25日昼公演は上手席。
「私も叶わぬ恋をしている」と言うオスカルがちょうど正面。
そのとき、
「かわいいっ」
背後の客席に思わず呟いた人が。
いや、うん、可愛いですよ。

作品の駄目さばかり語っても気が滅入るんで、キャラの話をします。
「宿命の出会いをする二人の女性」オスカルとアントワネット。
いや、幕開きでフェルゼンがそう言ってるし。しかし最初は回想シーンから始まっているのに気がついたら現在進行形になっちゃってて、構成がぐずぐずですこの話。

前にも書いたけれど、途中までヒロインはオスカルに見える。
アントワネットと踊るフェルゼンにくってかかったと思えば、そのフェルゼンの予想外に潔い態度にときめいたり。
プロバンス伯には所詮女となじられ、アントワネットには女心がわからないと責められつつ、国家を守るとはどういうことか、自分のなすべき道はと思い悩んだり。
恋をしたり生き方を模索したり、大忙しです。
いや、その生真面目で乙女な様子は思春期の少女にも見えるんだけど。
青臭くて面映くなるけど、可愛い。

可愛いのは、脚本の書かれ方だけでなく、すずみんの演技のおかげでもあると思ってます。
表現がきめこまやかで、現代的。ひとつひとつの状況、台詞に丁寧に反応し、大芝居ではなく現代感覚で演技しているのね。
だから、わかりやすいと言うか、共感しやすいんだな。

しかし。
これは、すずみんの意図した結果なんだろうか。
いや、もっと「宝塚スタァ・涼紫央」として、バリバリ男装の麗人でくると予想していたもので。思いの外健気で可憐なオスカル、と言うか涼さんに、ちょっと戸惑っております。

意外と台本に忠実な手堅い芝居をする人なのかな。
今までショーでのイメージから、アピール過多(いい意味で)な人だと思っていたけれど、実は脚本と演出家の指示に忠実に、きちんと作ってくる人なんだな、と思いました。
思い返せば『それでも船は行く』のジョニー・ケイスもそんな感じ(ウィンクはやたら飛ばしてたけど)(オスカルもマント翻すことは忘れてないけど)。

あと、可愛く見えるのは相手役?のせいもあるかもしれない。わたるフェルゼンとしぃアンドレでは、どっちと並んでも小柄で華奢に見えるよな。

さて、そのアンドレ。
しぃちゃん、予想通りでした。大きくて暖かくて、真っ直ぐな愛に溢れていて。
全ツ版でオスカルとアンドレが絡むのは1シーンだけ。「フランスは自分はこれでいいのだろうか」と悩むオスカルに「痛々しいぞ」とか言っちゃうシーン。
ここのアンドレ、台詞だけ聞いていると結構ひどいです。オスカルは世間知らずのお嬢なりに真剣に悩んでいるのに、全然真面目に取り合ってない。「お前が悩んでも仕方ないだろう」って茶化しているだけで。
でも、うっかり聞き流してしまうのは、そこに愛があるからで。
オスカルのことが好きで、大切でたまらないとという根本動機が見えるからで。
「愛がなければどんな言葉も心を打たない」というような言葉がありますが、その逆。で、オスカルの方もそれをわかってるんだよな。

アンドレにくってかかろうとして小石につまづいたオスカルをアンドレが支え、更にムキになったオスカルがアンドレを追いかけて退場するシーンは、何十年前の少女漫画だ、って感じです。だって「(アンドレ)はははっ」「(オスカル)待てー!」だよ?25日は緞帳の向こうから最後「もぉーっ!」て声が聞えた。幻聴? もしかしたら「このー!」だったかもしれないが、いやそれにしても。

大変可愛らしいバカップルでございました。いやこれがオスカルとアンドレかと言われると困っちゃうんだけど。でもそれ以前に、これがベルばらかって時点で壊れてるからなあ……。(やはり一から作り直し希望)
ちなみにこの二人なら今宵一夜はナシで「平和になったら結婚しよう」とか言うんじゃないの?と言うことでサトリさんと意見の一致を見ました。

さて、本来のヒロイン、マリー・アントワネット。
…壊れている作品ってセンターほど被害甚大。

となみちゃん、わっかのドレスに負けない美貌、立ち姿のゴージャスさは素晴らしいです。
しかし。
アントワネットの出番は最初の仮面舞踏会、フェルゼンとの逢引と別れ、最後の牢獄。
最後の牢獄はいい。
しかし、それまでは、ただのわがままお嬢、いや奥方? 政略結婚させられた我が身を嘆き、フェルゼンと別れなければならない我が身を嘆いているだけ。周囲も何も見えていない。
アントワネットの見せ場である「フランスの女王なのです」が無いのが辛い。
後、演技なんですが。
となみちゃんが一番大時代的で様式的な朗誦風台詞回しと言うのは、どういうことなんだろう。
『花供養』の時とそっくりだから、多分植田氏の趣味なんだろうと思うけれど。でも、もうちょっと普通にやっても罰は当たらないと思う、と言うかその方がいい。周囲から浮いてる。
もっと普通にやっちゃえよ、やらせてあげなよ。
過去の作品を見ても、普通に品のあるお芝居ができる人なんだから。

そして(多分)主人公、フェルゼン。
…やっぱり壊れている作品ってセンターほど被害甚大。
それでも豪華な衣装をとっかえひっかえ出てきてくれるだけ、『長崎』よりマシかな。

フェルゼンもアントワネットも人格があるように見えません。
物語の都合でふらふら動かされて、その場その場で適当な台詞を言わされている人形みたいだ。
いや、熱演なんだけど。脚本がアレだから、熱演されるほど冷めるのね。
特にそれが顕著なのが、メルシー伯に説得されるシーン。
まやさんもワタさんも実に熱演です。でもね、間違ったことを真剣に訴えられても、格好悪くて白けるだけです。

元々、フェルゼンが主役というところに多少の無理があるのだと思う。
9/25の日記で「フェルゼンの屋敷とスウェーデン王宮をカットして、替わりにバスティーユと「フランスの女王なのです」を入れてください」と書いたけれど、これだとフェルゼンの出番が減るんだよね。
更に、宝塚のベルばらではフェルゼンの格好いいシーンはそもそも描かれていないし。
昔に読んだきりの記憶ですが、原作でフェルゼンが格好いいのは、
・仮面舞踏会の出会い。お忍びのアントワネットを割と強引に誘う男らしさ。
・アントワネットのためを思い身を引き、アメリカ独立戦争に義勇軍として赴く。
・革命の最中王家一家を救出しようとする。国王も含めた一家全員というのがキモ。そして国王とも友情に似た交流が生まれるのよ。
……これ全部ないんだもんなあ。(やはり一から作り直し希望)

しかし。
それでも、牢獄の場面は見ものです。出演者二人のテンションも高い。多分、ジェンヌさんにとってベルばらはもう基礎知識で、今回は存在しないシーンも前提として感情を盛り上げることができるんだろうな(でも客にもそれを期待されても)。
そこまで全部すっ飛ばしてここだけ見れば感動作。死を持って別たれる愛し合う者同士、と言うのは理屈抜きだから。
となみアントワネットはここに来て初めて感情を持ったような、様式芝居を越えてなお溢れる思い。
短い髪に質素なドレスのその姿は、いたいけな少女のようで。
意に反してアントワネットを見送り「愛あればこそ」を歌うフェルゼンに、格子の向こう、毅然として死に赴くアントワネットが唱和する、その二人の思い。

ここに至って思ってしまったこと…字数が無いので続く。

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