檀ちゃんを見に行った(『夜叉ヶ池−能と劇の出会い』@梅田芸術劇場)
2005年10月29日 舞台(宝塚以外)『夜叉ヶ池』観て参りました。
ええ、檀ちゃんを見るために。
久しぶりの檀ちゃんは、相変わらず綺麗でした。
素顔化粧で舞台に立っているのがちょっと違和感。でも美しい。
そして声。ああ、この声が好きだ。また聞けて嬉しい。泉鏡花の時代がかった日本語の台詞が耳に心地よい。
季節は夏。白っぽい着物に後ろでひとつに結った黒髪が、楚々としつつしっとりとあでやかで。
役名は百合。村里離れた鐘楼近くに住まう孤独で薄幸な美女。夫だけが頼りで、彼が村を去る不安に常にどこか怯えているような、儚い女性。
そして、愛する夫が自分を守るため傷つくのを見て、自ら喉を鎌でかき切って自害する、強く激しい女性。
と、まあこれだけで終ってもいいんですが(笑)、全体の感想なども。
第一部は、日舞と、半能『石橋(しゃっきょう)』。
すみません。私は西欧かぶれでそっちの素養が無い人間なもので。終始うつらうつらとしてしまいました。お恥ずかしい。
そして第二部『夜叉ヶ池』。
越前の国三国岳の麓の夜叉ヶ池。その側に住む鐘撞き男・萩原晃(野村萬斎)と妻の百合(檀れい)。晃は伯爵家の嫡男だったが、先代の鐘撞きの遺言により、また百合に心惹かれたため、龍神との盟約である日に三度の鐘を撞いて暮らす。そこへ旧友の京都帝大教授・山澤学圓(小林十市)が訪れる。二人は龍神が棲むという夜叉ヶ池を見に出かける。
夜叉ヶ池の龍神・白雪姫(梅若六郎)は千蛇ヶ池の公達と恋仲だが、盟約に縛られ逢いに行くことができない。強大な龍神が動けば里は水底に沈み人間は皆死んでしまうのだ。萬年姥(英太郎)は人間は古い盟約を忘れている、誓いを破るのはもうすぐと白雪を諭す。
その言葉どおり鐘の盟約を迷信と軽んじる村人達が、雨乞いの贄として拉致しようと百合を襲う。百合を守ろうとする晃、学圓。
そして、ついに盟約は終る。
晃・百合・学圓らの現実世界は現代劇、白雪姫たちの棲む霊界は能・狂言、と演じ分けて表現。
これはなかなか面白かった。確かに、現代劇と対比することによって白雪とその眷属が異形のものであることが明白に映る。またその中に新派女形を置いたことで、能に慣れていない人にも「全然わからない」とはならない。
うん、発想は面白いし、それなりに成功しているとは思う。
でも、どうも私には「芝居」というより「イベント」に見えた。
最初、新作を作って役者を集めたのに何故大阪と東京1公演ずつしかやらないのか、と思ったけれど、実際観てそういうものかと納得してしまった。
現代パートの出演者は様々な分野から多士済々。
言わずと知れた狂言界のプリンス、野村萬斎。
元宝塚トップ娘役でこれが退団後の初舞台となる、檀れい。
バレエダンサーから役者に転進して間もない、小林十市。
そして、村人達には桂南光をはじめとする落語会の人々。
豪華です。
でも、豪華なのだけれど、とりあえず並べてみました、という感じ。キャスティングの意図がわからないというか演技の質がかみ合っていないというか。
野村萬斎氏は、野村萬斎でした。
現代劇と言うにはやや様式性の残った芝居で、最初は「何だか周りから浮いてるなあ」と違和感。
が、クライマックスで百合を贄にと奪おうとする村人達を恫喝する迫力、怒りをもって朗々と理を語る圧倒的な存在感に、ああ、それでいいのかと。
主役として舞台を支えきったのを観て、下手に周りとあわせて持ち味を殺しても仕方がないなと納得。一人で全部持って行きました。
檀ちゃんは、宝塚の演技のまんまでした。
嬉しかったけど。あの声、あの台詞、あのからからとした笑い声が聞けて。
最後、晃の腕の中で死ぬところは泣けた。自分を見つめる晃の頬に手を添えて、ご無事で、と言い残して、儚く。
……いや、その「相手」が本物の男性であるところについ違和感を覚えちゃったんですけどね。村の男達が捕えて縛り上げるのを見て「檀ちゃんに何てことを!」とか思っちゃったんですけどね(苦笑)。
卒業後第一作、まだまだ見る方が慣れないらしい。台詞が様式的な修辞のためか、宝塚時代と変わらない演技のせいもあると思うけれど。
小林十市氏。私、この人の舞台見てました。丁度去年の今頃『エリザベス・レックス』。
そのときの感想。
台詞が一本調子と言うか演技のテンションがずっと同じと言うか、大根?
でも、きれいだ。とても美しい男。
そして何よりその存在感。
何故か追ってしまう。目が離せない。
1年ぶりに見た小林氏は、相変わらず端正で存在感がありました。
そしてお芝居は……去年よりは上手くなっているのかな。何と言うか、普通でした。
この主要3人の演技のベクトルが全然合っていない。いや、それぞれ魅力的ではあるのだけれど。
そういうのって普通演出家が調整するんじゃ、と思ってスタッフを見ると。構成・総演出=梅若六郎、演出=中村一徳、とあり。
推測するに、梅若六郎氏は能の世界の人だから、現代劇の演技にはあまり口を出さないのかな。自分も主役格の白雪をやっているからそれほど暇じゃないかもしれないし。
で、中村一徳氏。うーん、先入観で失礼ながら、やはりあまり何もしなかったんじゃないかなあと。
出演者はそれぞれにベストを尽くしたのではないかと思います。
それに、ラスト。いかにも俗物な村人達の中で、この3人の美しさが際立つこと。
龍神との盟約を守り、里を村を守る晃と百合、そしてその二人を理解し「二柱の神」と表現する学圓。
雨乞いの儀式にかこつけて村一番の美女を裸に晒したいだけの下卑た連中に対して、精神の美醜まで表すような、残酷なまでの対比。
それだけでこのキャスティングには価値があるのかなと思いました。
村人、神主や代議士は落語家さんだそうです。私は不明にして存じませんが、知っている人にとっては見ただけで笑える人らしいです。
でも、出てきただけで笑いが起こると言うのはどうなんだろう。
だって、笑うところじゃないのに。俗物で何も見えていない群集が悲劇を引きおこす、カタストロフの引鉄なのに。
見ただけで笑えるほど有名な人だったら、出演者が悪いのでも笑った人が悪いのでもなく、ミスキャストだと思います。
(東京でもやはり客は笑うんだろうか?)
また、主題歌も疑問。
BIG BELLという男性ユニットの作だそうで、メロウなJ-POP。
正直、作品と合わないと思う。歌詞は近世歌謡『雲井弄斎』だそうですが。
更にこれ、幕開きで彼らがスポットライト浴びて歌っちゃうんです。普通の現代の格好で。霊界とも大正時代の日本とも違う。
興が醒めると思ったのは私だけでしょうか。
これも、彼らが悪いのではなく、頼んだ方の問題だと思う。
余談ですがこの歌、劇中で百合が歌います。しかもそれを聴いて荒れ狂う白雪が心を鎮めると言う重要な場面。
えーと、宝塚時代に檀ちゃんの歌を下手だと感じたことはあまり無かったんですが、正直手に汗握りました。
ま、まあ、声は綺麗だし、多少たどたどしいのも夫を慕う真情の表現と言う感じでいいかな、いいと思ってくれるかなと(苦笑)。
と言う訳で私にとっては色々微妙な公演でしたが、美しい人たちを見られたし、最後野村萬斎氏のおかげでいいもん見た気になれたし、まあ楽しかったかなと。あ、舞台美術・照明は美しかったです。
檀ちゃんの姿も見られたし。これからも活躍を楽しみにしています。
注:ネットをさまよったら評判は良いようなので、私の好みの問題かもしれません。
ええ、檀ちゃんを見るために。
久しぶりの檀ちゃんは、相変わらず綺麗でした。
素顔化粧で舞台に立っているのがちょっと違和感。でも美しい。
そして声。ああ、この声が好きだ。また聞けて嬉しい。泉鏡花の時代がかった日本語の台詞が耳に心地よい。
季節は夏。白っぽい着物に後ろでひとつに結った黒髪が、楚々としつつしっとりとあでやかで。
役名は百合。村里離れた鐘楼近くに住まう孤独で薄幸な美女。夫だけが頼りで、彼が村を去る不安に常にどこか怯えているような、儚い女性。
そして、愛する夫が自分を守るため傷つくのを見て、自ら喉を鎌でかき切って自害する、強く激しい女性。
と、まあこれだけで終ってもいいんですが(笑)、全体の感想なども。
第一部は、日舞と、半能『石橋(しゃっきょう)』。
すみません。私は西欧かぶれでそっちの素養が無い人間なもので。終始うつらうつらとしてしまいました。お恥ずかしい。
そして第二部『夜叉ヶ池』。
越前の国三国岳の麓の夜叉ヶ池。その側に住む鐘撞き男・萩原晃(野村萬斎)と妻の百合(檀れい)。晃は伯爵家の嫡男だったが、先代の鐘撞きの遺言により、また百合に心惹かれたため、龍神との盟約である日に三度の鐘を撞いて暮らす。そこへ旧友の京都帝大教授・山澤学圓(小林十市)が訪れる。二人は龍神が棲むという夜叉ヶ池を見に出かける。
夜叉ヶ池の龍神・白雪姫(梅若六郎)は千蛇ヶ池の公達と恋仲だが、盟約に縛られ逢いに行くことができない。強大な龍神が動けば里は水底に沈み人間は皆死んでしまうのだ。萬年姥(英太郎)は人間は古い盟約を忘れている、誓いを破るのはもうすぐと白雪を諭す。
その言葉どおり鐘の盟約を迷信と軽んじる村人達が、雨乞いの贄として拉致しようと百合を襲う。百合を守ろうとする晃、学圓。
そして、ついに盟約は終る。
晃・百合・学圓らの現実世界は現代劇、白雪姫たちの棲む霊界は能・狂言、と演じ分けて表現。
これはなかなか面白かった。確かに、現代劇と対比することによって白雪とその眷属が異形のものであることが明白に映る。またその中に新派女形を置いたことで、能に慣れていない人にも「全然わからない」とはならない。
うん、発想は面白いし、それなりに成功しているとは思う。
でも、どうも私には「芝居」というより「イベント」に見えた。
最初、新作を作って役者を集めたのに何故大阪と東京1公演ずつしかやらないのか、と思ったけれど、実際観てそういうものかと納得してしまった。
現代パートの出演者は様々な分野から多士済々。
言わずと知れた狂言界のプリンス、野村萬斎。
元宝塚トップ娘役でこれが退団後の初舞台となる、檀れい。
バレエダンサーから役者に転進して間もない、小林十市。
そして、村人達には桂南光をはじめとする落語会の人々。
豪華です。
でも、豪華なのだけれど、とりあえず並べてみました、という感じ。キャスティングの意図がわからないというか演技の質がかみ合っていないというか。
野村萬斎氏は、野村萬斎でした。
現代劇と言うにはやや様式性の残った芝居で、最初は「何だか周りから浮いてるなあ」と違和感。
が、クライマックスで百合を贄にと奪おうとする村人達を恫喝する迫力、怒りをもって朗々と理を語る圧倒的な存在感に、ああ、それでいいのかと。
主役として舞台を支えきったのを観て、下手に周りとあわせて持ち味を殺しても仕方がないなと納得。一人で全部持って行きました。
檀ちゃんは、宝塚の演技のまんまでした。
嬉しかったけど。あの声、あの台詞、あのからからとした笑い声が聞けて。
最後、晃の腕の中で死ぬところは泣けた。自分を見つめる晃の頬に手を添えて、ご無事で、と言い残して、儚く。
……いや、その「相手」が本物の男性であるところについ違和感を覚えちゃったんですけどね。村の男達が捕えて縛り上げるのを見て「檀ちゃんに何てことを!」とか思っちゃったんですけどね(苦笑)。
卒業後第一作、まだまだ見る方が慣れないらしい。台詞が様式的な修辞のためか、宝塚時代と変わらない演技のせいもあると思うけれど。
小林十市氏。私、この人の舞台見てました。丁度去年の今頃『エリザベス・レックス』。
そのときの感想。
台詞が一本調子と言うか演技のテンションがずっと同じと言うか、大根?
でも、きれいだ。とても美しい男。
そして何よりその存在感。
何故か追ってしまう。目が離せない。
1年ぶりに見た小林氏は、相変わらず端正で存在感がありました。
そしてお芝居は……去年よりは上手くなっているのかな。何と言うか、普通でした。
この主要3人の演技のベクトルが全然合っていない。いや、それぞれ魅力的ではあるのだけれど。
そういうのって普通演出家が調整するんじゃ、と思ってスタッフを見ると。構成・総演出=梅若六郎、演出=中村一徳、とあり。
推測するに、梅若六郎氏は能の世界の人だから、現代劇の演技にはあまり口を出さないのかな。自分も主役格の白雪をやっているからそれほど暇じゃないかもしれないし。
で、中村一徳氏。うーん、先入観で失礼ながら、やはりあまり何もしなかったんじゃないかなあと。
出演者はそれぞれにベストを尽くしたのではないかと思います。
それに、ラスト。いかにも俗物な村人達の中で、この3人の美しさが際立つこと。
龍神との盟約を守り、里を村を守る晃と百合、そしてその二人を理解し「二柱の神」と表現する学圓。
雨乞いの儀式にかこつけて村一番の美女を裸に晒したいだけの下卑た連中に対して、精神の美醜まで表すような、残酷なまでの対比。
それだけでこのキャスティングには価値があるのかなと思いました。
村人、神主や代議士は落語家さんだそうです。私は不明にして存じませんが、知っている人にとっては見ただけで笑える人らしいです。
でも、出てきただけで笑いが起こると言うのはどうなんだろう。
だって、笑うところじゃないのに。俗物で何も見えていない群集が悲劇を引きおこす、カタストロフの引鉄なのに。
見ただけで笑えるほど有名な人だったら、出演者が悪いのでも笑った人が悪いのでもなく、ミスキャストだと思います。
(東京でもやはり客は笑うんだろうか?)
また、主題歌も疑問。
BIG BELLという男性ユニットの作だそうで、メロウなJ-POP。
正直、作品と合わないと思う。歌詞は近世歌謡『雲井弄斎』だそうですが。
更にこれ、幕開きで彼らがスポットライト浴びて歌っちゃうんです。普通の現代の格好で。霊界とも大正時代の日本とも違う。
興が醒めると思ったのは私だけでしょうか。
これも、彼らが悪いのではなく、頼んだ方の問題だと思う。
余談ですがこの歌、劇中で百合が歌います。しかもそれを聴いて荒れ狂う白雪が心を鎮めると言う重要な場面。
えーと、宝塚時代に檀ちゃんの歌を下手だと感じたことはあまり無かったんですが、正直手に汗握りました。
ま、まあ、声は綺麗だし、多少たどたどしいのも夫を慕う真情の表現と言う感じでいいかな、いいと思ってくれるかなと(苦笑)。
と言う訳で私にとっては色々微妙な公演でしたが、美しい人たちを見られたし、最後野村萬斎氏のおかげでいいもん見た気になれたし、まあ楽しかったかなと。あ、舞台美術・照明は美しかったです。
檀ちゃんの姿も見られたし。これからも活躍を楽しみにしています。
注:ネットをさまよったら評判は良いようなので、私の好みの問題かもしれません。
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