カタルシス希望。(星組『長崎しぐれ坂』)
2005年5月15日 宝塚幕間、私は言いました。
「長安よりリピートしんどいかも」
長安よりダメかと我ながら愕然。いや、芝居としてはなんぼもましだとは思うんだ。ストーリーは一応ちゃんとあるし。
でも何がそんなにダメなんだろう。
と、考えすぎでまんまと初日感想が出遅れました(笑・本日は16日)。
多分私は、卯之助ってキャラがダメなんだ。
昨日分でつっこんでいるとおりに。
伊佐次も、みんなに慕われるいい奴なはずなのに(だからわざわざ唐人が匿ってくれてるんだよね)、作中ではいいところか全然描かれていない。
自己中心的で手下達のことも幼なじみの卯之助のこともどうでもよくて、自分と自分の惚れた女のことしか考えていない、相当困ったキャラだけど。
でもそーゆー主人公は今までも見てるし(トド様でもワタさんでも見たような気が)、慣れてる。いや慣れるのもどうかと思うが。
でも、卯之助は、何と言うか……気持ち悪いんだわ。
要するに彼は、伊佐次を守ることに人生を捧げちゃってる訳だよねえ。
なんで?
子供の頃庇ってくれたから? 理由として軽すぎる。命を救われて、しかもそれがきっかけで伊佐次が凶状持ちに身を落とした、くらいのエピソードがないとバランス取れないよ。(実はそういうのも好きじゃないけどな。恩返し絶対主義、みたいなの)
しかも、そのことを、すげー恩着せがましい態度で告白するのだわ。自分の人生犠牲にして見守ってきたようなこと言って。頼まれもしないのに。
いや、個人的に、恩着せがましい人って苦手なんですよ。しかもそれを美化されると更にげんなり。
泣かせるシーンなのかもしれないけど、私は引いた。一見陽気な軽い男だと思ったら、実はうじうじしたストーカーかい!?って。
ついでに言うと、伊佐次に人間的魅力が感じられないので(いいところは言葉で説明されるだけで舞台上の言動には表現されない)、余計に卯之助の言動が薄気味悪いんだけどな。
客席からはすすり泣きが聞こえた。世間の多数の人(演出の植田氏含む)は「これぞ男の友情、日本的義理人情の世界!」って感動するんだろうか。いやむしろそうであってほしい。喜んでいる人がいないと浮かばれん(と屈折するほどダメだったらしい)。
描き方の問題もあるんだろうけど。「外に行かせてくれ!(土下座)」「いや行かないでくれ!(土下座)」じゃドン引きしたよ……。
それに、義理と人情が相反する葛藤がドラマを生むのが義理人情の世界なんじゃないのかなあ。岡っ引としての立場と友情との板ばさみ。そうでなくて最初から仕事はどうでもいい男なんて、つまんないじゃん。
いやまあ、主要人物のひとりが感覚的に受け付けない人物だとしても、それはそれで仕方ないかなあと思うのよ。それだけなら決定的にダメとまでは言わない、かもしれない。
が。
私にとっての、あくまでも私にとっての問題は。
その役を「湖月わたる」が「熱演」してるってことなんだな……。
受け付けないタイプの人間なのに、ワタさんに熱演されるとうっかり持っていかれそうになるので、困惑して居心地が悪くて、余計気持ち悪いんだわ。
そんなの作品の質に関係ないし、幼稚な反応だと我ながら思うので大きな声では言えませんが。(「わたしのすきなひとはいつもかっこよくなくちゃいや」って言ってるようなもんだからな。恥ずかしい)
『長安』よりリピートがしんどいと言うことは、卯之助より玄宗の方がマシなのかって話ですが、今はそうだと答えるなあ。恩着せがましいストーカーよりわがままバカ殿の方がまだ嫌悪感は感じないんだわ。一般的な好みではなんだろうけど。
喉元過ぎて熱さを忘れているだけで、もう1回『長安』見たら前言撤回するかもしれないけどね。
日が進むにつれ演技はヒートアップするだろうから、そのうち熱演に騙されて普通に見られるようになるのかなあ。
そうなってほしいような、ほしくないような。
困った。
と、まあ、個人的な理由で余計にダメな『長崎しぐれ坂』ですが。
ダメなのはそれだけじゃなくて。
『長安』の方がまだ通える、と思ってしまった理由の一つは、ラストがそれなりに盛り上がった、からだと思う。
やっぱり、最後はカタルシスが欲しい。
何でおしまがラストに出てこないんだろう。
ヒロインなんだよねえ。原作どおりにした、のかもしれないけれど、宝塚化にあたって「あいつとあの子、そして俺」って三人の物語であること明示した主題歌を作ったんだから、それならちゃんと三人で終わってほしい。
おしまが身を引いて去る展開なら、伊佐次も唐人屋敷に留まるのがバランスが良いと思う。お互い好き合っているけれど、相手のことを思うが故に相手を破滅の道連れにするような真似を断念する。相手の本当の幸せは破滅しても添い遂げることかもしれないのに。それはそれで美しい悲劇だと思うし、日本的じゃないかと。
おしまは消え、伊佐次は破滅する、というラストにしたいならば。おしまを徹底的に夢の女として描く手もあると思う。江戸の匂いと戻れない日の思い出を運んできた女、おしま。彼女との再会が、危ういバランスを保って生きてきた伊佐次の心を狂わせ、破滅に導く。
でもそういう話でもないんだよな。
宝塚なんだから、ヒロイン出して、主人公とヒロインの物語に決着つけてくださいよ。
せっかくの大捕り物なんだから、立ち回りも希望。
いっそ、抜け荷の話も事実だってことにして、それを掠め取ろうとする無宿人と、商人の手下と、奉行所で三つ巴の大立ち回りにしてほしかったよ。そしたらフェードアウトしたさそりの顛末も描けるし。
その混乱の中、やっと再会する伊佐次とおしま。卯之助が身を挺して彼らを守り二人は逃げ延びる、でもよし。おしまが伊佐次をかばい、伊佐次の腕の中で死ぬもよし。目の前で二人が殺されて呆然と立ち尽くす卯之助、でもいい(これだと卯之助が主人公な終わり方だけど)。
精神的なカタルシスと、場面の派手さによるカタルシスと、両方やれるじゃん。
それにさ。
卯之助のことをイヤだイヤだと書いたけれど、彼だって最後に派手な見せ場があれば、印象変わると思うんだけどな。
それまでのへらへらした下っ端の仮面をかなぐり捨てて、本性に立ち戻って爆発して欲しい。じゃなきゃ何のためにいちいちエリートお役人様にメンチ切ってた訳よ。
「貴様、裏切ったな!」
「江戸っ子はなあ、何があったって幼馴染のダチを見捨てたりしねぇんだよ!」
とか、啖呵のひとつも聞きたい。
奉行所の連中相手に一人で大立ち回りした挙句壮絶に絶命、くらいの見せ場があればいいのに。
江戸っ子なら江戸っ子らしく、最期に花火を打ち上げて欲しいよ。
でも、そういう派手な展開にしないのが、オトナ(植田のおじいちゃん)の考える日本もののよさなのかしらねぇ……。
いいです私はお子様でも非国民でも(ひねくれ)。
プログラムによると、そんな植田のおじいちゃんは星組の熱さ、暑苦しさを大変お気に召したご様子。ナチュラル、リアル、自然体の風潮を「これも時代か」と思っていたが、「ドッコイ正当の宝塚魂がこの星組に残っていた」との褒めようです。うわー気に入られちゃったよ、やばいよー(失礼な)。
「長安よりリピートしんどいかも」
長安よりダメかと我ながら愕然。いや、芝居としてはなんぼもましだとは思うんだ。ストーリーは一応ちゃんとあるし。
でも何がそんなにダメなんだろう。
と、考えすぎでまんまと初日感想が出遅れました(笑・本日は16日)。
多分私は、卯之助ってキャラがダメなんだ。
昨日分でつっこんでいるとおりに。
伊佐次も、みんなに慕われるいい奴なはずなのに(だからわざわざ唐人が匿ってくれてるんだよね)、作中ではいいところか全然描かれていない。
自己中心的で手下達のことも幼なじみの卯之助のこともどうでもよくて、自分と自分の惚れた女のことしか考えていない、相当困ったキャラだけど。
でもそーゆー主人公は今までも見てるし(トド様でもワタさんでも見たような気が)、慣れてる。いや慣れるのもどうかと思うが。
でも、卯之助は、何と言うか……気持ち悪いんだわ。
要するに彼は、伊佐次を守ることに人生を捧げちゃってる訳だよねえ。
なんで?
子供の頃庇ってくれたから? 理由として軽すぎる。命を救われて、しかもそれがきっかけで伊佐次が凶状持ちに身を落とした、くらいのエピソードがないとバランス取れないよ。(実はそういうのも好きじゃないけどな。恩返し絶対主義、みたいなの)
しかも、そのことを、すげー恩着せがましい態度で告白するのだわ。自分の人生犠牲にして見守ってきたようなこと言って。頼まれもしないのに。
いや、個人的に、恩着せがましい人って苦手なんですよ。しかもそれを美化されると更にげんなり。
泣かせるシーンなのかもしれないけど、私は引いた。一見陽気な軽い男だと思ったら、実はうじうじしたストーカーかい!?って。
ついでに言うと、伊佐次に人間的魅力が感じられないので(いいところは言葉で説明されるだけで舞台上の言動には表現されない)、余計に卯之助の言動が薄気味悪いんだけどな。
客席からはすすり泣きが聞こえた。世間の多数の人(演出の植田氏含む)は「これぞ男の友情、日本的義理人情の世界!」って感動するんだろうか。いやむしろそうであってほしい。喜んでいる人がいないと浮かばれん(と屈折するほどダメだったらしい)。
描き方の問題もあるんだろうけど。「外に行かせてくれ!(土下座)」「いや行かないでくれ!(土下座)」じゃドン引きしたよ……。
それに、義理と人情が相反する葛藤がドラマを生むのが義理人情の世界なんじゃないのかなあ。岡っ引としての立場と友情との板ばさみ。そうでなくて最初から仕事はどうでもいい男なんて、つまんないじゃん。
いやまあ、主要人物のひとりが感覚的に受け付けない人物だとしても、それはそれで仕方ないかなあと思うのよ。それだけなら決定的にダメとまでは言わない、かもしれない。
が。
私にとっての、あくまでも私にとっての問題は。
その役を「湖月わたる」が「熱演」してるってことなんだな……。
受け付けないタイプの人間なのに、ワタさんに熱演されるとうっかり持っていかれそうになるので、困惑して居心地が悪くて、余計気持ち悪いんだわ。
そんなの作品の質に関係ないし、幼稚な反応だと我ながら思うので大きな声では言えませんが。(「わたしのすきなひとはいつもかっこよくなくちゃいや」って言ってるようなもんだからな。恥ずかしい)
『長安』よりリピートがしんどいと言うことは、卯之助より玄宗の方がマシなのかって話ですが、今はそうだと答えるなあ。恩着せがましいストーカーよりわがままバカ殿の方がまだ嫌悪感は感じないんだわ。一般的な好みではなんだろうけど。
喉元過ぎて熱さを忘れているだけで、もう1回『長安』見たら前言撤回するかもしれないけどね。
日が進むにつれ演技はヒートアップするだろうから、そのうち熱演に騙されて普通に見られるようになるのかなあ。
そうなってほしいような、ほしくないような。
困った。
と、まあ、個人的な理由で余計にダメな『長崎しぐれ坂』ですが。
ダメなのはそれだけじゃなくて。
『長安』の方がまだ通える、と思ってしまった理由の一つは、ラストがそれなりに盛り上がった、からだと思う。
やっぱり、最後はカタルシスが欲しい。
何でおしまがラストに出てこないんだろう。
ヒロインなんだよねえ。原作どおりにした、のかもしれないけれど、宝塚化にあたって「あいつとあの子、そして俺」って三人の物語であること明示した主題歌を作ったんだから、それならちゃんと三人で終わってほしい。
おしまが身を引いて去る展開なら、伊佐次も唐人屋敷に留まるのがバランスが良いと思う。お互い好き合っているけれど、相手のことを思うが故に相手を破滅の道連れにするような真似を断念する。相手の本当の幸せは破滅しても添い遂げることかもしれないのに。それはそれで美しい悲劇だと思うし、日本的じゃないかと。
おしまは消え、伊佐次は破滅する、というラストにしたいならば。おしまを徹底的に夢の女として描く手もあると思う。江戸の匂いと戻れない日の思い出を運んできた女、おしま。彼女との再会が、危ういバランスを保って生きてきた伊佐次の心を狂わせ、破滅に導く。
でもそういう話でもないんだよな。
宝塚なんだから、ヒロイン出して、主人公とヒロインの物語に決着つけてくださいよ。
せっかくの大捕り物なんだから、立ち回りも希望。
いっそ、抜け荷の話も事実だってことにして、それを掠め取ろうとする無宿人と、商人の手下と、奉行所で三つ巴の大立ち回りにしてほしかったよ。そしたらフェードアウトしたさそりの顛末も描けるし。
その混乱の中、やっと再会する伊佐次とおしま。卯之助が身を挺して彼らを守り二人は逃げ延びる、でもよし。おしまが伊佐次をかばい、伊佐次の腕の中で死ぬもよし。目の前で二人が殺されて呆然と立ち尽くす卯之助、でもいい(これだと卯之助が主人公な終わり方だけど)。
精神的なカタルシスと、場面の派手さによるカタルシスと、両方やれるじゃん。
それにさ。
卯之助のことをイヤだイヤだと書いたけれど、彼だって最後に派手な見せ場があれば、印象変わると思うんだけどな。
それまでのへらへらした下っ端の仮面をかなぐり捨てて、本性に立ち戻って爆発して欲しい。じゃなきゃ何のためにいちいちエリートお役人様にメンチ切ってた訳よ。
「貴様、裏切ったな!」
「江戸っ子はなあ、何があったって幼馴染のダチを見捨てたりしねぇんだよ!」
とか、啖呵のひとつも聞きたい。
奉行所の連中相手に一人で大立ち回りした挙句壮絶に絶命、くらいの見せ場があればいいのに。
江戸っ子なら江戸っ子らしく、最期に花火を打ち上げて欲しいよ。
でも、そういう派手な展開にしないのが、オトナ(植田のおじいちゃん)の考える日本もののよさなのかしらねぇ……。
いいです私はお子様でも非国民でも(ひねくれ)。
プログラムによると、そんな植田のおじいちゃんは星組の熱さ、暑苦しさを大変お気に召したご様子。ナチュラル、リアル、自然体の風潮を「これも時代か」と思っていたが、「ドッコイ正当の宝塚魂がこの星組に残っていた」との褒めようです。うわー気に入られちゃったよ、やばいよー(失礼な)。
コメント