『霧のミラノ』感想続き。

そもそも、疑問に思ってるんですが。
何故主人公たちがレジスタンスをやっているか。オーストリアを追い出したいか。
私は感情移入できないんですけど。

脚本家演出家は、外国に支配されているから追い出したい、ってだけで説明は要らないと思っているのかな。
でも、それで皆納得しているんだろうか。感情移入して見ているんだろうか。

オーストリア支配の悪しき象徴として描かれるのは。
祭りやオペラの禁止。でもこれらは、作中でオーストリアの許可が出て開催できるようになる。
織物問屋の取り潰し。これも疑いが晴れて解決。
増税。これも、バレッテイ公爵(汝鳥伶)がカウニッツ将軍(飛鳥裕)に皮肉言ってるだけで、庶民が困ってるようには見えず。
ロレンツォの財産は没収されたけど、彼は実際に地下運動をしていた訳だしなあ。治安維持のためにはそれほど非道とは言えないんじゃ。ロレンツォ本人もへらへらしているし。
バールでのミラノ市民たちの歌とダンスは、支配者への反発を印象付ける、『エリザ』で言うなら「ミルク」に当たるような場面だろうけど、理由が祭りとオペラじゃ、ちょっと説得力に欠ける。いや祭りもオペラも民族のアイデンティティなのはわかるけど。そして美穂圭子女史の歌は素晴らしいけど。

ミラノがいかに抑圧されているか、ミラノの貴族たち、市民たちがいかにミラノを愛し、現状を憂えているか。そこが描かれていないとお手軽な少年漫画や若年層向けノベルやRPGみたいで、薄っぺらでつくりものっぽいんだわ。

レジスタンスの意味や愛国心がちゃんと描かれていないから、そのリーダーであるロレンツォが魅力的に見えないし、裏と表の顔の使い分けも映えない。
何より、敵同士なのに相手の人間性に惹かれ友情を抱く、ロレンツォとカールハインツとの関係が、ぬるい。

二人の友情のキーワードになりうるもの。二人がお互いに共感できるポイントは「貴族の誇り」だと思うんだ。

ちゃんと描かれていないけれど、深読みする余地はある。
カールハインツは、軍人であることより貴族であることにアイデンティティを置いているよね。フランチェスカ、ロレンツォとの初対面の場面で「子爵です」と名乗っているし。「少佐です」ではなく。
退役するとき「国を守る気持ちはあるのに軍務に向かない自分」と言っているのも、そういうことだろう。
情報将校であるからには、常に正々堂々と行動する訳には行かない。そんな時、貴族として人間としての彼の誇りは、傷ついたんだろう。
そんな彼が、ロレンツォを誇り高き貴族、愛国者と認めて共感を抱いても不思議ではない。

問題は、ロレンツォがそういう人間である、と描かれていないことで。
ミラノの人間としての誇りを持ち、それ故にレジスタンスに身を投じる男、としてのロレンツォを、見せてほしい。
そうしたらストーリーの説得力、ロレンツォの魅力、両方表現できるんじゃないだろうか。

カールハインツに見せる、昼行灯とレジスタンスリーダーとしての二面性も、コメディになってしまっている。
もっとわかりやすく見せてくれてもいいと思うんですよ。

例えば。
オーストリアに反発する人々がいる反面、オーストリア青年将校たちに嬉々として行動を共にするお嬢さんたち、ご夫人たちがいる。これがまた緊張感を削いでいるんだが。
彼女たちは自主的にそうしているんだよね。それは何故だ?(美形揃いだから、ってそりゃそうですが)
まだ「イタリア国民」としての意識が形成されていない、というのが答えになりうると思う。
そこで、ロレンツォがカールハインツの執務室を訪れる場面で真面目な話をさせてみてはどうだろう。
「我々の支配を喜んで受け入れてくれる方々も多い。レジスタンスは一部市民や特権を奪われた者たちの私怨による動きだと私は見ています」
「しかし時代は変わりつつあります。ミラノは、いやイタリア人は民族の誇りに目覚め始めている」
カールハインツの言葉に、つい本音が出てしまってへらへらとごまかすロレンツォ。ロレンツォが見せた気骨ある態度に驚き感心するカールハインツ。
そこで、ロレンツォを認める銀橋歌に入ればいいじゃん。歴史背景を出すことによって、他民族支配によって繁栄を築いたが滅びの近いハプスブルク貴族と、民族統一と独立をこれから成し遂げようとするイタリア貴族の対比にもなれば、歴史ロマンじゃないですか。
そして、自分を怪しんだにも関わらず、個人的な疑念だけでは紳士的な態度を崩さないカールハインツに対して、ロレンツォが感心する描写も入れればいい。それでこそ、後半のデュエット「優位に立ちながら居丈高にならず」が生きてくる。

もひとつ。
美形揃いだがどこか間抜けなオーストリア軍も緊張感を削いでいるのですが。
特に、クリスチャン(音月桂)の「アマンダちゃ〜ん」のくだり。
これはどういう意味があるのかなあ。カールハインツがいい上司であることを見せたいだけなのかなあ。いやキムくん上手いし嫌いな場面じゃないけど。
でも、オーストリアを「敵」として印象づけるにはマイナスだよね。敵もまた人間、ってテーマじゃないしねこの話(つーかそのテーマは先に敵が敵であることを示してからだよな)。

でも使いようによってはこの場面も使えると思うんですよ。
手紙が来るってことは、アマンダちゃんは故郷の彼女では? そこで「そんな姿を見たらこの間の令嬢が泣くぞ」とかつっこんでもらう。それに対し「大事なのはアマンダだけですよ。ミラノ娘なんて退屈しのぎです」と傲然と言い放てば、オーストリア軍は鼻持ちならない奴でミラノを上から見下ろして占領している、というニュアンスが出るんじゃないか? 部下たちが「そのとおり」って顔していればなお良し。
そしてカールハインツだけが不快そうであればなお良し。彼だけが、自国の支配下の土地でも相手を尊重する人間性の持ち主であることがわかる。

思いつくまま挙げてみました。
あと、どう転んでも「おいおい」と思うのはやはりラストシーン。
カールハインツは、人間として認めているロレンツォを惜しみ、彼を逃がした。しかし敗戦に至って、国への忠誠と貴族の誇りにかけてその償いをしなければならないと思うのは、理解できる。
でも、ならば、いきなり物陰から狙撃、はないんじゃないかい? これこそ「卑怯な!」と言われても仕方ないぞ。
白手袋投げて「決闘だ」でもいい場面だと思います。そしてモノローグではなく、ロレンツォの前で自分の意図を語っていただきたい。
そうであれば、ロレンツォも正々堂々と受けて立つだろうし。その方が盛り上がるし、ロレンツォの見せ場にもなるじゃん。
信念に基づいて説得する、でもいいですよ。少なくとも観客(とフランチェスカ)置き去りにはならんだろう。

と、言いつつ。
いきなり自己完結してロレンツォを撃ち殺し、挙句にフランチェスカに銃を渡して自分の命を預けるに至って、その傍迷惑な身勝手さが行き過ぎて逆に可愛くなってしまいました、カールハインツ。うわー私このキャラ好きかも。最低男なのにー(笑)。
……やっぱり馬鹿だからかな、こいつ。

コメント

お気に入り日記の更新

日記内を検索