わかった。
私、この作品の世界観がダメなんだわ。

卯之助がダメだって言ったけど、それは彼がこの作品の歪みを象徴しているからだ。私が本当にダメなのは、そんな卯之助の言動を正しいと描いているこの世界そのものだったんだ。
と、気づいてしまった『長崎しぐれ坂』昨日の2回目観劇でした。

前にも書いたけど、卯之助のやってることは間違っている。
奉行所の手下を務めていながら、目的は幼なじみの伊佐次を守ること。ええいこの扶持盗っ人!
そしてラスト。そうか最後卯之助は伊佐次に逃げるよう小船を指し示しているのだな、と気づく。駄目じゃん。
警察官が友達だからってやくざの友達に手入れの情報を流してやるのは間近ってるし、ましてそれが目的で警官になったとか言ったら、とんでもないだろうに。

でも、卯之助はどうやら正しいらしいのだな。この世界観では。
それが気持ち悪い。
象徴しているのは卯之助の「卑怯な!」と言う台詞。
「何て事を!」とか「伊佐次!」とかでいいじゃん。それをわざわざ、卑怯って。正当性を主張するようなこの台詞、元々冷めていた心が一気に冷え切ります。

いや、間違っててもいいよ。
法律に背いても大切な人を助けたい、と言うのは、有りだと思う。ただ、それは世間的には間違ったことだ、ということさえ了解されていれば。
つーか、そういう義理と人情の板ばさみの葛藤こそがドラマだと思うんだが。
どんなに間違っていようと自分にとって大切なものを貫く、そうせずにはいられない人間の強さと愚かさ、と言うのは、魅力的な題材だと思うんだけども。

世界観に取り残されてしまうこの芝居。それでも星組だから複数回見てしまうわけで(私にしては回数少ないですが)。
もう日本ものショーとして見るしかないです。こんなの初めてだよなあ(半泣)。
そういえば私ワタさんの初日ご挨拶のことも書いてないし。相変わらずいいこと言ってたんですが、芝居の内容に絡めていたので素直に受け取れなかったのよ……。

要するに植田氏との相性が悪いんだな。
まだ私がトップスターすら全員把握できておらず、宝塚の作家の名前なんて気に留めたことも無かった頃、うわーだめだこれと思ったのが『皇帝』と『夜明けの序曲』だという事実を思い出しました。三つ子の魂百まで。

でも、ネットの感想とか読んでいると、卯之助を「いい奴」と認識している人は、心が清らかなんだろうなあとも思うのさ。
で、そういう人が星組公演に通ってくれることは全然OKです。演じている人たちのために。長期的にためになるかどうかはいささか不安だが。

でもその反面、ダメだこりゃ、という感覚を共有できる相手がいて良かったなあとも心から思っています。一人だけだったら孤独だ。
と言う訳で、私が「ワタさんがかわいいからそれでいいの(はぁと)」って人間でなくて、よかったね。>緑野さんに私信。(つーか、卯之助はかわいくないよ、気持ち悪いよ)
もっとも、だからわざわざメールお近づきになりたくてメールしたとも言えますが、と告白めいたことを言ってみる(笑)。

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