあ。この一言ですごく私好みのキャラに映ったんですが(笑)。
思えば、白いスーツ、白いパナマ帽子も、キャラクタを表現する衣装だったのかとも思えたりして。

主題歌にはケチをつけましたが、後からでもメロディが頭を回ることを考えると、いい曲ではあったのかなあと思ったり。
あと東京公演では村人達が出てきても誰も笑わなかったそうです(パクちゃん、るなこさんに教えていただきました。ありがとうございます)。
ほっとしました。やはり関西だけの現象だったのか。

***

そんなこんなで女優・檀れいのスタートを見た夜、帰りに通った阪急梅田駅の大画面に去年の博多座公演映像が映っていて、思わず見入ってしまったり。
……そして「この話ワタ檀瞳子でできるじゃん!」と思いついてちょっと寂しくなってしまったり(晃=ワタさん。立ち回りと、命に掛けても恋は売らん!の啖呵は迫力あるぞ。学圓=トウコさん。飄々としてちょっとうさんくさい大学教授。今の髪型で)。

何はともあれ、また檀ちゃんの舞台を見られますように。

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