おとぎ話でしか解決できないなら、リアルにえぐるな。

『ホテル・ステラマリス』作・演出 正塚晴彦。
チャリコンの前、1/17昼に見ました。
初見は1/9だったのですが感想を書きそびれていたので、もう1回見て、初見でひっかかったことを整理してから書こうと。
で、上記の結論。
極めて個人的な感想だとは思うんだが、一応書く。

ステラマリスは歴史と由緒ある、美しい海に面した絶好のロケーションのホテル。でも、世の趨勢についていけず傾きかけている。ついに外部資本の手を借りることになった。
と言う訳でファイナンス会社のエリート社員、ウィリアム(和央)がやってくる。ホテルのオーナーの娘、ステーシー(花総)は複雑な思いを抱きながらも彼に協力する。なんとかホテルを存続、再建しなければ。
と言うお話。

不況、傾いた会社、リストラ、変革についていけない従業員、という、現代日本で生きていれば耳、いや胸の痛い話です。
そして正塚氏の書く台詞、歌詞はリアルに痛い。「日々の糧を得ることだけを考えていた」「もうお前は要らないと言われたような」「何のための変革」etc.

でも。
何でそれが「ワークシェアリング!」の一言で解決、従業員一同一致団結しちゃいますか!?
初見のとき私は肩を震わせて笑っちゃいましたよ。
あんたらそれでいいんかい。

話の続き。
と言う訳で一致団結したものの、今度は別の事情が襲ってくる。
ホテルは閉じて、別の会社に売り渡すことになった。その会社はホテルのある海岸一体を開発してビーチリゾートとして売り出すつもりだ。
幼いころからホテルとこの海を愛していたステーシーはもちろん、ホテルとここでの仕事、そしてステーシーに愛着を感じ始めていたウィリアムにとっても胸が痛む話だ。
でも。ホテルは買い取られ、親子は負債から解放され、従業員たちも新しいホテルで働けるだろう。ウィリアムもレポートと再建計画でホテルの価値を上げたことで上司から評価される。
ステーシーは言う。「じゃ、何の問題もないのね。お仕事としては」
ウィリアムは答える。「……きっついなあ」
そう。そういうきっついことは現実にごろごろしている。でもどうしようもない。

だけど。この物語においては、海に発光性の珍しい生物が見つかり研究対象として価値があることが判明したため、開発は回避される。ホテルも助かる。

悩みはリアルだ。
でも、解決はリアルでない。
リアルな悩みに共感して胸えぐられた私は置いてきぼりを食らって途方にくれる。
だって現実にはワークシェアリングは魔法の呪文じゃないし、光る海もないから。

極めて個人的な感想、なのだろうと思う。
そもそも、こんなことで痛む私の心の弱さが悪いんだし。
勤め人の私と作家・演出家である正塚氏のリアル・アンリアルは全然違うんだろうし。
逆に私が気にならなかったエスペランサだって、ロマパリだって、そのリアルに反応して置いてきぼりを食らった人はいたかもしれないし。芸術関係の職についてる人とか、経営者とか。

極めて個人的な感想だとは思うけれど、一番引っかかったことなので、書いておきます。
(と同時に今週末同じ感想を抱かなくて済むといいなあと危惧する私)

でも。

おとぎ話でしか解決できないなら、リアルにえぐるな。
つーか、えぐらんでくれ、頼む。

と、思ったけれど、それは違うんだろうなあ。
問題はリアルで、解決はおとぎ話、というフィクションは有り無しで言えば有り、大いに有りだろう。
じゃ何故今回私はダメだったのか、と言うとやはり書き方の問題ではないかと。
リアルとおとぎ話の落差を、説得力を持って埋めてくれれば。
そうすれば、客は自分の「ワークシェアリング」を「光る海」を見つけられそうな気分になれるんじゃないか? 元気が出るんじゃないか?
少なくとも幕が下りるまでの間は、夢が見られるんじゃないか?
そうでないから置いてきぼりにされるだけで。

と言う訳で、書き方の問題の話。

なんか、冗長だなあ、と言うのが初見の印象だった。
いつまでオープニングが続くんですか? つーか、これ芝居じゃなくてショー? 前にビデオで見た『デパートメントストア』思い出すんですけど。
芝居だとしたら、ドラマで説明して欲しいところを歌とダンスで流されちゃうのが多すぎ。そりゃ、その歌とダンスは魅力的だけどさ。
ドラマが動き出すのは、ホテルの売却計画が決まってから。時間的には半分を過ぎている。

2回目見て、構成ってものを考えてないんじゃないか、と言う感想を持った。
何か書いたら、普通は一度通して読んでみる。物語じゃなくて資料や手紙だって同じ。通して読んで、ここ繰り返しでくどいな、ここはもっと説明しないとわからないや、こことここは順番変えたほうがわかりやすそう、とか考えて手を入れる。
その作業をやってないんじゃないか、と言う気がした。

例えば。
前半、主人公ウィリアムはホテルの査定に来たファイナンス会社の社員、という正体を隠したままホテルの従業員に再建プランを提案し、一同盛り上がる。このシーン結構長いけど、何の意味があるんだろう。

 部外者ウィリアムの再建プラン=部外者ゆえの思いつき
 ↓
 みんな乗ってくる(が真面目には考えていない?)
 ↓
 副支配人としてやってきたウィリアムの再建プラン
 ↓
 みんなやる気無し

この繰り返しには何の意味が?
その場のノリはいいけれどしんどい再建計画を地道にやっていくことにはそっぽを向く従業員のモラルの低さを示すため……じゃないんだろうなあ、多分。

そんなんだったら、例えば。

部外者ウィリアムのプランに乗ってきたのは一部の連中。後日ウィリアムは副支配人として乗り込むが笛吹けど皆踊らず。でもウィリアムがため息をついていると、あのときプランに興味を示してくれた人たちがおずおずと近づいてくる。「実現する方法を考えてみたんですけど……」
一部に味方を得て再建計画を作り上げることはできたが、人の問題は解決しない。リストラの噂が従業員たちの間をぎくしゃくさせている。自分はこれからもここで働けるのだろうかと不安を持つ人たちと、とりあえず頑張ってみようよと働きかける人たちの間の溝。そんなときに思いついたワークシェアリング。

とかね。いや素人が思いついた一例に過ぎませんが。

あと、ホテルの皆が主張する「人生の味わい深さ、本物のコンフォータブル」が本当に価値を持つのかどうかも、お話の中で証明して欲しかったよ。いや、あの老夫婦にとっては価値があるんだろうとは思うけど。

(あと関係ないけど、天候の荒れをホテル従業員のダンスで表現するのは止めた方がいいと思いました。個人的な趣味ですが、ボーイやメイド姿で激しく踊られても……自然現象を表現するなら冒頭シーンの白いドレスの波のようなシンプルな衣裳だろうと)

と、社会派ドラマ?としてはダメだった私ですが、恋愛ものとしてはまあ、いいんじゃないかなと。

だらだらと文句をつけっぱなしですが、次の欄に続く。

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