追記予定(『コジ・ファン・トゥッテ』ザ・カレッジ・オペラハウス)
2005年7月3日 オペラサマーオペラモーツァルトシリーズ『コジ・ファン・トゥッテ』観て参りました。
去年の『ドン・ジョヴァンニ』がなかなか良かったので。
見終わった感想。
『コジ』って、後味の悪いオペラだなあ!
いや、何を今更って話なんですけど。
でもあれで「こんな事態にも笑えるのが幸せな人。レッツポジティヴシンキング」ってオチはどうなんだと。外からやってきた不幸じゃなくて自分たちが馬鹿な真似して引き起こした問題に対してそれでいいのか。何か間違ってないか?
勿論、名作に対して野暮は承知で言っております。そういや私『ドン・ジョヴァンニ』の「悪党は滅びた」とか『ファルスタッフ』の「世界は劇場、人生は芝居(記憶で書いているので違うかも)」とか、オチに釈然としないことはままあるんだよなー。西欧人の発想には時々ついていけません(そういう問題?)。
『コジ』は3回目です。
思えば、初見はメトロポリタンオペラ。キュートで美しくお洒落な舞台を愛で、2回目は新国立劇場のフィオルディリージとフェルランドが結ばれるというハッピーエンド要素に納得し、このフィナーレの受け止め方が違ったのかもしれない。
今まで見た中で一番「むきだしの」コジ・ファン・トゥッテと言う感じがした。
舞台の出来は良かったです。素晴らしかったと言ってもいいです。
あまり広くないホールもこのオペラには合っていたのではないかと。歌手の声が伸びやかに響いて、気持ち良かった。
特にテノールの清原邦仁の声が好みでした。久々の私的ヒット。この声で口説かれたらそりゃ落ちるって!
バリトンの青木耕平も良かったです。ビジュアル的に格好よかったし。アリアで客席降りして軽やかな動きにびっくりしました。
しかし圧巻だったのはデスピーナの櫻井裕子。これほどお嬢様二人と身分が違うことがありありとわかるデスピーナって、すげー。もうお育ちが違うから、って感じ。そしてその胸の谷間とそれを強調する衣装がまたすごい。日本人では珍しくないですか?
とにかくパワフルで舞台狭しと暴れまわって、迫力でした。あんだけ走ってよくちゃんと歌えている。
演出は、名前?が一面に書かれた青いビニールシートとか、大きな翼の彫刻とか、『ドン・ジョヴァンニ』と同じものが使われていましたが、ちょっと意味わからず。あとドン・アルフォンソがしきりとメモを取っていた意味もよくわからず。レポレロのノートとつながってるとか?
基本的には奇をてらったことはせず、良かったと思います。(だから「むきだし」と言う印象になったんだと思う)
但し、字幕で「人間は皆こうしたもの」と出してしまうのはどうかと。そりゃテーマとしてはそれで正しいかもしれないけれど、歌詞は「Cosi fan tutte」なんだから、字幕でそれを変えてしまう=解釈を押し付けるのは問題じゃないかな。
フェルランドとグリエルモ、フィオルディリージとドラベッラ、貞節であるときは二人全く同じ衣装で見分けがつかなくし、浮気(女たちは本気になるんだけど)するときは個性がわかる違う衣装って、その方が本来でしょうと言う意味にとれました。そのあたり面白かった。
気が向いたらまた追記します。
去年の『ドン・ジョヴァンニ』がなかなか良かったので。
見終わった感想。
『コジ』って、後味の悪いオペラだなあ!
いや、何を今更って話なんですけど。
でもあれで「こんな事態にも笑えるのが幸せな人。レッツポジティヴシンキング」ってオチはどうなんだと。外からやってきた不幸じゃなくて自分たちが馬鹿な真似して引き起こした問題に対してそれでいいのか。何か間違ってないか?
勿論、名作に対して野暮は承知で言っております。そういや私『ドン・ジョヴァンニ』の「悪党は滅びた」とか『ファルスタッフ』の「世界は劇場、人生は芝居(記憶で書いているので違うかも)」とか、オチに釈然としないことはままあるんだよなー。西欧人の発想には時々ついていけません(そういう問題?)。
『コジ』は3回目です。
思えば、初見はメトロポリタンオペラ。キュートで美しくお洒落な舞台を愛で、2回目は新国立劇場のフィオルディリージとフェルランドが結ばれるというハッピーエンド要素に納得し、このフィナーレの受け止め方が違ったのかもしれない。
今まで見た中で一番「むきだしの」コジ・ファン・トゥッテと言う感じがした。
舞台の出来は良かったです。素晴らしかったと言ってもいいです。
あまり広くないホールもこのオペラには合っていたのではないかと。歌手の声が伸びやかに響いて、気持ち良かった。
特にテノールの清原邦仁の声が好みでした。久々の私的ヒット。この声で口説かれたらそりゃ落ちるって!
バリトンの青木耕平も良かったです。ビジュアル的に格好よかったし。アリアで客席降りして軽やかな動きにびっくりしました。
しかし圧巻だったのはデスピーナの櫻井裕子。これほどお嬢様二人と身分が違うことがありありとわかるデスピーナって、すげー。もうお育ちが違うから、って感じ。そしてその胸の谷間とそれを強調する衣装がまたすごい。日本人では珍しくないですか?
とにかくパワフルで舞台狭しと暴れまわって、迫力でした。あんだけ走ってよくちゃんと歌えている。
演出は、名前?が一面に書かれた青いビニールシートとか、大きな翼の彫刻とか、『ドン・ジョヴァンニ』と同じものが使われていましたが、ちょっと意味わからず。あとドン・アルフォンソがしきりとメモを取っていた意味もよくわからず。レポレロのノートとつながってるとか?
基本的には奇をてらったことはせず、良かったと思います。(だから「むきだし」と言う印象になったんだと思う)
但し、字幕で「人間は皆こうしたもの」と出してしまうのはどうかと。そりゃテーマとしてはそれで正しいかもしれないけれど、歌詞は「Cosi fan tutte」なんだから、字幕でそれを変えてしまう=解釈を押し付けるのは問題じゃないかな。
フェルランドとグリエルモ、フィオルディリージとドラベッラ、貞節であるときは二人全く同じ衣装で見分けがつかなくし、浮気(女たちは本気になるんだけど)するときは個性がわかる違う衣装って、その方が本来でしょうと言う意味にとれました。そのあたり面白かった。
気が向いたらまた追記します。
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