歪んでいるのは。(『長崎しぐれ坂』)
2005年7月15日 宝塚もうこの芝居の話はしないつもりだったのだけれど。
でも、物言わざるは何とやらなので。
ネガティブなことはこっそりと。前の日付で書いております(姑息)。
この話がダメなのは、気持ち悪いから。
いや、話だけなら「つまんねー」で済むところだけれど。卯之助というキャラクターが、気持ち悪い。
それは「倫理的な気持ち悪さ」と「生理的な気持ち悪さ」。
「倫理的な気持ち悪さ」は、前にも散々書いた。
犯罪者である幼なじみを守るために岡っ引をやっている、という職業意識皆無な男。
それなのに罪悪感一切ナシ。最後伊佐次が撃たれて吐く台詞が「卑怯な!」と来たもんだ。せめて「間違っているけれどそうするしかなかった」という風に描いてくれればまだ、ああそういうこともあるよね、と思えるんだが。
そしてもうひとつ。
生理的に気持ち悪い、と言うのもあんまりな話ですが。
白状すると。
初日、全て伊佐次を守るためだったと告白する卯之助に、ドン引きしました。
もし自分が伊佐次だったら絶対引く、つーか切れる。ブチ切れるね。
「誰が手前にそんなこと頼んだってんだ、恩着せがましいこと言うんじゃねえ!」って。
でも伊佐次は「独活の大木にしちゃあ考えたじゃねえか」と肯定したので、さすが男はそんな細かいこと気にしないんだなと感心しました。
(と、ボケ倒そうと思ってたんですが「愛されることに慣れてるのね」という緑野さんの解釈が正しいんだと思います。他人が自分を愛し守り尽くすことに何の疑問も持たないタイプの人間っつーか)
どうにも粘着質のストーカーにしか見えません、卯之助。
連想するキャラクターが『グイン・サーガ』のアリだと言ったら、この困惑が伝わるだろうか。
私は色々余計なことを考えて深読みする人間なので、努力すればこの芝居も消化して辻褄を合わせて見ることは不可能ではないと思います。
でも、今回はその努力をする気力がない。どうしても出ない。
嫌悪感は如何ともし難い。
でも。
もし、この芝居が宝塚でなかったら。
星組でなかったら。卯之助を演じているのが湖月わたるでなかったら。
あーそんなもんか、と思って見ていたかもしれん。
もし、卯之助を演じているのが湖月わたるでなかったら。
私はこんな風に読み取っただろう。
卯之助は、終わりにしたかったんじゃないだろうか。
目的を押し隠して奉行所の手先を勤める毎日。本心を誰にも見せない二重生活。
それが、5年。
いつ破綻するかもしれない日々に、疲れてもおかしくはない。
折しも、幼なじみのおしまとの再会。伊佐次を捕えようと意気込む新任同心の赴任。
潮時かもしれない。
いつか破綻するなら、幕引きは自分の手で。
そして。卯之助は、伊佐次とおしまを再会させて伊佐次の望郷の念を煽る。
伊佐次のため、とおしまを引き離しておきながら、当の伊佐次に対しては囲いの外に出られない不遇にあてつけるようなことを言う(しかも、らしゃをダシにして)。
ついに我慢しきれず外に出ようする伊佐次に、卯之助は今までひた隠しにしてきた本心をぶつける。全てお前を守るためだった、と。
恐らく、これは賭け。伊佐次がほだされて思いとどまるもよし。それでもなお破滅に向かって突っ走るもよし。
どちらにしても、卯之助の閉塞した日々には変化が訪れるだろう。
伊佐次は破滅を選んだ。
卯之助はそれを見届ける。
別に、死なせようと思っていた訳ではないと思う。伊佐次が逃げおおせても、それはそれでひとつの終わりであり、ひとつの破滅であるのだから。
破滅と言う名のカタルシス。
なんてね。
しかし、卯之助を演じているのが湖月わたるであるということが、この読みを不可能にする。
だって、ワタさんそういうキャラじゃないじゃん! 全然!!
激しく認知的不協和。つまり、気持ち悪い……。
もっとも、こんな読みをすること自体が、おかしいと言えばおかしいんだろうけど。
歪んでいるのは、私の方かもしれない。
***
「歪んでいる」などと書いておきながら何ですが。
今までに、わたるファンと名乗ってメールを下さった方はお二人。今回、そのお二人ともから「長崎嫌い、卯之助ダメ」と観劇感想を送っていただきました。
世間的には、と言うかワタさんファンからはどちらかと言うと好評なように見受けられるんですが、さすがこんな日記見てメールくれる方は……何にせよ、共感していただけるのは有難いです。いやこんな事態に共感して相憐れむのもちょっと悲しいですが。
お互い、くじけず頑張りましょう。何をと言われると困りますが(笑)
でも、物言わざるは何とやらなので。
ネガティブなことはこっそりと。前の日付で書いております(姑息)。
この話がダメなのは、気持ち悪いから。
いや、話だけなら「つまんねー」で済むところだけれど。卯之助というキャラクターが、気持ち悪い。
それは「倫理的な気持ち悪さ」と「生理的な気持ち悪さ」。
「倫理的な気持ち悪さ」は、前にも散々書いた。
犯罪者である幼なじみを守るために岡っ引をやっている、という職業意識皆無な男。
それなのに罪悪感一切ナシ。最後伊佐次が撃たれて吐く台詞が「卑怯な!」と来たもんだ。せめて「間違っているけれどそうするしかなかった」という風に描いてくれればまだ、ああそういうこともあるよね、と思えるんだが。
そしてもうひとつ。
生理的に気持ち悪い、と言うのもあんまりな話ですが。
白状すると。
初日、全て伊佐次を守るためだったと告白する卯之助に、ドン引きしました。
もし自分が伊佐次だったら絶対引く、つーか切れる。ブチ切れるね。
「誰が手前にそんなこと頼んだってんだ、恩着せがましいこと言うんじゃねえ!」って。
でも伊佐次は「独活の大木にしちゃあ考えたじゃねえか」と肯定したので、さすが男はそんな細かいこと気にしないんだなと感心しました。
(と、ボケ倒そうと思ってたんですが「愛されることに慣れてるのね」という緑野さんの解釈が正しいんだと思います。他人が自分を愛し守り尽くすことに何の疑問も持たないタイプの人間っつーか)
どうにも粘着質のストーカーにしか見えません、卯之助。
連想するキャラクターが『グイン・サーガ』のアリだと言ったら、この困惑が伝わるだろうか。
私は色々余計なことを考えて深読みする人間なので、努力すればこの芝居も消化して辻褄を合わせて見ることは不可能ではないと思います。
でも、今回はその努力をする気力がない。どうしても出ない。
嫌悪感は如何ともし難い。
でも。
もし、この芝居が宝塚でなかったら。
星組でなかったら。卯之助を演じているのが湖月わたるでなかったら。
あーそんなもんか、と思って見ていたかもしれん。
もし、卯之助を演じているのが湖月わたるでなかったら。
私はこんな風に読み取っただろう。
卯之助は、終わりにしたかったんじゃないだろうか。
目的を押し隠して奉行所の手先を勤める毎日。本心を誰にも見せない二重生活。
それが、5年。
いつ破綻するかもしれない日々に、疲れてもおかしくはない。
折しも、幼なじみのおしまとの再会。伊佐次を捕えようと意気込む新任同心の赴任。
潮時かもしれない。
いつか破綻するなら、幕引きは自分の手で。
そして。卯之助は、伊佐次とおしまを再会させて伊佐次の望郷の念を煽る。
伊佐次のため、とおしまを引き離しておきながら、当の伊佐次に対しては囲いの外に出られない不遇にあてつけるようなことを言う(しかも、らしゃをダシにして)。
ついに我慢しきれず外に出ようする伊佐次に、卯之助は今までひた隠しにしてきた本心をぶつける。全てお前を守るためだった、と。
恐らく、これは賭け。伊佐次がほだされて思いとどまるもよし。それでもなお破滅に向かって突っ走るもよし。
どちらにしても、卯之助の閉塞した日々には変化が訪れるだろう。
伊佐次は破滅を選んだ。
卯之助はそれを見届ける。
別に、死なせようと思っていた訳ではないと思う。伊佐次が逃げおおせても、それはそれでひとつの終わりであり、ひとつの破滅であるのだから。
破滅と言う名のカタルシス。
なんてね。
しかし、卯之助を演じているのが湖月わたるであるということが、この読みを不可能にする。
だって、ワタさんそういうキャラじゃないじゃん! 全然!!
激しく認知的不協和。つまり、気持ち悪い……。
もっとも、こんな読みをすること自体が、おかしいと言えばおかしいんだろうけど。
歪んでいるのは、私の方かもしれない。
***
「歪んでいる」などと書いておきながら何ですが。
今までに、わたるファンと名乗ってメールを下さった方はお二人。今回、そのお二人ともから「長崎嫌い、卯之助ダメ」と観劇感想を送っていただきました。
世間的には、と言うかワタさんファンからはどちらかと言うと好評なように見受けられるんですが、さすがこんな日記見てメールくれる方は……何にせよ、共感していただけるのは有難いです。いやこんな事態に共感して相憐れむのもちょっと悲しいですが。
お互い、くじけず頑張りましょう。何をと言われると困りますが(笑)
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