てくびにきざんだものがたりがきのうをみちびく ゆめのおくつき

幕開きのこの歌詞で、既にノックアウトされました。

『マラケシュ・紅の墓標』見てまいりました。
初日見ましたが、他に書くこともあったし、感想は次に観たときにしようと。
で、今日。初見の友人と行ったのですが、やはり「難しい」「退屈」「よくわからない」との反応。
うーん、そうかー。私は好きだけどな。確かに説明不足とは思うけど、そんなわかるとかわからないとかいうもんでもないと思うし。

と言う訳で、何故この作品が「わからない」と言われるか、真面目に考えてみます。

理由1:登場人物が多すぎて、紹介だけで時間がかかってしまう

主人公は、マラケシュに住む厭世的な青年、リュドヴィーク。
彼を巡る登場人物のうち、主要なのは3人。

・オリガ。ロシア亡命貴族にしてイギリス貴族の妻。パリで心に傷を負い時が止まった者同士、リュドヴィークに惹かれる。
・イヴェット。元パリの花形スター。リュドヴィークの元恋人。彼女との恋と別れこそがリュドヴィークの傷。
・レオン。白人とベルベル人の混血。詐欺師。リュドヴィークの仕事仲間。
レオンだけはちょっと別ストーリーではありますが。

そして、更に彼らを巡る人々。プログラム買っていないので、記憶で列記します。

オリガの周囲。
・クリフォード。オリガの夫。
・オリガの伯母とその付き人。
・クリフォードの姉とその付き人。
・オリガについてマラケシュにやってきたイギリス人弁護士。クリフォードを子供の頃から知っている。
・オリガについてマラケシュにやってきたロシア人青年弁護士。オリガの伯母の指図。
・オリガのパリでの恋の相手、バレエダンサー、アレクサンデル。

イヴェットの周囲。
・ソニア。イヴェットの付き人。
・ギュンター。イヴェットの持つ金の薔薇を付けねらう男。
・イヴェットのパリ時代のパトロン、嫉妬からリュドヴィークと争い、イヴェットに殺される。

レオンの周囲。
・アリ。レオンの仲間。仲間は他に二人。
・ファティマ。レオンの恋人。
・ラッラ。レオンの母。

更に、

・コルベット。イヴェットのパトロンで元マフィア、マラケシュの顔役でレオンとも繋がりのある男。
・ソフィア。コルベットの娘。リュドヴィークに惹かれている。

・クロック。警察長官。コルベットと裏で繋がっている。

・イズメルとアマン。ベルベル人。リュドヴィークの観光客相手の詐欺の元手である「石の薔薇」を持ってくる。どことなく謎めいた雰囲気。

このくらいまでが、物語上意味のある登場人物でしょうか。端役も混じっているけれど、それも主要人物の背景を説明するのに必要な人間では、ある
これだけのキャラクターを紹介し人間関係を説明するには、時間がかかる。半分くらいまでそれで終ってしまうんじゃないだろうか。
勿論、その説明−誰がどんな性格でお互いどう思っているかをわからせる手際は鮮やかでスリリングで、いくつもの伏線が張り巡らされているのだけれど。
でも「話がなかなか展開しなくて退屈」と言われても仕方ないところはある。
うーん。大劇場だから役いっぱい作っちゃったのかなあ。一時間半でまとまる話じゃ無かったのかもしれないなあ。
宝塚的には、役が多い方がファンも嬉しいけど。ざっと思い出せる意味のある役がこれだけあって。

理由2:説明不足

これだけの登場人物にそれぞれの事情があるので、説明しきれなくても無理は無い、という面もあるのかもしれませんが。
でも、それだけではないような気がする。

舞台上で何が起こっているのかは、しばしば象徴的に語られる。説明台詞は極力排される。後半になるほど、クライマックスが近づくほど、その傾向は強くなる。
(前半は登場人物を印象付けるためかやたらと名前を連呼していたりするけど、それはまあご愛嬌)

よくわからないのは、この説明不足が、
・決めているけれど、あえて説明しない。
・実は決めていない。
の、どちらなのか。

前者だとしたら、このくらい説明すればわかるだろうと思っているのか。それとも、わからないだろうけれどこの描き方が美しいから、それを感じてくれれば良し、なのか。

いや、私は好きなんですけどね。
説明しすぎって、興ざめじゃないですか。
説明しきらずに、解釈と言うか空想の余地がある方が美しい物語になるときもある。曖昧さが心地よい悪夢にたゆたう、そんな感じ。

だから、私の趣味には合うんですが。
でも、ショーなら、例えば『ドルチェ・ヴィータ!』なら意味を考える人はいくらでも深読みするし、そうでない人は美しいショーとして楽しむ、ということが出来るから、いいんですけど。
芝居では、やはり難しいのかなあ。もっとわかりやすく明快にする必要があるのかなあ。いや実はそう思ってないもので(苦笑)。

と思っていたら、友人に見せてもらったプログラム(買ってません)には、場面場面の意味がはっきり明快に書かれていました。「具象的な事実として何が起こっているか」については、プログラムの方が情報量多いよ! ギュンターとイヴェットのやりとりなんて、そんなの読み取れないって(私は、ですが)。
勿論「具象的な事実(警察の現場検証のような)」以外の情報量は、舞台の方がずっと豊かなんですけどね。
に、しても、これだけはっきり書くってことは「これは普通に見ていれば伝わる内容」と思っているのかしら。
それとも「わからないだろうからここで説明しとけ」と思ってるのか?
前者のような気がするが(読み違い、と言うかボケ?)。
どっちにしてもちょっと、なんだかなあ……。

理由3:象徴的すぎる

説明不足、とも通じるんですけどね。単なる説明不足なのか、象徴的に描くことが説明不足に見えているのか、判別しにくいところもあるんですが。

まずは「蛇」。ここでつまづく人もいるかも。
でも、宝塚を観ている人は、黒天使とかスカーレット?とか、「いるけれどいない、いないけれどいる」存在には慣れてるんじゃないかと思うけど。

パリの回想シーンも、人によってはわかりにくいのかなあ。私はとても鮮やかだと思うんだけれど。
石の薔薇の受け渡しとクリフォードの生還はどうだろう。ここも美しい場面だ思うんだけど。好きなんだけど。

……ちっとも考察になってませんね。結局「私は好き」だからなあ(苦笑)。

話がそれますが、ひとつ「ここが好き」という話をしてしまうと。
ラスト、蛇がレオンをいざなうように踊り、レオンが踊り、そしてベドウィンたちの列に加わる、その場面が好きです。
ここ、レオンは笑っているように見えました。少なくとも怒りや悲しみではない、穏やかな表情をしている。
あ、レオンも場所を見つけたんだな、と思いました。蛇に、導かれて。

理由4:原因と結果がつりあわない、ように見える

これについてはまた明日続き書きます。

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